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第18話 【求愛】

 俺たちが躍動軍の本陣にたどり着いた時、【変貌】と『勇者』はちょうど会話を終えたところらしかった。


 武装し大挙して押しかけた俺たちに、躍動軍の見張りや、そのそばにいた『勇者』はぎょっとしていたが……


 我らが【変貌】は落ち着き払った様子で、躍動軍を・・・・背に・・庇う・・ように、俺たちに体の正面を向けた。


 その時の厳しい視線は、それだけで腰が抜けそうになるほど、恐ろしいものだった。


 たしかに俺たちは、【変貌】の背後に世界そのもの、大自然そのものの力強さを見た。それだって、俺たちを知らず半歩後退させた理由の大きな一つだろう。


 けれど、俺たちは、そもそも【変貌】にまるで敵であるかのように見つめられたという、それだけの理由で戦意のほとんどを失ってしまったのだ。


 俺たちにとって【変貌】は、姉であり母であり、憧れの人であり、そしてなにより俺たちが自分を『正しい』と思える理由そのものだった。

 俺たちががんばることができたのは、【変貌】の微笑みと称賛をこの身に受けるためだったのだ。


 俺たちはみな、【変貌】を愛し、慕っていた。


 それはたとえば恋人に向けるような愛とは一線を画す。


 俺たちにとって【変貌】は、あらゆる意味で理想の女性で、聖母であり、聖女であり、そして肉感的で豊満な体には、少しの劣情も抱かなかったと言えないような、そういう相手だったのだ。


 それは男に限らず、女もまた、【変貌】にさまざまなものを見ていたらしい。


 その『理想の女性』に敵愾心てきがいしんさえ感じる目でにらまれては、わけもわからず『ごめんなさい』と言いたくなってしまうのも、無理はない。


 俺たちの視線は自然とリーダーに集まった。


 なにせ、彼の言うように武装して出陣したら、【変貌】にあんな顔で見られたのだ。

 リーダーこそが【変貌】のすべてを代理でき、【変貌】の喜ぶことをもっとも知っていると思っていた俺たちが、ついつい彼を非難がましく見てしまうのは、しかたないことだったろう。


【変貌】の視線もまた、俺たちのリーダーの方へ向いていた。


「両者の意見をすり合わせ、公正に判断しましょう」


 おごそかな声は、そこを一瞬で法廷のような厳粛げんしゅくな空気に変えてしまった。


 もちろん当時『法廷』なんてものはなかった。少なくとも俺たちには無縁だった。


 俺たちの正しさを担保するのは、法ではなかったのだ。


 すべては、『【変貌】が微笑み褒めてくれるかどうか』。


 俺たちの中にある唯一絶対のルールがそれで、もし【変貌】がかかわるほどでもない些事さじであれば、それは、その場でもっとも強いやつの望むようになった。


 つまるところ、『意見をすり合わせ、公正に判断』などという概念を俺たちは知らなかった。


「まず、躍動軍の言い分です。彼らは、毒など盛っていないと言う」


 その毒を盛っていない理由については、俺が思ったようなものを述べたらしい。

 つまり『【変貌】ならどのような毒でも治せるのだから、殺害のために毒を盛るというのは、不確実どころの話ではない。やる意義が見出せない』ということだ。


 さらに、


「第一、我らの戦争はもうじき終わります。『竜の里』では【変貌】との融和を訴える声が年々高まっているのです。融和のあかつきには黒髪黒目の子らをゆるすという触れを出してでも災厄軍と和睦せねばなりません。そちらのリーダーを毒殺するなど、里の意向にさえ反する。そもそも、我らはあなたたちを友だと思っている」


 人は竜と戦う道をあきらめたらしかった。


 この時代の旗頭はたがしらはどうしようもなく始祖竜教であり、その教義、信仰を成すために人々を動員し、文化的事業を成してきたのだ。


 それが己らの信仰をゆるがせにし、後付けで『実は始祖竜オリジン全部じゃなくって、第二災厄を倒した【躍動】のみをあがめる集団だったんだよ!』などと言い出したことで、これを白眼視はくがんしする者も少なくなかったらしい。


 そもそも、この時代は人類の数そのものが不足しており、労働力もまた不足していた。


 黒髪黒目の『災厄の子ら』は、そんな時代における貴重な労働力だったのだ。

 貴重な、というのはつまり、『低コストでひどい重労働を課しても、誰も文句を言わない使い放題の労働力』という意味だ。


 始祖竜教は黒髪黒目の子らが【変貌】にすっかり連れ去られたあと、代わりの『労働力』を捻出する必要にかられた。


 そうして彼らがしたことは『災厄の子』……つまり『新たな最底辺の使い放題労働力』を増やすことであり……

 そのせいで他の髪色目色の人たちも、始祖竜教がなにかを災厄認定するたびに自分が最底辺にされるかもしれない、という危機感を抱くことになったのだとか。


 かくして『自分の生活を担保してくれていた始祖竜教』は『いつか自分の生活を脅かし搾取するかもしれない宗教団体』に変容し、内部はごたついた━━


 というのが、当時、『勇者』の語った概要だったのだろう。


 俺は美少年が長々とそんなような話をするのを、全然理解せずに聞いていた。


「躍動軍の言い分は以上ですね」


【変貌】の問いかけに、『勇者』はうやうやしく「はい」とうなずく。


 そして次に【変貌】が視線を……鋭い視線を向けたのは、我ら災厄軍のリーダーだった。


「では、毒を盛られたとするそちらの言い分を聞きましょう」


 そこからのリーダーの言い分は、ひどいものだった。


 うろたえて、噛んで、詰まって、発言がしょっちゅう前後したり、ひるがえったりした。


 この当時の俺に難しい話はわからない。

 けれど、リーダーがなんだか情けなくて、それに対して、『勇者』が堂々とし、流れるように意見を開陳した様子は『格好いい』と思えた。


 ……印象というのは、事実よりも強力な力で人々の心を動かす。


 俺たちはリーダーが言葉を重ねるほどにしらけて・・・・しまったのだ。


 話をよく理解していなくても、いや、理解していないからこそ、俺たちはリーダーが嘘をついていて、『勇者』が本当のことを言っているのだと思うようになっていった。


 きわめ付けに、


「躍動軍が酒杯に毒を盛ったのを見た、と述べた子がおりますね。私の目を見て、もう一度そう証言なさい。嘘でないならば、できますね?」


 そう【変貌】に言われてしまうと、もうだめだった。

 証言をした者はリーダーに頼まれて偽証をしたのだとあっさり吐いた。躍動軍が毒を盛ったところは見ていないと、そう述べたのだ。


 趨勢すうせいは決した。


 あとは嘘つきが嘘を認めるだけ、という段になり、いよいよ俺たちは……陣地から出てきた躍動軍のやつらも……全員でリーダーに視線を向けた。


 突き刺さる視線は、針のむしろとも比喩される。


 ちくちくと全身をさいなむ視線の中で、リーダーは、うめくように、


「なぜ、なんですか」


 それをたずねているのは【変貌】であり、その答えを知りたがっているのは、この場にいる全員だった。


 俺たちはとっくに『リーダーが自作自演で毒を盛って、その罪を躍動軍になすりつけようとした』という真相にたどり着いていて、あとはその動機が語られるのを待っている状態だったのだ。


 ……だから、それは。


 リーダーの口から発せられた『なぜなんですか』という問いかけは。


 動機を語るためのまくら・・・だったのだと、この時、誰も気付けなかったということになる。


 静まり返った空気の中、リーダーは再び、【変貌】へと問いかけた。


「なぜ、俺たちの味方をしてくれないんですか」


 悲痛な声。


 ……その、内心に渦巻く複雑な感情は……

 始祖竜には、難しい、あまりにも人らしすぎるもの、だったのかもしれない。


「私は、誰の味方でもありません」


 ひび割れた石に、つちを打ちつけるような言葉だった。


 しかも、【変貌】は、自分の説明が不足していると感じたのか、衝撃ことばを重ねる。


「私は、人類すべてを平等に愛し、平等に味方しています。あなたたち黒髪黒目の子を手ひどく扱った彼らをおしおき・・・・したように、あなたにも、おしおきが必要のようですね」


【変貌】は人に優しい竜だった。


 ただし、それは、人類種すべてに向けられた愛だった。


 ……この当時の俺は、『ちょっとショックだ』ぐらいに捉えた。


 けれど、リーダーや、『勇者』は、その言葉だけでどこまで先にたどり着いたのだろう。


【変貌】は黒髪黒目の俺たちがひどい扱いを受けていたから、保護した。

 ひどい扱いを強いていた者たちに罰を与えた。


 けれど、たとえば━━


 これから俺たちが勝って勝って勝ちまくって、始祖竜教を降して、始祖竜教の高位神官たちを、かつての俺たちのような身分に落としたなら……


【変貌】は迷わず、元高位神官たちの味方をするのだろう。


 やりすぎた俺たちに、罰まで与えて。


 ……始祖竜教で幼年期を過ごした俺たちは、どうしたって、始祖竜教の子なのだ。

 やつらが俺たちにしたひどいことを、俺たちもやつらにする権利がある。そうじゃないとおかしい━━と、俺たちは、当たり前に思っていた。


 俺たちが思い描いていた理想の未来は、俺たちが上に立ち、今の始祖竜教の偉い連中が下で這いつくばる、『現在と反対になった権力構造』で、それ以外を夢想するほどの想像力は、俺たちの誰も持っていなかった。


 ……俺たち……つまり、災厄軍の、誰も、持っていなかったのだ。

 群を抜いて賢かったはずのリーダーでさえ、そこが、ゴールだった。


 そして、そのゴールにおいて、【変貌】は必ず敵に回る。


【変貌】のおかげで勝ち取れそうな未来は、その先で【変貌】を敵に回すものだった。


「どうして、俺たちを愛してくれないんですか」


 リーダーの声はほとんど泣いていた。


【変貌】はその穏やかで大人びた顔に、困惑を濃くしている。


「愛していますよ。あなたたちを守り、慈しんできたでしょう?」


「なら、どうして俺の味方をしてくれないんですか」


「それは、あなたが嘘をついたからです。あなたが本当に毒を盛られ殺されようとしていたのなら、癒し、慰めるに決まっているでしょう?」


「そうじゃないんだ。……公正とか、互いに話を聞くとか、そんなことを言わないでほしかった。俺たち……俺だけが、あなたの特別でありたかった。無条件に信じられて、無条件に味方される、あなたの盲目な愛を向けられたかった! 俺だけが!」


「……そのようなことは、不可能でしょうに……」


「なぜ!?」


 始祖竜【変貌】は、激するリーダーの剣幕に戸惑うような顔をしながら、わずかに悩ましく沈黙したあと、


「━━『なぜ』?」


 質問の意味がまったくわからない、というように、言葉を繰り返した。


 ……竜を愛した人の末路が哀れだというのは、こういうところからきている逸話なのだろう。


 価値観の違い。


 始祖竜ははるか太古からあり続ける自然の擬人化だ。

 人の感情というエネルギーを集積し生まれた人格であるところの彼女らは、その権能をもって大自然が人を減らしすぎないするためのバランサー、つまり自然から人を守る盾という役割が本業である。


 それゆえに、本能的に人を愛している。

 そこに見返りは求めない。なぜなら、愛することが普通なのだから。


 だが、その愛はあくまでも博愛であり慈愛なのだった。

 人類種に愛を向けても、個人に愛を向けることはない。……そのようなことをする始祖竜はとびっきりの異端なのだ。


 対して、人は竜を愛する。


 その命を賭しても守りたい、いや、微笑みかけられたい。触れられたいと願う。

 人生という決して長くない時間を燃やし尽くして捧げ尽くしても悔いがないほど愛するし━━


 自分の捧げた愛と苦労に、見返りを求める。


 しかも俺たちは【変貌】に救われて、変貌と半生はんせい以上の時間を過ごしてきたのだ。


 俺たちはそんな・・・長い・・時間・・を捧げたのに、始祖竜の愛が自分たち以外にも、自分たちと同じだけ向けられているのに反感を覚えるが……


 始祖竜にとっては、瞬きの間・・・・ともに過ごしただけの子らが、なぜ特別扱いを求めてくるのかが、理解できない。


 私はあなたたち愛しているのだから、いいではないか、と始祖竜は言う。


 俺はこんなにもあなた愛しているのに、なぜ応えてくれないのか、と人間は言う。


 そのすれ違いが今ここに、表面化し……


「どうしたら、俺だけを見てくれますか」


 リーダーが問いかける。


 始祖竜は、おそらく本気で、こう応じた。


「今は、あなただけを見ていますよ」


 この刹那、視線がたしかに向いているのだと、そういう意味で。


「俺たちも、あの長袖・・どもも、同じように愛しているんですよね」


 リーダーが問いかける。


 始祖竜は迷いなく応じる。


「もちろんです。━━私は、人を愛しています」


 リーダーは、顔を覆った。


「いやだ……いやだよ、【変貌】。戦いがなくなったら、あなたは俺たちの保護をやめてしまう。俺たちが平等を手に入れたら、あなたはほんの少しの特別扱いすらしてくれなくなってしまう。俺が毒を飲んでも、あなたはその他大勢にそうするようにしか、してくれなかった。俺の肩を持ってくれなかった」


「それはあなたが嘘をついて、他の者に罪をなすりつけようとしたから━━」


「俺が間違ってても! 俺のことを愛してくれよ!」


 瞬間、膨れ上がるなにか・・・に、当時の俺は、もちろん覚えがなかった。


 けれど、現代の俺ならば……かつて怒りに呑まれた記憶を持つ俺なら、わかる。


 そのすさまじい感情のエネルギーは、


「あなたの愛が欲しい。俺だけに向けられる盲目な愛が。尽くしただけほしい。尽くさないでもほしい。あなたが最初に俺に優しくしてくれたのに、途中で俺を放り出そうだなんて、そんなこと、許されるものか━━!」


 災厄軍のリーダーに集まっていき、彼の存在を変質させていった。


 ここに生まれるのは、真の第三災厄。


 その感情の名は、【求愛】だった。

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