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第9話 『竜殺し』

【躍動】はそのものぐさ・・・・さと大雑把さから、『自然が壊れるなら、自然を壊す人を減らそう』と決定した始祖竜オリジンである。


 彼女は人を侮っている。


 まあ、それはそうなのだった。

 始祖竜からすれば、人など塵芥ちりあくたも同然であり、息吹の一つで吹き飛ばせてしまう脆弱な生命にすぎない━━というか『生命である』という認識さえ、ないかもしれない。


 彼女は『人生』を想像できない。


 彼女は『大事なものを奪われた者』の抱く感情を、それがどれほどのエネルギーとなるのかを想像できない。

 もちろん知識としては知っているだろうが、そこには実感、というか……【静謐】に言わせるところの脅威感きょういかんが伴っていないのだ。


 身籠った妻を【躍動】じきじきにさらわれた俺は、この時から強硬な『竜殺し』派閥に転化した。


 竜を殺し、妻と子を取り戻すことが人生最大にして唯一の目標になったわけである。


 俺が『竜殺し』の旗頭に祭り上げられるまでには大した時間はかからなかった。


 俺たちは『竜を殺す』という不義に対する言い訳をいつだって求めていたんだ。


 もちろん、例の『地龍の怒り』をはじめ、さまざまな自然災害があり、その被害者は各地に実在した。

 それら被害は始祖竜が裏で糸を引いているものに違いはなかったのだけれど、『始祖竜が大自然を使って人々に被害を与えている。これを止めるのに我らは始祖竜の打倒を〜』というのはいかにもわかりにくく、いまいち共感を呼びにくいものだったのだ。


 その一方で『始祖竜にさらわれた母子を取り戻せ!』というのは、わかりやすく、共感されやすく、目標として据えるのに明確で、『竜殺し』派閥はそれを使う・・ことにしたらしかった。


 当時の俺が意外であり心外であったのは、始祖竜教の連中もまた、俺の妻と子を使って派閥を盛り上げていったことだった。


 彼らの言い分によれば、俺の妻は『その熱心な信仰が認められ、始祖竜により保護された』という扱いになっているようだった。

 しかもここに『みなも始祖竜に祈りを捧げれば子々孫々にいたるまで始祖竜にその無事を担保してもらえる』という文言までつけてくるものだから、当時の俺はまず困惑して、しばらく絶句して、それからおおいに憤慨ふんがいした。


 始祖竜に連れ去られて無事もわからない妻の信仰心を捏造ねつぞうされたのだ。


 しかもさらった現場を見ていた俺の言葉など連中はいっさい無視をして、あまつさえ『始祖竜信仰のないあの男は、熱心な始祖竜教徒である彼女に見限られた。信仰心のなさを指摘され怒り狂ったあの男から、始祖竜は女性と子供を守ったのだ』と悪者にされたのだ。


 怒らない方がどうかしていた。


 いつしか、俺の中に、『始祖竜と、それを信仰する者は皆殺しにしなければならない』という使命感がわきおこった。


 それは底冷えするような『正義』だった。

 自分と対立するものすべてを悪とみなし、それを鏖殺おうさつすることの正当性を俺はたしかに感じていた。


 しかも始祖竜教徒を罰する・・・のは、妻子を連れ去られてから消えずにくすぶり続ける俺の憤怒や煩悶を、いっときだけでも癒してくれる、気持ちのいいことでさえあったのだ。


 俺は正義に酔い、正当なる行為という自慰・・にふけった。


 お飾りの旗頭だったはずの俺はいつしか『竜殺し』の切り込み隊長になった。


 怒り狂うところまでいっていなかった俺は、始祖竜教徒の心ない流言により、彼らの言うように怒り狂い、始祖竜教徒を絶対に許さないという意思を日々明確に示し続ける狂戦士となったのだった。


 同じ派閥の仲間でさえも俺を遠巻きにするようになった。


 代わりに一部からはほとんど神に向けるような崇拝を受け、特に若い世代には『派閥の名になっている竜殺しとは彼のことだ』というような、今思えばなんだかよくわからない賞賛ももらった。


 ……俺一人の怒りは集団に伝播し、集団からまた別の集団へと伝播した。


『大事なものを奪われたのだから、奪ったやつも、それに味方するやつも殺していいのだ』。

 そういう信念を行動と死体の数で示し続けた結果、俺の所属する集団の過激性は増す一方で、相手集団も防衛のために過激にならざるを得なかった。


『みんなの意思は二分されているけれど、関係のないところで自分たちは平和に暮らしたい』という、妻をさらわれる以前の俺も抱いていたような、当たり前の迷いさえも許さない世界になっていく。


 この世界に『第三者』はおらず、いるのは『味方』と『敵』であり、味方でないのなら、それは、敵なのだった。


 大自然のもたらす災害に殺されてたまるか、という『守り』の意思で団結したはずの『竜殺し』の派閥は、その属性をすっかり変えて、『竜とそれにまつわる者を絶対に殺す』という『攻め』の集団へと変容しきった。


 俺たちの過激さに賛同できない者は始祖竜【躍動】を頼って、『どうかあの危険な集団をそのお力で撃滅してください』と願うようになっていった。


【躍動】はといえば、俺の妻子をさらって以降、ずっと、静観を貫いていた。


 ……というか、まあ、たぶん、面倒くさいから、かかわらなかっただけなんだろう。


 そんな【躍動】がついに重い腰を上げて、俺たちの前に姿を現した時、俺は三十歳になろうかというところで、子があれから無事に生まれていれば、もう四歳か五歳にはなっているであろうという時期だった。


「はあ、いや、僕は人を間引こうとしてたから、君の活動は別にいいんだけどさ。気づいているかい? 君、災害と同じぐらい人を殺しているよ?」


 それは、俺とさしたるかかわりがなく、さらにものぐさ・・・・で滅多に他者に警句など告げない【躍動】の、精一杯の苦言だった。


 けれど、当時の俺にしてみれば、その言葉は、激しい怒りをさらに上の段階へ押し上げるものでしかなかった。


 ━━お前のせい、だろうが。


  お前が妻子をさらわなければ、こんなことにはならなかった。


 どうして竜の分際で人の人生をめちゃくちゃにして、こんな平気そうな顔をしていられる?

 俺たちは幸福だったのに。お前のせいですべてがおかしくなった。


 ただ、家族と、生きていきたかった、だけなのに。


 妻なんて小さいころから世話になっていた、兄も同然の人に店を乗っ取られて追い出された。早くに母を亡くした彼女にとって唯一の肉親であった父も、心労で早くになくなった。


 そんな人生のすえにようやく手に入れた幸せを壊したお前が━━


 お前らが、どの口で、俺に苦言を呈するのか!


「やれやれだ。言葉を冷静に受け止めることもできないのか。今の君を見ていると、【静謐】がかわいそうになってくるよ」


 当時の俺は【静謐】と自分との関係性についてなにも思い出していなかったから、言われている言葉の意味はわからなかった。


 ただ、【躍動】がまるで他人事と言わんばかりの顔で、さも親切そうに俺に苦言を呈しているその様子が、果てしなくムカついた。


 ━━俺の憤怒は。


 関係のない部外者たちが、好き放題に妻や子や俺にまつわる話を捏造し、騒ぎ立て……

 不利になると、『自分たちは被害者だ』と言わんばかりの顔をして、始祖竜に助けを求めたこと━━


 そうしてすべての原因であるはずの始祖竜【躍動】が、自分はなんにも関係ないみたいな顔をして、平気そうに俺の前に現れたこと━━


 俺の要求はただ一つ。

 自分のやったことから、逃げるな。自分がどれほどひどいことをしたのか、忘れたかのように振る舞うな


 お前らは『悪』だ!

 責任を感じて、悔やみながら死ね━━!


 ……この時の、激しい怒りが臨界点を超えた感覚は、よく覚えている。


 すべての音と思考が消え失せ、景色さえも真っ白になった。


 そして、次の瞬間、『竜』にまつわるあらゆることにかんして、すべての人々が抱いた怒り、恨み、悲しみ、絶望が、俺のもとに集まってくるような感覚があった。


 それは快楽だった。


 自分という存在がどこまでも拡張して世界につながる感じ。自分が人の域を超えて始祖竜と同じかそれ以上の格にまで上り詰める全能感。


 そうして俺は、理解した。


 自分こそが『災厄』。


 人より出でて世界を滅ぼす、世界の・・・自殺因子・・・・


 すべての人の理不尽なるものへの怒りの代弁者、第二災厄【憤怒】はこうして誕生した。


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