俺たちのリーダーと、躍動軍の美少年……のちに『勇者』と呼ばれるようになるそいつとの奇妙な関係が続いたのは、【変貌】の方針のせいだった。
「いいですか。我らは、己を守るのみ。あなたたちが死ぬことはもっとも忌避すべきことですが、そうならない限りにおいて、敵の命さえも、奪ってはなりません」
当時の俺たちは、その指示を『【変貌】の優しい性格ゆえだ』と思っていた。
最底辺に生まれ最底辺として死んでいくはずだった俺たちは、自分たちを助けてくれた【変貌】にすっかりほだされていた。
彼女が『罰』と称し始祖竜教の人たちを酷い目に遭わせながらも、その一人たりとも殺さなかったことを知っていたし……
その手足、傀儡でしかない『躍動軍』の連中を彼女が『死なせないで』と願うのは、彼女の慈悲深さを思えば、当たり前だと思えたのだった。
このように、彼女の語ることは、すべて俺たちの中で良い方へ解釈され、納得されたのである。
……まあ、それもまた間違いではないと思うのだが。
第二災厄【憤怒】として【躍動】と戦い、今、目の前に【静謐】だった人がいる俺の視点で言えば、『人を殺すな』という方針は『人類の全体数が少なすぎた』という理由があったのだとも思う。
人が減りすぎると始祖竜は存在できなくなる。
なぜなら、始祖竜は人の感情を集積して生まれ、感情というエネルギーにより維持される人格だからだ。
もちろんそれは【変貌】が己の存在を維持するために殺しに来た相手を殺すなと言っているとか、そんな馬鹿な話ではなく、始祖竜というものの本来の役割に由来する理由で、彼女はやすやすと消えるわけにはいかない立場だった。
自然というものには、本来、意思がない。
しかし自然というものはまったく唐突に災害を引き起こしたり、あるいは急激な天候の変化によって人を殺したりする。
この自然の
自然が人類より圧倒的に強すぎた時代の話ではあるが、始祖竜は大自然の擬人化であると同時に、人類種の守り手でもあったのだ。
これが消えていた百年間は、それはもうひどいありさまだったと聞く。
そのような中で信仰以外によりどころがないほど暗い空気が蔓延していたため、始祖竜教は力を持ち、
そういった『大自然、やりたい放題』の期間をちょっとでも減らすため、少なくとも次の始祖竜にバトンタッチするまで、【変貌】は消えてしまうわけにはいかなかったのだろう。
……そのような背景から、『災厄軍vs躍動軍』というまごうことなき殺し合いにおいて、死者はおどろくほど少なく、同じやつと戦場で何度も顔を合わせるというようなことも頻繁に起こった。
すると『ライバル関係』のようなものが生まれる。
未来の勇者と我らがリーダーがまさにそのような関係だった。
二人は戦場において一騎討ちをすることも多く、その勝敗は一進一退で、何度も戦い、互いに
躍動軍側も、『災厄軍は自衛以上の意思がない』というあたりは理解していた。
なぜって、災厄軍は敵対する躍動軍を全滅させるという目的を達成するだけならば、【変貌】に出張ってもらえばそれで終わるのだ。
ところが【変貌】が見学と治療以上のことを戦場でしたことはなく、さらにその配下たる災厄軍もまた、命を奪おうとしてこない。
幾度も剣を交えておいてこの不自然に気付かないほど、躍動軍も
もちろんこの認識には、【変貌】が躍動軍の者さえも治癒し、命を助けて送り返したということも、大きく影響していたはずだ。
というか、まあ。
【変貌】にぶつけられた躍動軍のリーダーが十二歳の少年であり、その軍の構成員もまた似たような年齢で……
さらに言えば、彼らが全員、金髪碧眼だったことを思えば、たぶん、躍動軍は『始祖竜教による災厄軍と戦ってますよアピールのための軍隊』だったのだろう。
始祖竜教は、髪と目の色で身分を分ける。
最底辺にいるのは黒髪黒目、つまり第二災厄【憤怒】と同じ特徴を備えた者だ。
そして、【変貌】は長い金髪と穏やかな碧眼を持つ、木の葉と花で着飾った、母性を感じさせる美しい女性だった。
これを『第三災厄』ということにしている始祖竜教は、それまでのやり方に従って『金髪碧眼』の身分を最底辺に落とさざるを得なかったらしい。
そうして新しく最底辺に落ちた金髪碧眼の者たちだが、その中には神殿で要職に就いていた者も多く……
そういった神官の子らが集められ、『栄誉を取り戻したくば第三災厄【変貌】を倒せ!』と言われ送り出されたのが、『躍動軍』らしかった。
……つまり、いかに始祖竜教が災厄認定しようとも、人工の第三災厄こと始祖竜【変貌】に立ち向かおうという有志はいなかったようだ。
こんなふうに無理矢理送り込まない限り誰も始祖竜に歯向かいたくなんかなかったのだ。
まあ、そうだろうと思う。
石の建物を一瞬で風化させ、手振り一つで鮮やかな草花の庭園を毒の沼地に変えるようなものに挑みたがる者はいない。
まして始祖竜教が【変貌】を災厄認定した流れには違和感を覚える者も多かったのだろう。
……あるいは、声を挙げなかっただけで、黒髪黒目に生まれたというだけで一生奴隷のような生活を強いられ続ける制度に懐疑的だった者も多かったのかもしれない。
最初、たしかに殺し合いのつもりで戦っていた俺たちは、三年も戦い続けるうちに、いつしかその『戦い』を『遊び』とか『交流会』のような位置に持ってくるようになっていた。
どれぐらい『本気の殺し合い』から遠ざかっていたかというと、戦いの前に互いに顔を突き合わせ、料理や酒などを口にしながら、次の戦いの日時と場所、流れなどの相談をするほどである。
俺もそういった話し合いの場に連れて行かれ、敵である躍動軍のリーダー、のちに災厄を祓い『勇者』と呼ばれる美少年と言葉を交わしたこともあった。
「どうにも『竜の里』の方は、『災厄が出るたびに最底辺が増えるのはやってられない』というようにゴタゴタしているらしい。赤髪赤目の連中以外は、いつ落とされるかわからないからね」
それは敵の政治的な情報であり、もちろん軍略にかかわることであり、敵のリーダーの口から『酒宴のついでに』みたいなノリでリークされていい情報ではない。
しかしこの当時の俺は「へー」などと言って聞いていた気がする。
……なんというか、教養と想像力が不足していたのだ。
その重要な政治のごたつきが、こうして顔を突き合わせて剣を交える軍にどう影響するか、まったくそこをつなげる発想がなかったのである。
この時に『勇者』がちょっと微妙な笑みを浮かべたのは、彼が重要な情報をリークしたつもりであったのに対し、こちらの反応があまりに鈍かったからだろうと、今なら思える。
「……まあ、【変貌】によろしくお伝え願うよ。ともすれば戦いも、あと何度も起こらないかもしれない。終わるまで、健やかに堂々と戦おう。君たちのリーダーはもとより、僕は君の強さにもけっこう着目してるんだ」
強いやつに強さを褒められるのは、嬉しい。
ましてやそれが尊敬できる人格も持っている者からの賞賛であれば、嬉しさはひとしおだ。
俺は素直に照れたし、それを見て『勇者』は微笑んだ。
……俺たちは始祖竜教に属するすべての『差別階級』を嫌っていたし、その中には【変貌】が出るまでいい位置にいた金髪碧眼の連中も当然ふくまれていたが……
そういった背景はありつつも、一緒に飯を食って語らって、互いに褒めあったりしている相手というのは、簡単に『例外』になってしまうチョロさもあった。
そのチョロさたるや躍動軍と災厄軍のあいだでカップルまで生まれる有様で、俺もまた躍動軍にいる衛生兵(当時はそのような呼び名ではなかった。ようするに治癒魔術を扱える者だ)の少女といい感じの関係になっていた。
『金髪碧眼すべてを信じたわけではないし、長袖(高位神官のこと)を信じることは未来永劫ありえないが━━
それはそれとして、躍動軍はいいやつらだな!』
というのが災厄軍全体の見解だったと思う。チョロい集団だった。
だから、すっかり
毒殺未遂。
我らがリーダーが、酒杯に毒を盛られ、倒れるという事件が起こったのだ。