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第51話 勘違い

 そこから起こったことは『剣と魔法の世界』で生きていた当時の俺にさえ現実感を覚えさせないものだった。


 魔導王は観光でもするようなゆったりした歩調で進みながら、目についた生命を根絶やしにしていった。


 建造物があればこれを壊したし、村落は残さず潰して更地にした。


 その気になれば一瞬で勇者王の住まう王都まで行くこともできたはずなのだが、それはせず、むしろ自分の行動が相手側に伝わるまでどれぐらい人を殺せるのか検証でもしているかの様子だった。


 俺と妹は、ただ、ついて行っただけだ。


 魔導王の生活は規則正しい。

 夜になれば野営地を設けて俺たちに眠るよう言いつけたし、朝、昼、晩と足を止めて食事の時間を作った。


「焦って食事を済ますことは許しません。宮殿にいるかのように食べなさい」


 そう強要されても、ここは敵地だし、周囲には潰された村落もあるし、気が気でないのは、どうしようもないだろう。

 妹も俺と似たり寄ったりの様子で、さすがに天才とはいえ、この状況で『宮殿にいるかのように』優雅に食事をできるほど、異常ではないようだった。


 魔導王は「ああ」となにかに気付いたように、そこらにあった死体をすべて片付けた・・・・が……

 別に俺たちは死体が視界にちらつくから食欲がなかったのではなく、もっと大きな、『状況のもたらす平常心の喪失』に陥っていたのだ。


 魔導王は三日経っても状況に慣れることのできない俺たちをもはやあきらめたようで、さすがに三日目の昼食からは『優雅に食事なさい』みたいなことは言われなくなった。


 だが、いまだに俺も妹も、なにもかもを理解できないままで、なにもかもを実感できないままなので、こんな状況では相変わらず落ち着かない。


「どうして急に戦争なんて……」


 三日目の夕食時になって妹がそんなふうに絞り出すと、魔導王はようやく『説明が必要だった』ということに気付いたように、自らの魔術で作り出した椅子の上で足を組んで、語る姿勢になった。


 ……こんな時だというのに。

 廃墟まみれの、人の気配一つない荒野で、優雅に席につく赤髪赤目の美しい魔導王に、俺は一瞬、見惚れてしまった。


「貴様らは百年前の戦争を知らないのね。あの戦争がいかにして起こって、あの戦争の中でなにが失われて、あの戦争がどんなに酷い方法で終わらせられたのか」


 魔導王の口から語られたのは、彼女視点の『あの戦争』の顛末だった。


 あの戦争はまず、始祖竜教の圧政を背景に起こった。

 正しくは始祖竜教の守護者を気取る・・・十三家が、開拓のために人を不当に虐げ、奴隷としていたことに端を発したのだと彼女は語る。


 だが、彼女は己を正義の味方であるかのようには言わなかった。


「私の師匠を傷つけた勇者を殺してやろうと思って、その方法として十三家に酷使されていた人たちに魔術を教えて、焚き付けたの」


 彼女は『不変』の天与ギフトを持った勇者を殺す方法について語った。


 それは『世界に誰も味方がいなくなれば、閉じ込めて封印しておける』という最初の思いつきから始まり……


 どうにかして『不変』を無効化する方法を探ったこと……


 そのどれもがうまくいかなかったことを、憤懣ふんまんやる方ない様子で語った。


 その百年の殺意について、彼女は原動力をこう述べる。


「勇者の命を奪うことは百年前に決めたわけだけれど、それはここまでいっこうに手に入らない。これってとても、ムカつくでしょう?」


 にこやかに語る彼女の思考、思想は、やはり俺には理解が及ばなかった。

 彼女は子供の癇癪かんしゃくみたいなものに突き動かされていた。

 ただし彼女は、湧き起こった爆発的な感情を成就させるために、冷静に計画を練り、根気強く準備を重ね、周到に研究するという、敵に回すと厄介すぎる性分を持っていた。


「というわけで、勇者を殺すのは百年前からの悲願なのよ。理解した?」


 そう話を締めくくろうとするのだが、さすがに、そこで終わられるわけにはいかない。


 俺はついつい、言ってしまった。


「それは勇者を殺しに行く動機であって、『今、急に戦争を仕掛けた理由』じゃない、ですよね……?」


 一瞬だけ訪れた沈黙が、あまりにも心臓に悪い。


 微笑む魔導王の視線がこちらに向けられ、俺を捉えたまま止まった時、俺はこの場で殺される予感さえ抱いたのだ。


 だが、魔導王は思ったより穏やかに、俺の疑問に応じた。


「昨今、国内を見ていて、実感したわ。『勘違いも甚だしい』と」


「……勘違い?」


「そも、私たちが貴様らの先祖に魔術を教えたのは、なんのためだと思っているの?」


 それは直前に説明があったように、勇者を殺すため、勇者の味方を減らすために、魔術師を増やす必要があったからでは……


「貴様らにわからせる・・・・・ためよ」


 魔導王は赤い瞳を爛々らんらんと輝かせ、握り拳を顔の前に作りながら、語る。


「魔術を覚えて、才覚の許す限り己を鍛えて、それでも私には勝てないのだと思い知らせるため。私に従い、私のものとなることが生き延びる唯一の道なのだと、わからせるために、私たちは貴様らに力を教えた。勇者を殺す作戦のために貴様らは協力したんじゃないわ。私が、私の所有する貴様らを使ってそうしたの。貴様らの意思での行動はない。私の意思による貴様らの用法よ」


 ちなみに魔導王の師匠は『まあ、なんか弟子がやるっていうから……』というクソみたいな消極的理由で魔術を広めたのだが、そのあたりは、その場にいる誰も知らないことであった。


「貴様らは私のものになったのよ。だというのに、なに? 私がたった一人囲ったり、たった一つ家を潰したり、たった一派魔術師どもを殺したりしただけで、ぎゃあぎゃあわめいて。私に所有される弱者の分際で、私に異を唱える資格があるのだと、勘違いさせてしまいました。これは私の失敗です」


 そこで、魔導王は、己の魔術で作り上げたテーブルに、拳を叩きつけた。


「あたしに異を唱えたいなら、あたしに勝ってからにしろ!」


 ……忘れがちだが、彼女は第四災厄【守護】でもある。

 彼女の激情はそのままエネルギーとなって放出され、あたりの地面を揺らし、風をざわめかせた。


 深呼吸三回ぶんの時間を経て、彼女は再び、微笑んでこちらを見る。

 けれどもう、目が笑っていなかった。


「……だから、ここらで、勘違いを正す必要があるのです。私は貴様らに味方しない。私は力による訴え以外に耳を貸さない。私の人生は私のためにある。貴様らのためのものではない」


 静かに押し殺した声は、凝った殺意が奥底にあるのを感じさせた。


 苛立っている。


 自由奔放にやってきたようにしか思えなかった魔導王は、その実、自分をかなり押し殺し、『国』というものを維持しようとつとめてきたのだと、ようやく思い知らされた。


 なによりも自由を奪われることを嫌う彼女が……

 たとえ国作りが『勇者を殺すため』の計画の一環だったとして、そこの民どものために、自分の自由を費やしてきたのだというのを、底冷えするような殺意とともにわからせられた。


 国家元首なら民を安んじるために我慢するのが当たり前だ、と現代ならば思うだろう。

 それはこの時代でさえ、民は言葉にせずとも、そう思っていたことだ。


 ただ、もし『そういう元首であれ』と彼女に望むならば、彼女はその訴えに対し、こう述べるだけだ。


『私に勝ってから、私に要求しろ』。


 ……国のトップに国民のことを考えていてほしい・・・というのは、あくまでも弱い民という立場からの理想であり……

 力をもって国を興した国家元首が、その理想に付き合ってやる義務はない。


 国家元首が理想通りに振る舞わないなら民は反発するだろうが、反発しようが流出しようが、気まぐれ一つでそれを鏖殺おうさつできるこの時代の国家元首とは、荒ぶる神と同質の『人外』である。

 ヒトの願いなんぞに耳をかたむけるかどうかは、すべて気分一つの問題なのだ。


「私に所有・・されたいなら、私の行動の意図を理解し、いえ、理解などしなくとも、無条件に私に味方すべきです。私の味方をせぬ一切を、私は庇護しません。貴様らもそう心得なさい」


 ようやく、わかった気がする。

 ……このゆったりした進軍は、『猶予』なのだ。


 派手に町や村を滅ぼすのはデモンストレーションで、道をゆずらない連中を皆殺しにするのはメッセージだ。


 この時代の情報伝達速度で、これらメッセージが伝わるのは、いったいどのぐらいあとになるのか。


 ……一週間と彼女は見ているのかもしれない。

 なぜって、俺と妹用に用意した食料が、そのぐらいだからだ。


 なにせこの時代はただの『太古』ではない。

 魔術がある太古なのだ。


 魔術師ならば精霊たちのざわめきぐらい捉えられるし、それをたどれば魔導王がなにをしているのかを察することもできるだろう。


 あまりに突飛すぎてなかなか受け入れ難いが、そういう普通の感性に魔導王は配慮しない。配慮できない。


「勇者との交戦が始まるまでに、私の味方につかなかった者は、すべて敵です。戦いが終わったあとに生きていた敵については、勝負ののち、改めて所有・・します」


 この急な戦争は、そういう目的もあるようだった。


 ……そこまでは理解した。

 いや、共感はできない。本当に『そういうロジックなのか?』と半信半疑で、ようやく行動原理に説明がつくとしたらこれしかないかな? という手触りのものを得た、ぐらいだけれど。

 ともあれ、理解した、と述べてしまおう。


 だが、もう一つ、大きな問題が残っている。


「勇者を殺せる算段がついたんですか?」


 かの英雄は『不変』の天与を持っており、かつての戦争で、これを殺すどころか傷つける段階にさえ、魔導王はいたっていなかった。


 最近までだって、勇者を直接的に殺す方法があるなら、魔導王は『国民の引き抜き』など行わず、こうやってぶっ殺しに行ってたはずだ。


 まあ、俺が護身程度の魔術を修得するのを待っていたふしもあるが……


 魔導王は、俺の疑問に、こんなふうに答えた。


勇者あいつを殺す方法は、今は、手元にはありません」


 ……つまり、我慢の限界のあまり、ブチ切れてあとさき考えずに飛び出してきてしまったってことなんだろうか。

 さすがにそれはちょっと……


「ですが、始祖竜【露呈】をおびき寄せて、殺す算段はついています」


 始祖竜ってたしか、たくさん人を殺すと出てくるんでしょ? と彼女は首をかしげた。


 ……いや、まあ、そうなんだけど。


 勇者は殺せないが始祖竜は殺せる。

 しかしそれは勇者殺しにどうつながるのか━━


 あ。


「わかりましたか? 始祖竜を殺して『聖剣』の封印を解きます。竜も災厄も━━加護持ちさえ殺せるという、『超越存在特攻』の聖剣で、勇者を殺すのです」

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