まず『はみ出し者たち』は秘密結社でもなんでもなく、おおやけに認められた組織で、その活動方針は『助け合い』……つまりただの互助会だったのだ。
……社会というものが堅固に完成すると、当然ながらその社会になじめない者たちも出てくる。
魔導王は弱者に対してなにをしてもいいと思っているふしがあるものの、彼女は『自分のものを手放すこと』だけはしないのだ。
だからこそ、魔導王の国で生まれた社会的弱者である俺たちには救済組織が用意されていて、それは公費で運営されており、来る者拒まず、去る者逃さずという色合いの組織として普通に根付いているのだった。
その組織で仕事を斡旋してもらった俺は、最初なじめないながらも、どうにかこうにか、薄給できついが根気だけしか試されないような仕事をこなしていった。
そうして五年も勤続し続けたころ、その勤務態度がまじめだったこともあり、二カ国会談の場で仕事をもらえることになった。
それは魔導王による隣国向けのアピールだった。
彼女はまだ『世界に勇者の味方が一人もいなくなれば、勇者を死んだも同然の目に遭わせることができる』という作戦を継続していたのだ。
そして俺のような社会的弱者にも優しい制度を布いているのだと隣国にアピールすることで、隣国の『弱者』を引き抜こうとしていた。
もちろんそれは数ある『隣国間接的弱体化政策』の一つにしかすぎない。
……現代の、つまり魔導王の夫としての記憶を持つ俺から言わせてもらうと、『頭のいいやつに執着心を持たせてはいけないな』という感想だ。
寿命と権力と発想力に任せてあの手この手で勇者を
典型的な『敵に回すと厄介なやつ』ムーブであり、知れば知るほど絶対に機嫌を損ねたくないやつという感想が堅固になっていった。
魔導王は、第四災厄【守護】になっている。
が、百年経っても感情に呑まれて暴走している様子はなかった。
……もともとの人格が暴走気味なので、この判別にはちょっとした熟練の技術が必要なのだが、彼女は彼女のまま変化していないというのは、ともに歩んだ俺の記憶に誓って保証できる。
さて、二カ国会談は互いに大勢の臣下を引き連れ、大勢の見物客の中、『竜の里』にて行われた。
そこは言わずと知れた始祖竜教の聖地であり、勇者と魔導王がもっとも強く火花を散らした激戦の地でもあった。
ここを中心に行われた戦いの余波で『竜の里』はすっかり荒廃しており、それはあの
もちろん勇者側は『始祖竜教に仕える十三家の筆頭』という建前があるから、すぐにでも始祖竜教本山である『竜の里』を修繕したい。
ところが魔導王側は『二国のちょうどあいだにある土地の修繕など任せたら防壁を作られかねないし、そもそも自分たちは始祖竜教など信じていないのだから、ここは
そして始祖竜教の最大神官はといえば、もちろん『竜の里』をかつての栄華を極めた時代のように修繕・発展させたいのが本音だろうが……
魔導王が始祖竜教において最も尊いとされる『赤髪赤目』であるので、教義の問題で自らの主張を声高にできないでいた。
会談のメインは『竜の里』をめぐることで、それはまったく進展がなく、互いに互いの主張をぶつけ合うだけで終わることになる。
一方で国家元首ではなく首脳陣同士も裏で会談をしており、そこでは二国間で様々な取り決めが妥結されたり、以前に結ばれた条約が修正されたりした。
……ようするに『竜の里』をめぐって国家元首同士が弁舌合戦をするのを
まあしかし、魔導王の弁舌の熱のこもりようはあながち『
彼女は本気で『竜の里』を勇者に渡す気がないし、始祖竜を
勇者の方もまた、魔導王の熱にあてられて、穏やかな笑みがたまにヒクつき、よく響く静かな声もだんだんヒートアップしてきている。
メインステージでの話し合いは、それはそれで本気なのだ。
ただ、そこで決着がつくわけがないのをわかっているから、それを見世物として利用しているだけなのだった。
この弁舌合戦は三日三晩続くことになっている。
勇者も魔導王も人間らしい疲労とは無縁の身なので、しゃべり続けることができるのだ。
しかしお付きの者はそうもいかない。
国家元首が最強であるのは疑いようもないことではあるが、それでも護衛の一人もいないのは格好がつかないというわけで、魔導王と勇者の弁舌中には、それぞれに護衛がつけられることになる。
その護衛は朝、昼、夜と三回交代制であり、俺の仕事というのは、護衛夜の部の『社会的弱者枠』なのだった。
だから大声を張り上げる魔導王のお邪魔にならないよう、静かに手際よく引き継ぎをし、交代をし、魔導王を背にするように立って━━
その瞬間、弁舌がピタリとやんだ。
引き継ぎに必死だった俺は沈黙に気付くのがだいぶ遅れた。
最初は『なんか静かだなー』ぐらいの気持ちだったのだが、次第に弁舌が完全に停止していることを理解し、それが自分の交代と同じタイミングであることを理解した。
なにかよろしからぬことが起こったのではないかと警戒して周囲を見回せば、すさまじく強い視線が自分に注がれていることに気付いた。
その視線はどうにも魔導王からのものであり、俺を見ていることは主観的・客観的に疑いようがなく、その証拠に、俺の周囲の人が巻き込まれるのを恐れるように避けていった。
この時の恐慌は、『静謐の時代』『躍動の時代』『変貌の時代』『解析の時代』と四つの時代を駆け抜けた記憶を持つ現代の俺からしても比較しようがないほどだ。
慌てすぎて逆に冷静というのか、焦りすぎてなにもかも空転というのか。
外側から見ただけなら堂々としてさえ見える様子で魔導王の視線を受け続けていた俺は、その実、一歩も動けないほど
しかも魔導王がしばらく俺を見たあと、弁舌合戦用の高台からふわりと飛び降り、ずんずんこちらに接近してくるので、もうわけがわからず、泣きそうな気持ちになりながら、全身をこわばらせるだけでなにもできなかった。
魔導王は俺の目前に立って、たっぷり一分ほど、俺の全身をくまなく観察し、においを嗅ぎ、胸に耳を当てたりなんかした。
『この当時の俺』の視点で見る魔導王は、人ならざる美しさを持っているように思われた。
伸ばし続けているらしい長い長い長い長い髪は頭からかかとまで伸び、さらにそこで折り返されてまた頭へ戻り、また折り返されてかかと、また折り返されて頭……と五回も折り返され、最終的にまた頭に戻るという超長髪となっていた。
手入れだけでもいち財産必要そうなその髪はしかし、切れ毛、枝毛の一つもなく、燐光さえまとって見えるほどの、人の領域に収まらない美しさだった。
大人びた顔立ちは二十代そこそこにしか見えない。
体つきは扇情的な曲線を描いていて、それを包む衣服は風に舞うほど薄く、しかし決して透けない不思議な素材でできていた。
彼女の周囲には常に風がうずまいており、それは一定の間隔で方向が切り替わるようだった。
魔術の深奥を極め、その実力は竜に届くとさえ言われる『魔導王』。
一度は感情に呑まれかけ、しかしすさまじい意思の力で『己』を決して手放さなかったとされる『第四災厄【守護】』。
なにより、その燃えるような瞳に捉われたが最後、身命も人生も賭して尽くしたくなってしまうほどの、絶世の美女。
それが、
「
意味不明な言葉を発したと思ったら突然抱きついてきたのだから、こちらとしては心臓も止まりかけるというものだ。
……そう。
魔導王はなぜか、この当時の俺の中にある魂が、かつて彼女に『ししょー』と呼ばれた男のものであると、見抜いていたのだ。