三十年も生きられると思っていなかったので、『思っていたよりいい人生だな』と言った。
そうしたら「そんなわけあるか」とキレられた。
それが前世最後の日の記憶の始まりだった。
「三十年!? 冒険者でもなんだかんだ最低でも四十年は生きるっていうのに、三十年で満足!? アホか!」
いや、でも……とか、そうは言うけど……とか、そんな気弱な相槌を打ったような気がする。
前世の俺は(今生で変わってるわけでもないが)、押しが弱い、どちらかといえば内向的な性質だったのだ。
対して
それは押しが強いとか、思ったことをハッキリ言うとか、そういう、俺が憧れてやまない、素敵な強さを持っていたのだ。
「あなたはもっと幸せに長生きしてよかったに決まってるでしょう!? だってあなたは『災厄の呪い』を全部一人で引き受けた英雄なのに! それが、なに!? こんな
こうまでさんざんに言われてしまうと、心情的にかばってしまうというか。
国も悪くはないよ。ほら、『災厄の呪い』を引き受けた存在とか、近寄りたくない気持ちはわかるっていうか……などと言ってしまう。
それが彼女の怒りをさらに燃えたぎらせるとわかってはいるはずなのに。俺にはどうにも、そういうところがあるのだった。
「ああ、そうですか」
彼女の声が一瞬で冷え切った。部屋の温度もたぶん下がっている。
『呪い』の影響で皮膚の機能がなくなっていて、もはや俺には暑さも寒さもわからないけれど、経験上、彼女はきっと凍りつくような怒りを抑えるのにだいぶ苦労していて、抑えきれないで部屋を極寒にしているのだろうなというのはわかる。
「あなたは『呪い』がそんなにお好みですか」
そういうわけじゃあないんですよ。そういうわけじゃあ、ないんです。
でもほら、状況? 状況がね? もう、しょうがなかったっていうかさ。
俺一人が呪いで死ぬだけで百万人ぐらいが助かったわけだし、
自然の摂理っていうの?
「
どうにも俺は口を開くたび彼女の逆鱗をゴリゴリやっているらしい。
出会った当初からそういう感じだった。俺は彼女を怒らせて死ぬような目に遭う。彼女は常に自分を不機嫌にさせる俺を嫌う。
そうやってケンカとも呼べないことばかりしてきた。二十年間ずっとだ。
きっといつか俺は彼女を本気で怒らせて殺されるものと思っていたし、『災厄の呪いを一身に引き受ける』と提案した時も、『勝手になさい』と軽く言われるものと思っていた。
ところが最後まで俺の決断に異を唱え続けたのが彼女で━━
最後まで横にいてくれたのも、彼女なのだった。
竜という連中は、本当に気難しい。
超越存在……
「あなたが言葉の通じない間抜けであることは理解しているつもりでしたが、よもやここまでとは思っていませんでした。失望しました。ええ、失望しましたとも」
まだ失望されきっていなかったことに軽くおどろいてしまった。
だって俺というやつは、こんなふうに始祖竜と言葉を交わすことを許されている栄誉さえまだ受け止めきれていないというのに。
話すたび怒らせて、とっくに失望は底の底まで行きついていると思っていたのに。……まだ、失うほどの望みがあったとは。
「あなたは自己客観視能力を母親の胎の中に置き忘れたようですね」
さすがにそれは『いやあ、どうだろう』と抵抗する。
自己客観視できなかったら、自分を差し出して人類を救おうなんていう決断はしなかったと思うよ。
むしろ、俺一人の犠牲で済む安さを、俺はよくわかっているんだと、誇ってしまってもいいぐらいではないだろうか。
「よろしい。あなたにお望みのものを差し上げましょう」
始祖竜は笑うような、軽やかな声で告げた。
……彼女の怒りには段階がある。
それはこうして人間のような姿をとっている時には顕著にわかる。
つまり、勢いこんで怒声を撒き散らしている時はまださほど怒っていなくて、声音が冷えて表情が消えたらマジで怒っていて━━
歌い上げるような軽やかな声になったら、超やばい怒ってる。
そういう段階が、あるのだった。
さすがにここに来て俺もひどい
始祖竜に数えられる連中は誰もが強大な力を持っている。
俺への怒りの余波で大陸を吹き飛ばしかねない、そういうレベルの力だ。
その権能名にして尊称を【静謐】。
七柱存在するという、世界の真の統治者のうち、一柱なのであった。
しかしどれだ? 俺はなにを言ってしまった?
あ、アレか。
いやその、ほら、自然の摂理を語ったのは謝るよ。
言葉のあやっていうやつで、偉大なる始祖竜に本気でそんなものを説こうとしたわけじゃ……
「黙れ」
そう彼女が言葉に力を込めると、俺の口から一切の音が出なくなった。
『静かにする』ことすべて、彼女の意のままに行える。
大した力もない、しかも呪いを受けて弱りきっていて今日にも死にそうな俺ごとき、指先一つでこのまま永眠させることさえできるだろう。
けれど、そんな彼女でも、『災厄の呪い』を引き受けることはできない。
人は始祖竜などの『大自然』には勝てない。
けれど、始祖竜などの『大自然』は『災厄』を前には無力になってしまう。
そうして始祖竜の前では
この世界はそういう仕組みで成り立っている。
だから、まあ、そうだな。
これだけは、はっきりと声に出して言いたいのだと目でうったえて、発言を許してもらって、確かに、こう述べたんだ。
君は俺が『いい人生だった』と満足して死ぬことに不満なようだけれど、でも、『災厄』を祓い終えて、君が生きている。俺が呪いを引き受けたから、だ。これぐらいは誇ってもいいだろう?
だから━━
「君を救えたんだって、誇らせてくれよ。それが俺の最期の願いだ」
「……戦いで負った傷を誇るような、半端な自慢はしないようにと育てたつもりでいたのですけれどね」
まあ、誇りでもしなきゃ実際やってられないぐらい、痛くて苦しいだけなんで。
いいじゃないか、傷や痛みに意味を見出したって。
『大事なもののために負ったんだ』って思えないんじゃ、耐えられないぐらいに痛いんだよ。さっさと死んでしまいたいぐらいに苦しいんだ。
でも、俺がさっさと死んだら君が許さないだろうから、こうしてどうにか、生きているわけで。
まあこのまま人類の平均寿命ぐらいは生きる覚悟もあったわけなんだけれども。
最近はもう、立ち上がることもできないし。食事は喉を通らないし。たぶんそろそろ、死ぬんだろう。
だから、我が姉も同然の存在にして、俺が人生で唯一恋焦がれた女性のあなたに、一つだけ、お願いしたいんだ。
どうか、最後は笑って見送ってほしい。
あなたの口から聞こえてくるのは憎まれ口ばかりで、俺もそのぐらい嫌われてるつもりではあったんだけれど……
それでも俺は、あなたが好きだったんだ。
だから、あなたを守れたという勘違いに浸って、いい人生だったなと満足して逝くことを許してもらえはしないだろうか?
「嫌です」
えぇ……
「竜を愛した男の末路は、もっと悲惨なものなのですよ。吟遊詩人に習いませんでしたか?」
悲惨さにかけてはわりと自信があります。
ほら見てくれよ。皮膚はもう隙間なく呪いに侵されて呪印まみれで、体は痩せほそってるし、呼吸のたびに腐った骨が肺を引っ掻くんだぜ。どうよ。
「足りません」
マジかよ。
「そうですね、こうしましょう。あなたは私を私と知らずに出会うんです。そうしてしばらく交流があったあと、正体を明かされる。人だと思った相手が竜だというのは、なかなかどうして、恐怖体験だと思いませんか?」
……ああ、うん。
相手が始祖竜の、しかも【静謐】だとあとから知らされたら、それはとても肝が冷えると思う。
俺は絶対にまずい言動をする自信があるもの。俺のそういう迂闊さが世界の命運を左右しかねなかったっていうのは、もう、どうしようもないほど、恐ろしい。
「しかし、あなたはもう、竜から離れられません。そんなことをしては、竜が機嫌を損ね、世界が滅ぶかもしれませんからね。そうしてずるずると付き合ううちに、あなたは愚かにも、竜とのあいだに子が欲しいなどという、恐るべき考えを抱くでしょう」
自然現象の具現化と言われる超越存在とのあいだに子か……
それはたしかに、恐るべきことだ。
『湖に惚れた男』だの、『森に愛された子』だの、自然と人とがかかわった物語は、たいてい末路が悲惨なものだ。
そこに始祖竜を持ってきちゃうのはなにが起こるか想像もつかないな……
「そうしてあなたは、その後のすべての人生を始祖竜に捧げるのです。しかも、我ら始祖竜は世界の始まりから未来永劫にいたるまで生き続けますから、普通の一生ではとうてい、『捧げた』と認められないでしょう。最低でも六十年、まあ、長くても百年ぐらいで勘弁してあげましょうか。子が親になり、親が祖父母になり、さらに曽祖父母になるほどの時間を、あなたは捧げねばならないのです」
なんていう恐ろしい話だ……
人の寿命がせいぜい六十年、稼業によっては四十年だっていうところを、百年も尽くさないといけないのか……
どれほどの重犯罪者であろうとも、そこまでの懲役は課されないだろう。
しかもその生活は
「これがあなたにふさわしい、末路です。ですから、三十年ぽっち、呪いに侵されて苦しみながら死ぬというのでは、とうてい、足りません。あなたは私に尽くすため、健やかに長く生きねばならないのです」
ああ、身の程を知らない愛を抱いて、申し訳なかった。
俺の力では、どうしたって、そこまでの末路にはいたれない。
「ええ、ですから、愚かにも、脆弱なその身で竜に愛をささやいたあなたに、呪いを差し上げましょう。次の人生が、今述べたように、悲惨になる呪いです。好きなんでしょう、呪い」
好きではないです。
まあ、竜の呪いなら、その限りではないけれど。
でも、俺の呪い用受け皿はもう満杯どころかあふれているレベルで、そんな
「仕方のない人ですね。こちらで少しだけあなたの呪いを引き受けて場所を作りましょう」
━━それは。
死にかけた全身に不意に力がこもった。彼女にそんなことをさせるわけにはいかない。こんな汚いもので彼女を
けれど俺はもうどうしようもないほど弱々しくて、彼女が寝ている俺に覆い被さるように口付けし、
覆い被さったままの彼女が、言う。
「きっと誰もあなたを語り継がない。けれど、私が覚えておきましょう」
……視力はもうない。
彼女の美しい姿ははっきりと見えず、ただ、その全体がぼやけて、あわく光って感じ取れるだけだった。
たぶん彼女が肩に手をおいているのに、それも、あわい光でそうわかるだけだ。
口づけの感触さえもわからなかった。唇から俺の呪いが彼女に流れていくことがわかるだけだった。
でも、耳は無事だったし、声もどうにか、強がって強がって、痛みに泣きそうになりながらも、出すことはできた。
だから、最期に彼女と言葉を━━約束を交わせる幸運に、感謝した。
「あるいは、あなたも、あなたを思い出せないかもしれない。けれど、私が覚えています。あなたに流し込まれた穢れの痛みは、永遠に私の中にあり続けるから」
俺が主体性を持って流し込んだみたいな言い方はやめてほしいと思った。
けどまあ、『動けないところを無理やり覆い被さられて吸い取られました』というのはどうにも情けないので、抗議はしないことにした。
「さようなら、ただの隣人。あなたの愛を私は認めません。あなたのことを私は誇りません。けれど、覚えておきましょう。竜に呪われるに足る愚か者がいて、それはどうにも、もっともっと酷い末路を望んでいたということを」
うん。
とびきりひどい末路がいい。
尽くすのは百年でも二百年でもかまわない。
愚かにも竜とのあいだに子を欲しいだなんてことも望んでしまおう。一人二人じゃなくって、もっとだ。
そうして竜とヒトの子は世に放たれて世界をめちゃめちゃにするのだ。なんて恐ろしい末路だろう。俺一人の身にとどまらず、世界にさえ影響してしまう。
それを、望もう。
きっと俺も覚えている。
忘れてても思い出す。
思い出す。
思い出す。
……そうして、思い出した。
「お前、【静謐】?」
……それは、これから学園で寮生活をする娘を送り出したある日のことだ。
大荷物を持って出ていく一番上の娘を見送っていたら、不意に、こんな前世が頭をよぎった。
隣にいる伴侶が、無力な者を見下すような傲慢な顔を作って、言う。
「今生で私と出会って二十年ですか。思い出すのが遅いのでは?」
どうやらいつの間にか俺は、竜に囚われていた。
いや。
その。
思い出さなかった俺も悪いけどさ。
言えよ!