「行けるか ? 」
「うん。ここなら真上だし、僕なら気配を消せる」
ノアとクロウは月華牢の外壁に回り込んでいた。
ノアは鎧を脱ぎ捨て、ステンドグラスを修理する為設けられていたボロボロに朽ちかけた固定梯子を目の前にしていた。
そこへジリル隊が駆け付けてきた。
「状況は !? 」
「おー、騎士団長。いいところに」
「町の人間が急に意識を取り戻した。一体どうなってる !? 」
「催眠が解けたぁ ?
……。なら、ミラベルの魔力はそこまで手が回らねぇのか……。
今、リリシーとの戦闘に魔力を100%注ぎ込んでるわけだぁな」
ノアがポシェットからキャンディを取り出しながら、ジリルに鎖を渡す。
「僕に巻いて。上から行くから僕を吊って欲しいんだ。
合図をしたら、思い切り引き上げて 」
壊れかけた壁の亀裂から中を覗いたジリル隊は、全員真っ青な顔で壁から離れる。
「バケモノだ……」
「上から降りるのか ? 構わんが。な、何をするんだ ? 」
「ミラベルの背中からあの杖を取り上げるんだ」
「なんとも安直な作戦に思えるが……。
いや、敵の力を削ぐ。……正しいのか…… ? 」
「考えない考えない。
壁に鎖が当たって音がしないように、ちゃんと張ってて」
「わ、分かった。全員鎖を持て」
垂直な壁を、ノアが手早く登って行く。
□□□
中ではミラベルが邪悪な笑みを浮かべ、羽から毒を振りまく。胴体はリリシーの方を向いてはいるが、まるで嫌がらせのように背後のエミリアを嬲っているのだ。
「ゴホッ ! 腐〜っ ! 加齢臭なんじゃないの ? オバサン !!
水の精霊よ !! シールドミスト ! 」
薄いシャボン玉のような物がエミリアの頭部を包む。リリシーの透明な風のマスクより、水の膜を隔てる事で視界も酸素量も限られるが、それでも毒を防げられる。今は必須魔法だ。
〈うふふ。そんな水の護り。すぐブチ破ってあげる ! 〉
ミラベルが触手を地面に突き刺した。
「エミリア !! 下から来るわ !! 」
「OK !! 踏み付けてやるんだから ! 」
「ダメよ ! 足がやられちゃう ! 避けるのよ !! 」
ドボッ !!
「ギャ ! 」
硬い石床から突き出して来る触手を、エミリアは手をバタバタさせ何とか躱す。
ガッ !!
ドッ !!
ゴッ !!
「うぎゃ !!
やば !!
うあ !! 」
何度も繰り返し、床を割りエミリアを貫こうとする触手だが、エミリアは軽い足取りでトントンと避け切る。その身のこなしに無様さは無く、まるでステップを踏むような美しい仕草であった。
『凄いじゃないか、あの子』
『多分あれじゃねぇか ? 水の護りが振動を視て予見してるじゃねぇか ? 』
「いえ……魔法のレベルはまだ浅いから、エミリアは多分違う。元々、感知能力が高いんだわ。それにとても身軽だもの」
〈キィ〜 ! うろちょろと ! 小賢しい ! 〉
隙をつきリリシーも剣を振りかぶる。腕の限界ギリギリまで広げ、音もなくジャンプすると身体を回転させる。
凄まじい遠心力で刃がミラベルを襲う。
しかし、すぐに別な触手が剣の柄を叩いて軌道をそらした。
〈見えてんだよっ !! 〉
人の振り返るスピードより早い触手の動き。
〈ほぉらっ !! 〉
『まともにやり合うなよ ! 喚く割に近寄って来ない……このタイプはいつもあれだ 』
〈ゥガァ〜〜〜!!〉
思い通りにいかないイラつきに任せ、ミラベルは触手をブンブン回して部屋を荒す。
〈ヌゥッ!!〉
触手は器用に割れたステンドグラスをネチャリと付け、リリシー目掛けて投げつけ始める。
『危ねぇな ! 』
風でガードして弾き返したら意味が無い。再利用されるのは目に見えるようだ。
リリシーは素早く、古いワイン樽を背にして身を隠す。
ガシャガシャガシャーーーン !!
剣を持ったまましゃがんでいたリリシーだが、すぐに真下にも振動が来ている事を感知する。ミラベルが投げつけているガラスは囮だ。
ロングソードの腹を靴底と床の間に敷き、即席の踏み抜き防止にする。
ドボッ !!
リリシーの身体が、触手に弾かれた勢いで月華牢の高くまで吹き飛ぶ。
足にダメージは免れ、まずは一安心だった。
「…………」
地面から出てくるだけの攻撃に、跳ね飛ばされた無重力の最高地点。戦闘からほんの一瞬、解放された気分に陥る。リリシーはぼんやりと舞い降りて来る雪を眺める。
「……不思議……。……降ってる雪を下から見たのは初めてなの……」
『あぁ、前に言ってたね』
リリシーの身体が降下し始める。
ガシャ !!
剣を構えると、そのまま真っ逆さまにミラベルへ切っ先を向ける。
〈しぶといったらないわ ! 〉
再び触手が応戦するつもりだ。巻き付けた先に一際大きなガラス片を握っていた。
〈死ね〉
ドカカカッ !!
リリシーは咄嗟に、鎧に付けていたワイン樽の小板を盾にする。
〈な……いつの間に !! 〉
確かにワイン樽の一つから蓋の一部が消えていた。
全ては経験値。
触手は伸びる上に俊敏。その上硬い場所でも平気で貫く。
しかし一度スピードのレベルを越えてしまえば、あとは先読みの能力次第。
樽の小板は二発貫通。それでも鎧を着たリリシーは無傷だ。
〈ああああああ ! もう !!!! 〉
ギィンッ !
ロングソードが額を貫く寸前、硬い巻き髪を突き出し頭を護る。
『ウッソだろ !! 石頭かよ ! 』
リリシーは着地すると、今度はワイン樽を倒しミラベルを轢くよう体当たりで転がす。
当然、そんな物は真っ直ぐ転がるはずも無く。三つあるうち一つは薙ぎ倒され、他はあらぬ方へ行ってしまう。
攻撃を免れた樽は反対側の壁へぶつかって止まる。だが、これはほぼ半裸のエミリアにとって塹壕代わりとなる意味のある行動だった。
一先ずエミリアは安全だ。いざとなったら聖堂に戻れない距離では無い。
『リリシー。どの魔物もそうだけど。触手を持つ異形は俊敏だよ ?
早めにケリを付けないと、こっちの体力が無くなるからね 』
「うん」
エリナの言う通り、ミラベルはやはり大きな身体で動き回るような攻撃パターンでは無い。
ミラベルの腹にある何本もの細い脚がザワザワと床を這いポジションを変えると、今度は巻き上がっていた髪がリリシーの胴体に巻き付く。
シュバッ !!
「カハッ !! 」
巻き付いた胴体に腕も巻き込まれる。
『やべぇ ! 』
「ぐ……うぐ…… !! 」
締め上げられる身体。
その手の甲からリンクしていた剣が床にガランと落ちる。
「リリシー !! 」
〈あははは !! なんてことない ! 飛んでる蝿と同じ程度の動きだわ ! 〉
「く…… !
剣舞 ! 独炎刃 ! 」
魔力でロングソードが浮かび、炎を纏う。そのまま独立した動きで巻き付いた髪に思い切り剣を立てた。
ズバッ !!
〈ちっ…… 〉
ドサッ !! タッ !
尻もちを付くが、すぐに剣を回収し距離をとる。
「ゴホッ……はぁ……」
『こりゃあ、迂闊に近付けないね』
エミリアとリリシーでミラベルを挟む形にはなってはいるが、エミリアはやはりミラベルの言う通り実力不足は否めない。
ミラベルが逃走の可能性が低い以上、何とか肩を並べたいところだが、変態した幅広いムカデの腹はとぐろを巻く程長く、月華牢の床を埋める巨躯。
跨いで通ることは不可能。
更に、大味な魔法を使えばエミリアまで巻き込まれてしまう。
「なによ !! まだまだリリシーは無傷よ !
あんたも、ぜぇ〜んぜん、リリシーには叶わないじゃないの ! 燃えたせいでチリチリの短い髪が似合ってるわ、オ バ サ ン ! 」
これだけ不利な要素の多い中、エミリアは身振り手振り大きく、執拗にミラベルに挑発を続ける。樽に隠れる気配すらない 。
元々の性格もあってなのか……リリシーも困っていたが、その必死な様子から、ようやくそれが踊り子の
パーティにおける踊り子の役目とは。
派手な防具で敵の視界に常に入る事。踊りによる術は催眠だけに留まらない。各ステータスを上げる術も持ち合わせ、時には命懸けで敵を自分に惹き付けることもあるサポート役。
『エミリアの挑発。何か策があるのかね ? 』
「踊り子は確かに目立つ役だけど……。どうしてあんなに挑発するのか分からないわ」
『……なぁ。何か音しねぇか ? 』
ジャララララララッ !!!!!!!
突然だった。
真上からチェーンの落ちる音が月華牢に反響する。
リリシーもミラベルも呆然と見上げるしか無かった。
予測など出来なかった行動。
「てぇーーーいっ ! 」
手足を広げたノアが、チェーンを巻き付け急降下して来た。
そのノアの身体は、町で買った練りキャンディを塗りたくってベトベトになっている。
ビターーーン !!
〈ギャア !! 〉
「よっしゃ ! 」
背に乗られたミラベルの顔が引き攣る。
〈く !? な、なんだ !? お前 !! 離れろ !! 〉
ミラベルはもがくようにぐるぐると床を這い、ノアを振り落とそうと羽をバタつかせる。
「風よ ! 空気球 ! 」
ノアにマスクがかけられる。
しかし、それも必要の無いほど……たった数秒程でミラベルの背に侵食されかけた杖を掴んだ。
両手で抱え、杖はキャンディの粘着力に負けてノアの腹側にベットリと張り付いた。
「上げて !! 」
クロウとジリル隊。
「「「ウォォォ !!!!!! 」」」
外から思い切り鎖を巻き上げる。
ノアに張り付いた杖は、ミラベルの背から気味の悪い黒い筋で繋がっている。それを力任せに、ブチブチ音を立てて剥がして行く。ノアでも引き剥せる程、そう強い力は要らない。しかし、背から躰に蝕んだ筋は、執念の数でもあるかのように多かった。
「うぎぎぎ〜っ ! 」
〈やめろ !!
間抜けめ !! 杖を無くしても魔術は使える ! 〉
それでも大きく魔力を消耗しているミラベルから、この杖を取り上げれば間違いなく不利になる事は明確だ。
ミラベルが大きく振りかぶり、ノアに巻き付けた鎖を鞭打つ。
〈このっ !! このぉ !! 〉
ガシャン !! ガシャン !!
どれだけ鎖を叩いても、そう簡単にはノアは落ちない。この鎖は炎城に仕えた屈強な一軍の兵士達が握りしめている。
しかしそんなことなど露ほども知らないミラベルは、今度はノア本体に手を上げる。
「痛っ !! 」
だが、その衝撃でノアの襟元から何かが落ちた。
「あ……」
その瞬間は、その場にいた全員にスローモーションの様に見えた。
飛竜一族の小瓶だ。
ノアの手が慌てて掴もうとするが、バランスが取りにくい今、それは叶わなかった。
リリシーも、いつの間にかノアが持っていたことに多少は驚いたが、今はそれどころでは無い。
小瓶は軟質で密閉に優れた素材がキャップに巻かれ、そうそう簡単に空きはしない。
ガラス職人が手掛けた美しい魔法陣と色硝子の繊細な模様。カットされた宝石のような切子部分がキラキラと光り、重厚な厚みを思わせないスマートな存在感を魅せる一級品で強度も高い。
しかし今回は別だ。
エルザのダンジョンの地底湖で何らかの酸性にも似た毒湖のダメージが瓶を蝕んでいた。更に、持たされている事をらないノアはクロスボウを雑に扱っていた為、小瓶は一段とダメージを蓄積していた。
小瓶はノアの襟元から、ミラベルの背に真っ直ぐ落ちて行った。
パリンッ !
〈な、なんだ…… !? この液体は……く、臭い ! 〉
「っ !!!!!!! 」
これに気付いたリリシーが声を上げた。
「全員 !! 撤退っ !!!! 」