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1 : ノアと女王の金貨

 エルザ山脈の裾野には湖があり、その水源を引く水路が平原地帯まで続く。途中、農場などを持つ小さな村に枝分かれはするが、主水路は石組みされた城壁に繋がる。

 その城こそ、この大陸で一番の権力を持つミラベル女王の根城である。

 世界最高レベルのダンジョンを持つ地域とあれば、城下町のギルドにも冒険者は多く賑わう。旅人が立ち寄るには都合がいい、有名なアイテムショップや鍛冶屋もある。


 そしてギルドに来た優秀な冒険者を目敏く見張らせ、女王のお眼鏡にかなえば、ダンジョンの攻略依頼が王室からの正式依頼として舞い込み、支度金が用意される。


「ママ ! ねぇママ !! これ見て」


 まだ日が昇って間もないうち、若い男性騎士がミラベルの寝室に飛び込んできた。


「馬鹿者 ! ノックをしなさい !

 それに私は今、着替え中です」


 その容姿はまさに黒豹のような完璧なプロポーション。白く豊満な胸元ながら、引き締まったウエスト。締めたばかりのコルセットから伸びる長い脚は妖艶な色香が漂う、程良い肉付き。そして針の様な強いコシのある髪には綺麗にウェーブをかけられ、ひかりでヌラリと波打つように反射する。


 ミラベルは鏡面台に腰をかけると、一度侍女達を下げる。


「……ノーラン……。貴方はもうただの息子じゃないのよ ? 騎士として一人前になるまでは……」


「とにかくこれ見て ! 」


 ノーランはミラベルの一人息子である。亡き王との間に子が儲けられず、養子としてやって来た。国民も大いに歓迎ムードでがあったが、成長と共に『このまま王座をくれてやる訳には行かぬ』との声が上がり始めた。そこで王家の騎士団長 ジリルに見習いとして預ける事にしたのだ。

 訓練成績は今の所は問題は無いようだが、実戦経験は無く、本人もまだまだ精神的に幼い。もう酒が飲める歳になっても母親のミラベルにベッタリであった。


 そのノーランが手にした紙には、ギルドからの通達と共に似顔絵が添えられていた。


『冒険者 オリビア一行の動向が追えず報告いたします。加えて、麓の村で同パーティの魔法使いリリーシアと見られる女性の目撃談があり。生還した可能性』


 そして、もう一枚にはリリシーの似顔絵が添えられていた。


「……一人だけ…… ? 地獄帰りかしら……」


 ミラベルの表情が険しくなる。


「ママ……どこまで行ったのかな ? 」


「……。まぁまぁ……お可哀想にリリシー……。

 話を聞きたいわ。ジリルを呼んできなさい。ノーラン、貴方もすぐ支度しなさい」


「分かっt……分かりました ! 」


 ドタドタと出ていく息子を見ながら、ミラベルは溜め息を漏らす。あれでは王室の人間として外に出すのも恥ずかしいとまで思っている。


「魔法使いの地獄帰り……」


 ミラベルは報告書を再度見つめる。


「あのダンジョンあっての我が城だわ。簡単に無くなったら困るの。

 リリーシア……貴女はあのダンジョンをどこまで攻略したのかしら ? 」


 エルザ山脈のダンジョンは強敵揃いである事は前提として、それ故に依頼が無くとも無茶な挑戦を決行するパーティも少なくは無い。殆どはレベルの違いを悟った段階で引き返すのがセオリーだ。

 だがパーティがほぼ失われる程とあっては、恐らく攻略の可能性があると見越して……それなりに内部に進んだはずだ。


「冒険者などと言う無価値な連中に、あのダンジョンを壊されては困るわ。

 でも攻略するなとは言えないし、支度金を削れば私のイメージが下がる……。

 あぁ、嫌だわ、穢らわしい」


 ミラベルは髪に王冠を乗せようと鏡を見、自分の瞳孔が獣のように縦長く変貌しているのに気付いき、慌てて瞼を閉じる。

 ものの数秒で元のルビーを思わせる輝きのある瞳に戻った。


「いけない、つい……。ああ ! リリーシア ! 会うのが楽しみだわ……一体どんな娘なの ? ふふ」


 鏡台を立ち、外を眺める。

 リリシーは仲間を失ったばかりだ。ミラベルは『このような気分で接してはいけない』と、一旦窓の外を眺めて気を落ち着かせた。


「終わったわよ ! 早く着付けを続けて頂戴 !! いつまで引っ込んでるの ! 」


 ヒステリックに叫ぶと、再び侍女が慌てて戻って来た。


「雨が降るわ。やっぱり今日は、髪を纏めて頂戴」


「かしこまりました」


 侍女達は晴天の空色をチラりと見上げながら、言われた通りにミラベルを飾っていく。


□□□□□□□□


 日が完全に登る前。

 まだ濃霧立ち込める中、リリシーはメイドの着ていた黒いロングワンピースと、廃棄されていたクロスボウを片手に村を出ていた。

 階段の床にそっと置かれていた粗末なサンドイッチを布で包み、懐に入れてきた。


 村が見えなくなる直前、一度立ち止まり振り返る。

 あの老人に礼の一つも言えずに出てきた事だけが心残りではあった。

 白銀の髪が霧に紛れるようにキラキラと靡く。

 再び歩みを進めようとした瞬間、村の方から誰かが手を振りながら必死に走ってくるのが見えた。

 このまま逃げてしまおうかと思ったが、結局迷ってるうちに追いつかれてしまった。


「よ……良かった ! 間に……合って !! 」


「……先を急ぐから」


 来たのは村人のようだ。幼い少年で、長めのブルネットがふわふわ揺れる。

 何か詮索されても面倒だと、リリシーはすぐに踵を返して早足で歩き始める……が、そのスカートを少年は離すまいとギュッと両手で掴み引っ張る。


「や、やめて。破れる」


「え ?! 違っ !! そんなつもりじゃ…… ! 」


「何か用 ? 」


「これ !! 」


 少年が突き出したのは麻の小袋だ。

 間違いなく、それはリリシーが酒場のカウンターに置いて来た物だった。


「……そんなの知らない」


「そんな訳無い !! 女王陛下の刻印のある金貨だよ !? ギルドにも確認したもん ! 最近あのダンジョンに行くのに、王家からの支度金を受けたのは一組しかいないって !

 こんなに貰えないよ ! 」


「ギルドに……報告したの ? 」


 リリシーの顔色が変わる。


「だって……この金貨は僕らにとっては換金するしか使い道がないし。それにしたって高価すぎるもん……」


「貴方、あの酒場の子 ? 」


「昼だけお手伝いしてるんだ。普段は教会に住んでる」


 ギルドに行ってリリシーの足取りを知ってるとなれば、この少年は危険だ。

 教会の殆どは孤児院を兼ねている。故に迫害も酷いのは言うまでもなく、また最近は孤児院の責任者にも、差別のがみられる。

 この少年が今日明日いなくなっても、誰も探したりしないだろう。


「……じゃあ、それアナタにあげる。

 すぐ村を出た方がいいわ」


「な、なんでぇ !? 」


「離して。わたし、もう行かなきゃ」


「…………追われてるの ? 誰に ? 」


 勘がいい少年だ。リリシーの裾を離すと、今度は並んで歩こうとする。

 それをリリシーは許さない。手にしていたクロスボウを突き付け、冷酷な視線を向ける。


「付いて来ないで」


「……多分、貴女は僕を撃たないと思う」


「撃つわ ! 」


「撃たないよ。だって人の命の重みを知ってる。

 僕ね。教会に引き取られるまで、奴隷商に売られてたんだ。そいつらは服を触った瞬間に、躊躇いなく僕を叩くよ。

 でも貴女は絶対に違う」


 これは何を言っても聞かないだろう。リリシーは頭を抱える。

 だがこのまま連れて行っても、子供じゃ戦えないだろう。かと言ってこのままにしていたらミラベルの手先に捕まって酷い尋問を受けるだろう。

 それほど、リリシーがダンジョンで見てしまった物は……取り返しのつかないものだった。

 金貨を置いてきた事が仇になった。しかし、何もせず出てくることも出来なかった。礼をするにも装備も失い、服もまともに原型を留めず、まともに残っていた物がポケットに入っていたこの金貨くらいだったのだから仕方がなかった。


「とにかくここを離れなきゃ」


「どこか目的があるの ? 」


「あそこ。山脈の一番端っこ。小さな雪山だけど、匿ってくれる人がいるの」


「そう……。

 あの……な、なんで逃げてるの ? 女王陛下から公認の冒険者が……どうして…… ?

 もっと村で休んでいくべきだよ。酷い怪我してたって聞いてる」


 リリシーはその質問には無言だった。


「アナタも、もう教会に帰れないわ……。

 わたしとなんか関わらなければ良かったのに」


「ノア ! 僕の名前だよ」


「え ? あ、わたし……リリーシア……」


「リリシーって呼んでもいい ? 」


「……」


 どうにもノアの人懐こさに流されそうになる。初対面でも親しげな……それはいつだったかも、同じような……。


▲▲▲▲▲


『リリシーか ! めっちゃ美人じゃん ! よろしくな ! 』


『おい、オリビア。デレデレすんじゃないよ。あたしはエリナだ、よろしくねリリシー。困った事があったらいつでも言いなよ ! 』


 △△△△△


「リリシー ? 駄目 ? 」


 ハッとしてノアを見下ろす。

 ダンジョンを抜けてから、リリシーは失った仲間の顔や言動がフラッシュバックして来る事に苛まれていた。


「……なんでもない……別に。好きに呼べば……」


 ノアはポシェットの中から小さなアミュレットを取り出す。


「これ、あげる ! 御守り ! 」


「……いらない」


 見ればアミュレットは本物だ。アクセサリーでは無く、しっかり幸運の魔法がかかっている。今はノアが持っていた方がいいだろうと考えた。

 だが言葉足らずのリリシーの言動と冷たい表情から、どんどんノアも気まずさを隠せなくなる。それをリリシーも感じてはいるが、どうしていいか、まだ自分自身余裕が無いのだ。

 リリシーはノアとは別の方をそっぽ向きながら呟いた。


「……安全な所に行ったら……話す……」


「 ! うん !! 」


 ノアは少し安堵したのか、満面の笑みで頷いた。

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