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「責任取れとは言わん、そんなんで付き合うになっても、それはただの同情やし。せやから気にすんな」

「でも、久藤……!」

「ええから、お前は気にすんな」


 右手に分厚い包帯を巻いた痛々しい姿で登校した拓に、奈海が「何か手伝おうか?」と駆け寄って返ってきた言葉が、これだった。

 優しい。けど、冷たい。拒絶の言葉でもあった。


「でも、それでもやっぱり、放っておけへん!」


 そう言って奈海は彼のカバンを強引に奪い取った。


「あ、ちょ……!」

「ええやんか、甘えたって。席近いねんから、無視する方が無理やわ!」


 奈海は鞄を抱きしめる様に抱え込み、決意の固い瞳で拓を見据えた。

 痛々しい包帯は、前の席にいるせいで否応なしに目に入る。

 気にするな、何もするな、という方が無理な話だ。

 例え強く拒否されても世話を焼いてやる、と奈海がぎゅっと拓のカバンを握りしめた、その時。


 奈海の腕を、包帯のない腕が力強く掴んできた。


「ええから」


 その声は、ひどく低くて。

 聞いたこともないような声で。


 優しく、笑って、振り返ってくれる彼が。


 奈海の記憶の中で一瞬で砕け散るには、十分の破壊力を持った、迫力のある声だった。ビクッと震えた奈海は、「ごめん……」と青ざめて大人しくカバンを返した。返す時に、カバンごと腕が震えるのは仕方のないことだった。

 奈海の怯えの混じった表情に拓はハッとなるが、顔を伏せると悔しそうに唇を噛み「いや……気持ちは、嬉しいから」と精いっぱいの弁解をした。


 けれど、今更弁解したって遅かった。


 そもそも、恋をよく知らない奈海。

 好きになりかけ、というだけであって、

 彼の表情を思い出してドキドキするとか、本の中に彼の名前を見かけてドキドキするだとか、姿を見て胸が熱くなるとか、そこまで思いが進むことのない、ちょっと気になる。顔を見たくなる。様子を見ていたくなる――程度の、気持ち。


 好きと言われたから気になる、ただそれだけの気持ち


 だから、この拓の対応は奈海の恋心を打ち砕くには充分すぎる破壊力があって


 ――近づこうとした2人の間に。

 目に見える亀裂が入った、瞬間だった。





 ――次の日から、久藤は登校してこなかった。

 奈海は携帯で一度だけ拓にメールを送った。

 同じクラスになったらほぼ強制的に行われる連絡交換で知った連絡先だ。


「大丈夫?」


 その返事は一切ないまま、もう数日が過ぎていた。

 既読だけがついた、悲しいメッセージ。

 送信を取り消すこともできたけど、それはしなかった。

 それは、奈海が抱えはじめた大事な気持ちを消すようで、なんだか悲しかったから。奈海自身も、自分に芽生えた初めての感情を大事にしていたかったのだ。

 ――祖母の小説を読んで、どんな感じなんだろうって気になっていた、「恋心」というものを

 だからせめて、メッセージの中に残した自分の気持ちだけは大事にしようと――少し虚しいかもしれないが――奈海はそう思い、メッセージを消さなかった。


 今、彼は、どうしているのだろう


 目の前の空席を見つめる視界が、歪んだ。


 貴方は、何を思っているの


 私に好意があるような振る舞いをしておいて。

 心配するメッセージは無視。

 包帯を巻いて登園した日だって……


 苦しい、とても

 肺が、胸の奥が、のどが。

 苦しい。息が、しづらい。


『拓に好かれてるんやもん』


 清美の言葉が蘇って、苦笑する。


「どこがぁ……こんなん、好かれてるに入らんわ」


 放っておけ、と言わんばかりに奈海の腕を掴んできた拓のこちらを睨みつけるような表情が蘇り、嗚咽を漏らさぬよう唇をかむ。


 ――ああ、もう、本当やだ


 私はやっぱり、アイツなんか、大嫌いだ



 そう思って、奈海は、目元を掌で覆って。

 零れ落ちた涙を手の端でそっと受け止めた。



***





『大丈夫?』


 その心配の言葉が、ひどく胸にささった。

 涙を流す彼女を初めて見た時のように、何かがトスっと音を立ててささった。

 けれど。……嬉しいのに、何も返せなかった。

 ――で、そうこうするうちに1週間たっていた。


「あ~……俺って、アホやん」


 短い文字だけが浮かんでいる携帯の画面を見つめていた拓は、携帯ごと手を勢いよく布団の上におろした。その衝撃だけで、包帯を巻いた手が痛くて、眉間にぎゅっと皺を寄せた。


 ――情けねぇなぁ


 好きな人一人上手く受け止められず、格好よく着地しようとした結果派手に怪我をしてしまったことがひどく恥ずかしく、奈海の顔をまともに見れなかった。心配されることが余計羞恥心を刺激して、上手く言葉を返せないどころか顔をまともに見ることも出来なかった。

 結果、全部ぶっきらぼうになって。


 奈海のショックの色を帯びた表情が脳裏にちらついた


 ――彼女を傷つけた


「最低やろ……俺。ホンマアホやん」


 携帯から離した手で目元を覆い隠し、呻く。

 その本心は、言葉にしなければ彼女に届かないのに。

 最悪な態度をとってしまった。


「……どーしよ」


 恋愛って、こんなに難しかっただろうか。

 彼女に対して、どう接すればいいのか。

 どう、弁解すればいいのか。


 『頑張ってみたら?』


 奈海の殊勝な笑みを思い出して、胸がぎゅっと苦しくなる。


 どう、すればいいのか

 何も、わからない

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