三月と四月のあいだには色々なものが落っこちている。
たとえば道端に落ちている乳幼児サイズの靴などを見ると、俺たちは『子供、本当に靴を振り落とすんだよな……』『親御さん、気付く余裕もないほど忙しかったんだな……』などと、哀愁十パーセント、同情十パーセント、応援が十パーセントに懐かしさ七十パーセントぐらいの気持ちを抱いたりする。
この時期には本当に事務手続きや様々な道具類の準備などが多くて、俺たちはその膨大な作業量を前に、我知らず様々なものを取りこぼしてしまう。
人間として『俺、今、機能の限界に挑戦してる』と思うのは、三人の子供を持つ親としての三月四月と、それから年々暑くなる八月なのだった。
三月と四月の隙間にけつまずいた瞬間にこぼれたあれこれが四月になると噴出してくるのは本当にたちの悪い時限式トラップとしか言えず、俺たちはけっきょくのところ、五月までずっと三月の後始末にかかずらうことになった。
俺たちは暇を見つけては『俺の前世』についての話をしたいとずっと思っていたのだが、四月が終わり、五月が終わってもまだまだ時間の余裕はなく、気付けば六月が訪れたころ、ようやく一息つける、といったありさまだった。
祝日のないその月は、長女が寮におり、長男も部活動で家におらず、二歳のころよりだいぶ大人しくなった我が家の末っ子がお昼寝に入ると、ようやくテーブルを挟んで一息つくことができたのだ。
この休日のある一瞬に訪れる一時の休息について、つい先日まではぐったりするばかりでなにも語れなかったのだが、ようやくいろんなものが落ち着いてきたおかげで、机に突っ伏さずに過ごせるようになってきた。
そうなるとどちらともなく話が始まる。
「第四災厄【守護】は、そのあと二百年ほどの時間を過ごしました。災厄と化した彼女は、寿命や老化というくびきから解放されたのです」
感情というエネルギーが捧げ続けられる限り、睡眠も必要でなく、疲労感もなく、コンディションも常に最高、胃もたれも肌荒れもないのだとか。
災厄健康法である。唐揚げとかいくらでも食べられそう。超うらやましい。
「世界は『勇者の国』と『魔導王の国』に二分されたまま、どうにか安定していました。
戦争の緒戦において圧倒的な勝利を収めたのは魔導王の軍でしたが、そのあと勇者ただ一人がもたらした被害があまりにも大き過ぎて、世間はこの二大勢力を『同格』と判断したようなのです。
かくして世界は二分されたまま、その状態で安定しました」
……そういえば、気になっていたんだけど。
俺たちの話に出てくるところだけが、『世界』ではないよな?
現代の歴史の知識からすると、いろんな場所で同時多発的に人々が発生して、それぞれの地域で文明を築いていたように思う。
俺たちの見ている場所はあくまでも一箇所だけで、文明が進んでいないせいでなかなか外の文明に触れる機会がないけれど、俺たちが
「ないです」
……断言できるレベルなのか。
「ええ。
……まだ思い出していないようなので取り置きますが、とにかく、あそこだけが世界で、世界とは始祖竜やら災厄やらでわちゃわちゃしているあの場所のみを指します。
世界の人口はあの程度だったのです。
我々が学校教育で習う歴史とは、あまりにも違いますね」
うちの奥さんは勉強のできる学生だったので当時が何時代でどんなことをしていたのかスッと出てくるのだろうが、俺は普通の成績の学生だったので、そんなに素早く出てこない。
ギリギリ千年前が何時代かわかるぐらいだ。
だがまあ確かに、『勢力の存亡を懸けた戦が、一万人対一万人であり、その規模の軍隊は世界の全人類を絞り尽くした数である』と言われれば、少なすぎるような気はする。
一国とかいち文明地域であれば『ありえんほど徴兵したな』って感じだが、世界と言われるとな。
……俺の知識量だと雑感の域を出ないんだけれど。
「次なる始祖竜【露呈】が出現したのは、世界が二つの国家に分かれきって、誰もがその状態を普通のことだと思うようになりつつ、隣国というものに蔑みや
……まあ、隣国はそうなるよな。
隣り合ってるのに同じ国になれない連中だし、悪感情をぶつける相手としてやりやすいという結論になるのは、今も昔も同じか。
「私が『当時の人類』について語る時には、もちろん、いくらかの悪意があります。
始祖竜【静謐】は基本的に人類を嫌っているので。
だって、あなたを
俺は、基本的に人のこと好きなんだろう。
だって、俺にはできなかった偉業を成す連中だから。
「私たちの見解の相違はあくまで個人と個人のものですし、それにその見解を守り抜くために決裂するほどには懸けていないので、『お互い、それぞれ考えがあるよね』で終わりますが……
ことが国家と国家になると、見解の相違はそのまま戦争の理由になります。
まして魔導王は私怨から勇者を殺したがっており、勇者は魔導王こと第四災厄【守護】を倒すのを己の使命だと考えているのですから」
『使命に目覚めた勇者』と『私怨をたぎらせる魔導王』が殺し合わない理由はなんなんだろう。
世相?
「世相もあります。
が、大きなものは、『直接対決しても、互いに互いを殺せないから』ですね。
『不変の英雄』はもとより、災厄としての能力を完全に制御した魔導王もまた、『感情を集めても足りないほど人類の数そのものが激減しない限り不滅』と呼んでいい存在になったのです」
あー……
ようするに全人類をほとんど殺す以外に、第四災厄を祓う手段がないのか。
それなら勇者も退くか。
……今までの災厄には悲願があり、それの成就によって満足して消えていたように思う。
たとえば【憤怒】は息子と嫁の無事が確認できたから消えたし。
【求愛】は求めた【変貌】を手に入れたから消えた。
もちろんそれに加えて存在の維持が危ぶまれるほどの『激しいツッコミ』があったからというのもあるだろうが……
その点でいくと、第四災厄【守護】は、『守るべき自分のもの』がある限り生き続けるのか。
「そうですね。
あなたの言うところの『悲願』というのが、エネルギー集積の原動力であり、それがなくなった上で、溜め込んだエネルギーを失うような一撃を受ければ、災厄は消えます。
今まで災厄が倒れてきた仕掛けはそんなところです。
そういう観点で語れば、【守護】を祓うための一番の近道はやはり戦争なのですが……
国家元首たる二人が戦争を避けているのは『互いに互いを殺せないから』ですが、民の側にも、戦争を避ける動機がありました。
人々は『始祖竜が戦争を禁じたんだから、戦争はしない』という理由で、互いに言い合っている様々な悪口に、はっきりした答えが出るのを避け続けていたのです。
戦争になればてめぇらなんかボコボコだぞ、みたいな根拠のない自信が否定されるかもしれないのを、誰もが恐れていたのです。
だから機運はむしろ
その仮初の平和の中にあるものを暴いて、人々を戦争せざるを得ない状態にまで持っていったのが、次に目覚める始祖竜【露呈】だったのです」