その後は。
もちろんさまざまな制約が周回を経るごとに増えていった。
言語の分割━━始祖竜がもたらしていた『言葉』を大陸ごとに分けたりしたのも、いくらかの周回のあとだったと思う。
俺は記憶に目覚めることもあったし、目覚めないこともあった。
ただし俺と【静謐】が出会わない周回だけは、なかった。
記憶を取り戻し聖剣使いと同行したならば、俺は彼の
その裏切りは予告したり、裏をかくために予告しなかったり、なんなら最初から聖剣使いと魔術王を倒すために罠を仕掛けたりということもあったが……
俺程度では、あいつらを倒すことはできなかった。
というか聖剣使いはいいんだよ。
だってあいつ、聖剣を抜いた時点で全部思い出すし。俺が【静謐】の敵に回らないこともきちんと思い出すんだから、備えられてて当たり前だ。
でも魔術王はなんなんだ。
異常な観察眼と情報収集能力、なにより感情の機微を読む力に長けていて、俺の行動を察知するのに鋭敏すぎる。
魔術王は聖剣に触れられないし、そもそも【解析】も魔術王用には仕掛けをしていないようで、記憶を取り戻すことはないんだが……
彼女はどの周回でも世界のすべてを自分のものと言ってはばからず、始祖竜を嫌い、聖剣を美しいと評価した。
俺みたいに竜の祝福に頼らずとも確立される自己同一性。
世界の初期化さえも乗り越える恐るべき
ほんのひとカケラ、魂の構成要素に混ざっただけでも魂の色合いそのものを変えてしまうほどの個性。
……まあ、魔術王になる個体は、そんなような『同じ魂を起源とする連中』を屈服させて王にまで上り詰めるのだ。
我が強くなきゃ、そもそも王なんてものは他称でも自称でも名乗らないのだろう。
……幾度の初期化を経ただろうか。
長い長い、あまりにも長い、竜殺しの旅だった。
この旅路でもっとも評価され、畏怖されるべきは聖剣使いだろう。
あいつはほとんどの周回で聖剣に触れて、そのたびに自分達が歩んだ道のりを思い出した。
そうして歩いてきた距離の長さと、それでもまだ見えないゴールの遠さを、いちいち思い知らされたはずだった。
けれど、折れなかった。
……むしろ、折れないようなやつだからこそ、【解析】はあいつに聖剣を鍛え上げる役割を負わせたのかもしれない。
「なんだい、僕がこの旅を続ける理由が、『世界の存続と、人類の延命のため』じゃあ、不満かい?」
不満、と言われるとちょっと違う気がする。
ただただ、理解ができないだけなのだ。
俺にしてみれば、『世界』だの『人類』だのは、人生を捧げる旅の動機になり得ない。
なぜって世界の姿を見るには俺は小さすぎるし、人類すべてを思うほど自分たちの種族に対する愛情はない。
だというのにまったくあきらめずに、命懸けで、さぼりもせず、一回一回、丁寧に丹念に愛情込めて竜を殺そうとするというのは、なにか特別な理由があるのではないかと、一般的な感性を持つ俺からすれば、思えてしまうのだ。
【変貌】の時代からあった魂の持つ異常性と言われればそれまでではある。
そういう個性だ、というだけでも、まあ、深くは問い詰めない。
でも、なにか自分が、おおよその人にできないようなことをする理由みたいなものがあるのだったら、聞いておきたい。興味本位で。
「前にも述べたけれど、僕は『変貌の時代』を生きた勇者さんとは別人で、その魂が今の魂の一部にふくまれている、というだけの者らしい。実際、『変貌の時代』は【解析】から伝聞で聞いているだけで、僕自身体感したという印象もない。だから、その時代からある……君の言うところの『異常性』の説明を求められても、ちょっと困るよね」
そりゃそうだ。
と、これで引き下がろうと思ったけれど、聖剣使いが「でも」と続けるので、そちらを見た。
少女のように美しい面立ちの、金髪碧眼の男は、ほとんど人外の領域に届きかけている美貌に笑みを浮かべて、
「僕には、目の前の人を救うことは、世界を救うことだという確信があるんだよ。たとえば……なんでこんなこと思いついたんだ……ええと、たとえば、父親が世界を滅亡させるとしてさ、それを行動開始前に止められていたら、世界は守られるだろう? そういうことって、案外起こるんだぜ。特に、人が簡単に災厄なんていうものになる、この世の中じゃあね」
……それは、俺の過去を聞いたから出てきた話なのか。
それとも、他の理由なのか。
説明できない衝動、他者とは違う解釈、生育環境においてありえない発想……
これらは始祖竜の中だと『魂のトラウマ』と呼ばれているらしい。
魔王がああなったように、勇者がこうであるように。
ここまで目立たなくても、誰にでもある『説明のできない前提や衝動』『生まれた時にはもう見えていた性質』というのは、前世に強い衝撃を魂が受けて、それを記憶したまま分解され、転生したからだ━━と解釈するらしかった。
勇者も魔王も、案外、出会う前には出会っていた可能性がある。
袖擦り合うも多生の縁という言葉がある通り、前世からの因縁というのは、この世界において笑い飛ばせる滑稽な妄想ではない。実際にあるものなのだ。
「たった一人の目の前の人を救えば、世界を救えるかもしれない。一個の世界を救ったことがあれば、もっと多くの世界を救えるかもしれない。……君はどうにも、目的地が霞んで見えないことばかりに気をとられているようだけれど、自分たちがしっかり踏み固めた大地が足元にあり、歩んできた道が後方にあることの方を、僕は評価したいんだ」
下を見るなとか、後ろを向くなとか、そういうことを言われることはあったが。
下を見れば踏み固めた大地があって、後ろを見れば積み上げた人生があるのだと、これほどの男に言われてしまうと、案外、悪いことじゃあないんじゃないかと思えてくる。
「それに、過去に救えなかったものは、未来には救えないしね。代替行為はできても、救えなかったと確定したものは二度と救えない。だから、今、目の前にある世界を救おうと精一杯努力するのは、いいことなんじゃない?」
などと言うのでこちらが感動しそうになっていると、
「まあ、それに、たいていのことはすぐにできちゃって、つまんないしね」
と、台無しにするようなことを付け加えるのだ、この男は。
……そうなのだった。
こいつの意識の高さ、視点の高さは、そもそも世界にあるおおよそのことを難なくこなせてしまう才覚を下地にしている。
世界を救う、ぐらいしか人生をかけてやるような難題が存在しないためにそうしているだけなのであって、こいつにあるのは正義感の強さだけではないのだ。
こいつの行動はすべて『己は天才である』という前提によって成されている。
一般人がその行動原理について掘り下げていったところで意味がない。
だって俺たちは生きていくだけで精一杯で、『やることないし世界救うか……』なんていうほどの余裕はどうやっても持ち得ないのだから。
「嬉しいものじゃないか? 全力を挙げてもなお届かないような目的に、じりじり迫っていくこの感じ。人生で最上の快楽だと僕は思うけれど」
やっぱり理解できない。
俺はなるべく物事は簡単にクリアできた方がいいと思っている。
それがクリアできなきゃ幸せになれないようなリアル目標ならなおさらだ。
挑戦を楽しめるのは成功に飽いた者の特権で、そもそもの成功体験が少なければ、まずは一回ぐらい味わってみたいというのが人のサガではなかろうか。
「じゃあ、君の『成功』のために、竜をたくさん斬らないとね」
……お前、竜を斬るの、趣味でやってない?
「? だから趣味だってば。人生で最上の快楽だと思うって」
いや……
これ、どっちだ?
……まあ、なににせよ、味方でいるうちは頼りがいがあるということで。
こんなに仲良く話していた周回だって、俺が【静謐】側についたとたんにノータイムで斬り捨てられるんだから、やっぱり俺にはわからない。
世界のだいたいは俺にはわからないものでできている。
こいつらもきっと、そういうものの一つであり……
ある意味では俺と同じ、世界を構成する小さな小さな