「……」
回復魔法を受けながら、リリシーは人々の隙間からジッとミラベルを見つめる。
その瞳に敵意は無い。
「……さっきから……。貴女、わたしを同じ生き物だ、同じ黒魔術師だと罵って……。まるで言い聞かせるように……何度も……。
わたしね……分かって来たの。……貴女の事……」
ミラベルは眉をひそめて、リリシーが向けるエメラルドグリーンの瞳を真っ直ぐ伺う。
「ミ……ミラベル……。貴女がスカーレット王を愛し、ノーランに本物の愛情を注げば、誰にも魔族である事を気付かれず……人間としての最後を迎えられたのに……。
貴女は、最初から魔族らしい恐ろしい女性では無かったはず」
町の人間は困惑した表情を見せた上に、ミラベル本人も鼻で笑った。
「あら、嬉しい ! 優しい優しいリリシー !
どうしてそう思うの ? 町の人にも言ってやってよね」
茶化すミラベルだが、次のリリシーの訴えに表情が一変する。
「……貴女は人が好きだったからよ。
貴女が子供の時に魔王軍の大陸を抜けた時の話。……二度と島には戻れないと分かってたはず。
貴女は人間になりたかったんだわ。
自分で言った通り……憧れた人間の世界に来て、そして粗暴な人間を見た時、人に失望した。
だからこそ、女王としての仕事は優秀だった。
けれど、必ず寿命は来る。そして貴女の葬儀の時、偽りの人間の肉体は必ずその魔族の姿に戻ってしまう。
人間の振りをしたまま死にたかったんでしょ ? でも出来ないから不老の力を欲した。
貴女の根底にあるのは不老不死の要求なんかじゃない。寂しかったのよ……誰にも受け入れて貰えないと思っていたから。自分も人間になりたい……今更魔族とは言い出せなかった。
それが貴女の一番の望みであり……数々の罪の動機よ」
「……ふん……。ありがとう ! 素敵な解釈よねぇ。魔族でありながら人間が好きなんて ! 感動的な美談になりそう !
でもね。私がそんな純粋だと思う ? 人間の世界で私腹を肥やして生き長らえられるのなら、誰が犠牲になろうと構わない ! それが私よ !! 」
最早、誰の目にもただの虚勢にしか見えなかった。
「……賢者達が行方不明になったのを、スカーレット王が気にとめなかったとは思えない。
それに、あなたがスカーレット王を殺めたとしても、彼の亡骸はあまりにも美しいままだった」
「な、何が言いたいのよ ! 」
「たった二代の王の歴史。この水城は古い伝説なんかじゃない。
スカーレット王は知っていたはず。
自分の城の構造も、ウィンディーネの祭壇の事も、地底湖の穢れも踏まえて。
貴女が魔族である事を。
でも貴女を愛していた。彼が暴力的だったなんて事はありえないはず」
「何を根拠に ! いいえ ! とんでもない暴力夫だったわよ ! 皆が知らないだけ !! 」
「地底湖の棺で見たスカーレット王の手には沢山の指輪が。その中に賢者の石がついた指輪があった。
あれを付けた手で殴ったり叩いたりしたならば、魔族である貴女は再生魔術が追い付かない程のダメージを受けるはず。
それが証拠よ……。
彼の死後、貴女は更に気性が荒くなった。貴女自身気付いてないのね。
……その感情が、愛と後悔と罪悪感よ。
ミラベル。スカーレット王の本当の最後を教えて 」
皆が黙って、ミラベルの言葉を待つ。
ただ真実が知りたいのだ。
ミラベルはほつれかけた髪に真っ白な雪を乗せたまま、振り払いもせず、白い肌を両手で抱く。そして、顔を伏せて小さく呟いた。
「…………………毒よ……食事に…… 」
全員が哀れみの視線を向ける。
すぐそこにいる魔族の女は、なんとも哀れな生き物に思えた。
「それなら、彼は分かってて口にしたのよ。不意に毒を摂取したなら、必ず賢者の石が持ち主を生かそうと発動する。あれはただの縁起物じゃない。持ち主の不慮の事故から護る聖石。
毒で亡くなったとしたら、自ら覚悟の上で口にしたのよ。
貴女が人間でいられるなら。国を上手く支えられるなら、と。
でも、貴女は更に魔力を得る為に、魔力の強い冒険者を地底湖にいざなって悪事を働き続けた……。
でもそれと共に、本当は誰かに気付いて、止めて欲しかったはず」
「……そんなわけないでしょ……私に良心なんてないわ !! 夫婦の愛なんて……あの人が勝手に思ってたかもしれないけど……」
取り乱していくミラベルに、リリシーの言葉が事実なのだと、全員が納得してしまった。
「王はご自分で…… ? 何と……不憫な……」
「確かに……今までこの町で生活に不満なんて無かったけど……」
「冒険者を餌にしてた…… ? それで金を撒いてダンジョンに誘致してたんか……」
「人間に憧れ…… ? 魔族が ? そんなことあるの ? 」
一気に同情的な視線に変わった事を察知しミラベルが金切り声をあげた。
「や、やめなさいよ !! お前らぁっ !!
そ、そんな目でアタシを見んじゃないよぉぉぉっ !!!! 」
流れ落ちる水の轟音がリリシーの心を冷静に落ち着かせていく。
「ミラベル。
わたし……あまり自分の感情を出した事無かったの。今も、そんなに得意じゃない。
家族も苦手で、わたしも家出して、ここにいるの。一人で世界を生きていけると思ってた。
……ずっと勘違いしてた。
わたしの意図を組んでくれる、オリビアとエリナがいつでもそばにいたから。言わなくても、何でもわたしに与えてくれた。
でも、それじゃダメなのよ。
二人が死んだ時、その死をわたしは受け入れられなかった。
もし自分の悲しみを上手く表現できていたら。上手に人に甘えられていたら。
きっとこんな術、必要なかった。
貴女が言った通り、わたしたちって似てるのかもね」
「似てる……ですって…… ?
一緒にするんじゃないわよ !! この私がアンタと似てるですって !? 冗談も大概に……。
あっ。あぁぁっ…… !! 」
気付く。
頬だけではなく、魔族の身体に変身した事で不老の術が弱まり、露出した部分の皮膚がたるみ皺だらけの手や首元に戻っていた。
肖像画に描かれた理想的な自分を魔力で造ってきた日々。
それが全て崩壊した瞬間だった。
「く…… !
…………………ふ……ふふ……。この私が惨めだとでも言うの…… ?
許さないわ。例え死に絶えても、あんただけは道連れよ !! 」
リリシーが立ち上がる。
仲間を失う絶望から来た少女。
大雪の中、白銀の髪と純白のロングローブがはためく。両手の甲に水平に浮かび上がる風の双剣が再び藤色の光を放ち、地面の積雪をも照らす。
その姿はまさに、地獄の女神と言うに相応しい。
(回復は何とか追いついたわ。どうか無事で ! )
魔法使い達が下がる。
だが、ミラベルが躊躇いなく杖を向ける。
リリシーにではなく、群衆に向けて。
「あんたたち ! リリシーを殺しなさい !! 」
「なっ !? ミラベル、やめて !! 」
隣にいた魔法使いが急にのしかかってこようとする。
避けた先には、木こりの男が斧を振りかぶっていた。
堪らず上空へ逃げる。
「酷い……」
「ふふ」
頭上にいるリリシーに向かい、積み重なって、崩れて、また積み重なってを繰り返す群衆。
それを見下ろしミラベルも上がってきた。
愉快そうに紅の口角が上がる。
「なにあれ ! まるでアンデッドね ! 」
「操った人を戻して ! 」
「私が死ねば解けるんじゃない ? 知らないわ、術の解き方なんて。必要ないもの。
ねぇリリシー。本当に私に勝てるの ? さっきはあんなにボロボロになったのに ? 」
「……」
「私、貴女にも術をかけようかしら ? そうしたら、戦わずに済むわね。
一生、私の召使いにしてあげてもいいわ」
「いいえ。ミラベル。ケリをつけましょう。正々堂々と。
そうでないとわたしも、貴女を望まない残酷な殺し方をすることになるわ」
「なぁにそれ !! あっははは !
さっきの事忘れたの ? 私の方が強いわ ! やってみなさいよ ! 」
□□□
再び城の周りで撃ち合いを始めた二人を、ノアが第三の塔から心配そうに身を乗り出して見ていた。
「ねぇ、ウィンディ。何とかならないの ? リリシーを助けられない ? 」
〈ウィンディ知らないの。人と魔族が揉めてるだけなの。召喚されたわけじゃないー〉
「でも……君も封印されてたんだし。怒ってたでしょ ? 」
〈うんー。けど、リリーシアの水の魔石はもう解除したの〉
「そういう問題 ? ミラベルが勝ったら、また君は封印されるかもしれないんだよ ? 」
その押し問答にベアトルが止めに入った。
「無駄じゃよ。神や精霊は万物に公平で無ければいかん。
精霊様は蘇り再び水を与えて下さった。
何かだけ特別扱いとはいかんのじゃ」
「でも……」
「ま、特別扱いがあるとすりゃ、そりゃリリシーの契約してるシルフィだろ ? 飛竜一族はシルフと長い付き合いになるからな。
しっかしよォ。リリシーの奴……。あの女に同情してんじゃぁねぇだろうな」
「ええぇっ !? なんでそうなるの !? 」
「……動きを見てると何となく。本気で戦ってねぇ気がするし。
だいたい、あのクソ女も何で町の連中に術なんてかけた ? 」
「なんでって、言うこと聞かせて操ってるように見えるけど……」
「俺なら人質でもとるかな。リリシーに魔法石の付いた剣を手放す様に要求するぜぇ」
「最低」
「最低じゃな」
〈生きた雑巾〉
「誰だ雑巾って言ったの !
だって、おかしいだろぉーが。魔術の知識はミラベルの方が上だろぉが。なのに、なんでリリシーはもっと剣を振らねぇんだ ? あの杖が王子って言ったよな ? だからか ? 」
「それは……っ ! でも、戻せないんでしょう ? このまま杖に気を使ってたら、リリシーが負けちゃうよ ! 」
「まぁ。最悪、リリシーには切り札があらぁ」
「切り札 ? 何それ」
「お前がクロスボウの中で持たされてたモンだよ」
「リリシーのグローブの隙間にあったやつ ? 」
「そうそう。飛竜一族の小瓶で………………………………オメェ、なんで隠した場所知ってるんだ ? 」
ノアは完全に冷や汗にまみれて震え出した。
「ま、まさか !! テメェ !! コノヤロー !! またヤリやがったな !!? 」
「違うの、ただのクセで ……」
「ってか、はぁっ !? そんな隙あったか !? 」
「月華牢で再会した時、あまりの嬉しさに抱きついて」
「あまりの嬉しさに、物を盗む奴があるか !! 」
「すぐ返すつもりだったもん」
「うるせぇ黙れ固まれ !!
んあぁぁっ ! どうすんだよ〜」
「この小瓶が切り札とか、知らなかったし ! 」
「そうじゃねぇだろ ! この生死を分ける戦いの最中に何してくれてんだボケェェェッ !! 」
「うわぁぁぁん ! ウィンディ助けて ! 」
〈人間のそういう愚かなところ、嫌いなの〉
クロウは頭を抱え、何とか打開策を考える。届けるにしても、二人は空中を激しく飛び回っている。
「だぁぁぁ !! なんてことしてくれたんだよこのクソガキ ! 」
「僕、シーフだからね☆」
「開き直ってんじゃねぇ……黙れ固まれ口縫うぞマジで……」
「でも、この小瓶がどうして切り札なの ? 」
リリシーのグローブにあったものは、鳩に頼んで輸送させた飛竜の卵液の入った小瓶である。
「飛竜は子の匂いに対する執着心が強ぇんだ。どんな場所からでも嗅ぎつけられるくれぇに。特にまだ孵化していない卵液の匂いはな。本能的に、巣で卵を荒らした天敵を排除しようとする。
飛竜一族の習わしだ。飼い慣らした自分の飛竜を呼び寄せられるよう、最初に産んだ卵の一つから手早く気付かれない様に卵液を抜き取る。その卵は死産になっちまうが、それを護身用に持って置くんだ」
ノアが小瓶の中を日に照らす。
確かに中身は液体というより、ドロリとしたジェルのような固さがある。
「確実にリリシーが入り込むポイントを考えて行動しねぇと。渡す前に殺られちまうぜ。
どう見てもリリシーが劣勢だ。しかも水の魔法石は使えない。ミラベルは火はつかえるらしいな……。風の魔法石二つだけに攻撃が絞られる」
「どこに行くかなんて、先読み出来ないよ。
あの二人、猛スピードで飛べる上に戦闘中なんだよ ? 」
クロウは少し押し黙ると、リリシーの動きを見下ろす。
いつまで経っても剣を振りたがらないリリシーを見て行動パターンを予想する。
振り返り、クロウがウィンディに問う。
「水の精霊との契約は、リリシーの出発地点の大陸で契約した。ディーネルって名前のウィンディーネだ。それをオメェはさっき、勝手に水の契約を切った訳だがよぉ。
何か理由があったか ?
それとも本当に黒魔術が気に入らねぇのか ?
答えろウィンディーネ。正直に言わねぇと、俺がオメェを封印して売り飛ばすぞ ! 」
「何を言い出すのじゃ、バカタレが」
ベアトルが慌ててクロウを叱りつけようとするが、ウィンディは蒼い瞳を閉じて小さく頷いた。
〈多分そう。予知。そんなに得意じゃないけど。でも、少し視えたの。あの子の最後。
でも気が進まないの〉
「はんっ ! 俺もだよ ! 神様ってぇのはどうしてその辺、柔軟に考えられねぇのかねぇ !? まるで機械だ。
でも命にゃ変えらんねぇ。ノア、オメェのデビュー戦だぜ ! 」
「え ? え ? えっと、リリシーに小瓶を戻す…… ? 」
「違ぇ」
クロウは獣のような鋭い歯を剥き出しにして、ノアを覗き込むように笑い、命じる。
「女王 ミラベルの杖をスれ ! 」
「はぁっ !? 」
「小瓶を返すのはその後だ。今はあのクソ女から魔力を取り上げるのが優先だ」
見下ろせば、二人は城の裏手の教会付近を飛行している。
「そっか……聖堂はミラベルにとって、一番魔力が弱まる場所……」
〈このお爺さんは守るのー。信仰心が温かいのー〉
「そうかよ。
じゃあ、ベアトルの爺さんやっぱここで待っててくれや」
「おお。ウィンディーネ様。誠に感謝致しますわい」
ベアトルをウィンディに任せ再びクロウとノアは階段を降りる。
「はぁ、はぁ、辛っ ! 」
「ゼェ、ゼェ ! 文句言うな ! オメェのせいだろが !! 」
「ふぇ〜ん ! 」
階段を降り、聖堂へ続く地下道に向かう途中、戻ってきたエミリアと合流した。
「そう……ベアトルはウィンディが……。
でも、杖をスるって、どうすれば出来るの ?
ノア、自信は何パーセントくらいなの ? ぶっつけ本番で失敗したら終わりよ」
ノアはそれまでにない真剣な顔で考え込む。
「手を握るくらいの距離ならヤれる」
「え !? そんなに !? 握ってるのに !? 」
ノアはモジモジしながら答える。
「コツがあるんだ。
今もね。
ほら。エミリアの首飾りがここに」
「…………。
ねぇ、雑巾。このガキぶっ叩いていい ? 」
血管が浮き出ているエミリアに、クロウはキッパリ言い放つ。
「……雑巾って呼んだから断る」
「あんた、スらないと死ぬの !? なんなの ! 会う度にスるじゃない !! 」
「エミリアは薄着だから余計に腕試ししたくなるんだよ。
あ〜。でもね。問題は、僕の外見がミラベルにもうバレてる事かな……。リリシーには見られないように言われてたんだけど……」
「外見か……。いいわ。こっちに来て ! 」
エミリアは踵を返して、ノアを城外の小部屋に連れ込んだ。
「俺はぁ ? 」
「出てって ! スケベ !! 」
「なんもしてねぇよ……」
クロウを廊下で見張りに立たせ、エミリアとノアが服を物色する。
その部屋は兵の寄宿所である。訓練生達は、皆ここに住み、一日の作業に入る訳だが、着の身着のまま避難したため何もかもが残っている。
その更衣室にあたる場所がこの部屋だった。
エミリアは割り当てられている仕切り板の文字を指で確認していく。
「あった……。ノーラン王子のロッカーよ」
「まさか…… ?! 無理だよ、背丈が違いすぎるもん ! 」
「そこは、あたしの得意な魔法があるし。大丈夫よ」
ノアはノーランが訓練所で着ていたと思われる騎士服に袖を通す。
「兜はしなくていいよ」
二人はそのまま廊下へ出る。ノアの姿を見たクロウは腹を抱えて笑いだした。
「お粗末な作戦すぎるなぁオイ ! こんなで誰が騙されんだよ !!? 」
「あら、あたしこれでも踊り子としてはレベル高いんだからね ? 」
「踊り子さんってギルドのステージで踊るアイドルでしょ ? 」
「違うわよ !
踊り子は催眠術師よ !
いい !? まずはあたしがミラベルに催眠をかけて、あんたがノーランに見えるように催眠をかけるから、そん時なんかこう、上手くやんなさいよ ! 」
「すっげぇアバウトな作戦だな……。ミラベルが落ち着いてオメェの踊り見てる暇あるかよ」
「そこは軽く、ノリだけでで生きてきた、あたしの運と美貌の見せ所ね……」
「余計不安になったぜ……」
自信満々のエミリアと、半信半疑のクロウ。
そして半泣きのノアは聖堂へ向かうため、再び地下道に入った。