「俺のこと、覚えてる?」
第一声が不慣れなナンパみたいになってしまったのは我ながら乾いた笑いが出そうだった。
でも、しかたない。だって、本当に気になったのだから。
自分が覚えていることを、相手が覚えているかどうか。
自分が記憶している相手との思い出が、相手にとっても、記憶するに足るものだったかどうか。
……自分だけが覚えていて、自分だけが愛しているかもしれないというのは恐怖だし、本当にそうなら、どれほど虚しく、寂しいことなのだろう。
すべてを思い出した俺は、今さらながら、すべてを覚えていたころの【静謐】の気持ちがわかったのだった。
「……ああ、試みは成功したようですね。記憶を維持した転生をしたんですか」
【静謐】の声は冷淡だった。
もちろん彼女の記憶の中に、俺と過ごした日々のことはあるのだろう。
けれど、それはもう、彼女にとって、昔見た映画みたいなものなのだった。
見ている当時は感情移入もしたし、感動して泣いたかもしれない。でも、今さら、出し抜けに『あの時の映画』について熱く語られても、どこか冷めて、引いたような対応になってしまうのは、しかたないこと、なのだろう。
感情には波がある。
愛情には鮮度がある。
あの日、心を燃やした熱はとっくに冷めていた。
思い出の中にある限り『あのころはよかった』と思えるだろうが、思い出から飛び出して現実に現れられても困るという話だ。
昔、妄想を書き連ねたノートを読み上げられるようなもので、なんていうか、この時の【静謐】の表情は、厄介そうだったし、嫌そうだった。
早く話を切り上げたい、という感情のにじみ出た声で、彼女は言う。
「それで? 剣を手に人の家を訪れておいて、やりたいことが昔話ですか? あなたたちでしょう?
……【静謐】は周回によって、自分を殺しに来た相手と戦ったり、戦わず無抵抗に殺されたりと様々な対応をする。
だが、にじみ出る気配から察するに、今回は『戦う』気分のようだった。
当たり前だが、竜はヒトよりはるかに強い。
こちらには魔術の王がおり、聖剣の使い手がいる。
けれど、その程度なのだ。
本来、ヒトが始祖竜を殺そうと思うならば、災厄と化して『お前を認めない』という意思をあらわにしなければならない。
その時代のヒトの総意として、始祖竜から精霊というシェアを奪わない限り、とてもではないが、ヒトは始祖竜に届かない。
その大原則に、才覚と聖剣で逆らっているのが、俺たちなのだった。
だから始祖竜は俺たちを警戒する。
なにせ基本原則として確かに存在する『ヒトは竜に勝てない』というのを、『ただし、災厄にならない限り』という正規の手続きを無視した状態で覆してみせるのだ。
こんなイレギュラー、警戒しない方がどうかしてる。
……その警戒が【静謐】と俺とに会話するだけの時間を作っているというのは、なんとも皮肉な話なのだけれど。
まあ、使えるものは、利用しよう。
なにせ俺は、無力な一般人なのだから。
「……昔話はしないよ」
俺は言う。
「では、斬りかかって来ないのはなぜ?」
彼女はいぶかしむように目を細める。
俺たちの関係は『敵対』なのだった。
どうあがいても、ここから彼女を口説けない。
『愛している。じゃあ、殺すね』なんて。
そんな流れを自然に演出できるほど俺は器用ではないし、
俺にできるのはせいぜい、一つだけ。
「昔の話はしないけど、これからの話をしたかったんだ」
「あなたたちと私に、『これから』などありません」
「いや、あるんだよ。残念なことに、俺たちはまたこうやって会うだろうし、きっといつか、君たちは竜ではなくなる。人は竜を殺すんだ。どうしようもなく、人はそういうものだし」
「……だったら、話してないでさっさと斬りかかってくればいいでしょう」
「うん、だからその前に一個だけ、お願いがある」
「……」
聞く義理はなかったはずだ。
でも、彼女は俺がなにを言うのか、興味を抱いた様子だった。
だから、二回、息を吸って、息を吐いた。
ああ、絶対にこんなこと言いたくねぇなあなんて思いながら。
それでも、今言わないと、きっと、いつまでも理由をつけて、言えないだろうから。
言いたくない。言いたくない。絶対に言いたくないと、何度も息が詰まりそうになりながら、
「俺のことはどうか、忘れてほしい」
「…………なん、ですって?」
「君たちは昔にあったことを、ずっとずっと記憶しているんだろう。それは感情の抜けた『過去の自分』っていう『他人』の思い出で、あくまでも『自分ではない誰かの物語』なんだと思う。……それでも、物語で感動したことぐらいは、覚えているんだとも、思う」
「……」
「でも、どうか、俺のことは忘れてほしい。あの日に俺を
「なぜ?」
「俺があなたを愛するのは、過去の自分の願いではないから」
「……」
「出会ってみてよくわかった。俺はきっと、幾度繰り返そうともあなたを好きになる。
たとえば俺は、魔王に囲われたことがあったけれど。
それは、俺の中に入っている『誰か』の魂のおかげで、俺自身は、なんの関係もなく、俺自身が行ったあらゆる行為は、無為だったのだ。
誰かの功績の上にある自分を、俺は自分で認められない。
躍動の時代、俺は妻と息子を愛していた。
この想いは
変貌の時代、解析の時代……各時代に、それぞれ俺にはパートナーがいた。
愛していたんだ、本当に。
でも、その想いは、やっぱり
俺は、俺自身の存在証明を、『【静謐】を愛している』ということにより行う。
……その発言も、今思えば、間違いで。
今の俺以外、俺じゃない。
過去に何度の『俺』があろうと、それは失われた時間を精一杯生きた、俺ではない誰か━━
━━他人、なのだった。
「……【
「……では、あなたはここから、どういう動機で私を殺すのですか?」
「うん、そこがすごく困る。なので、こうしようと思う」
俺は、【静謐】に背を向けた。
つまり、聖剣使いと魔王に、向き直った。
「すまない。俺は【静謐】を守る」
「はああああああああ!?」
大声を上げたのはもちろん魔術王で、もともと半分キレていた彼女は、赤い瞳に燃えたぎるような怒りを宿して俺をにらみつけていた。
しばらく言葉にならないようで、拳を握りしめ、体を震わせながら、「あ」だの「か」だの言葉未満の声を漏らしていた。
その様子を見て聖剣使いが笑うもので、そっちをにらみつけたあと、魔術王はようやく人らしい言葉を口から発することができた。
「ぶっ殺すぞ!?」
「百回やっても百回そうなるのはわかりきってるんだけど、ごめん。勝算があるとか、お前らが嫌いとかじゃないんだ。俺は【静謐】を殺させたくない」
たとえ、この周回が初期化されて、ここで暮らすすべての生命が『なかったこと』になったとしても……
そこにたしかに命があったことには、変わりがない。
始祖竜だってそうだ。
たとえ、初期化のたびに蘇生され、また竜としての権能を振るうとしても。
今、この周回を生きた彼女は失われる。
それを守ろうと思うことは、今、この周回で彼女を愛した俺としては、とてもとても、自然なことのように思えた。
だって、未来で一緒になるとか誓っても、そんなものは叶うかどうかもわからないただの願望だし。なにより未来のそいつは、今の俺とは別人だし。
「お前たちのことは仲間だと思ってるけど。ごめん。……好きな人の前で、格好つけさせてくれ」
魔術王がさらに言葉を放とうとしたが━━
ついに聖剣使いが吹き出し、そのまま大爆笑したので、魔術王の言葉は出る前に止まってしまった。
聖剣使いは一見スキだらけな様子でひとしきり笑い転げてから、
「格好つけたいんじゃあ、しょうがないな!」
黄金の剣を構える。
その肩はまだおさまらない笑いに揺れていて、顔に浮かんでいるのも、作ってない真実の笑顔ではあったのだけれど、それでも断固とした殺意だけは伝わってきた。
……手心も油断もないんだろうなあ。
覚悟の上だけれど、しょうがない。
俺の【静謐】を守ろうという行動はただのポーズではない。
聖剣使いと魔術王を向こうに回して勝てるビジョンはまったくないけれど、それでも、叶うならば【静謐】を守りきりたいし、そのために必死で戦うつもりではいるのだった。
だから誘えるものなら油断を誘うし、突けるものならスキを突きたい。
でも、そんなものがないのが、あいつらなのだ。
『愛してる。じゃあ、殺すね』ができてしまう
『不世出の才能』に『生まれつき英雄になるべき人間性』を備えた、特別製の人間が、あいつら、なのだった。
「……いやいや。お待ちなさい愚かなる人間ども。私をおいてけぼりに話を進めるんじゃありません」
【静謐】がそんな
「でも、相手は君の準備が整うのを待ってはくれない」
「その『相手』であったあなたが言いますか━━!」
「でも、『行くぞ』ぐらいは言ってくれるかもしれない。昔の仲間のよしみで。だからまあ、それまでに心を落ち着けてほしい。……絶対に生き残ろう」
「ああああああ! もう、なんなんですか、あなたたちは!?」
……結論から言えば、【静謐】の混乱はおさまらなかった。
ただし聖剣使いは吹き出しそうになりながらわざとらしく『行くぞ』と言ってくれたので、俺の方は覚悟ができた。
そして一瞬だけ生き残った。
……そのあと、【静謐】も斬られたらしい。
その周回はこのあとには竜を殺すところまでいかず、【躍動】【露呈】、そして【虚無】が生き延びて終わったようだ。
世界はまた巡っていく。
その後は━━