ノーランはリリシーに要求された通り、町の教会へ赴き、事情を説明し神職者らに同行を求めた。すると、急な要件にも関わらず、夜更けのうちに月華牢へ向かうと承諾を得る。これでリリシーの力になれたと、ノーランは滾る。
同行を申し出たのは四人の神職者。
「え ? な…… !? お前は ! 」
目深にかぶったフードから見えるギザついた歯、そして忘れもしない『モップなコート』。
「まぁ、そう言うこった。リリシーの承諾済みだから気にすんな。王子ぃ。
案内頼むぜぇ」
クロウの以外の他三人は勿論、ノアとエミリア、そして元建築士の孫 ベアトルである。
本物の神父達は事情を知ると、ミラベル脱走に備えて、城壁の外で結界を張る準備を行うことになった。だが、敢えて誰もノーランに言わなかった。
「神父様には事情を話してあるから大丈夫だよぉ、ノーラン王子 !
あのね、魔法が使えなくなったのはミラベルが来てからみたいなんだ。何か心当たり無い ? 」
気を使ったノアが説明し、ノーランも事情を把握する。
「僕も魔法が使えないことは聞いたよ。でも知らないなぁ」
「そっか……」
「では、誘導する。枯れ木の背が高いからちゃんと付いて来て」
自身も変装をし、町の教会を出る。城側の壁の亀裂から四人を先導した。
城裏の教会を見た四人は鬱蒼とした廃墟に驚きを隠せずにいた。壁の外から見えるのは屋根の一部と月華牢の塔、少し風化した光の精霊のエンブレムくらいのものだ。まさかここまで酷い状態だとは町の人間も思わないだろう。
「この教会も廃墟なの…… ? 今は使われてないんだ……じゃあ、ウィンディーネの教会どころか、全部が放棄されてるじゃん 」
「ミラベルが黒魔術師だからだろ。
それにしても王子様ぁ。俺が縛られてる間、騎士団にいた顔だよなぁ ? 」
クロウが何か言いたげにノーランに絡む。
「ミラベルがうちの仲間にした事、責任は取って貰うぜ。
テメェ、寝返るなよ ? 」
「僕は王になるんだ。君みたいな浮浪者に言われたくは無いね」
クロウが再び纏ったモップなコートを見て、ノーランは鼻で笑うように馬鹿にする。
教会に辿り着くと、ジリルと教会警護の落ちぶれ扱いの兵達が待機していた。
「さ、早く中に ! 」
「ノーラン様、よくぞ決心されましたな !
ジリル団長。予定通りですぞ ! 」
エミリアが信じられない顔をしてジリルを眺める。
「ホントにジリル団長じゃない ! 兵も寝返るって事よね ? これ、結構歴史的な事態なんじゃないの ? 」
「あ〜。まぁ、そうかもな。でも賛同しない奴はいねぇだろ。魔族に城を盗られてんだからよぉ」
「それもそうね……」
ジリルは周囲を警戒しながら、再び兜を被り直した。
「よし、怪しまれんように訓練場に戻る。お前たち、いつも通り警護を頼むぞ」
教会警護兵はジリルにピシッと敬礼すると、月華牢の持ち場に戻る。
「ノーラン。お前も訓練所に戻るぞ。
まず兵を分けて、町に派遣する部隊を選出する」
ジリルに促されたノーランだが、首を縦に振らなかった。
「僕は見届けるべきだから。ここに残るよ」
「駄目だ。ミラベルは訓練場にも顔を出すことがあるし、お前がいなかったら疑われかねない……」
この時、ジリルは不安に感じた。
ノーランはやはり子供過ぎるのではないかと。
「皆様、さぁ。早く中に ! 」
兵の一人が月華牢の鍵を開け、扉を少し開けた。その音に反応したリリシーが、飛び起きて駆け寄って来た。
「クロウ、ノア ! 」
「リリシー ! 良かったよぉ〜 !! 」
ノアが飛ぶように駆け寄って行く。リリシーは子犬を愛でるように慈しい視線を向けハグをする。
「ああ……。良かった……」
「もう〜。リリシー、僕にクロスボウ持たせる気が無かったなんてぇ」
「ああ、ソレね……。
だって、急に言われたら不快にさせるかなって……『君、泥棒に向いてるよ』なんて」
「僕、言うほどヤッて無いんだけどなぁ〜」
「あんた、あたしの金貨も盗ったじゃない」
エミリアは根に持っている。
「あれはノーカンだよ」
「なんでよ ! 」
リリシーは約束通り、ノアは自分を信じて町で行動してくれた事に感謝する。
そして……リリシーの視線がクロウに向き、途端その美しいエメラルドグリーンが揺らぐ。
「クロウ……クロウ…… ! 」
リリシーは抱き着き、安堵で泣き崩れる。
一度は縁を切られたと思った仲間がここにいる。
それをしっかり、クロウも受け止め、抱き抱えた。
「悪かったよ。テメェが突拍子もねぇ事言うからだろーが……。
いや、あの時は……俺も悪かったけどよぉ……」
むくれながらも、わんわんと泣きじゃくるリリシーの髪に顔を埋めて安心させるように。
二人抱き合う。
「戻らないかと覚悟してたの……」
「どこにも行かねぇよ多分」
「見捨てられたと思った」
「宮廷魔術師なんて戯言が本当なら見捨てたけどな」
天窓から降り注ぐ、火守りの炊く松明の赤色と月光。穏やかな光で二人を照らす。
「ちゃんと信じてたさ多分」
「うん……そうだよね。なんでわたしも不安に思ったんだろう。本当に……」
リリシーの頬の涙をソッとクロウの指が拭う。
その二人の姿に、ノーランの中で言い知れぬほどの嫉妬の感情が湧き上がる。
何故このようなボロ雑巾が、王子の自分よりリリシーに慕われているのか納得がいかない。
「ねぇねぇリリシー、この人は踊り子のエミリア。情報提供者だよ」
ノアに紹介され、エミリアとベアトルが手を振り会釈をする。
「エミリアよ ! よろしく、リリーシア ! あたしもリリシーって呼んでいい ?
ってか、コイツ ! マジで盗みの天才だわ ! 」
エミリアはスタイルもよく女性らしい外見だが、その口調とあっけらかんとした印象はエリナを彷彿とさせた。
長い赤毛がハラリとかかる、露出した胸元が眩しい。リリシーですら目のやり場に困ってしまう程。
「エミリア、よろしくね。
ノアをありがとう」
「うふふー ! あ、こっちはうちの爺ちゃんの知り合い。この城が経つ時に建築士をした人のお孫さんなんだってさ」
「ベアトルじゃ。よろしくな魔法使いさん」
「こちらこそ」
ベアトルは古い設計図を鞄から取り出す。炎城の図面だ。しかし、前にリリシーがミラベルに見せられた物より更に古く、詳細だった。
「早速じゃが、魔法が使えんとな ? 恐らくはあの女王の仕業じゃと思うが、それよりも気になる場所がある。
ここじゃよ」
ベアトルが指で指す場所。
小さな小部屋程度の尺で、城の中心部。更に門の位置から見ても地下に存在する場所だった。
「地下みたいだけど。なんかおかしくない ? この図面だと、地下一階くらいの場所から更に下に……ハシゴでも使うの ? 」
不自然に低い場所で、ポツンと存在するような造りの部屋だった。
「城の内部にウィンディーネを祀った祭壇があったのじゃよ。それがここじゃ。
恐らく、今はそれがミラベルによって封印されてしまったのじゃろう。
その
封印を解き放てば、ミラベルの魔術を相殺……いや、掻き消すこともできるだろう。
この炎城は水が枯渇してから火守りをするようになった……元は水の城と呼ばれていたらしい」
「水の城 ? 今と逆だね」
「冒険者のガイドブックにもそれは書いてありませんでした」
「まぁ、知らんでも無理もないが、そう古くもない話じゃよ。わしらの世代では皆、覚えとる歴史。
これは当時の画家が描いた町の風景画じゃよ」
それは広場の裸婦像から、城に向かった画角で描かれた風景画だった。二つの塔で構築された城の筈だが、絵の中の城は塔が三つ並んでいる。そして印象的な噴き出す水の描写。
「これが……炎城なの ? 城が巨大な噴水のよう。
王子は知ってた ? 」
聞かれたノーランは、首を横に振るだけ。何も言えなかった。恐らく、調べようと思えば城の歴史など、書物庫にいくらでもあっただろう。
ただ本当に母親から出てくる言葉のみを覚えていただけの人生。何事も自分から調べることはしなかった。外国語もそうだ。教師を付けられなくても、やろうと思えば自身で学べたはずなのだ。
リリシーは古い設計図に齧り付くように目を見張る。以前ミラベルの見せてきた設計図とは全く違うが、おおよそは同じ尺で書かれている。
「城の中心部の……地下…… ? その更に下に……。
多分、あの井戸だわ」
「井戸 ? ここ井戸なの ? あぁ、だからこんなに下なのね ! 」
思いだせば井戸には、魔法使いが数人沈んでいた。あれが行方知れずになった神父達だったとすれば辻褄が合う。
神父や賢者ともなれば吸収出来る魔法の量は多いだろう。ミラベルはウィンディーネの祭壇を封印し、井戸に落とした神父達から魔力を吸うつもりだったのだろう。
「ミラベルは魔力をとにかく欲しがってる……。でも、わたしが井戸に落ちた時、魔法は発動しなくても、魔力が吸い取られた感覚は無かったわ。ミラベルの魔力吸収の術は効いてないんじゃないかしら」
更にリリシーには、祭壇の位置にも心当たりがあった。
「井戸の中に部屋なんて……。
あ……崩れる石……。そうだわ ! 井戸に落とされた時、積まれた側面の石が抜けて、空気が吹き出すところがあったの。きっとその裏手に部屋があるんだわ。
だからあんな強力な魔力が吹き上がってたのね……あれはウィンディーネの魔力なんだわ……。
ミラベルも井戸の前では魔術は使えないと言ってた。ウィンディーネがミラベルを拒んでいるのね 」
「神様や精霊様を怒らせたってわけね」
「んで ? その井戸はどうやって行くんだァ ? 」
「また変装でもする ? 」
「いや、必要ないじゃろう……」
ベアトルがランタンに火を灯し、全員を聖堂に誘導する。
教会の石像の下。祭壇の一部を開けると地下に通ずる階段が姿を現した。
「隠し通路じゃ。
賢者様達はここから城内に入り、祈りを捧げた記録が残ってるいる。今も繋がっているだろう。行こう。
男、梯子を持て」
ベアトルが竹で出来た三畳みの梯子をクロウに持たせる。
「折り畳みかぁ ? 折れねぇだろうなこれ……」
「竹は大丈夫じゃ。麻紐の予備はある」
全員で中に入る前、ノーランがリリシーの腕を取る。
「リリシー…… ! 」
「ノーラン ? な、何 !? 」
反射的な行動だった。
クロウに付いていくリリシーの後ろ姿。
仲間が全員揃い、遂にあの井戸を目指す。
その後ろ姿を見つめた時、もう月華牢には戻らないのだと確信したのだ。
「ど、どうしたの ? 」
「…………危険だよ……」
「……ええ。でも慣れてるわ。冒険者だもの。これが『わたし』よ」
「『わたし』 ? 」
リリシーは厳しい表情でノーランに向き直る。
「『あなた』は ? 」
「…… ? 僕 ? どういう意味 ? 」
「『あなた』は何者で、何をするべき人なの ? 」
ノーランはリリシーが問いただす事を頭では理解しているが、心がついていけていない。
「僕は……王になる。
だ、だから ! その時は君も……そばに…… ! 」
ノーランの言葉待たずして、クロウが前に出る。
「リリシー、前方に来い。ベアトルの援護してくれ。
それに……あ〜。本当に無事で良かったぜ」
クロウの長い指が無理やりにリリシーの顎を捉える。
「……ちょっと……ん……」
そして深く。
長く。
官能的に唇を頬張る。
「……はぁっ…… ! クロウ ! も、もう……何よいきなり ! 」
クロウを押し退けながらも、その手は消して拒絶の振り払いでは無かった。
「ヒュー。あんたやるじゃ〜ん ? 」
エミリアがニヤニヤしながらノアの目を塞いでいた。
息が上がって紅潮した顔は、まるで突然リリシーの心を写し出したかのよう。
クロウは無言でノーランを見据えると、挑発するように、まだ潤ったままの唇をペロりと舌なめずりしてみせる。
そして無言のままリリシーを最前列に送った。
「もう……信じらんない 」
「あら、リリシー。クロウにラブレター送ったじゃない ? 」
「な、なんで知ってるのよ !? 」
赤面しながら唇を拭うリリシーにノアもニヤニヤする。
「あ〜、僕も意外だったけど。クロウ文字の読み書き出来ないんだって 」
「えぇっ !? じゃあ、エミリア……まさか貴女が読ん…… ? 」
「あ〜……えっと……。みんなの前だったし ? 全部は読み上げて無いのよ。
でもあの様子だと伝わってたんじゃない ? 」
「……ち、違うのよ。牢にいた時は精神的にも不安定でつい……誤解よ」
「仲が良いなら、別にいい事じゃない ! あたし応援するわよ ! 」
「も、もうこの話終わりね !! 」
満更でもない様子のリリシーの様子に、ノアとエミリアはパーーーンと手を打ち鳴らす。
「あ〜んこっちがドキドキしちゃう ! 」
「クロウって案外、ツンデレなのかな ? 」
「やめてってば、もう……」
細い隠し階段を降りて行く全員の後ろ姿を見て、ノーランは打ちひしがれた心臓を抑え、聖堂を飛び出した。
しんがりのクロウは無表情で振り向きもしない。
「え !? ノーラン !? 待っ……」
「ダメよ ! 」
驚いたリリシーがノーランを呼び止めようとしたが、それをエミリアが厳しい声で制した。
「リリシー。可哀想だけれど、あの王子には必要な事よ。
この雑巾男も悪気があって貴方に皆んなの前で、突然キスしたわけじゃないんだろうし。
分かるでしょ ? 」
「そう……ね」
「心が強ければ、今もここに残ったはずよ。
ここから出ていって、あの王子はどこに行くのかしら。
最悪の事態も想定した方がいいわよ」
「根性ねぇ野郎だぜ。ったく」
「あんたはまずリリシーに謝んなさいよ」
「あぁ ? なんでだよ ? 俺ぁ、味方か敵かも分からん奴と命掛けたくねぇだけぇ」
「済んだかぇ ? 行くぞい」
薄暗い階段はずっとずっと下まで続く。ベアトルのランタンを頼りに、全員わちゃわちゃとしならも緊張はしている。喋らずにいられないのだ。
「でも、案外リリシー、クロウが嫌じゃないのね ? もしかする ? 」
「そんな事ないってば。本当に、急だったからびっくりしただけ」
「そうそう。子供の頃からの付き合いだ、妹みたいなもんだ」
クロウも否定はするが、ここまで来たら弄らずにはいられない年頃のエミリアである。
「あはは、妹とキスするおかしい奴いないでしょう ?
ふ〜ん ! あなた達見てると飽きないかもね ! 男女のパーティかぁ。あたしも長旅とかしてみようかなぁ」
この時、ノアは一人。シンプルな事を考えていた。「クロウは歯磨きを毎日しているのだろうか」と。
「さぁここからは一本道の廊下じゃが、全員闇に飲まれんようにな」
ベアトルが最後尾にクロウにもう一つのランタンを持たせる。
□□□□□
皆が城に侵入した頃。
寝間着に着替えたミラベルは、櫛で髪を撫で付け、オーガニックオイルを塗っていた。
部屋に充満するベリーオイルの香りにうっとりとしながら、美容に勤しむ。
頬の盛った肉が剥がれぬよう細心の注意をはらいながら、パックを外し、何気なく窓の外を眺める。
今夜は雲が多い。
炎城の松明が分厚い雲をオレンジ色に染める。これはこれで美しい。自然と
窓に写る自分の顔に目が行く。
ダンジョンの支度金を受けに来るパーティが途切れている明日のうちにでも、地底湖の魔術を掛け直しに行こうと算段を建てる。
ふと、雲と雲の隙間。
何かが見える。
雷だ。冬の乾燥した大気である。そんな光景もあるだろうと、目をそらすが……。
「…… ? いいえ。違うわね。何かしら」
言い知れぬ気配。
あの雲には何かを感じる。
だがいくら目をこらせども、何も見えては来ない。
その時だった。
バンッと激しい音を立てて、ノーランが部屋へ転がり込んで来た。
「ノーラン ! 貴方はまた ! 何度言えば分かるのよ…… ! 」
「ママ !! ママァッ !! 」
ノーランは取り乱し、ミラベルの足元に崩れ落ちる。
ノーランは、ジリルが心配していた通り幼く、エミリアが危惧してた通りにミラベルの元へ戻ってしまった。
そしてミラベル討伐の全容も全て話してしまった。
「……あの魔法使いめっ ! ……ジリルまで裏切ったの…… !!? 」
歯ぎしりを抑え込み、ミラベルは一度しゃがみ、ノーランを抱き寄せる。
「あぁ、可愛いノーランになんて酷いことを。だから言ったでしょう ? あの魔法使いは、私よりも邪悪で分別がない悪女よ」
「うぅー ! 僕にはやっぱりママしかいないよ ! ママの言った通りにすれば良かった ! リリシーなんか助けなきゃ良かったんだぁぁぁ〜 !! 」
「いいえ。知らなかったんですもの ! 勇気ある行動だったわ ! 流石私の息子 ! 大丈夫よ、ノーラン。私が世界中の誰よりも深く、貴方を愛しているのだから。
貴方は正しい判断をして、ここへ戻った。
それにしても『貴方を王にしない』なんてよく言ってくれるわね」
「ママぁ〜、僕は王になれる ? 」
「なれますとも、当たり前でしょう ?
騎士団に入れてしばらくして……と思っていたけれど……。
思ったより早く時期が早く来たようね……。
スカーレット家の宝物庫に行きましょう」
「宝物庫 ? 何をするの ? 」
「王冠を取りに行くのよ。
戴冠式は追って行うようになるけれど、今貴方に必要なのは王としての自信よ。
ノーラン、王になるのよ ! 遂に貴方が。私の可愛い息子 ! 」
「ママ ! ママ ! 」
ノーランは縋り付くように、ベッドに座ったミラベルの太腿に顔を埋めて号泣する。
「さぁ、立って」
□□□□□□
「この壁じゃ」
真っ暗な地下道を歩いていくと、行き止まりになった壁にベアトルが張り付く。
「エミリア、ランタンを頼む」
「ええ」
ベアトルは腰のベルトから、薪に使用する手斧を構える。壁の上方から、綺麗に叩き崩して行く。
「力仕事なら変わるぜぇ ? 爺様よォ」
ベアトルはクロウの申し出に首を振る。
「いんや。素人がやると崩れた岩で足がやられるぞい」
丁寧に、且つ静かに小さな岩を抜き、大きな岩は抱えて降ろす。
そうして出てきたのはもう一本の通路だった。
「ここ、井戸に向かう地下道だわ……」
ミラベルにリリシーが連れてこられた時、二人で歩いた不揃いな石壁の通路。
四人、その通路に出て井戸に辿り着く。
「ここよ」
「うっ…… ! リ、リリシー……。貴女、ここに落とされたの ? 酷〜」
エミリアがノアにしがみつきながら、井戸の惨状を目の当たりにする。
井戸はリリシーが抜け出した時のまま、放置された状態だった。
鉄の蓋は飛ばされ、結ばれたシーツが散乱し、湿気を吸った麦藁がぐっしょりと床に媚びり付いていた。
今回はシーツを結ぶ必要が無い。梯子を降ろすとベアトルがしっかり抑える。
「わたしが降りるわ」
「気を付けて。次、僕が行くよ」
リリシーが降り、次にノアが降りてくる。
リリシーが壁の一部をなぞり足を止める。リリシーがいる梯子の反対側に回り込んだノアはランタンを受け取り、ジッとその様子を伺う。
「分かる ? 」
「多分、この辺。前より水位が下がってるのはわたしがやったの。あの時は下にある骨を足場にしたら……」
ノアは一旦、井戸の下に降りる。水は既に捌けていた。
ランタンの光で積み上げられた泥と、聖職者達の骨を照らす。
「リリシー、これ……何 ? 」
ノアが水位の下がった井戸の側面を指す。組まれた石の中で一際大きな場所に、小石で擦りつずけた印があった。
「魔法文字だわ……えーと……。これ、魔法を無効にする呪文よ。魔力がいくら湧いても、この井戸からミラベルが魔力を得られる事は出来なかったって事だわ」
ここで魔力を補えれば、ミラベルも削げ落ちた頬を治すのに手こずらないだろう。術はかろうじて使えても、他者の魔力を吸収するのは城内では無理だったのだ。
照らせば壁の隙間に詰め込まれている魔法石があった。
「賢者様と神父様……今まで女王に魔力が吸収されるのだけは抵抗したんだね。
でも……隠し部屋は見つけられなかったんだ。神父様もミラベルも」
「……」
言葉が出ない。ミラベルの残虐さもさて置き、リリシーは溺れないよう必死になっていたとはいえ、この者達を足場にしていたと思うと申し訳なく思った。
「リリシー ? 部屋はあったぁ ? 」
エミリアが降りてくる。
「ええ。多分ここ。空気が出てるわ。けれど、他の壁石が抜けないの」
「そんなの……抜けないなら、叩けばいいじゃ〜ん ? 」
そう言うとエミリアは大きく振りかぶり、装飾品の付いた煌びやかなアームブレスレットで思い切り裏拳を打ち付けた。
ガララッ !!!!
「う、うわ」
「エミリア……意外と、大胆ね……」
「え ? 意外なの ? やだぁ〜、それはそれで嬉しい ! 」
「エミリア早く降りろよ。って、うわぁ ! 踊り子じゃねぇだろオメェ」
「可憐で妖艶な踊り子よ」
「誰も信じねぇよ !
さぁ、入れ入れ ! 」
クロウに急かされ、四人で隠し部屋へ入る。
「これがウィンディーネの祭壇……」
確かに存在した。
それと共に、リリシーは自分の魔力の流れを感じる。
「魔力が……流れるのを感じるわ……」
「シルフィは ? 魔法使えるようになったか ? 」
リリシーは剣を手に持つと、剣先を上へ、顔の前に柄をかまえる。
「風の精霊 シルフィよ。呼び声に応えたまえ」
ロングソードの刃が光を帯びる。
少しの風と共に、極小さな旋風が床の埃を舞上げる。緑色の発光体が形を変え、ノアの身長にも満たない小さな背丈の青年が現れた。蝶のような薄い羽が宝石のように美しい。
〈四大精霊に仕える者。我が力を使う者。召喚に応じた。何用か〉
「目の前にあるのは、水の精霊 ウィンディーネを祀った祭壇です。
城の主が魔族の女に殺され、その者がウィンディーネを封印してしまいました。
解放に助力を願います」
〈理解した。
水の精霊よ。長い事待たせた。目覚めよ〉
風の精霊はそう言うとフ……と姿を消す。
その瞬間、突然祭壇にあった合わせ鏡が粉々に飛び散った。
「きゃっ ! 」
「ノア ! 」
「リリシー ! 」
飛散した破片から守るように、反射的にリリシーはノアを守り、クロウはその上からリリシーをモップなコートで覆い隠す。
「ちょっとちょっとぉ〜。あたしの事も誰か守りなさいよ。半裸なのよ ? 」
「「「ごめん、エミリア」」」
リリシーは祭壇に近付くと、棺のような石の箱をゆっくり開け放つ。
だが中は空だった。
「リ、リリシー ? 」
「……いえ、これで封印は解けたはずだけれど……」
「……。……なんか、揺れてない ? 」
激しさを増していく揺れと地響き。
城全体が軋み、何かが動き三半規管が狂い、五臓六腑が浮き上がる。祭壇のある部屋が急浮上していくのが分かる。
「城が !! 動いてる ! 」
「爺さん ! こっちに入れ !! 」
「ふぉ〜っ ! 」
城が割れ、祭壇部屋を頂点とし、第三の塔が高く大きく突き上がっていく。
「どういう事 ?! ウィンディーネはどうなったのよ〜 ! 」
「封印は解けたのじゃ ! 設計図にあった沢山の歯車がこれじゃ……。ああ、遂に。城が戻っていくぞい ! 」
全員が床に這いつくばり振動に耐える。
壁が動き、床が抜け、無かったはずの空間が現れ、まるでカラクリ屋敷のように炎城は砂煙を上げながら変形していく。
□□□
「城が……」
その頃ジリル隊は町の人間を裸婦像のある広場に集め混乱が起きぬよう、ゆっくりと事情説明をしていた。
商人達は店を閉めると騎士団と共に町人を誘導、ギルドは冒険者が結託し、魔法使いは神父達を追って城外へ出て結界を張り、腕に自信のあるものは自警団に加勢する。
「百年以上も前に……水は枯れたはずじゃが……」
形を変える炎城を見上げて、比較的、年老いた者達が中心に声を上げる。
水の祭壇を頂点とし、山型に三つの塔へと変形していく城。
動きが止まった頃、突然の地響きと共に城の古いアーチや窓口から、大量の水が吹き出した。
「不味いぞ ! あの水が来たら !! 町がのまれるぞ ! 」
「ジリル団長。この広場で大丈夫でしょうか ? 」
「くっ……出来るだけ多くの者を城壁に登らせて……」
「大丈夫じゃよ」
「うむ。これが我が城じゃ。大丈夫な様に町は作られとる」
慌てるジリル達に、老いた者たちは皆呑気に髭を撫で付け、清々しい面持ちで城を見上げる。
「水没するところに民家は無いのじゃよ」
「いつかこの日のために。わしらが大工達に言い続けて来た」
「炎城の歴史が終わる日じゃよ」
城から噴き出した水は中庭も一枚目の城壁も水で満たしていく。しかし城門の側には仕切り壁があり、決して城が水没する気配は無い。
水は通るべき水路だけを通り、一切の被害をもたらさず、町の路地も川となるが流される物も無い。
広場の裸婦像からも水が流れ、花壇にしていた場所に水が満ちる。ここは噴水のある広場だったのだ。更に小高い丘になっていて、飲み込まれる気配はなかった。
人々は変貌していく町並みを呆然と眺める。
「店も……無事だわ……」
「そういえば、玄関先が酷い段差で……。皆んなスロープを付けて生活していたけれど……」
「そういう事か。ここは水路だったんだな……。水上都市だ」
町が水没する事がないよう、初めからそう造られていた町並み。
たった数百年の歴史の影に隠蔽されていた、本来の水城の姿。
水圧で城壁を水が登り、外周壁からも水が噴き出す。その勢いは凄まじく、とめどなく溢れる豊かな水。
遂に平原の一部を飲み込み水濠守備の城へ変化を遂げた。
澄んだ水がせせらぎ、町の一部を流れ、城壁から落ちる水は霧雨を立て虹を作る。
城を囲んだ堀に、鏡のように美しい水を求め小動物が近付いて来る。
外で結界を張っていた者達も、皆唖然とその様子を見ていた。
「これが炎城なのか…… ? 」
「ああ。昔は火ではなく、水で城を守ったのじゃよ……」
「何故、俺たちの世代は知らないんだ ? なんで教えてくれなかったんだよ」
町の青年たちが老人たちに責め寄る。
「言うことを止められておった。ここは水城と呼ばれた、水精霊様の住む清らかな土地だったんじゃが……」
老人達は落ち着いた様子で話し始めた。