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6:炎城アンダー

 赤々とした松明の炎が夜空に浮かび上がる、通称 炎城。

 その城門が開かれ、ジリルがクロウを誘導しリリシーの前に現れた。

 相変わらずボロ布が二足歩行しているような出で立ちだ。故にリリシーは、クロウがミラベルに鞭を打ち付けられた服の裂け目を見極めることは出来なかった。

 リリシーのそばにはノーランがお付きで立っていた。


「クロウ ! 」


 リリシーが安堵の色を浮かべてクロウに駆け寄る。

 だが、クロウは何も見ていないかのようにそのまま城外へ歩いていく。


「ま、待って !

 えと、ノーラン ? 朝までには戻るわ。町にも行かなきゃならないの」


「こんな夜更けにですか ? 僕はいいけど、マ……ミラベル様に断らないと……」


「ミラベル様には言ってあるから大丈夫よ」


 リリシーはノーランにそう告げると、クロウと共に城を出ていった。


 ノーランはそれをじっと見つめる。

 揺れる白霧の様な髪に、自分を見上げた時の澄んだ瞳。自分と同じ剣を嗜む者でありながら、尊敬する母が唯一認めた魔法使い。それが宮廷魔術師の第一人者として赴任となる。

 ジリルはノーランの様子にプッと吹き出す。


「まぁ、なんだ。お似合いなんじゃないか ? 」


「えぇ !? な、な、何がです !! 」


「嫁候補さ。ミラベル様は気位も高く、そうそうお前に女が出来るのは望まんだろうが、あの子は母上に気に入られたようじゃないか」


「ママが……あの子を気にしてるのは……そんなんじゃないです」


 ノーランは父親であるスカーレット王の死因をミラベルと共謀して隠蔽した事実がある。

 だが、それだけだ。

 ミラベルの生い立ちや、あの祭壇の本来の意味を知らされていない。結局はリリシーだけがミラベルの素性を知る。


「宮廷魔術師の役職が遂に軍に出来るのだな。俺たち騎士団や兵とは普段は相容れない存在だが、手を取り合い上手く国の為に力を合わせなければならん」


 ジリルは根っからの堅物ではあるが、大人としての切り替えはしっかりしている。

 故に、一度訓練場を出て鎧を脱げば、ただの気さくな男性という朗らかさも見せる。

 皆が望んでジリルを慕う理由でもある。


「女性である差別や、年齢による幼さを理解し、馬鹿にするのではなく、互いを助け、力になるのは『仲間』としての仕事でもある。他の兵にも、ノーラン……お前からも指導してみるといい」


「僕が、ですか ? 」


「ああ。そういう人の纏め方と言うのは、俺より王になるお前に必要になるものだからな。

 ははは。その時が来たら、俺はお前にこんなふうに気軽に喋ったり飲み明かしたり出来ないんだろうな」


 ノーランは一人息子である。

 ジリルは当然、ノーランが跡継ぎだと思っているし、ミラベルからもそう告げられて、騎士団長のそばで漢気を養えと、ここにいる訳だ。


「団長は、今以上の地位が欲しいとは思わないんですか ? 例えばもっと大きな街の騎士団長や、魔王軍討伐隊に抜擢される各国の友軍兵団の参加とか」


「考えたさ。若い頃は特にな。腕に自信はあった。

 しかし今、俺は家族がいる。

 見ろ。城壁に松明を灯し続ける火守り達。奴らは年寄りばかりだが、この騎士団から出た者が多い」


「確か、戦で戦えなくなった人を雇っていると……」


「そうだ。俺達の戦友や騎士の先人たちだ。手が不自由な者もいれば、任期満了でピンピンしてる太い先輩もいる。

 ああいうのでいいのさ」


「ああいうの……ですか ? 」


「そう。平凡な老後を迎える生活さ。

 子供の頃、俺の家は金はあれども『友』がいなかった。周囲は皆貧しい家。そんな土地で育った。その者達は貧しいながらに結束力が強くてな、俺の家だけが浮いていたよ。

 同じ世代の子供が道端に座り込んで、見た事のない乾物を野良犬と交互にしゃぶっている。

 俺にとっちゃ、それが羨ましかった。

 ある日、町は魔物に襲われ、家族全員でこの炎城の町に受け入れられた。その時、強く思った。平和に暮らせることが何より一番だと。

 そして兵から騎士と順調に昇進したが、そんな事よりも今の俺にはずっと欲しかった『仲間』が居る。勿論、お前もだ、ノーラン」


「団長にそう言って貰えるのは光栄です。僕は全く剣技は苦手なままで。卒業出来る日が来るかどうか……。

 でもそれでは団長……今、魔物と戦う騎士団にいるのも危険なのでは ? 消して怪我の無い仕事じゃないですし」


「まあ、この付近で活動する分には問題ないさ。老後はあの火守りをしながら穏やかに暮らせればそれでいい。

 その頃は、お前がこの国の王になるんだな。なんだか不思議だよ。騎士団を卒業する日は全員で思いっきりパーティをしよう」


「……」


 ノーランは返答しなかった。

 何故かは分からないが、そんな日が来ることが想像出来なかったのだ。ミラベルの年を逆算してもいい頃合の年のはずだが、自分自身が親離れしていない上に、ミラベルもノーランに王として必要な何かを教えるということは無かった。体良く騎士団長に預けられたが、王になる為の外交相手や言語学等は今だ始められず不思議に思っていた。

 ミラベルとは、ただの一度も将来について等、そんな話になったことがなかった。

 当然である。ミラベルは老いる気が無いのだから。

 王座を譲らないのは言うまでもない事実だった。


 □□□□□□


「ねぇ ! クロウってば ! 」


 クロウは町の中まで来ると、ようやく足を止めた。

 夜も遅いと言うのに、酒場や食堂はまだまだ明るく、多くの人が行き交っている。


「無事だったの ? あのね……ダンジョンで ! 」


クロウの声を聞いた瞬間、感情が爆発するようにリリシーの瞳にワッと涙が溢れる。しかし、クロウは素っ気ない態度で一歩踏み込んできたリリシーから距離を取った。


「聞いたぜ。あいつらの事もな」


 視線を落とし、足元の小石をにじりながらクロウは答える。


「わたし…… !

 ……助けられなかったの。どうしても…… ! 」


本来ならリリシーは、慰められ、包容され、気持ちを分かちあって欲しかったはずだ 。しかしクロウの態度に踏みとどまる。

元々減らず口の多いクロウだが、身内に対しての情は強い方なのだ。それなのに冷静すぎる……いや、冷たくあしらわれているのを察する 。


「責めちゃねぇよ。元々レベルの高い場所だったろ」


「……鎧、ありがとう。ピッタリだよ。出来るの待ってから行けば良かったかな……。それならこんな事にならなかったかなって……。未だに二人がいないことが受け入れられないの……」


 顔をあげたクロウはまるで狂霊の様にリリシーを見て嗤う。


「それでその体か。匂うぜ。オリビアとエリナの匂いだ」


 リリシーはドキッとして後退る。


「これは……」


「宮廷魔術師 ? ミラベルに協力 ?

 おめぇ何言ってんだ ? 」


「……それは、まだ保留で……」


要求を飲まなけれえばクロウはここにいなかっただろう。


「ゲスな魔法に手を出したな、リリシー。

 てめぇ。外法に仲間を巻き込んで……今度はあの女王の手先になるのか ?

 魂まで穢れたもんだぁ」


 クロウはミラベルから、全て聞かされた上で城を出て来た。それもかなり事実とは歪んだ事を吹き込まれている。どの道、リリシーに言い訳をする余地は無い。傍から見ればその通りなのである。


「もっと賢い女だと思っていたが、結局は世間知らずな小娘。おめぇ自身はとんでもねぇ大馬鹿だったわけだぁ。

 笑えるぜ」


「っ !! 分かったふうに言わないで !!

 二人の死を目の当たりにした !! この目で !!

 この身体に後悔なんて無い ! 二人を置いてくるなんて出来なかった !

 ミラベルが元凶なのは百も承知よ !

 クロウ……それでもわたし、もう……もう仲間が死ぬところなんて見たく無いの……。旅は好きだけど……落ち着きたいのよ……。次に出会った仲間がまたこんな事になったら耐えられないもの」


「ああそう。それも人生の選択肢だよなぁ ? 止めはしねぇよ。二人の事は俺も残念だよ。

 俺は元の生活に戻る。もう炎城に関わるのはごめんだね。

 じゃあな、魔法使い」


「待ってクロウ。町に引き取って貰いたい子が……」


 伸ばしたリリシーの手を、クロウは思い切り払いのけた。


「聞きたくねぇっ !

 もう俺の前に二度と現れるなよ。誰だか知らねぇが、俺に頼るんじゃねぇ ! 」


 クロウは早足で歩き始めた足をピタリと止めるて振り返る。

 鋭い歯をギッと見せながら、皮肉たっぷりの笑みをリリシーに突き出した。


「なぁ……。リリシー。

 そのゲスな魔術で得た、あの二人の魂……。

 二人の声は……ちゃんと今も聴こえてるかぁ ? 」


「……え…… 」


 それはリリシーしか知らない事実だったはずだ。身体を継ぎ接ぎした事で自分の中に取り込んだ二人の人格か魂か。

 炎城に来てからというもの、それらの声がぱったり止んでいた。


 戸惑いを見せるリリシーに背を向け、クロウは町へ消えていった。


「……どうして……。

 クロウ……」


 リリシーにとって、クロウは望みの綱だったと言うのに信頼を失ってしまった。遠ざかっていくクロウの後ろ姿には殺気にまで近しいオーラがある。とてもでは無いが、引き止めて自分の言い分も聞いてくれ……とは言える雰囲気では無い。


 リリシーはしばらくその場にしゃがみこんで動けずにいた。

すると、しばらくして何故かノーランが探しに来た。


「……わたしが脱走するとでも ? 」


「え ? いいえ。その……たまたまです。あの男は……鍛治職人でなければ、ならず者と変わりません。気落ちする事はありませんよ」


 そんなことは無い、と以前なら否定しただろう。

 クロウに拒絶された事で、リリシーは予想外のダメージを受けていた。もう敵になってしまったような気がして、本当に自分の判断が正しかったのかも分からなくなる。


「戻る」


「ええ。メイドに言えば暖かいミルクをお持ちすると思いますよ」


 石畳の坂を上がり門を抜け居住塔の入口へ行くと、ミラベルが立っていた。


「ママ ? 」


 この言葉にリリシーはギョッとする。

 騎士だと思っていたこのノーランが、件の一人息子だとは。ミラベルから息子の存在は聞いてはいたが、まさかこの男だったとは。


「ごめんなさい。貴方、王子だったのね……わたしてっきり……無礼は無かったかしら」


「ああ、違うんだ。今は騎士だから、それでいいよ」


 ミラベルはリリシーの様子を見ると、ノーランに外すよう指示をする。


「騒がしい息子で……ごめんなさいね。今はジリルの部下として扱って頂戴」


「そ、そうですか。騒がしいなんてそんな。とても優しそうな方だと思いました」


「クロウには会えた ? 帰りが早くて驚いたわ。積もる話もあったでしょうに」


「……あ、いえ。……もう会わないかもしれません」


 落ち込むリリシーを見て、ミラベルはリリシーの手を取る。


「去るもの追わずよ。時が経てば、彼も気持ちに整理がつくんじゃないかしら ?

 ……その様子だと眠れそうに無さそうね」


「はい…………そう……ですね」


「じゃあ、城の地下に魔力量の多い場所があるんだけど、制御が難しいの。見てみて欲しいのよ。わたしも何回か試したんだけれど上手くいかないのよ。

 貴女が使える魔法の中に、魔力を安定させる術があればいいんだけど」


「魔力量の……多い場所、ですか ? 」


 誰もいない城内を二人で歩く。

 ミラベルは燭台を手に取ると壁の小さな蝋燭の火を燭台に移して行く。


「光の魔法使いましょうか ? 」


「いいえ。何に反応するか分からないから、魔法は使わない方がいいわ。以前、私もランタンの魔術を使ったことがあるんだけれど、弾かれて少し火傷したの」


「危険ですね」


「城を立てた時の書物を確認したの。でも……そんなはずないのよ。

 さぁ、こっちよ」


 燭台を掲げ、その灯りを頼りに居住塔の地下を目指す。

 地下一階に降りると、細い横道がしばらく続く。加工の大雑把な石垣の壁だ。突き当たりまで来ると、蝋燭や絨毯も無い、冷たく濡れた螺旋階段が姿を現す。湿気とカビの匂い。少し歩くと顔に蜘蛛の巣が引っかかる。


「嫌ぁねぇ。ごめんなさい、普段来ないもんだから」


「いえ……」


 しかし、確かに感じる。

 微量な魔力。


 下まで降りると、七平方フィート程の部屋があった。土の床で、一辺が成人男性が寝て少し余る程度の正方形の部屋。

 真ん中にやや細い石の筒が不自然に突き出ていた。


「井戸……ですね……」


 ミラベルは井戸に手を翳すと、リリシーを呼ぶ。


「この上に手をかざしてみて」


 リリシーは言われるままに手を差し伸べる。

 脅威的な魔力が風と共に吹き上がってくる。


「確かに ! ……これは凄い魔力ですね。

 でも、どうしてこんな場所に井戸が ? 」


「これは建設中に作業員が使ってた井戸なのよ。間に合わせの給水所ってところね。これが当時の基礎の図面。ここに印がついているでしょ」


 井戸のある位置には確かにバツ印が付いていた。丁度、炎城のド真ん中である。


「他の書類も調べたんだけど、この井戸は町より先に出来ていたらしいの。このバツ印から線が真っ直ぐ引いてあるでしょ ? ここはエルザ山脈よ。

 井戸の水は、あのダンジョンの地底湖から引いているの」


「え !? なら、これは……毒……っ !!? 」


「そう思うでしょう ?

 けれど、ここの水はいつ来ても毒を出すことは無いわ。

 考えられるのは、水中に人がいないからとか。あの地底湖は、人が入った事を感知して水が毒化するからね」


 中は真っ暗だ。

 だが風があると言うことは、水で満たされていない証拠だ。枯れているか、その寸前か。隙間があるのだろうか。


「これを知ってから、慌てて町中水質調査をして……異常は無かったんだけれど。皆の使う水路は大事を取って、山の麓の湖から引くようにしたの。それが平野にある水路よ。

 でも、図面を見ると、この水は正真正銘あの地底湖の水なの。

 不思議だと思わない ? 文献通りなら、昔の大工達は、この毒の水を飲んで作業していたことになるわ。人を感知する毒水なら飲めないはず。ならばあの地底湖の土地が毒を出すのか……正直、あの地底湖の毒が何か、わたしも分からないのよ」


「もしくは……昔はあの水に毒性が無かったんじゃないでしょうか ? 」


「そうかもしれないわね。可能性としてはあるわ。

 なんにしても、ここじゃ魔法は弾かれる。地底湖の魔力が逆流している訳でもないのにね。

 不思議だわ。だって水を引いたということは、城を建てた職人達はダンジョンに出向いた事になる。あのハイレベルなダンジョンに。

 わたしがあのダンジョンに関わったのは、結婚してからよ ? 」


「謎が多いですね」


 リリシーはもう一度、井戸の縁から中を覗く。

 深く暗く、冷たい。思わず飲まれそうになる様な漆黒。


「……ねぇ、リリシー。クロウとは話さなかったの ?」


 ミラベルはおかしいと思った。

 クロウはミラベルを敵視している。必ずリリシーを説得するか、ミラベルから取り返す算段を企てるはずだと。

 しかし、数分もしないうちに項垂れてノーランに励まされて帰ってきたリリシー。

 これは本当にリリシーはミラベルに服従も有りうるかもしれない。


「あ、それですけど。完全に嫌われてしまって……」


 ミラベルは確信した。

 リリシーが行った魔術は、普通の人間なら血生臭く、嫌悪感のある術。それも、死を受け入れず、天に昇る事を許さない。

 クロウは明らかに激怒していた。リリシーの元には戻らないだろう。


「そう……残念ね。彼の技術も素晴らしい物だったのに」


「あの、それなんですけど。わたしがダンジョンでやった『魔術』の事をクロウは知ってました。

 ……何故、話したんですか ? 」


 この質問に、振り向いたミラベルの笑みに、リリシーはザワッと背筋が凍る感覚に陥る。


「あ〜、それねぇ。

 これを見て。実はね、あの地底湖の魔蝙蝠に術をかけていたのよ。これも魔術の一環で、生き物が見たものの視界や記憶をジャックする術なの。憑くって言えば分かりやすいかしら」


 そう言い、ミラベルは大きな水晶を召喚する。


「だから、後から何が起こったのか……ふふ、これで全て見たのよ ? 」


「…… ? なんの話ですか ? 」


 ミラベルは答えない。

 ところが、水晶に写った人影が突然声を発する。


『リリシー !! 』


 リリシーは驚いて水晶を見た。


『どうすんだい ! オリビア ! 』


「オリ……オリビア ? ……エリナ…… ? 」


「魔蝙蝠の記憶をね、水晶に移動したのよ。作り物じゃないわ。便利でしょう ?

 これは実際に起こった事。

 魔蝙蝠が目撃した過去。

 あるがままの残酷な真実よね」


『おい、霧が濃くなってきたぜ ! 』


『まずい ! 毒だ ! リリシー ! 上がって来な !! 』


 エリナはそばにあった石をいくつも地底湖へ投げ込む。


『駄目だ。案外深いのかもしれない。

 一旦上へ避難しよう ! 』


『リリシーを置いて !? 』


『リリシーは呼吸魔法使ってるから大丈夫だろ ? 』


『中で戦闘になってたらどうすんだい !!? 』


『このままじゃ俺達が……ガハッ…… ! 』


 口から溢れ出す不穏な鮮血。


『オリビア !? 』


『ヤベェな……予想より強いぜ……この毒……内臓が……』


『まさか湖の水が…… ? ……ウッ、ゴフッ…… ! カハッ…… !! 』


「み、みんな ! なんで !? わたしを置いてってくれれば良かったのに !! 」


 リリシーの息が上がる。

 予想としては、即効性のある毒だと思っていた。足を動かす間も無く倒れ込んだのだと思い込んでいた。

 だが、現実は。

 オリビアとエリナは浮上してこないリリシーを置いていけず、迷いに迷い、タイムオーバーを迎えてしまった。


『リ、リリシー……』


『……う、うぅ………』


「そんな…… ! こんなの……酷すぎる…… ! 」


 それはリリシーが見る事の無いはずだった、仲間の死に際の姿。

 やがて声は無くなり、血の泡を吹く。痙攣しながら毒にもがき、地面の砂を掻きむしる。


 ここで天井まで霧が上がってきたのか、この視界を持った魔蝙蝠は、地底湖の湖から上の階へ脱出していた。


「うっ……うう……二人とも…… ! どうして ! 」


「あぁ〜あ……。リリシー、貴女が少しでも不審なものを得みた時、一旦水面へ上がっていれば、こんなことにならずに済んだかもしれないのにねぇ〜 ? 」


 リリシーは真っ青な顔でミラベルを見上げる。


「何故こんなものを見せるの !? 」


「私が憎い ? そうよね。

 さぁ我が城の宮廷魔術師のリリシー。それとも冒険者の魔法使いリリシー ?

 貴女、これでもわたしに忠誠を誓えるのかしら ? 甚だ疑問よね」


 するとミラベルは愉快そうに口元を手で覆い、クスクスと笑いを堪える。


「あなたはわたしをどうしたいの ? 心配してたのは全部嘘だったってわけ ? 」


「この井戸の不思議な経歴は本当よ。でもこの井戸には魔術をかけた。あの地底湖のように魔力を吸う術をね ! 魔法も使えない ! まさに魔法使いの為の牢獄 !

 あなたを仲間になんて ! 考えもしてないわよ ! 当然じゃない !! 」


 ガシッ !


 突然、豹変したミラベルがリリシーの頭を鷲掴みにする。


「私が ! 貴女を生きて、返すわけが無いっ!! でしょっ !! 」


 ゴッ !


 一瞬何が起きたのか分からなかった。

 井戸の縁に顔を打ち付けられたのだ。

 リリシーが顔を上げると、額の肉がパックリと開く。傷を抑えるが、頭の流血は予想より出血が酷く、すぐに視界を奪われる。。


「……くっ ! シルフィーよ ! 」


 魔法が発動した気配は無い。


「無駄って言ったでしょ。ここは魔法返しの魔術がかけてあるの。人間の魔法使いは、魔力の持ち腐れね。なんの知識もない。

 まだ分からないの ?

 貴女をここに入れて、魔力を吸わせ蓄積するのよ」


 ガッ !!


 ミラベルは思い切りリリシーを抱き抱えると、そのまま井戸へと向かう。


「や、やめて !! ミラベル ! 」


「大人しく魔力発生器になる事ね。気が向けば餌を落として ! あげる !! 」


「やだ !! いや !! 」


 華奢なリリシーの身体だ。

 左手のエリナの怪力も、ただポカポカとミラベルの背を叩くのみ。

 宙に浮いた足が、遂に逆さになるのが分かった。


「きゃぁぁあああああああっ !!!! 」


 ドシャッ!!


 鈍い音がこだまする。


「……はぁ、はぁ……。全く ! 手こずったわ……」


 ミラベルは重い格子蓋を上げ、その上に石をのせた。


 中に落とされたリリシーは、何とか起き上がるも、落下の体勢か、足と肩を強く打っていた。

 起き上がれない。

 全身の痛みで口が聞けない。半身程まで水が溜まっていた。口の中にどんどんその水が入ってくる。


「ラ、ライト ! 」


 魔法はやはり使えない。

 手探りで何とか浮くように起き上がる。

 指に何かが当たり、人骨だと把握する。それが幾重にも積み上がっていた。

 つまり、ここは一度落ちたら出られない場所である事を意味していた。


「ふっ…… ! うぅ ! うぅ〜ッ !! あああああああ〜〜〜っ!!」


 この時、初めてリリシーはわんわんと泣いた。今までの我慢の分、涙はいつまでもとまらなかった。

 ノアといた時はあれだけ警戒していたミラベルに、何故こうも簡単に騙されたのか。自分でも分からなかった。


「アッハッハッハッハッ !!!! 哀れなリリシー !! クロウも何度も鞭打ちしたのよ ! 今頃クロウはどんな気持ちで貴女の事を考えているのかしらァ !? 」


 この泣き声に気分を良くしたミラベルは、恐ろしい程の剣幕で笑い声を上げ続けた。


「ふふふ。全く……ダンジョンの誘致は正解よね。まさかこんな魔法使いがうろついてるなんて !

 そこで悔いながら朽ち果てればいいわ ! 」


 燭台を再び手にすると、螺旋階段を上がり、自分の居住塔へと消えて行った。


 ミラベルが姿を消した地下。

 歪みが激しい石垣に身を隠し、一部始終を壁に張り付き、聴いていた者がいた。


 ノーラン · スカーレットである。

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