リリシーはノアのいる場所まで飛行すると鎖を断ち斬り、そのままノアを抱え割れた天窓から猛スピードで外に出る。
リリシーの様子に、勘のいいエミリアも反射的に聖堂へ転がり込む。
ジリル隊は重みの無くなった鎖を握ったまま尻もちをついていた。
天窓から突然出てきたリリシーを見上げ、状況が分からないまま何となく鎖を手繰り寄せている。
「な、なんだ !? ノアもリリシーも出て来たぞ ? 」
クロウがリリシーに駆け寄る。
「
リリシーの号令に、唯ならぬ状況悪化を懸念する。
この時ばかりは、流石にクロウは
杖を抱えたノアをそのままに、リリシーが険しい顔で一言クロウに告げた。
「小瓶が割れたの !! 」
「中身は !? 」
「ミラベルに掛かったわ !! どうしよう、こんな町の中心で !! 」
「マジかよ。了解 ! 」
状況がいまいち読み込めないジリル隊の兵士達も纏めて、クロウは全員の手を無理矢理引き、背を押し、月華牢から離して行く。
「な、なんだと言うのだ !? 」
「いいから全員逃げろ ! とにかく離れろ !! あんたの兵隊も全員だ ! 」
「わたしエミリアを確認してくる ! 」
エミリアが聖堂に逃げ込むと、リリシーの風で舞い上がった埃に目を細めた。長年廃墟だったため、埃が目隠しのように光を閉ざす。
すると出入口に青い発光体がくるりくるりと浮いているのが見えた。
〈エミリア !! 早く離れるの !! シールドの魔法をとにかく重ね掛けして欲しいの !! 〉
「ウィンディ ! 来てくれたの !? 超優しい〜 !! 何、何 !? 何が来るのよ !? 」
〈いいから ! 早くするのぉ〜〜〜っ !! 〉
「え、えーと !! 水よ !! 水守の霧 ! 」
〈もっと !! もっとかけるのぉ ! 〉
「えーと、えーと ! ウォーターなんだっけ……ねぇ !? 逃げた方が早いんじゃないのっ !? 」
只事でない様子に、中にいたミラベルも動揺していた。
ただ一人。
牢獄と化した美しい教会の一部で、小さな鉄格子から見える避難する兵隊達。
ノアの飴でベト付いた毒蛾の羽も、なにか異臭のする液体が付いた背も、何もかもが思い通りにいかなった。
〈ま、待て !! 〉
姿を消したリリシー達を追おうとするミラベルだが、皮肉にもその巨躯はどの出入口も通さなかった。
壁を破壊しようと触手を振ろうとした時、ミラベルが、強烈な違和感に空を見上げる。
ツゥ……………… !!
曇天が裂け、一筋の光が射し込む。
それと同時に雪が散らされ、生暖かい風が吹き降りて来たと感じた瞬間。
ドンッ !!!!!!!!
〈ウ、ウアァッ !! 〉
真上から今度は強烈な風が吹き降ろし、身動きが取れない程の風で床に押し潰された。
「エミリアどこ !? 外に出て !! 」
「リリシー ! ここよ ! 出たわ !! 」
リリシーとエミリアの手が重なる。
「良かった ! 逃げるわよ ! 」
「分かったけど何何何 !!? 怖い怖い !! 」
「ウィンディ !! 貴女も早く !! 」
〈…………。
ウィンディは残るの。教会から瓦礫が町に飛ばないように結界を張るのー。
その為に力残して置いた〜。
貴女に使われないように〉
予知していた出来事に、水城の護り神はリリシーに告げる。
〈ごめんなのー。別にディーネルの契約した水の魔法を貴女から取る気は無かったの。
でも、ここで魔力の強い貴女が水の魔法をガンガン使ったら、ウィンディに魔力が残らない〜。病み上がりなの〜〉
「……そうだったのね。
分かったわ。お願いね」
『あの精霊足元見やがって ! 』
『いいじゃないか。これが終わったらまた水魔法が使えるんだから』
全員、廃教会を離れるが、内側の城壁で行き止まりだ。亀裂のある隠し通路までは距離がありすぎる。
「瓦礫に注意しろ !! 頭守れ !!
お嬢早く ! 」
途中、クロウが転がってきた桶を拾い上げノアとエミリアに被せ、リリシーをコートの内側に詰め込む。
ゴゥッ !!
突然、月華牢含め教会の地面が一気に剥がれ上空に吸い上げられていく。
町の人間も遠巻きにその様子を見守っていた。
「つつつ、つむじ風 !? 」
「あの風の子の大技か ? 」
「それにしては……おかしい。少し離れた方が良くないか ? 」
急激な晴天に、直後吹き荒れる異様な風害。町の人間も異常を感じて、足が水に濡れることも構わず大急ぎで逃げ出す。
〈くっ !! ギキキキ !! 〉
月華牢では何とか力を入れて持ちこたえていたミラベルだが、次に上を向いた時、全てを察してしまった。
それがキラリと光ると、リリシーはクロウの胸の中から出ていく。
「わたしは戻るわ。あの子はわたしが制御しないと 」
「お供します」
「いいえ、クロウ。これはわたしの仕事」
一度晴天に変わったはずの異常な空に、ドス黒い雷雲が広がり、その漆黒色が筋を立てて地上に降りて来る。
「おい、あれ。本当に竜巻じゃないか !? 」
「でも水の膜があるぞ !? ウィンディーネ様だ。俺たちを護って下さってる ! 」
「だが何が起こるやら。逃げるんだ ! 早く ! 」
「……ん ?
お前たち親がねぇのか ? よし ! 俺の背に乗れ ! 」
「背の高い奴 !! 手伝ってやれ ! 」
漏斗状になった黒雲を見上げながら震えていた孤児達も一纏めに、町人は必死で城を離れる。
この時。
ミラベルには全く違うものが見えていた。
瓦礫を巻き上げる竜巻の中心。
通常、竜巻なら自分も上に巻き上げられるはず。だが、この風は違った。
獲物を逃がさない為の風の防壁。
自分に向かって遙か上空から滑空してくる恐ろしいモノの姿。
「おい ! 見ろ ! あれは…… !! 」
一人が振り返り足を止める。
するとまた一人と足を止め、急降下してくる翼の使者に気付く。
ジリル隊も全員、安全圏まで来ると声を上げた。
「隊長……あれは……まさか !! 」
「……飛竜だ……」
轟音と共に姿を現したのは体長150mもある巨大なドラゴンだった。
「飛竜 ?! あれリリシーのなの !? 」
「あ〜。ヴリトラドラゴン…… ! 飛竜一族が飼い慣らしてる一種で、天候魔法を持つ守護ドラゴンだ 」
「嘘…… ! リリシーが……飛竜一族 !? 」
「ごごごご、ごめんなさい !! 僕が衝撃で瓶を落としちゃって ! 」
「いや、結果オーライだぜ。どの道、あれが最終手段だったんだ」
「意味わかんない ! あの小瓶の中身、なんなのよ !? 」
クロウは石壁に
「小瓶の中身は、あの飛竜が産んだ卵の卵液よ。それをミラベルが被っちまった。
今、あのドラゴンにとって、ミラベルは『自分の巣の卵を食い殺した敵』に見えてんだよ」
「それって…… !! 」
「ああ。終焉だ。来るぜ ! 飛ばされんなよ ! 」
凄まじい爆風。
皆が頭を守り、第一の城壁に押される中、リリシーだけが平然と廃教会のある丘を登る。
掘りの水が吹き上がり水位が下がる。
頭上では黒雲の中に激しい放電。
とてつもない向かい風の中、リリシーの霧のような髪はさらりと肩を流れるだけ。鎧から出たローブスカートがふわりとはためき、そこにだけは穏やかな春風が吹くように異質な空間だった。小石が飛んできても砂埃が吹き荒れても、当たらない事を約束されたかのように、風のベールがリリシーを護る。
月華牢の真上まで来た飛竜 ヴリトラは、怯えるミラベルを一瞥すると、香りの出処を確認し、歩いてくるリリシーを待つ。
それはドラゴンとは一様に言い現せない程美しい飛竜。蒼い鱗と銀の体毛。翠玉色の発光器官が炎より強烈な輝きでミラベルを威嚇する。
神々しいと共に、恐ろしさも持ち合わせる畏怖の権化。
一つ、他のドラゴンと違う所を上げれば、足はあるが、手に当たる部位が無く翼しかない。しかしワイバーンのような小型のドラゴンとは規模が違いすぎる大きさ。
長い首をもたげ、ギラギラとエメラルドグリーンの光を放ちながらミラベルをジッと見据える。
最早、月華牢の壁は上空に巻き上げられ、床は剥き出しになり、いつの間にか竜巻も止んでいた。
〈い、いやぁぁぁぁっ ! 〉
ミラベルの目に涙が浮かぶ。
それは後悔の念では無く、ただただ、リリシーをおぞましく思うだけの恐怖である。
「ミラベル。これで終わり」
〈飛竜一族…… ? バケモノ !! そんな……。お前のような者がどうして地上にいる !? 何故冒険者など野蛮な職をしているのだ !?
分からん ! 分からん ! 人間が !! 〉
「……。
言った通りよ。わたしもただの家出よ」
ミラベルは力無く、半地下の月華牢の床に横たわったまますすり泣きを上げながら、パニックを起こしたように笑い声も上げ始める。
〈ふ、ふふふ。
はははは !! ひーっ ! あはははは !!
家出 ! 家出ね ! そうそう !!
全てに恵まれた人などいないわよねぇ〜。
リリーシア · ヴァイオレット !!
「ええ」
〈クフフフ !! あの藤色の桜は今でも忘れないわ !
そう…… 家出 ? それ家出じゃないわよ ! 家が無いんだから ! 飛竜一族の暮らす故郷 !
あそこが今の魔王大陸なのだから !! 〉
「そう……かな。確かに。
ミラベル。わたしね、空を飛んでる飛竜の背で産まれたの」
〈ふふっ !! まるで大道芸だわ ! 考えられない !
クロウも ? 〉
「彼は一族に仕える
〈そう。それで家出ねぇ…… ? ふふふふ !!
育ちが良さそうだとは思っていたけれど。空輸を生業にして生き延びた一族。
随分なお嬢様じゃない。金ならいくらでもあったはず……。
でも貴女は、それに価値を見いだせなかったのね〉
「……そうかもしれませんね」
〈ねぇ、リリシー。教えてあげる。
私は貴女が来るまでは、全てに恵まれていた。例え愛した男を殺してでも、手に入れたの。
私は答えを見つけたわ〉
「不老の身体で人に尽くす事がですか……。 他の人間を犠牲に成り立つ、人間の為のシステムを構築する為の不老 ?
矛盾してるし、自己満足に過ぎないわ」
〈そう見えるかもね。でも国の仕事って、小娘にはわからない程、厄介なものが沢山あるのよ。でもコツコツとやって来たわ。
それは私の成功の証で、私の答えよ。
貴女の言う通りね……私、自分が思ってるよりずっと人が好きなのかもね……。
それで。貴女は ?
旅をして、何を成し遂げるの ?
私ほどの理想を手に入れられる ?
私は手に入れたわ。今ここで死んでも。私は手にしたの。それは変わらない。
貴女は何がしたいの ? 〉
「…………何……を…」
〈すぐに答えられない ? それとも私に言うのは嫌 ?
もし前者なら……また仲間を失うわよ ?
嫌がらせじゃない。これは……そうね、経験からの……アドバイスよ……〉
「……はい」
〈……ふ……ふふ…………〉
ミラベルはゆっくり瞼を伏せると、覚悟を決めたように静かに胸の上に手を組んだ。
〈もう一つ。いいかしら ? 〉
「なんでしょう ? 」
「 」
グルル……
リリシーが鼻先を近付けて来たヴリトラを一撫でする。
「そういうことなら。分かりました」
〈ふ……。最後までお人好しね貴女〉
「そうかも。でも、わたしが情けをかけてるとかじゃないです。
貴女自身の経験がそうさせるのでは ?
それはあなたが言う小娘では無理な事です。
貴女はいくら若く作っても、中身は聡明で落ち着きのある淑女だから、わたしも耳を傾ける。
不老なんて、なんの意味も無かったと言う事です」
〈淑女……ね。物は言いようね。
死にかけなのに……随分な言い方するじゃないの……〉
「ミラベル。貴女とは別な形で会いたかったです」
魔王に土地を奪われた飛竜一族と、魔王大陸になった土地から人間を夢見て抜け出した元少女。
負けを認めてしまったらTheEND。
リリシーとミラベル。
もう話すことは何も無い。
〈じゃあ、お願いね〉
「はい」
リリシーは人差し指を立てた拳を高く突き上げると、二回。
ミラベルに振り下ろし、ヴリトラにGOサインを出した。
グルルルルッ !!!!
それは誰もが見た最後のミラベルの姿。
ヴリトラに
一呑みにせず。
足からジワジワと。
残酷に。
グロテスクに。
ヴリトラはミラベルを咀嚼していく。
エミリアは本能的にノアを抱き、その結末を見る目を塞いだが、エミリアの指の隙間から見えたミラベルの断末魔と藻掻く姿がノアの脳裏に焼け付く。
ジリルは我に返ると、隊に町人への説明と避難場所を伝え、すぐに行動する。
全てを飲み込んだヴリトラはリリシーに撫で回され再び晴天の空へと翼を広げた。
「お嬢……終わったな……」
何もかも無くなった廃教会の月華牢にクロウが来た。
「やめて、その呼び方。わたし、今は普通の冒険者だし」
リリシーは振り返ることもせず、そう答えた。
「まあ…………ただの癖だ……」
「……ねぇ。藤紫の桜って見てみたいね。本当の故郷の花。
ミラベルが子供の頃はまだあったみたい。今もあるかな ? 」
「見れたらァ……そりゃぁ、いいなぁ」
リリシーは振り返ると、涙の跡の残る笑顔でにっこり微笑む。
「でしょ ? エルザのダンジョンくらいで騒いでらんないわ !
次よ次 !! 」
「次ぃっ !? 」
「それより !! この鎧重すぎ !! 丈夫なのはいいんだけど、脱ぎたくなる時もあるかな。
そうだ。ワンタッチで軽量化が出来るようにしてくれない ? 」
「てめぇ、簡単にまた無茶振りをぉっ !! 」
そこへエミリアとノアもやってくる。
「リリシー、小瓶……ごめんなさぁ〜い」
ノアが甘えるようにリリシーに抱きついた所をエミリアが引き剥がす。
「リリシー ! こいつね ? 自分が可愛いの分かって謝ってるから !! 厳しめに言わないとダメよ !!
あと、マジで手癖悪い ! くっついちゃ駄目 ! 」
緊張から解放された事もあり、小競り合いを始める二人。
「エミリアの挑発ってさぁ……踊り子って言うより子供の喧嘩だよねっ。あれ、なんか恥ずかしいよ」
「あー !! それ傷付くやつ ! 」
「いやぁ、分かるわ。あれ、どうなんだ ? 俺も思ったぜぇ」
「ミラベルも同じ事思ってたかなぁ ? 」
「何なんだろうみたいな顔はしてたよな……」
「な、何よ ! ちゃんとイライラしてたもん ! 立派な成功よ ! 」
「空気読まずに一騎打ちに乱入して『オバサン』呼ばわりだもんね……」
「ウググ……」
リリシーはノアにへばりついた杖を見下ろす。
「飴だけで、よくそんなにくっついたね」
「町で一袋も買っちゃった時はどうしようと思ってたけど、役に立った ! 」
「それでこの町のキャンディって売れないのよね。ベタベタで歯に粘るし、虫歯になりやすいの。こんなの買うのノアくらいよ」
「えー !? 味は普通だよ ? 」
ノアとエミリアはだいぶ距離感が近いように感じる。エミリアが若いからだろうか。
クロウはその様子を見て、エミリアに声をかける。
「オメェは、この先どうすんだ ? 町でウィンディの祭壇を祀って巫女にでもなるか……」
「はぁ〜〜〜っ !? あたしが巫女ぉっ !? あんた本気で言ってんの !? 」
「言ってねぇよ 」
「でしょうね !! ムカつく !
リリシー ! あたしも一緒に行っていい ? 魔法を教えて ! 」
「火守りのお爺様はいいの ? 」
「大丈夫よ。親はまだいるし !
若い時代を謳歌しなくちゃ、あたし達もミラベルになっちゃう !
よろしくね、リリシー ! 」
「ふふ。そうかも。
こちらこそ。よろしくね ! エミリー 」
リリシーの笑顔の影に。霧のように残るミラベルの言葉。
▽▽▽▽▽
〈旅をして、何を成し遂げるの ?
私ほどの理想を手に入れられる ?
私は手に入れたわ。今ここで死んでも。私は手にしたの。
貴女は何がしたいの ? 〉
▲▲▲▲▲
『理由なんか後付けでいいのさ』
『そうそう。何も成し遂げない奴なんかいないからな ! 誰かの心に残るのが存在した意味なんだぜ』
「……うん」
月華牢を後にし、町へ向かう。
ヴリトラの去った空は快晴だった。
「ねぇ。あたし海、見たこと無いの」
「ええ !? 」
「だって地元から出たことないし。ノアはあるの ? 」
「……僕も馬車からしか……」
「海か……。まぁ、この大陸最高峰のダンジョンは行ったわけだしなぁ。
別の大陸に行くにゃカイリの港ってところまで戻らねぇとだ。そん時ゃ〜海も拝めんだろ」
「やった !! 決まりね !!
それまでに水魔法覚えなきゃ !! お願いねリリシー !
リリシー ? 」
「あ。ゴメン。うん、いいよ。
あの……その前に行きたい所があるの」