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暫く、一人きりの作業が続いていた。
教室内の騒がしい声を聞きながら、拓は頼まれた部分を一心不乱に塗っていく。
ただ、単調な単純作業の繰り返しなのでそろそろ飽きてきていた。
何故拓だけになったのかというと、それはみんなが衣装合わせをしているからだ。
拓も王子役というそこそこの役なので数十分前までは教室にて衣装合わせをしていたが、腕のこともあるので「手がちゃんと出ていてかつ着替えやすい大きめの衣装」となり、古い制服の色を絵本の中の王子様風に色を変え、その上にマントを羽織った結構簡単な衣装となった。
衣装担当の女子曰く、「そのままで普通に格好いいから、髪型とかを王子様っぽくしたらそれでいけるっしょ」ということだ。
そういうわけで、拓の衣装合わせはほぼ一瞬で終わり、一人ぼっちでの作業となったのだ。
何だこれめちゃめちゃ寂しいやないけ
最早一種の虐めじゃなかろうか? と思いながらとりあえず任された部分をやり遂げた拓は、絵の具を一旦片付け「ふーー……」と長い息を漏らしながら付近の壁にもたれかかった。
鼻先にちょびっと絵の具をつけて格好いいポーズでもしとけば絵になるかなぁ、と時折通る生徒たちの視線を感じながらぼんやりと思っていると、「ちょっと作業中の奴ら全員しゅーごー!」と先ほど奏斗に怒号を浴びせた女子の声が上がった。
中々耳をキーンとさせる声だなぁ、外にいてこれなのだから中の奴らはやばそうだなぁ、なんてことを呑気に思いながら、重い腰を持ち上げ立ち上がる。
――そういえば、何かに抵抗するような奈海の声も聞こえなくなってんなぁ
そんなことを考えつつ「うーぃ」と返事をしながら軽く背中と腰を伸ばし、教室の中に入った。瞬間、まず目に飛び込んだ人物に「ぶっふぉぉお!」と拓は盛大に吹き出した。
ものすっごいぶっとい人魚姫が教室の中心にいた。
「おー、拓! な、これやばいやろ? 傑作じゃね? ……んぐふっ」
拓とよく会話を交わす友人が、「はぁ~い」と野太い声を出して手を振る人魚姫を指し、その姿に目をやったことで再び吹き出し、手で口を抑え震えていた。
太めのマロ眉に、金髪のロングウェーブの
アンバランスなのに、コメディとして絶妙なバランスを保った姿。
多感な時期の高校生たちにとっては、笑いの的になること間違いなしの容姿だった。
「や、やべ、何それ!? ぶわっはっはっはっは!」
容姿で笑うことを出来るだけ避けている拓でも、流石に我慢することが出来ず大声を上げて笑ってしまった。
何より、人魚姫である当の本人の
人魚姫の衣装を着るとそもそも座っていることしか出来ないので、どれだけ巨漢な彼でも全ての人を見上げる形になる。
そんな色々と凄すぎるインパクトのある彼に拓の腹筋は壊れ拓は崩れ落ちた。
「あっひゃっひゃっひゃ、ひーー!!」
崩れ落ち、笑いのツボにはまってしまい立ち上がれなくなっている拓に「せんせ~。とうとう久藤君が死にました~」ととある生徒が手を上げ冷静に告げた。
「はいそこ。縁起悪いこと言わない。あと私は文化祭委員です。先生言うのやめれ」
文化祭委員である
「皆さんお待ちかね。可愛いお姫様の登場です。……フフ、どうぞ」
そう言って、ニヤッと悪そうな笑みを浮かべると、
瞬間、感嘆の声がクラス全員の口から洩れた。
その視線の先は、勿論美少女清美にあった。
清美は誰もが予想した通り、とても美しいシンデレラに仕上がっていた。
髪の色は敢えて変えず清美の素の色である黒髪のままであったが、淡く薄い水色のドレスによく映え、とても美しかった。
足を動かすたびにたっぷりとしたスカート部分がふわっと波打ち、美しい以外の言葉は似合わないと言ってもいいほどの美麗なシンデレラだった。
「母の昔のウェディングドレスでいい色があったんよ。それで借りてんけど……どうかな?」
皆の視線の集中っぷりに、少し気恥ずかしそうに桃色に染めあがった頬をかき、可愛らしく小首を傾げた。
そのあざとい仕草に、数人のギャル女子は「けっ」と言わんばかりの憎々し気な視線を投げたが、男子生徒と清美ファンの女子は一斉に「めっちゃいい!」とサムズアップした。
拓も流石に「かっわい……」と零してしまい、慌てて口を覆ったが、奏斗が「だよなー、やっぱドストライク!」と同意したことで漏れ出た本音は皆にバレることになってしまった。
ギロっと睨みつけると「あり? なんか悪かったか?」とからかうように歯を見せて笑ってくるのが余計腹が立ち、今まで何とも思ってなかった奏斗は今日一日で拓の嫌いな人物第一位へと昇り詰めていた。
「みてみてー!」
「こっちも可愛いっしょー!」
そう言って陽気な声を上げるのはロミオとジュリエット役の二人だ。ロミオとジュリエットはコメディ担当のためか、双子のようなお揃いの衣装でとても動きやすそうなつなぎの短パンとTシャツというデザインであった。本来であれば恋愛劇場を代表する役の二人だが――高校生の描くオリジナルシナリオだ。自由なのは当たり前ともいえるだろう。
いや、むしろこの自由さが、演劇の持ち味ともいえるだろう。
その傍らには何度も眠そうに欠伸をしている、淡い紫1色のレースのドレスを纏った陰キャラ女子、
普段眼鏡をかけていて目元がわかりにくい彼女だが、それを外しアイラインを引くと元の顔がいいこともあり普通に見惚れてしまえるレベルのお姫様へと変貌していた。
眠り姫、という名に相応しくずっと眠そうなつまらなそうな表情をしているのも演劇としてはばっちりの役だといえるだろう。拓もその姿には「おー。いいじゃん?」と今度は口には漏らさず心の中で呟き親指をぐっと立てた。
「すごーい、やっぱお姫様陣可愛いやん!」
「ねー。やっぱ推薦して正解だったね!」
「演劇が楽しみ~」
そんな声が上がった方を見ると、友達同士でわいわいと盛り上がる、男女共に同じ三角帽子をかぶった同じ服装の小人役が合計10人ほどがいた。
出れる生徒は出来るだけ表に出よう、ということでこの人数となったのだ。
小人たちは白シャツにベスト、ぶかぶかズボンという同じ服装ではあるが、ベストとズボンはそれぞれ色が違っていて、全員がそろうと虹のような色彩となり視覚でも楽しめる役だった。
――ちなみに、白雪姫の片思い役はあえて帽子を被らずに登場する予定のスキンヘッドの野球部、
190センチという一番高身長の彼でもあるので、いい感じに存在感が際立ちオチ役として見た目ですでに最適で、「一人だけ超異質」と殆どのクラスメイトが盛大に吹き出していた。本人がノリノリで筋肉ポーズをかましているのがまたいい味を出していた。
そして、白雪姫は。
「お願い……あんまり見ないで……」
リンゴのように赤らんだ両頬をぎゅっと手で挟み、俯き加減で目を伏せている青と黄色のドレスを纏った奈海が背を縮めるように少ししゃがみがちで立っていた。