【解析】のもとで五年も修行をするころには、俺の魔術もだいぶさまになってきていて、どうにかかつて彼女が見せたものの百分の一程度の規模のものは行使できるようになっていた。
五年という歳月は俺を少年から大人へと変化させたのだが、【解析】はと言えば相変わらず俺を『少年』と呼ぶこともあったし、俺もまた、肉体の成長に伴って性徴もあるはずが、【解析】への恋慕や劣情などは、おどろくほどわかなかった。
いや、【解析】の見た目は、もちろん美しい。
艶やかな緑色の髪を長く長く長く伸ばし、それを体中にからめるようにした、背の高い細身の女性だ。
服らしきものはまとっていないのだが、長い髪がゆったりと体に絡みついていることで、まるで袖口の広い大きめの
顔立ちは凛々しい系、というのか、男役みたい、というのか、女性ファンがつきそうな感じなのだが、口元にいつもニヤニヤした笑いがこびりついているのが、格好良さを三割か四割ほど減じさせているように思われた。
それでもなお、並の人類とは比較にならないほど美しく、格好いいが……
俺はこの師匠をどうにも『女』とは捉えられなかった。
言動がなによりの原因であるのは言うに及ばないとして、その卓越した魔術の腕前、さらに恐ろしいまでの分析━━
これに変な気持ちを抱くことは、恐怖のあまり不可能だ。
……というか、
「ここらが君の限界だね」
その日の修行を終えたあと、【解析】はいつもの調子でそう述べた。
俺の魔術はこれ以上伸びない。
少なくとも【解析】という権能を持つ人類の上位存在の視点において、俺の魔術の強さは今が最高である、これより上になることはないだろう、とのことだった。
ただの人類が異を唱えられるわけがない。
まして俺は、この師匠の異常な観察眼のおかげでここまで短期で伸びることができたのだ。
その師匠が『もう無理』というなら、彼女を誰よりも信頼する弟子としては『そうなのか』と静かに納得できた。
「最初の方は反抗的だったけれど、うん、その過程もまた、私が愛でる『途中経過』というやつさ。中盤あたりから素直になった君は、『途中経過』のおかげで、よりかわいらしく感じられたよ」
こういう時に照れるよりもなんでもない顔をしていた方が、この師匠にからかわれなくてすむのを、俺はすでに知っていた。
だから素直に「はい、ありがとうございました、師匠」と述べると、【解析】は俺の内心まで見透かしたかのようにニンマリと口角を上げた。
「君は一定以上のレベルで魔術を修め、他者に伝導する資格を得た者、という意味で、これより『魔術師』ではなく『魔導士』と名乗っていいよ。そして、私の教えたことを他者に教えてもいいし、君のすべてを吸収する者あらば、これを魔導士に任命したっていい」
「はい師匠」と素直に述べると、それはそれで【解析】はにっこり笑うのだ。
俺がなにを言っても、彼女は楽しげに、あるいは優しげに笑った。
「最後に君の魂についてだが、君はなんの話かまだわからないだろう。だからこれは、こっちを見ている【静謐】に対する連絡だ」
たしかに当時の俺にはなんの話かわからなかった。
けれど、師匠の教えは、言われた時にはわからなくとも、後年になって『あれは、このことだったのか』と腑に落ちる瞬間があるものばかりだった。
だから今の発言もまた、のちになって腑に落ちるものなんだろうな、と感じられた。
……まさか『のちに』が、今生のうちにないとは思わなかったけれど。
「いいかい、君の転生の準備はとうにできている。魂は【静謐】によって維持された。肉体は【躍動】の仕掛けで生まれる。【変貌】は実にいい仕事をした。転生した魂に耐えるだけの能力だった君は、作り上げた肉体に魂の読み込み機能まで備えた。つまり、
師匠は相変わらずニマニマしていたが、その視線の先にいるのは俺ではなかった。
たぶん【静謐】の方を見ている。
「それでもなお君が記憶を維持したまま転生できないのは、たぶん、君の意思に問題がある。君は君の人生を君自身に侵略されたくないのさ」
当時の俺はもちろんなにも理解できなかった。
現代の俺は……どうだろう、なんとなく、わかる、気がする。
言葉にはできないけれど。
「弟子よ」
はい師匠、と俺は言う。
すると彼女はやはりニンマリ笑って、
「すべての竜を殺しなさい。それだけが、君たちの恋を叶える方法だ」
はい師匠、と俺は言えなかった。
すべての竜を殺せ、というのは、目の前の師匠さえも殺せ、ということだ。
だいたいにして、この当時の俺は転生だのなんだのについて全然理解しておらず、また、興味もほとんどなかった。
師匠の語ることだからいずれなんらかの折に腑に落ちるかもなと思って記憶してはいたが、それだけの話で、【静謐】というのも始祖竜の一柱という知識はあるが、彼女個人のことについては知らなかったのだ。
そんなモノとの約束が、師匠の身命より大事なわけがない。
というよりも、俺は、そんなモノと自分が
……現代の視点でも、『竜を殺せ』という言葉の意味はまだわからない。
そもそも始祖竜は『人間の感情』というエネルギーを集積して人格を得るにいたった、大自然の擬人化なのだ。
その役割は大自然をある程度コントロールして人が減りすぎないようにつとめる人類の守護者であり……
人類が『やりすぎ』というほど自然を傷つけた時には自然の味方に立って人をいさめるバランサーでもある。
が、この機能自体は意思も慈悲もないものの、本来、大自然に備わっているものだ。
それをだいぶ人寄りに調整してくれる存在が始祖竜。
……これを殺すとどうして恋が叶うのか、因果関係がまだわからない。
現代、目の前にいる【静謐】はまだ答えをくれない。
当時、なにも答えない俺に、【解析】はやっぱり、笑った。
「とはいえ、『竜殺し』なんて大役は、君個人では荷が重かろう。だから、竜に届きうる『剣』を鍛えなさい」
「はい、師匠」
「君は魔術で、人を一つ上の段階に押し上げなさい。かつて十三家の者たちが【変貌】の加護で人を一歩前へ進めたように、竜の力で人を竜に近付けるんだよ」
つまり『剣』とは『力』の比喩なんだろうとこの時の俺は思った。
でも。
その果てが竜殺しだなんて、あまりにも……
俺たちは力をもらってそれで竜を殺すなら、それは恩知らずすぎるし、切なすぎる。
人と竜は仲良くやっていけるはずなんだ。俺と師匠のように。
すると師匠は「ぶふぅ!」と吹き出して笑った。
俺が弟子入りした時以来の大爆笑である。
どこが彼女のツボにはまったのかわからないが、とにかくこっちの失言に大ウケされているのだけはわかり、それが長く続くとやっぱり『どついたろかコイツ』という気持ちにもなってくる。
俺が魔力を練ってそろそろ
「いやあ、君は無垢で純真で面白いなあ!」
「ぶっ殺すぞ師匠」
「うんうん! やってみたまえ! ……まあ、冗談はさておいて。最後に一つ教えてあげよう。絶対的上位者と、吹けば飛ぶような人間とが『仲良くやれてる』ように見えるのだとすれば、それは、
それはまあ、そうだろうけど……?
当たり前のことすぎて、なぜそんなものを、ことさら重大事のように述べたのかピンとこない。
師匠は口だけ笑ったまま、真剣に俺を見て、
「君は、上位者の気分が変わっただけで終わるような関係でいいと思っているのかい?」
「……」
「いいかい、我が最初にして最後の弟子よ。竜の魔術を継ぐ者よ。君はその力で多くの者を倒し、変え、救うかもしれない。けれどね、君が魔
「……」
「ちょっと怒って『ふっ』と吹いたら消えてしまうような者に、本気の感情を抱くのは怖いという話さ。まあ、覚えておきたまえ」
師匠の言葉は半分以上が『いつかの未来の俺』へかけられたものだった。
今は意味がわからない。いや、頭では理解できないこともなさそうなのだが、そこには決して実感がない。
だが、これまでの師匠の言葉同様、いつか『あれは、こういう意味だったのか』と腑に落ちる日も来るのだろう。
俺は「はい、師匠」と万感の想いを込めて言った。
……もう、俺の魔術の腕は頭打ちだそうだ。
そして、魔術を伝導する資格があると、師匠から認められた。
だからこの会話はきっと、師弟最後の会話なのだろうと俺は思っていたのだが……
「うん、じゃあ、今日は準備をして、明日の朝にでも君の昔いた場所を目指そうか。移動手段は徒歩がいいね。転移は楽だが味気ない。……あー……待った。朝まではちょっとやりたいことがあるし、昼からにしよう」
「え? 師匠も来るんですか?」
「えっ? 行くけど?」
「なんで?」
「な、なんで!?」
「だって今、めちゃくちゃ『これでお別れ』って感じだったような……」
「別れないよ!? 君は自分が世界で唯一の超貴重なサンプルだということを忘れていないかい!? ついていくとも! まだまだ見足りないんだ! もっと隅々まで君を見るとも! っていうか君、帰り道わからないだろう!?」
……俺を拉致する時、師匠は現れた途端に俺にタックルし、そのまま転移をして、俺をこの場所まで運んだ。
道はたしかにわからないので、俺はうなずくしかなかった。