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第89話 最後の物語

 語り尽くした先にあったのはシンクに積み上がった洗い物で、俺たちは長い長い旅路について話した疲れのせいで力なく笑いながら、家事をおろそかにしたツケを払うことにした。


 家族は旅行に行っているものの、三泊四日というのはそこまで長い時間でもない。


 寝て起きて遊んで寝て起きて遊んで、そのツケを支払って家を整えて、それで終わりだ。

 家族が帰ってきたら大量の洗濯物も出ることだろう。引率してくれた両親も労わないといけない。


 たいていの人の人生は時間と労力を前借りしていて、そのツケを払い続けるだけで一生が終わっていくのかもしれない。

 俺もまたご多分に漏れず、休み明けのことを思い、溜まった仕事を連想して、ちょっとだけ憂鬱になった。


 そして今日が最後の一日であり、これから家族が帰ってこようかという夕方だった。

 まだまだ時間的にはそう遅くないはずなのだけれど、最近の日が落ちる速度はあまりにも早い。


 ……このぶんなら、まだまだ先だと思っている年末もすぐに訪れるだろう。


「私は【静謐】ではなく、けれど、【静謐】なのです。あなたもあの当時に活動していた本人ではなく、そのカケラを材料に構成された魂の一つなのでしょう」


 ガーガーと掃除機をかけながら言うもので聞き逃しそうになった。


 俺はといえば畳んだ洗濯物を振り分けようと移動中だったので、「え、なにが?」と唐突な話に反応しきれない。


 けれど、彼女は語り続けた。


 ……だから、彼女は、このタイミングで、続きを述べるのだ。


「これは愛の起こした奇跡ですよ」


 ……たしかに、しらふで言うにはあまりにも恥ずかしい。

 騒音の中で、相手に拾われない可能性を作っておかないと、聞かされた側としても配慮さえ難しい。


 だって俺たちはもう愛だの恋だのを声高に叫べるような身分じゃないのだ。

 家庭があって、家族があって、それから若いとはもう言えない。


 いや、愛だの恋だの奇跡だのを大声で叫ぶ資格は誰にでもある。

 ただし俺たち自身がそういったものを叫ぶ時に、ふとこれまで積み上げたものとか、いもしない周囲の者の視線とか、そういうものを気にしてしまって、声を潜めるようになってしまった、というだけなのだろう。


「原材料の一部程度の分量しか【静謐】と『あなた』の魂が含まれていない私たちが、偶然出会って、偶然思い出して、こうして語り合える関係性だった。……こんなケースは、奇跡と呼んだって、いいじゃないですか」


 ……ああ、まあ、そう、か。


 でもそれはやっぱり、奇跡じゃない。

 愛は奇跡を起こさなかった。


 夢も希望もない、確率論だ。


 数万だか数百万だか数千万だかにわかたれた魂と、同じように細分化された魂が、たまたま伴侶になる確率は、そう低くない。


 しかも、俺たちにはもう、無限にも近い時間がある。

 なにせ世界は二度と初期化されないのだから。


 だったら、いつかはどこかで、出会うだろう。


 必然だ。


 でも、それがたまたま今で、俺たちだったことは━━奇跡なのかも、しれない。


 ……それか、俺たち以外にも、俺たちのように再会して、思い出しているやつらもいるかもしれない。


 その人たちが二人でこっそり顔を突き合わせて、ひそひそと昔語りをするのだ。家族にもバレないように。


 そういったことは、どこの家庭でも起こっているのかもしれないし━━

 今は忘れているだけで、誰にでも将来的には起こるのかも、しれない。


 そう考えると夢があるよな。


「まあ、私は自分の両親がこんな話をしているのを聞いたら、『愚かなる人間め』って気分になりますけどね」


 まだ微妙に【静謐】が抜けきっていない彼女は、そんなふうに戸惑いを表現した。


 ……というか、気になることを思い出した。


 最後の方で、俺が思い出したらそっちも思い出す━━みたいに約束したじゃないか。

 でも、俺が思い出した時の第一声が、『ようやく思い出しましたか』じゃなかったっけ?

 つまり、そっちは最初から俺のことを思い出してたってこと?


「…………そんな昔のことなど覚えていません」


 まあ、突っ込まれたくないならいいけどさ。


「……あの時、末娘が暴れたのでうやむやになったけれど、二つ、あなたに謝りたいことがあると言ったじゃないですか」


 うん。


「一つは謝ったと思うんだけれど、もう一つがそのことで……なんていうの? その……あなたが思い出した瞬間に私も思い出したんだけど、なんとなく『とっくに思い出してましたよ』とマウントをとってしまったというか。学生時代とか、別に中身が【静謐】だったとかいうこともなく。つまり、私もすっかり忘れていたのでした」


 ……別に怒りはしないけどさ。


「むしろ怒られた方がいい! 優しくしないで!」


 語り終えたからか、だいぶ【静謐】が抜けてきていて、今ではかつて『ミステリアスクールビューティー』の名をほしいままにした、実際けっこうポンコツな彼女が戻ってきているようだった。


 ……というか【静謐】もクールぶってるだけで、中身はけっこう、このままなんだよな。


 なんだかおかしくなってくる。


 俺は魔王だの勇者だののことを、『ほんの一部含まれているだけで全体の性格を決定づけてしまう、強烈な個性を持つパーツ』だと評価したが……


 なんのことはない。人はたいてい、そうなのだろう。


 内気だったり引っ込み思案だったり気が弱かったりという、偉業を成せない性質を『個性が弱い』と言ったりするが。

 それもまあ、きっと、個性なのだ。きっとっていうか、個性に決まっているのだ。


 生まれ変わっても、また会うんだろうな、と俺は言った。


「まあ、人の寿命は短く、世界の寿命は長いので、そういうこともあるでしょう」


 彼女は述べた。


 その時にはまた、こうして互いの前世を思い出すのかもしれない。


 今生でこうして語り合ったことは忘れられ、初めて聞く話のように、二人だけで秘めるように語るのだろう。


『生まれ変わってもずっと一緒だよ』なんて言うのは恥ずかしいけれど。


『いつかまた、昔の話をしよう』ぐらいなら、まったく同じ意味だとしても、なんとなく言いやすい。


 ……家事がようやく片付いたころ、家族が帰ってきた気配がする。


 日はいつのまにか落ちきっていたけれど、もはや世界に『真の暗闇』はないように思われた。


 いくつもの時間の上に俺たちは立っている。

 そのことを明かり一つで実感しながら、なんとなく照明を見上げていると、隣で同じように視線を上げている人がいる。


 お互いに気付いて、なんとなく笑って、それから家族を出迎えに玄関まで向かった。


 剣も魔法もファンタジーもないけれど……

 ここからが、俺たちの物語だ。


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