奇襲のような旅行計画が持ち上がったのはその年の冬のことで、俺たちは偶然転がり込んできた旅券の処理に困り果てていた。
というのもその福引で当たった旅行券の使用期間は、そのまま長女が長期休暇のために帰省する期間でもあったのだ。
そもそも三歳になったばかりの元二歳児と、夏の終わりに十一歳になった十歳児を抱えた家庭の夫婦が、旅行などというのは夢のまた夢だ。
しかもペア旅行チケットともなれば、子供たち三人のぶんの料金を追加してまで使いたいかと言われると、『まあ、誰かにゆずるか』という流れになるのも、当然のことだった。
問題はゆずる先であるのだが、真っ先に浮かんだのは自分たちの両親だ。
俺と妻の両親はどちらとも健在であり、年齢は六十代に入ったばかりで、今も現役で仕事をしている。
時間の工面にはどちらの両親も問題なさそうなので、このペア旅行チケットは親にあげようという話になったのだが、そこでまた俺たちはチケットをテーブルに乗せて考え込むことになってしまった。
ペアなのである。
ツーペアではないのだ。
つまりどちらかの両親を行かせて、どちらかの両親にはご遠慮願うということになる。
どちらかに秘密にしておくというのも、互いの両親の交友の深さを思えばのちのち角が立ちそうだ。
本当にどうしようと悩み果て、最終的に『大人二人分の料金をこちらで出して、四人で行ってもらおう』という結論にしかたどりつけなかった。
そういう方針で互いの両親に連絡をとったところ、俺も妻も、似たようなことを言われたらしい。
「それはお前、夫婦で行きなさいよ」
というわけで俺たちは、子供たちを両親に任せて二人きりで旅行に行くこととなったのだった。
もちろん事前に準備はしていたのだが、子供たち、特に三歳の子の世話でばたばたしたり、長女にお土産要求の長文メッセージをもらったり、遠慮深い長男からなにかほしいものがあるか聞き出したりしているうちに、あわや移動手段に乗り遅れそうになりつつ、どうにか夫婦で目的地へとたどり着いた。
三泊四日の温泉旅行である。
妻はと言えば地酒の方を楽しみにしているらしく、事前に情報を集め飲めそうな酒をリストアップするその気合いの入れようたるや、どれほど飲むのか、恐ろしいほどであった。
一日目は移動で疲れたのもあって互いにちょっと温泉に入ってすぐに眠ってしまったが、二日目は朝から遊び倒し、昼まで寝て温泉と酒を繰り返していると、あっというまに三日目の夜になってしまった。
三泊四日旅行における最後の夜である。
隣り合った寝具に寝転んで互いの顔を見ていると、妻は唐突に切り出した。
「しますか、話」
俺たちのあいだで『なんの』という補足なくただ『話』と述べた場合、それは、例の、俺の前世にまつわることについての話を示す。
始祖竜教、
加護、
そして、『勇者』。
……まだ次なる時代についての記憶はよみがえっていない。
けれど『勇者』にまつわる話が始まるのだろうなとは感じていた。
もしも不変の天与を持つあの存在がのちの時代に生き残っていれば、その影響たるや、すさまじいものになるのだという確信があった。
あれが時代の中心にかかわっていないなどというはずがない。
そして、改造された俺の魂を受け入れることができるのが、『特別な血統の一族』ならば……
次なる俺は、十三家の次席と呼ばれた、『南の食糧庫』の領主一家に生を受けるのだろう。
話の中心が始祖竜教と十三家にまつわることになるのは、いくら俺でも想像できる。
……などと神妙な顔をして語ると、妻は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「いや……まあ、なんでしょう。すごーくぶっちゃけてしまいますけど、次のあなたの生まれは、権力の中枢となんの関係もないんですよね」
ええ……
あの流れでそんなのありうる?
「躍動の時代を思い出してください。当時のあなたには二人の兄と、ひと組の両親がいましたよね。そして、『改造された魂を宿せる血筋』は、その一家の、父方のものなのです」
それはつまり、俺が【憤怒】として暴れ回ったあと、兄貴どっちかが生き残って子孫を残してた……ってこと?
「そうそう」
……じゃあさあ。
【躍動】が『こいつの血統に転生者の魂が発現するから、こいつの血統を保護しとこ』と思って
「あれは、あの子の、カンです。そして、カンは外れました」
あいつマジ……
「えー…………と、いうわけで! 次のあなたのスタート地点は、『南の食糧庫』ではなく、『竜の里』でもなく、そのもっと遠く、人類の勢力圏の外縁近くの、『これから拓かれる土地』にて始まります」
俺の魂やら世界やらをずっと監視していた始祖竜【静謐】に
そこは道もなく壁もなく、簡易拠点があるだけの野生の地。
第一災厄【虚栄】の遺した魔物どもが徘徊する危険地帯。
十三家の当主が率いた軍が土地を拓く役割を担っているのは『変貌の時代』が終わってから変わらないが……
当主となる者が毎回初代なみの力を持っているわけではなかった。
というか必ず、どの家も、世代ごとに弱体化していた。
力ある当主のもとには優秀な部下が来る。
逆なら逆のことが起こり、それでも当主は『危険・きつい』を引き受けなければならない。
では本人にさしたる力がなく、優秀な臣下もいないような十三家がどうやって『危険・きつい』仕事をこなすかと言えば……
奴隷。
十三家のうち竜の里より西に領土を構えた一族は、始祖竜【変貌】より『変質』という天与を授けられた。
それは『南』が動植物の変化を促す力であるのに対し、無生物……道具、武器などをより悪く、あるいは
そうして、その家の初代は生み出したのだ。
よりよい、ムチ。
……ムチとは、俺たち……『変貌の時代』において最底辺の身分だった俺たちにとって、『人を
ゆえに、そのコンセプトで『より良く』されたムチは、『叩かれた者を、叩いた者に服従させる』という効果を持つ。
これは十三本作られ、十三家それぞれに一つずつ保管され……
罪人や
使われた者は、使った家に絶対服従となった。
すなわち、奴隷化である。
このムチの効果は『ムチによりつけられた傷が消えるまで』であり、その非効率性から最初、『大量の奴隷を作ろう』というような発想にはいたらなかったらしい。
基本的には『百叩き』などで生き残ってしまった犯罪者の反抗心を削ぐためのものだ。
だが、当主本人も力がなく、優秀な者も集まらないとなれば、少しばかり手間であっても、『質を数で補おう』と思うらしかった。
……次の俺は、十三家北東の家の奴隷らしい。
赤ん坊のころに『隷属のムチ』による傷をつけられ、傷が消え、少しでも反抗的になるたび叩かれ続けて奴隷として過ごし……
物心ついたころには、土地を広げるために魔物まみれの未開の地の向かわされ、そこで戦いながら育ち……
そして、
「あなたはある日、始祖竜【解析】に拉致されたのです」
竜にさらわれたらしかった。
……なんかさあ、俺の血統、竜に連れ去られすぎでは?