我が弟子は拾った当初に比べると朗らかな性格になったとは思う。
昔はまくしたてるような、ひとりごちるような早口でしかしゃべらなかったが、現代では聞き手のことも考えた、どこか間を持つようなのんびりしたしゃべり方を身につけた。
なにより話す内容もまた、持っている知識と考察を一気に押し付けず、相手……というか主に俺……を待つような、短文になったと思う。
だが、彼女の根底は、幼い日のままだった。
『好きにやらせろ』。
精霊の声を聞くという才覚を生まれつき持っていた彼女は、精霊たちの声のお陰で生き延びられたにもかかわらず、その指示を『うざったい』と感じていた。
ゆえに『こっちに色々言ってくるばっかりで、こっちの言葉を聞きやしない精霊に、こっちの命令を聞かせられる』ということで魔術を習うと決意したのだ。
そして聖剣……【変貌】がその身を変じた剣のことだ。『北の勇者』によりそう呼称され、そのまま定着した……を得たい理由も似たようなものだった。
腹が減ったが、食べ物がない。
だから、好き放題食わせろ。
聖剣を抜いた者を次の勇者とみなす、という布告は、そのまま『十三家筆頭の後継者として迎え入れる』という意味で受け取られていた。
十三家というのは始祖竜教を中心に据えた世界の実質的支配者であり、その筆頭たる『北の勇者』の後継ともなれば、それはどんな食べ物でも好き放題食べられるだろう━━と彼女は考えたわけである。
彼女の根底にあるのは『誰にもなにかを強いられることのない自由への渇望』であり……
だんだん大人に近づいていく彼女が夜這いをかけようとするのを、いろんな理由をつけて遠ざけていた結果が、先の勝負として降りかかってきたのだった。
「で、ししょー、これどうしよ。持ってったら食い物と交換してもらえんのかな」
俺を絞り尽くした翌朝にいつの間にか聖剣を抜いていた彼女は、これまでの関係がなにも変わらないと言わんばかりの態度だった。
当時の倫理観で言えばまあ、彼女の態度の方がむしろ正しいぐらいなのだが、こちらとしては『かわいかった弟子がこんな子に育っ……いや、冷静に考えるとクソ生意気でかわいくはなかったな……でも見た目はめっちゃ好き……』と複雑な気持ちである。
聖剣をぶらぶらもてあそぶ彼女への返事が一拍遅れてしまったのは、しかたないだろう。
「とりあえず『北の勇者』に提出すべきとは思う。もともと彼の持ち物なんだろう?」
この当時の俺は【変貌】が剣になった経緯について詳しく知らない。
『
また、【解析】も聖剣に興味を示さなかったことから、俺の中で『聖剣』は『世間的には貴重なんだろうけれど、俺にとってはどうでもいいもの』という扱いだった。
魔術的に言えば、聖剣の、特に刃の周囲には精霊が近付こうとしないのが気になりはした。
なんにでも興味を持って近づいていく精霊が、その剣の刃だけは恐れるように遠巻きにするのだ。
【求愛】に突き刺さっていたころも、その樹木の体に埋まっていなかった部分の刃には、いっさいの精霊が近寄らなかった。
魔術が精霊との協調によるものという前提で考えれば、聖剣は魔術的に大変貴重なものだと思うのだが……
「すでに終わってしまったものには興味がないんだ。君たちで好きにしなよ」
と突き放すように【解析】に言われてしまうと、彼女の受け売りだけで生きている俺としては興味があるとも言い出しにくい。
「ま、『北の勇者』とかいうのにも興味あるし、顔ぐらい見に行ってみようか。ししょーも来なさい」
この当時の俺はいちおう『始祖竜にさらわれる前にいた場所に帰る』という目標を掲げてはいたものの、それは見事に形骸化し、足を止めて三年ほど弟子の指導をしていたぐらいなのだった。
弟子の方もそれを知っているのでこういう口ぶりになったのだろう。
だがそれに唯々諾々と従うのも面白くない。
いや、お前は一人前になったしここでお別れといこう━━なんて言ってみれば、
「よろしい。あたしはいつでも、ししょーからの勝負を受けます。あたしから自由になりたければ、あたしを倒してから行け!」
というわけで魔術勝負がまた始まった。
結果として俺は彼女の旅に同行することになった。
いや、勝てねぇよもう。だってこいつ、天才なんだもん。
◆
道中、幾度か勝負があった。
その勝率は九対一ぐらいで、もちろん俺が一なのだが、それを勝利と誇ることはちょっとプライドが邪魔してできそうもない。
というのも俺たちのあいだで勝負というのが『じゃれあい』みたいなものになってきていて、弟子の側もたまに俺を勝たせてみて、俺に命令させるという
もちろんそこには『勝負に負けてもししょーは自分から離れない』という確信があるからのようだった。
どうにも彼女は、孤独を恐れている。
そういう弱々しい面を見せられるとこちらとしても庇護欲が刺激され、結果として俺たちはそれなりにいい関係のまま、べたべたとしながら旅を続けることになったのだった。
待ってくれ、これはなんの報告だ?
……気を取り直して。
十三家『北の勇者』の領土にたどり着いた俺たちは、まず『剣を持って神官服に似た服(袖口が広く、上から下まですっぽり覆うローブのことだ)を着た、怪しいやつ』と言われた。
たしかに反論もできないほど怪しいのだった。
俺の衣服は草を編み込んで作り上げたくせに絹のような光沢を持つローブであり、弟子の方は獣の皮をつぎはぎにしたローブである。
相変わらず【解析】は姿を消していて、いるんだかいないんだかわからないが、ここに『髪の毛をローブのように体に巻き付かせた美女』まで加わったら、現代ではもちろん通報案件であり、当時としてもめちゃくちゃ怪しい。
ところで当時はまともな法や官僚制度や警察組織もないので、『怪しいやつはとりあえずぶん殴って動けなくして、生きてたら吟味しろ』という時代であった。
十三家『北の勇者』の領地を守る兵隊たちは間違いなく優秀であり、それが一斉に剣を抜いて襲いかかってきたのだ。
最初はまあ一人二人に職質(と呼ぶのはちょっと違うが)されそうになっただけなのだが、ここで我が弟子が、
「もうさあ、面倒だし真っ直ぐ行こうよ」
と言いながら魔術をぶっ放したので、相手も本気になり、行き着く果ては『勇者がおわす屋敷の前で隊列を組んだ人たちとにらみ合う』というところだった。
弟子がいると展開がいちいち物騒なのに頭を抱えるが、同時に俺は、『昔恐れた領主様の兵も、魔術があればこの程度なのか』と感じていた。
……俺の思考能力では、それを伝導するという役割を持った自分たちが、どれほど世界に影響を与えるのかも、まだ予想できない。
この時の俺は吹き飛ばされる兵隊さんたちを守り、癒しつつ、弟子のあまりの無双っぷりに『この子はワシが育てた』とちょっと気持ちよくなっていたぐらいだった。
しばらくそんなふうにしていると、屋敷の方からさる人物が出てくる。
……そいつを目にした当時の俺に、大した感慨はなかった。
領主の屋敷に来たのだから、そりゃあ、騒いでいれば当主が出てくるだろう、ということだ。
始祖竜【解析】の奇行に慣れていたこちらとしては、なんにも驚くべきことのない、自明の理である。
ところが、現代の俺は……
金髪碧眼の、少女とみまがうような美少年。
身なりはよくなっている。多くの兵がその人物に恐れのような視線を送っている。
変化と言えるものは彼をくるむそういったものだけで、彼自身は、本当に、何一つ……二百年に近い歳月が経っているのに、当時のままなのだった。
……それでも、変わらなさすぎるそいつの姿は、現代の俺にとって……
恐れ、は少し違う。
懐かしさ、は少しあるが、それは一番大きい感情ではない。
……そうだ、悲しさだ。
胸を詰まらせるこの感覚は、悲しさであり、憐れみだった。
『解析の時代』にいる彼は、世界から浮いていて、世界の人々は、彼が浮いていることを当然のように受け入れていた。
誰も彼を人として見ていない。いや、
その空気が、悲しかった。
「……その剣は、君が抜いたのかな」
にこやかな顔で、穏やかに問いかけられる。
静かな声だというのに、まるで天上から心に語りかけられるかのように胸に響く声だった。
当時の俺は思わず平伏しそうになった。
彼の声を聞いて、俺は始祖竜を連想したのだ。
けれど、我が弟子は不遜なままだった。
「あんた、気持ち悪い」
「は?」
「聖剣を抜いたら勇者に任じるとか言われてノコノコここまで来たけどさあ。勇者ってのがあんたみたいなのなら、願い下げだわ。そんな状態で食うメシはまずいと思う」
「……精霊? 君はなにを……」
「あーやめて。しゃべらないで。吐きそう。……ししょー、あたしになんか言って」
振りが唐突すぎるので困った俺は、マジで「なんか……」と言った。
いや違うんだよ。
『なんかってなんだよ……』と言いたかったのだが、状況の展開があんまりにもあんまりで思考が止まっていたのと、勇者に気圧されて声が出なかったので、なんかとしか言えなかったんだ。
でも、それでよかったらしい。
我が弟子は「癒されるわー」と言ってから、
「というわけで、この剣は渡さないことにします。あたしが抜いたからあたしのモンだし、あんたに渡すのは、嫌だから。はい解散。お疲れ。もう帰るね」
我が弟子は俺の腕をとって引き返した。
しばし向こうもポカンとしていたのだが、さすがに『勇者』は立ち直りが早い。
「待ってくれ! その剣は友からたくされた大事なものだ。君が私を気に入らないのはいいが、その剣だけは返してくれないか?」
「
……俺はこの時点で、ただただ風に翻弄される木の葉も同然だった。
我が弟子はいきなり『勇者』を嫌いすぎているし、いくらなんでも態度がひどすぎる。
もともと傲岸不遜で生意気なところのある彼女がへそを曲げるとたしかにこうなるのだが、それにしたって、出会ったとたんにキレすぎだと、そんなように感じていた。
でも……
……これは、俺が、彼女より
たぶん精霊において彼女と同じぐらい知覚できれば、誰でもこのような態度になるのだろう。
特に魔術師は精霊との距離が近い。精霊の肩を持つ。
どれほど嫌っていようが、どれほど忌々しく口で語ろうが……長年世話をやいてくれた家族と、いきなり目の前に出現した化け物が真逆のことを語った時、どちらを信じるか? という話だ。
家族と化け物。まさに、精霊と勇者とは、そのぐらい違うものだったことに、俺はまだ気づけなかった。
……だからこの時の俺はといえば、
「なるほど、
勇者も勇者であまりにも即断すぎて、展開についていけず……
唐突に始まった勇者vs弟子に巻き込まれる哀れな木の葉でしかなかったのだった。