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17:仲間と共に歩む道

 旅立ちの日。


 ミラベル討伐後、スカーレット城の町で瞬く間に噂になったリリシー一同は、すぐ近くのファルハの町に身を移し、宿をとった。

 かつての姿を取り戻した水城だが、今も火守り達は念の為と魔物避けの松明を灯し続け、皆の呼び名は炎城のままで統一されている。

 跡継ぎを失ったスカーレット王家は、近隣国の王室らがスカーレットと縁の深い者を辿り、何とか穏便に跡継ぎを選出するという噂が出始める。

 なんにしても、町人は新しい顔が来るとあって期待値も上がる一方のようだ。

 炎城の町は浮つき、飲食店では三日三晩飲み明かす者も多く、大通りは二週間もの祭り状態が続いた。


 そんな中、リリシーは人前に出ることを拒んでいた。リリシーにとって恐怖なのは、飛竜一族という出自と、黒魔術による身体的な構造の話題である。

『飛竜一族の一人が炎城で魔族討伐をした町』という事は、いつか親族に話が流れるだろう。だが、自分が黒魔術に手を出し、悪女とは言え飛竜を使って王族に手を出したなど知られては旅も危うい。

 そもそも世界中を飛び回る一族だ。いつ炎城にも立ち寄るか分からない。無理にリリシーを連れ戻したりするような親族では無いが、それでも今の自分の噂が流れるのは抵抗があった。


 城下町の家族に別れを告げて来たエミリアとノアは、ファルハの町で旅の道具一式を見繕って荷物を纏めていた。

 クロウはリリシーにヴリトラを借り、雪山の穴蔵から鍛治道具を運び出す。

 次の目的地、カイリの港町の付近で再び人目につかぬ場所を見付け、引こもるつもりだ。

 ヴリトラはクロウとも長い付き合いの為敵意は無いが、どうも自分より下位の者と認識している節がある。リリシーの姿が目に付かなくなると、尾先でクロウの足をかけて転ばせたり、仮眠中に奇声をあげたりとイタズラが絶えない。


 クロウは一足先に目的地入りとなる為、故に旅はリリシーとノア、エミリアの三人での始まりとなる。


 だがその前に、リリシーにはやる事が残されていた。

 雪山へ向かう途中、リリシーはヴリトラの背からクロウと別れ、エルザのダンジョン入口に降り立っていた。


 山肌に突如現れる石造りの通路。

 簡素な造りだが、不自然な程人の手が入っている広い通路。


『あらら。薄情な連中だな。ミラベルが死んだら、全員しっぽ巻いて逃げたみたいだぜ』


 オリビアの言う通り、静寂に包まれ呻き声一つしない。

 以前のダンジョンは、少し覗いただけで人を引きずり込む闇が蠢いていた。比喩ではなく、人を誘い、餌にする闇のエネルギーがいたのである。


「ここは昔炭鉱で、手彫り洞窟だったってノアから聞いたけど……。そんな感じじゃないよね」


 炭鉱夫を引き上げさせる時、ミラベルが独断で整備をさせたのだろう。

 床まで平らに石が敷き詰められている。


『魔物の中には飛べないやつもいるのに……どうやって帰ったんだろうね ? 場所を指定されて御使いに出される魔物ってのは、他所のダンジョンなんかには行けない呪縛があるんじゃないのかい ? 』


「それはあるかもね。現に、この辺りの魔物はそう強くないし。山の反対側は土竜種がいたけど、平原では強い魔物って居なかったもの。不自然だわ。

 最高峰レベルのエルザのダンジョンは確かにレベルは高かった。でも、他の有名なダンジョンに比べて、周辺が平和過ぎる。生きにくい環境でも無いのに。

 きっと魔物は外に出れない術か何かがかかってたんだわ」


『それをミラベルが管理していた、と。

 このダンジョンの『最高峰レベル』は、まさに作り物だった訳だな』


「ここにいた魔物が外に出たなら危険だわ」


『ギルドに警告を出してもらった方がいいかもね』


「うん。

 それにしても、入った時によく見ておくべきだったよ。綺麗すぎるもんね。元が炭鉱だと知っていたら、尚更おかしいと気付けたのにね」


 ガイドブックには単純に『世界最高レベルダンジョンの一つ。レベル稼ぎ ! 力試し ! 魔王大陸に行く前はここで腕試し ! 』などと言う謳い文句が軽々しく載っていたのだ。


『まさにミラベルの作った『冒険者ホイホイ』だ。見ろよ、壁に虫の一匹もいねぇ』


 入口は小綺麗で入りやすく、中に入ったが最後。奥で構えているのは、誰も逃げ出せない程ハイレベルな魔物と……水精霊の呪いを受けた毒湖だった。


『ま、あたしらはその作り物のダンジョンで死んだ訳だけどね』


『それを言うなよ〜……こうやってリリシーが骨を拾いに来てくれたんだからよぉ』


 目的の一つがこれだ。

 あの日、半狂乱になりながらこのダンジョンを後にしたリリシーがやり残した事。


「行くよ」


 リリシーが腰のダガーを抜く。


 シキンッ !


「火の精霊よ、灯火を分け与え給え」


 ダガーがオレンジ色に光る。光の精霊は白魔術師の得意分野だが、魔法使いの基本知識で学ばされる。だが、身体が呪われた今、最早『ライト』の魔法は使えない。今は火の精霊頼りになる。

 リリシーが中へ入る。

 冷たい空気。

 淀みは無く、内側から外へ風が吹き抜けていくのを感じる。

 光量が少なく、奥まで見える訳では無いが中は一本道のはずだ。真っ直ぐ地下へと向った。


「ウィンディが言うには、地底湖から出れる他の通路があるんだって」


『あったか ? 隠し通路かぁ ?

 エミリアには悪いけど、あの精霊も勝手だぜ。湖に人が来たら毒が出るとか、悪質過ぎねぇか ? 炎城に恨みがあるなら、炎城でやれって思うぜ』


「精霊はそんなに人間の個を考えないよ。善悪の判断くらいはするでしょうけど、それはわたしたち人間の尺度とは少し違うわ」


 しばらく歩くとすぐに他の冒険者達の骨や遺留物が地面に見えて来る。


『ほんとに……作り物ダンジョンでやられたなんて、こいつらも浮かばれねぇだろうな』


『だから、あたしらも一緒だって。何他人事みたいに言ってんだい』


『俺らはリリシーの中にいるし、別に浮かぶとか無いから』


「ごめんね、浮かべ無くて。わたしもあの時は……」


『『いやいや、別にいいんだって ! 』』


 魔物のいないダンジョンはなんとも容易く歩くことが出来る。あっさりと地下二階に辿り着いてしまった。

 地底湖が姿を現す。


「確かに……別の場所から空気の流れを感じる。火をつけても大丈夫そうだね」


 背に括り付けて来た荷物から、松明の束を解き、短い感覚で地面に刺し灯していく。最奥の岩陰に、小さな戸板が見えた。恐らくその先がウィンディの言ったもう一つの通路なのだろう。

 リリシーがそっと先を覗くと、ようやく炭鉱を思わせる岩肌と土が剥き出しの細い通路を確認できた。魔物の気配は無い。

 行きの通路で隠し通路を見かけなかった事を考えると、出口は自分たちの入った場所とはズレた位置に出るのだろうと予想する。


「帰りはこっちに行ってみようかな。

 さてと……」


 松明の橙色が鏡のような水面に広がる。

 恐らく、日の当たる場所に存在すれば美しい蒼色の湖なのだろうが、場所が場所だけに底も見えず水の流れる音すらしない。水面に魚が上がってくる気配もなく、単純に言うと不気味な湖だ。

 リリシーが覗き込むと、ただ自分の姿が写るのみ。

 鎧とブーツを脱ぎ、持ってきた荷物から厚手の編み靴下を履き、そっと水面に足をつける。


「冷たい……」


 空気球を頭に被り、魔法の灯火のついたダガーで照らしながら、ゆっくり水中に入る。荷物を背に抱え直し、冷水に身体を慣らす。


『もう俺たちの……無いかもだぜ ? 』


『時間も経ってるしねぇ』


『んー。それに、なんか……あんま覚えてねぇや。なんでだろ』


『ああ。正直言うと、あたしもリリシーが水の中に行った後の記憶は曖昧だねぇ』


「そうなの ? ……ちょっと安心した。そんな事、覚えてて欲しくないし」


 静かに。

 藻掻きもせず。

 暗い暗い水底へ。

 水を吸ったローブと荷物の重みだけで沈んでいく。


『まぁ、身体なんて……無いなら無いでいいよ。左腕はあんたにくっ付いてるしね。

 しかしまぁ、なんでオリビアだけ胴体ごとだったんだい ? 』


「生贄が自分の半身ほどって書いてあったんだけど……焦って頭部に呪文を描くの忘れて……」


『マジか !! だっせぇ !! 』


「頭がそのままで成功したのは、運が良かったとしか……」


『血生臭い術だねぇ。

 にしても、成功してたら顔も胴体もオリビアで、下半身だけ女になってたわけかい ? ゾッとするね……』


「あはは ! 結果オーライかな。エリナみたいにわたしはおっぱい無かったしさ」


『そう言う問題かい…… ? 』


「魔術書を読んだ時はわたしもびっくりしたな。精霊の力を一切必要としない魔法なんて考えられないもの」


『ま、俺は現状満足だぜ。あの世に行くにゃ早すぎる。リリシーといれば旅は続けられるしな』


『あたしも嫌だとは言ってないさ』


「あった。祭壇 ! 」


 朽ちたハーブの束。動物の骨。何かの小瓶、それらが並んだ水中祭壇。


『へぇ……これが。気味が悪いねぇ』


 その下。

 足元に自分達の亡骸の一部がある事を確認する。

 リリシーの遺された方には、びっしりと魔術文字が浮かび上がっていた。


「……」


 一気に頭から血の気が引いて、その勢いに首の血管が張りツンッと痛む。

 自分が何をしたのか、改めてその惨状を目の当たりにして恐怖する。

 自分の胸部と、オリビアとエリナのむごい姿。

 一度は生唾を飲んだが、すぐに荒い呼吸で口がカラカラになる。


 失った事を受け入れ、仲間を想い、丁重に葬る事を考えられなかった過去の醜い自分が恥ずかしくて仕方がなかった。


『もう、確認できたし……な ? 』


『ああ。このままでいい。リリシー、上に上がろう』


 リリシーの動揺を二人も感じ取っていた。


「だ、大丈夫。流石に引き上げるのは無理だけど……用意してきたし ! 」


 荷物をそっと水の中で開く。中身は畳まれた埋葬布だ。取り出して広げるが、なかなか思い通りにはいかない。


「み、水の中って難しい ! 」


水の精霊ディーネルの魔法でなんか無いのか ? 』


「えー ? 水圧無効とか ? あれはわたしの身体にしかかからないよ」


 モタモタと波打つ布と格闘しながら、何とか全てを包み終える。


「いつか、この水が枯れる時が来たら、全てが明るみに出るね」


『魔術書は燃やしたんだろ ? 』


「燃やしたけど……わたしの頭の中に入ってる」


『……』


 それはいつか。

 二人を解放する時の為にと読み始めた事だが、結局解除する術は記載されていなかった。取り返しがつかない魔術なのだろう。呪いとはそういうものだ。

 だがそれを知って尚、リリシーの魔術書を読み込む手は止まらなかった。

 一度覗いてしまった、おぞましく残酷で非人道的な禁術の数々。

 魔法使いとしての好奇心か。

 人として弱い心の渇望か。

 リリシーがこの先、一度も黒魔術に手を出さない保証などどこにも無い。


 次に、取り分けた遺品を整理する。

 エリナが希望したのはペンダントだ。

 棒状のペンダントトップに、小さな魔法石が付いた物。

 エリナは敵を殴る拳に、属性魔法を付与していた。魔法は上達しなかったエリナだが、属性攻撃を上乗せしただけでも驚く程威力が上がるのだ。


 リリシーはそれを首にかける。


『あぁ。やっぱり自分の魔法石だと魔力の流れが違うのを実感するね』


「うん。わたしも感じる。左腕の魔力が今まで以上に循環してる」


『リリシーの魔法石と喧嘩したり、相性とか無いもんなのか ? 』


「無いみたい。むしろ、わたしの魔法石ではこんなにエリナの腕に魔力が馴染まなかった」


『へぇ〜』


 次にオリビアのリクエスト。

 身に付けていた槍装備数本の中から、スピア一本を選んだ。比較的細く、持ち歩きに不便にならない程度の物である。

 だがそれも背の低いリリシーに背負わせれば引き摺ってしまうため、これは一度クロウに預ける事になる。

 故郷では馬に跨り、騎馬兵をしていた家系のオリビアだ。恐らく、より重厚なランスと盾を選びたい所だろうが、リリシーの動きの妨げになるようでは意味が無い。筋力よりスピード重視のリリシーだ。馬が無くとも、リリシーなら風に乗れる。


『よっしゃ。これでバッチリだな ! 』


『ああ ! ドンと来いだ。もっと強い奴を殴れるよ ! 』


「ふふ。ありがとう、二人とも。

 ……こんなのを見ても、一言もわたしを責めないんだもん……優しすぎるよ……」


『……。

 いや、俺は……よく覚えてねぇけど、なんか悔いが残る死に方だった気がするんだ。だから旅が続けられてラッキーだと思ってるくらいだぜ』


『あたしは死に方には拘らないね。ただ確かなのは、これからもこの拳が振るえるって事さ ! これ以上幸せな死後があるもんか ! 実体があるんだよ ? 普通は考えられないことだからね。

 禁術なんか、悪用しなければ魔法と同じじゃないか。

 また一緒に旅できて……嬉しいよリリシー』


「……うん」


 本当にそうだろうか。

 リリシーの中ではモヤモヤとした気持ちは晴れなかった。


『今のリリシーの仲間はエミリアとノアだろ ? 俺たちゃ付属品でいいんだよ』


『馬鹿だねぇ〜。そもそもそんな言葉が出てくるあたり、僻んでるのがバレバレさ』


『あんだとぉっ !? 』


「んもう !! うるさい !! 」


『『……すまん』』


「こっちも終わらせないと、そろそろ息苦しくなって来たし」


 リリシーが次に手を伸ばしたのは、スカーレット王の棺である。


「あの時、開けっ放しにしたままだったから気になってたけど、無事で良かった。流されたりしてたらどうしようかと思ったもんね」


『はは。そりゃ気の毒になっちまうな』


『じゃあ、早速 ? 』


「そうだね。これが一番だと思うし」


 最後の荷物。

 麻の袋と、布に巻かれた棒状の物。


 麻の袋の中身はヴリトラから回収した糞を水に晒した物だ。排泄後、内容物が存在する事を確認してから全てを袋に詰め、川に晒すと三分の一程の量に減った。

 ミラベルには申し訳ないが、食べられてしまった以上こうするしか無かった。

 中をしっかり確認した訳ではないが、一番上にあった骨を分骨し、残りはスカーレット王の棺に入れる。


『動物の骨だったりしないのかい ? 』


「大丈夫。髪飾りが混じってたから間違いないと思う。

 棺を分けたかったけど仕方ないね」


『城に頼んでも、墓なんて上等なもん建てて貰えねぇだろうしな』


 分骨した骨は布に包んでポーチに入れる。


「いつか藤色の桜の下に」


 最後は布で巻かれた長い物体。

 これはかつてノーランであった、杖である。


「こんな寂しい場所に……ごめんね」


『墓は建てるってジリルが言ってたんだろ ? 』


「うん、形だけね。でも、この呪われた杖を町の中に埋葬する訳にはいかないって……仕方ないね」


『呪いを解くことは ? 出来ないのか ? 』


「この杖がノーランが変身してるって事なら出来るんだけど、生贄になったものはどうしようもないよ。魂が入っている訳じゃ無いもの……」


 一つの棺に三人を弔う事になる。

 町に置いた所で丁重には供養されないだろう。良くて『封印』という形を取られるのは目に見えているし、盗まれて悪党の手に渡っても面倒だ。


 リリシーは王の棺に納まった麻袋と、布に巻いたノーランの杖を眺めた。

 王の指には以前と同じく、賢者の石がある事が確認できた。持ち主にしか影響を与えない石だ。決してミラベルとノーランの亡骸に影響を与えたりはしない。


 横にズレていた棺の蓋をスライドさせるように動かしていく。

 ここで賢者の石がリリシーの手に渡れば、石は持ち主をリリシーと判断するだろう。

 持ち主をあらゆる危険から守り、どんな呪いすら跳ね返す希石。

 リリシーはそのゴツゴツした指に存在する、大きな石を見つめ、手を止めた。


 もし今、その指輪を手に出来れば、たちまち黒魔術の呪いが解ける。

 杖になったノーランの魂は既に天に昇ったが、自分たちは別だ。

 オリビアとエリナの魂は解放となり神の国へ召される。リリシーも元の姿に近い形で再生する事が出来る見込みがあるのだ。


 ゆっくりと手が伸びる。


 □□□□□□□□


「リリシーは大丈夫かしら」


 準備の済んだエミリアとノアはファルハから移動魔法を使い、エルザの麓の村を目指す予定だ。

 エミリアは購入した薬草を、一回分ずつ紐で束ねる作業をしながらぼんやりと窓の外を見る。


「なんで ? 地底湖に辿り着けないかもって事 ? 」


「違うわよ ! そうじゃなくて ! そこには仲間の身体とか……まだあるんでしょ ? 」


「??? それを埋葬しに行ったんじゃん ? 」


「あんた、それでリリシーがなんとも思わないと思う ?

 なんて言うか、大事な人が亡くなったのを二度も目の当たりにする事になるのよ ?

 今のリリシーの精神衛生上、良くない気がするのよ」


「でも……このまま置いてく訳にも……。

 あそこ、封鎖されるって言ってたじゃん」


「……そう……だけど……」


 エルザのダンジョンは封鎖の予定にある。


 名目上はスカーレット家の墓廟として、教会の者達が祈りを捧げ、神域として管理する……というものだ。


「もう二度と入れない訳だし……仕方ないかもだけど。

 でも……正直、異常よ。リリシーの中に何人もいるなんて。本当に魂なの ? リリシーが作り出したモノなんじゃないの ? 」


 エミリアの心配は最もである。これは当初、ノアも不安視していた問題だ。


「でも、それが無かったら……余計にリリシーは……。

 僕らの知らない土地の魔術なんだから、やっぱり魂なんじゃないかな。本当に別の人の身体が繋がってるじゃん」


「……」


 エミリアは言い出せなかった。

 もし、本当に魔術によってリリシーの中にオリビアとエリナの魂が吸収されたとしても、それは自然の摂理に反する行いである事に変わり無い。不摂生なエミリアだが、彼女の根っ子にあるのは『騎士団長の孫』というのが相応しい神経質な部分があるのだ。

 しかし、自分と面識の無い仲間の存在を、出会ったばかりのリリシーに対して諭す事は難しいとも感じていた。


「リリシーは十分後悔してるし、反省してるよ。今は見守ろうよ」


「そうね……。でも、だからこそ……今、地底湖に行って……そういうのを見たら……」


 発狂してしまうのでは、という不安。


「か、考えすぎだよ……」


「だといいけどさぁ。

 さ、用意出来たわ ! 行きましょ ! 」


「……エミリーこそ、移動魔法なんて大丈夫なの ? 難しいんでしょ ? 」


「う……。リリシーに教わったし……ほら ! 数キロ毎に分けて移動するから」


 そう言い、エミリアは大量の魔力回復剤の小瓶を見せる。

 ノアは不安で仕方がない。


「高速馬車なら一日かかるけどちゃんと着くし、そっちの方が……」


「……あたし馬車酔いするのよ……」


「……んもう。酒には強いクセに ! 」


「うるさいわね、クソガキ ! 飲んでると揺れが効くのよねぇ……頭グワングワンしちゃうから」


「薄着の酔っ払い怖すぎ。変なとこにワープしたらどうするのさぁ」


「五月蝿いわねぇ。大丈夫よ」


 □□□□□□


 リリシーはふと我に返ると手を止め、棺の蓋を正しい位置に合わせていく。


 恐らくは、賢者の石を手にする方が正しいのだ。

 それが盗みであっても、に他者の魂を閉じ込めているより、ずっと健全で人道的である。

 しかし、リリシーにはまだその度胸が無かった。二人の魂も現状維持を望んでいると言うことを言い訳にして。

 地獄の様な経験が、本当にリリシーを地獄に堕としてしまった。


 今なら賢者の石を使い、魔術によって呪われた身体を修復出来るというのに、敢えてその選択はしない。


 この先何度も黒魔術に対して、その継ぎ接ぎだらけの呪われた身体を後悔するだろう。

 その覚悟を決める。

 オリビアとエリナに対する罪悪感。

 それらを共に、命尽きるまで二人を身体に入れておく自分のエゴ。

 全てが自分の業になる。

 この真実から逃げない事を強く誓う。


 棺の蓋がぴったりと閉じ、沈殿していた泥が水に舞い上がる。

 釘は無いが、水圧と水を吸った木製の蓋は浮き上がることは無かった。


「スカーレット王。二人をお願いします。

 ミラベル……ノーラン……さようなら……」


 リリシーは棺から離れ、トンっと軽く踏み込み水面を目指す。


 ザブ……


「フゥ……」


 空気球を解除し、新鮮な空気を吸う。


「おう」


 地底湖の畔。

 クロウが覗き込むようにして立っていた。


「クロウ…… ? ヴリトラは ? 」


「今、荷物積んできたところ。アイツは外で待ってら。

 ……戻ったな」


「……うん」


 ザバ……


 差し伸べられた手を握りながら、リリシーは自分の心臓が跳ねるのを感じた。

 何を危惧されて、何故クロウがここに立ち寄ったのか……自覚があったからだ。

 まさに今、賢者の石に目が眩みそうになったリリシーの心の弱さ。

 クロウはいつもあんな調子だが、完璧なリリシーの守護者であり理解者でもある。


「なによ。わたしは大丈夫よ。

 はい、これ ! オリビアのスピア ! わたしの背丈に合うようにしてね ! 」


「はぁ !? 仕事増やすなよ !! おめぇの鎧も軽量化しなきゃならねぇのに ! 」


「鍛治屋でしょ ! 」


「ったく。

 ほれ。ローブの替えも繕ってきた。風邪引くから早く着替えろ」


 リリシーは自分の感情を誤魔化すように、ローブを差し出したクロウから、苛立った様に奪い取った。


「どうせ暇なんだからいいでしょ。ノアとエミリーの武器もお願いね !

 わたしは初心者二人を連れて向かうんだからね ? かなり時間かける予定だから、急かさないように ! 」


「あいつらが初心者ぁ〜 ? トラブルメーカーの間違いだろ。問題無く辿り着くとは思ってねぇよ」


「旅の経験は濃い方がいい、簡単だと油断したら足元掬われる……」


『オリビアの言葉だよな。元は親父さんの受け売りらしいが……よぉく身に染みるぜぇ』


「エミリーには魔法を教えないといけないし、ノアは実践でどう使うか……」


「ギルドに盗賊シーフの申請通ったか ? 」


「まだ。未成年の盗賊って、親やパーティの人間以外の大人の保証人が欲しいんだって。犯罪者にならないように審査が厳しいみたいで」


「まじかよ !! めんっどくせぇぇぇ !! 既にヤリまくってんだろアイツ」


「麓の村酒場で働いてたから、そのオーナーのお爺さんに頼むって。

 わたしも、ここから出た時お世話になったの。何も言わずに出てきちゃったから、丁度いいかなって。

 そこが出発点になるわね」


 新しく発見した、戸板の先の粗雑な道に入る。

 リリシーが最後に地底湖を振り返り眺める。

 エリナとオリビアは何も言わずに見守るだけだ。

 リリシーの深い後悔と自責の念。

 誤魔化しでも、それを忘れさせてくれる仲間がいる。

 今はこれでいいのだと。


「そうだ。雪山周辺で、強い魔物を見かけた ? 」


「いんや ? 見下ろせる範囲にゃ居なかったぜ ?

 そう言われりゃあ、ここにいた魔物はどこに行ったんだぁ ? 」


「分からないのよ。地下一階までは、わんさかいたはずなのに、今は一匹もいないから……」


「その辺に散ってなきゃいいがよ。

 お、出口だぜ。こっちの方が近かったな ! 」


「そうね。……眩しい ! 」


 太陽はすっかり登りきり、平原を照らしていた。待機していたヴリトラが、別の出入口から出てきた二人を見て、不思議そうに臭いを嗅ぐ。


「大丈夫。わたし達だよ」


 グルグルグルルルル……


 ヴリトラの背にはクロウの持ってきた鍛治道具やらが積んであった。嫌がりもせず、大人しく足場を見つけしゃがみ込む。

 その側で、リリシーとクロウ、二人で広大な平原を見渡す。

 眼下には麓の村と湖が見える。

 地図に名前も無い小さな集落。

 地の果てまで続く美しい緑の世界。

 湖にはいくつもの水車があり、水を汲み上げ、水路に流す。その水路はファルハの町まで道標のように真っ直ぐ続く。


「お前、ミラベルの事……かなり気に入ってたろ ? 」


「……嫌いじゃないかな。美人だったしね」


「趣味悪……」


「ふふ。よく言われる」


 クロウが突然向き直り、真剣な目をリリシーに向けた。


「なぁ」


「何…… ? 」


「手ぇ見せてくれ」


「…… ??? 」


 訳も分からず手を突き出すリリシーにクロウは首を振る。


「違ぇよ。グローブ外せ」


 全てを察したリリシーの……いや、オリビアとエリナの指先は震えていた。


「別に取って食ったりしねぇよ。

 なんか、俺も色々踏ん切り付けてぇから、一度だけ。触りてぇんだ」


「べ、別に…… ! ご自由に ! 」


 同じくグローブを外したクロウの手が、そっとオリビアとエリナを握る。


「うお……本物だ。

 そうそう ! オリビアだ !

 この薄いけどデカい手なぁ……よくあんな重槍を持ってられるぜ」


 クロウの手がやがて手首から上へと上がってくる。

 一気にリリシーの顔が紅潮する。

 体は確かにオリビアなのだが、それでも感覚はリリシーなのだから緊張してしまうのは仕方が無い。


「こんな細ぇのに……筋肉が内側にあるんだな。脂肪が無いせいかぁ ? 見た目は鶏ガラだもんなぁ ? 」


 腕を這うクロウの手先がするすると撫でるように動く。自分の方が意識している事は悟られたくない。リリシーは思わず息を止めて顔を背ける。もとより、クロウはイタズラをしている気など微塵も無い。

 分かってはいるが、リリシー自身が耐えられないのだ。


 内にいるオリビアもエリナも、懐かしくクロウの手の温もりを感じていた。


「エリナは変わってねぇな ! この筋肉 ! この手で何度ぶっ叩かれたか !

 ……あれ ? 爪の色やってねぇのか ? 」


「ネイルペイント ? あの染料はこの辺じゃ採れないみたい。個人で買うには高すぎるし」


「ふーん。叩かれた記憶しかねぇけど、案外綺麗な手ぇしてんだよなぁ。大人の女の手って感じで」


「……そうだね」


 リリシーの知るエリナは大柄で男勝りだったが、身嗜みに関してはとても色香があってナンパが絶えなかった記憶があった。


「次の町で手に入ったら塗って見ようかな。

 これじゃエリナとは言えないもんね」


「そうは言わねぇけどよ。

 お前は ? どこからがお前なんだ ? 」


 クロウは未だ、はっきりとリリシーの身体的構造まで把握していなかった。


「えと……頭と、お腹から足の先まで……かな」


「ふぅん」


 流石に触れられるような場所じゃないだろうと、今度こそ気を抜いたリリシーの髪を、クロウが救い上げそっと口付け、香りを含む。

 筋張った男らしい手元から、絹糸のようにするりと流れる白銀の髪。


「ク、クロウ…… ! 」


 流石に真っ赤になってしまったリリシーは後退るも、何も良い拒否文句が浮かばないまま。

 クロウは普段から情熱的な男では無い。故にリリシーにとって動揺は大きかった。心臓の音が鳴り止まない。


「その……えと、今回は……心配とか、かけたし、本当にごめn」


 リリシーの身体が岩肌に押し付けられる。クロウはそのまま岩肌に両手を付いた。真っ直ぐ見下ろされる視線が熱く、鋭い。


「ど、どうしたの急に……」


「悪かった」


 突然の謝罪にリリシーはポカンとクロウを見上げる。


「俺は最初からお前を信じてはいなかった。

 ノアがいなかったら……もっとタイミングが悪かったら、お前を本当に見捨てたかもしれねぇ」


「そんな事……。あれはミラベルが術で誘導してたでしょ…… ? わたしもクロウも、騙されただけ。……分かってるでしょ ? 」


「そういう術はな、疑心暗鬼になってるから、心の隙間につけ込まれるんだ。

 多分、あの時。俺とノアの立場が逆だったら、ノアに術は効かなかっただろうよ。

 あいつぁ、本当にお前を信じてた」


「うん」


「二度は無ぇ。俺はお前を裏切らねぇし、何があっても信用する。誓う」


「クロウ……わたしも同じよ。家を出てから、ずっと信じてるし。

 そんなの今更だよ」


 クロウがきつくリリシーを抱き締め、髪に顔を埋める。


「オリビアとエリナの事も……。

 お前がつらい時は支えるし、泣きたい時は俺の胸を貸s……」


 ブシュッ !!


 突然だった。

 ヴリトラが大きく仰け反り、クロウの背に向けて渾身のクシャミを決めた。


「げぇっ !!!! 」


 クロウがヴリトラに振り向き、文句を言いかけたところに二回目。

 今度は更に大量に。


 ブッッックシュッ !!!!!!


「〜〜〜 ! なんッで俺の方を向いてやんだよクソドラゴン !! 」


 ゲギギギギ


「クソ !! ぜってぇ人の言葉理解してやがる !! こんにゃろ !! 」


 フンス !! フンス !!

 ゲゲゲゲ !


 鼻水塗れになったクロウが口元をウィ〜っとしながら、モップなコートを脱いでヴリトラの足をベシベシ叩くが痛くも痒くも無い様子でそっぽを向く。


「んあぁぁぁぁ ! 汚ぇなぁ !!

 あ〜 !! リリシー、えーっと ! なんだっけぇっ ?!

 とにかく、あんまトラブル起こすなよ ? 」


「ふふ ! うん。分かった」


 クロウは溜息をつくと、渋々ヴリトラに乗る。ヴリトラは足の爪で器用に鼻をほじっている。


「ぜってぇ振り落とすなよ !? フリじゃねぇからな !? 空中事故は飛竜の名折れだぜ !? ああん ? 分かってんのかぁ !? 」


 …………ヴェァァ


 ヴリトラはまるで聞いていないかのように、開いた口からベロを出し首をブルブルと振って見せる。


「ヴリトラ、ふざけないの。クロウをお願いね」


 グルグルグル…… !


「大丈夫かよ……ったく」


 完全に不服そうなヴリトラの上から、クロウがリリシーを見下ろす。


「それじゃ、先に行くぜお嬢。カイリの港で会おう ! 」


「ええ」


 ドッ !!


 ヴリトラが空高く飛んでいく。


「天気いいな……」


 この時間ならまだ、エミリアの移動は予定より進んでいないはずだ。ただでさえトラブルが多いことは事実だが、それ以上にリリシーはエミリアにとって実力以上の言いつけをして来た。

 リリシーはエミリアの責任感を高く評価していた。子供のノアを任せることも、今一番財産を持てせているノアの管理も含め、彼女は言いたいことをはっきり言い、遠慮なく断る事の出来る人間だ。その芯のある性格は見習うべき友の姿でもあった。

 エミリアだけがリリシーに教えを乞う訳では無いのだ。

 リリシーもまた、仲間から学び、吸収し、自分を成長させる事……これは受動的な自分にとって必要なことと感じている。今までオリビアとエリナに任せ切りだった過去の教訓である。


 ダンジョンの入口は横にグネグネと道はあるが、リリシーは正面の岩壁に立つ。

 下までどれだけ高さがあるだろうか、ギザついた大岩がゴツゴツとしているのが見える。落ちたら一巻の終わり。


 その崖から、リリシーは全身の力を抜くように、ふらりと身を投げた。


 真っ逆さまに落ちる感覚を楽しむのは風の精霊使いのなせる技か、それとも自傷なのか。

 岩場に当たる寸前で呪文を唱える。


「風よ ! 」


 身体が藤色の粒子を纏い、ブーツの靴底には緑色の光を放つ魔法陣が浮かび上がる。


 ヒュオッ !!


 一瞬にして上空まで舞い戻り、そのまま飛行しファルドの町方面を目指す。

 身体から藤色の粒子が水分と相まってキラキラと飛行痕を残す。


 そのすぐ近くを小さなルリが飛んできて、なんとも愛らしい姿を見せた。


 ヒュルルル♪


「あなた綺麗ね。どこから来たの ? ここももう春がくるわね」


 ヒラリヒラリとリリシーの粒子を身体に浴びるように飛び回ると、疲労が癒されたのか猛スピードで先を飛んでいく。


 ピューーーイッ ! ヒュルル♪


「そっか。この光が飛行魔法だと理解してるんだわ……鳥って凄い ! 」


 離れていくルリはヒラヒラと風を操り消えていった。


 下を見ると所々、湿地になっているのがわかる。

 子連れの白鹿が水辺で喉を潤している。

 その先の枯れ木には大蛇が巻き付いていた。


「ふふ ! 楽しい ! 」


 縦横無尽に障害物のない平原を思い切り飛んでみる。

 オリビアとエリナの埋葬も終え、少しだけ自分の進む道標に光が差してきた。

 これから始まる、新しい仲間との旅に感情が昂る。

 更にスピードを上げて飛行する。

 顔に水滴が付くがそれも気持ちがいい程清々しい。


「あ ! いた ! 」


 ずっと先に一本だけ生えた檜の木の下、クネクネ動く人の姿が見えた。


「だから最初から無理だったんだよぉ」


「違うのよぉ…… ! この魔力回復剤が不味すぎる……ゲフ……」


「あ〜、もうー !! リリシー迎えに来てくれないかなぁー、ホント助けてぇ〜 ! 」



 任せて、ノア ! エミリー !

 さぁ行こう !

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