清美はそれでいいと許してくれた、ばかりの筈だ。
それなのに。
急に、怖くなった。
――対して可愛いわけでもない私が、大好きな友達の好きな人を奪っていいの?
許可を得たばかりだ。
それなのに。なんだか、それはしてはいけないようなものにどうしても思えて、自分の思いに正直にいていいのかわからなくなっていた。
「どうしたの? なんか顔くらいよ?」
「え、あ――」
清美に顔を覗き込まれ、言葉が上手く出なかった。
そこで持っている封筒に目が入り「あ、ほら。清美がさ、変なことに巻き込まれへんか、心配になってさ。大事な友達やし」と答えた。
「そんな心配しなくていいのに」
清美は笑って、顔をそむけた。
あまりの素っ気ない反応に気を悪くしただろうか、と奈海の顔が曇ったが、足元にあった封筒たちをさっと抱きかかえた清美がこちらを振り返った表情を見て、その曇りは晴れた。
「奈海が味方してくれるってわかってるから。私は何があっても平気」
そう言って、へらっと笑う清美の笑顔は可愛くて。耳が少し赤いのが照れていることを証明していてまたそれがとてもかわいくて。
改めて、敵わないなぁと思いながら奈海は「とーぜん」と笑った。
「で、それどーすんの?」
「どーしましょ?」
10通あるかないかの、両手で抱えられるには抱えられるが清美としてはラブレターだった場合断る気満々であるので、奈海の問いに困ったように眉を下げ首を捻った。
かといって、ずっと昇降口で立ち往生しているわけにもいかないのでとりあえずそのまま教室へと向かうことにした。
「こういうことしょっちゅう?」
「や、ここまでのラブレターの嵐は初めて」
ということは今までもらうことはよくあったんだ。
友人のモテっぷりに奈海は心の底から感心した。
今までそういったことに全く関心を持っていなかったのに、清美に言われてから「恋愛」というものを意識してからなんだか気味の悪いぐらい心がざわざわして、行動が控えめになってしまっていた。
1人でいても堂々としていた自分が好きだったのに、急に周りに目がいってしまっていた。
特に、カップルを見ると、直視したいけど何故か目をそらし隠れたくなるような、そんな謎で意味の分からない衝動に駆られる。
とても、面倒な心理状態だった。
今だって、可愛い清美の隣に立てるのは誇りで嬉しいことだったのに、とても恥ずかしくなって髪をかき分けるふりをしながら顔を隠したくなる気分になってしまっていた。
なんて面倒で、しまいようのない感情
自分の気持ちの揺れに戸惑っていた奈海は、ほぼ俯いていたせいで目の前の影に気づかなかった。
「奈海!」
「え?」
言われて止まり、自分のつま先から数センチ先に大きなつま先を見つけて驚いて一歩下がって見上げた。
名前は知らないが、見たことのある顔をした男子生徒だった。
その生徒は奈海を見ると「……ハッ」とどこかあざ笑うように一瞥した後、奈海より一歩後ろにいる手紙を抱えた清美を見て「さ。相楽さん」と声を上ずらせながら姿勢を正した。
――というより、緊張で肩が上がっているようだった。
普段ならそんな人の変化を「忙しそうだなぁ」と一瞥する程度だった奈海は、どうしようもなく胸が苦しくなった。
嘲笑交じりの一瞥が、頭を離れない
それが意味することはわかっている。
わかってしまった。
わかってしまった、からこそ。
――受け入れようとしている心の変化を、受け入れてしまうことを恐れた
「好きです! 付き合ってください!」
大きなハキハキとした告白に奈海はハッと我に返った。
振り向くと、先ほどの一瞥男が後ろからよくわかるほど、刈り上げで露わになっている耳を真っ赤にしていた。
その視線の先は、勿論清美だ。
清美は大きな目をパチクリとさせ、一瞬視線を奈海に向けたが、奈海が「いや私は何も助言できない」と言わんばかりにぶんぶんと手と頭を横に激しく振ったので、清美はその大きく見開いた眼を一瞥男に戻し、じぃっと見つめた。
好きな人の瞳でじっと見られればだれもが緊張するもので、男が「う」と声を上げて恥ずかしさと緊張で視線を下げ、色んな方向にさまよわせる気配があった。
すると、「お前ずりーぞ!」という声がどこからか飛んできた。
それは清美の後方からで、しかも1人じゃなかった。
奈海の傍を横切る風も感じたので、人数は明らかに片手で収まるものではなかった。
「「俺と付き合ってください!!」」
突如現れた男子たちは、一斉に清美へと手を差し出している。
漫画みたいな光景って現実であるんだなぁ、と、どこか物語の一場面を見ている気分で奈海は思った。
この状態になることは清美も初めてのようで「え、ええ?」と最初は戸惑った様子であったが、さすがに壮観ともいえる男子たちの並びにぷっと可愛らしく吹き出すと、ちろっと小さな舌をぷっくりとした朱色の唇から覗かせ「好きな人いるから、ごめーんね」と言って、一番最初に告白してきた一瞥男に「というわけで、はい」と持っていた封筒を全部押し付けた。
受け取る必要はないのに、告白を断られた落ち込みと、可愛らしい笑顔が目の前にきて高揚した彼は思わず反射的に「はい」と受け取ってしまい、清美が颯爽と去るのをただ見守る形となってしまっていた。
「……いいの?」
「いいのっ」
可愛そうなぐらい、ショックを露わにした表情で見送る男子たちに思わず憐れみを抱いた奈海であったが、当の本人は断ることには慣れているらしく気にも留めていなかった。
「あーゆーのは、ハッキリ言うのが一番なんよ」
そう言って悪戯に口角を上げる清美はとても可愛らしく、あの男たちが清美に入れ込んでしまうのも納得だなぁ、と奈海は思った。
チッ
突如、奈海の耳が憎々し気な舌打ちの音を拾った。
ふと音のした方向に視線をやると、美嘉の取り巻きによくいた名前をよく知らないギャルが、憎々し気に清美を睨みつけていた。
そしてその視線が、切なそうに潤み一瞥男へとうつされた。
どうやら奈海に見られていることにも気づかないようで、抑えられない気持ちを隠すこともせず、奥底に秘めた感情を表情に露わにしていた。だが、舌打ち以上は何もする気はないようで、苦々し気な、でもどこか悲し気な顔をしてその場を去っていった。
――気にしなくて、大丈夫そうかな?
まぁ万が一何かあれば。
清美は私が守ろう。
そう胸に誓い、奈海は清美との会話を再び楽しむことにした。
――そうして2人がはしゃぎながら教室に入ると、「え、あれ!?」と心底驚いたといわんばかりの声が2人にかけられた。声を発したのは、「えー、事件は解決しました。もう大丈夫です」という先生の言葉しか聞いていないのと、清美が呼び出されたという事実しか知らない拓だ。
2人はそんな拓の言葉など聞こえないとばかりに話に夢中になっていたが、さすがに席が離れているので一旦中断し、それぞれの席へと着席した。奈海が席に着くと、拓は早速「トラブルあったんじゃ?」と食い気味に尋ねてきた。
「さて、なんのことやら」
不安そうな色を浮かべる拓の表情に、奈海はへらっとご機嫌な笑顔を浮かべとぼけた。その反応に訝し気に眉をひそめながら、拓が清美の方に視線を移すと、とびっきりのにっこり笑顔で手を振られた。
意味が分からず奈海に再び視線を戻すと、奈海も嬉しそうに清美へと手を振り返していた。
その2人の間に、ノートを手渡していた時の偽りの何かなどはなかった。
何かトラブルを経てこうして仲が深まったのだろうと伺えるので何か突っ込みたい気持ちがあった拓であったが、女子が仲睦まじくキャッキャしているのは目の保養でもあるので、拓は「まぁ、仲いいならそれでえっか」と半ば無理矢理気味に納得することにした。