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第31話 指導の終わり

 俺がいないあいだに、こんなお触れが出回ったらしい。


 曰く、


『聖剣を抜いた者を、次なる勇者と任命する』


 それはもちろん十三家筆頭たる『北の勇者』から発せられたものだった。

 とりもなおさず、『北』の家の後継者とする、という意味にとってしまってもいいだろう。


 かの『不変』の英雄が後継者を指名したがるというのは、つまり彼にも死が迫ってきているということ、なのだろうか?


 ……この時点の俺には情報が少なすぎてなんにもわからないのだが、とにかく世間は『木の根に刺さった剣を抜いただけで十三家筆頭の家に迎えてもらえる』と解釈したようで、一時期は剣のところに人が殺到したようだった。


 しかしその賑わいもせいぜい二年ほどで収まった。

 なにせ、誰一人として、剣を抜くどころか、わずかに動かすことすらできなかったのだから。


 我が弟子もそんなお触れを偶然耳にし、剣を抜こうとしたようだ。


「だって、食べ物いっぱいくれそうだし」


 ということで、名誉欲でも巧妙欲もなく、ただ食欲に支配されてのチャレンジではあったが、まあ、たしかに、チャレンジして失うものも別にない。やり得なのでやる。


 日に三度、弟子は抜剣チャレンジをしたらしい。


 そのどれもがもちろん成功しなかったのだが、それはいつしか弟子の中で毎日のルーチンに組み込まれ、俺が遭遇したのはチャレンジ昼の部の最中だったようだ。


 ……最初『おっさん誰だよ』というこの時代としては当たり前の警戒心をむき出しにした弟子は、俺が実際に剣を抜いてみせると、一瞬で警戒心を忘れ去り、興味を抱いたようだった。


 もちろん抜いた剣は元に戻した。


【求愛】が【変貌】を失わないように力を尽くしていた精霊たちは俺の説得で散ってしまったので、新しく俺の指示で精霊を集めて剣を抜けないようにしてもらっている。


 つまりあの剣を抜くには魔術の手腕で俺を上回る必要があるのだと弟子には説明し、剣は最後に抜いた人が抜いたことにしたらいいとまで言ったところで、ようやく弟子は弟子になったのだった。


 この弟子は身寄りのない少女であった。


『森の子』という言葉がこの時代にはあって、それは、開拓民同士のあいだに生まれたものの、親が亡くなってしまった幼い子のことを指す。


 通常は……というか、もう『少し前の時代までは』と言ってしまってもいいかもしれないが、開拓民すなわち『優秀な者』だった時代があった。

 その『優秀な者』の子は主人たる十三家が直々に世話をし、エリートとして教育していくことになる。


 だが主人の持つ加護がいまいちで、そのせいで優秀な者が臣下に集まらないような家だと、開拓民は奴隷であり、その子も産まれたとたんに『隷属のムチ』により傷をつけられ、一生奴隷として過ごすことになる。


 ……そんな未来を憐れんだ両親により、『開拓なんていうことをさせられるぐらいなら』と森に隠される子がいるそうだ。

 貴重な労働力を勝手に捨ててきた両親は、より厳しい監視のもと、より頻繁にムチ打たれることになり、結果としてすぐに死んでしまう。


 もちろんこの時代の森に赤ん坊を捨てるなどというのは、殺人にほかならない。

 多くの子は当然ながらすぐに死んでしまう。


 しかしまれに生き残る子もいて、そういう子にはなんらかの奇跡的な能力があることも多い。

 つまるところ『両親のいない、森で暮らす幼い子供』を『森の子』と呼ぶ文化があり、我が弟子も『森の子』だった。


 そして『森の子』にあるという奇跡的な力とは……


 少なくとも我が弟子にかんして言えば、『精霊を見る力』だった。


「剣を抜こうとするとさあ、なんかきーきー・・・・いうやつらがいると思ってたんだけど、あれって精霊ってやつなのか」


 彼女は物心ついた時から俺以上の精度で精霊を知覚し、その感情どころか、声さえも聞くことができたらしい。


 そもそも頭がいい。

 満足に人里で過ごした経験がないのに、開拓民たちの言葉を遠くで聞いていただけでこうまで自在に言葉を操るところからも、それは明らかだろう。


「精霊が教えてくれるんだよ。あれは覚えた方がいいとか、あれはした方がいいとか……まったく、うざったいよな。でも生き延びるには必要だし、役立つこともたまには言うから、しかたなく従ってやってたけど……そっか、やりようによっては、あいつらにあたしの言うことをきかせられるんだ。そいつはいいや」


 ……かくして『剣を抜きたい』『精霊にいうことを聞かせたい』という二つの目的で、森の子は我が弟子になったのだった。


 この弟子の教育にかんして始祖竜【解析】は、


「君に全部任す。私はそのへんをぶらぶらしてるよ」


 と、ほとんど姿を見せることはなかった。


 ……しかたなく、十歳(本人も自分の年齢を数えていなかった。栄養状態から察するにもう少し年齢は上かもしれない)の少女を育てる日々が始まった。


 一流の選手が一流の指導者になれるとは限らないし、素直な弟子が育成する弟子も素直になるとは限らない。


 そもそも才覚において、俺は弟子に劣っていて、弟子はどうにも俺を侮っているところもあり、素直に言うことを聞かせるのは、なかなか難しい時もあった。


 もっとも反発されたのは、『病を退けるために体を清潔に保て』という指導だ(当然ながらこの知識も【解析】の受け売りだ)。

 汚れ放題だった彼女は『別に、今まで平気だったし』と相手にもしなかった。


 だがある日大病を患った(たぶん、肺炎間際の症状だったと思う。当時としては大病だ)の看病してやってから、俺への態度が軟化したように思えた。


 やはり実際に危機に陥ってそれを助けてもらうという体験は、人に思い知らせる上で重要なのだろう。


『清潔さを保て』という指導を受け入れた彼女は、一個許してしまうと他の指導に対する心理的抵抗も減じるのか、俺がそうしているように髪を伸ばし始めた。


 綺麗になった彼女は、かつての始祖竜教において『もっとも尊い』とされている赤髪赤目の持ち主だった。


 くすみすぎて痛みすぎて茶色だかなんだかわからない色だった髪は炎のようなきらめきを宿し、薄汚れて生傷だらけで黒だか赤だかわからなかった肌は、純白のつやめきを示し始めた。


 精霊に命じて木の実を探させたり、魔術により狩りを行ったりしたお陰で栄養状態もよくなり、彼女はすくすく成長し、三年も経つと大人の体へと変化した。


 三年。


 俺があの【解析】による的確な指導でさえ五年はかかった魔術という道を、我が弟子は俺なんかの指導でたった三年で深奥まで行きついてしまった。

 しかも彼女はそこで終わりではない。もう俺が指導できることはなにもないが、彼女にはまだまだ先があるのだと、【解析】すらもお墨付きをくれた。


「お前であれば、もう、俺の封印など力づくで解けるだろう。剣はすでに、お前のものだ」


「もう、ししょーはあたしに敵わないのか」


「そうだな。悔しいが、認めるしかない。お前を魔導士に任じる。好きなように魔術を広め、お前の知識を吸収した者あらば、これを魔導士と任命し、新たな指導者として送り出してもいい」


 俺は魔導士となった彼女に、二つの贈り物をした。


 一つは杖だった。

 これはもちろん、長旅で足が疲れるのを少しでも遅らすための道具として、旅をする者なら誰でも所持するようなものだ。

 だが、俺が魔導士となった時に【解析】より贈られたものに杖があり、俺もそれにならった、ということだった。


 もう一つはローブだ。

 これもまた【解析】が俺に贈ってくれたから、という理由で贈った。

 同じように俺の髪も縫い込んである……が、竜の髪のような加護はもちろんないので、現代視点で考えると単純に気持ち悪い行為だったな……と時間差でへこんでしまう。


 あと、【解析】はそのへんに生えている草を用いているのに、絹のような質感のローブを俺にくれたが……


 俺はそこまでの異常なことはできないので、狩った獣の毛皮をより集めただけの、不恰好で、どこか不気味なローブしか贈れなかった。


 それでも我が弟子は喜んでくれた。


「もう、ししょーはあたしに敵わないのかー」


「……そう、だが」


「もう、ししょーは、あたしに、敵わない、のかあ」


 ……なんだろう。そうなんだけど、何度も確認されると、ちょっとばかり反発がわくというか。


「そこまで自信がないなら、試してみるか?」


 そう述べたのは、魔術理解や精霊操作において確かに俺はもう我が弟子に敵わないと認めていたが、戦闘においては、まだ経験則のぶんだけ、俺にも勝機があるのではないかと思っていて……


 なおかつ、最近また生意気になってきた弟子に対して、わからせて・・・・・やりたいという気持ちもあった。


「ししょー、あたしが勝ったら、なんかくれる?」


「勝った時に好きなものを言え。俺もそうする」


 しかし、これはまったくもって、我が弟子の術中だったのだ。


 その日、魔術勝負に敗北した俺は、そのまま弟子に襲われた。


 この俺の子孫はこうして後世に残ることになったのだった。

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