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その影響

 先日行った温泉地で撮ったゆかり写真がこのフォトスタジオへと戻って来た。

 このゆかり写真が貼り出された期間は一週間にも満たなかった。原因は……『いひゃー』だとヤナさんは言っていた。それを聞いて私は少しほっとしてしまった。未熟な私のせい、とか言われたらどうしよう……と思ったからだ。

 そんな私は今、本を読んでいる。大学の友達に貸してもらった本だがなかなか読み進めないでいる。それはこの本が小難しい恋愛小説だからだろう。

『この恋はなんと遠回りで面倒な恋だろう――』

 そんな一文を読んでいた時だ。右斜め向かいの席に座っていた真志田さんがふいに声を掛けて来た。

「そういえばわたなちゃんって日頃何やってんの?」

 何気なく訊かれたその質問に私はちょっと戸惑った。そして、読んでいた本をバタッと閉じ、

「え……と、『渡邉』は大学に行ってますが、『わたな』は何をやっているんでしょうか?」

 と、ふと湧いた疑問で答えたら真志田さんは笑って言った。

「ふっ、わたなちゃんは渡邉ネタが好きだね」

「違います! 『渡邉』を笑わないでください! これはちゃんとした……」

「まあ、そう言うお前にはキツネネタがあるじゃないか」

 と、ヤナさんが急に奥から出て来て言った。そして、右側の誕生日席にすとんと座った。

 そんなヤナさんに真志田さんは嫌そうな声で、

「それ、また?」

 と訊ねた。

「しょうがないだろ、お前にはそれしかないんだから」

「いや、他にもあるでしょ? 友利さん方式の中から、とかさ」

「友利さん方式……」

 そう言ったきりヤナさんは黙ってしまった。何かあるのだろうか? その『友利さん方式』に。

 気になった私は訊いてみることにした。

「何ですか? その、『友利さん方式』って」

「ああ、やる?」

 真志田さんはそう言って、『友利さん方式』なるものを私に見せてくれた。

「まあ、強いて言えば『俺』から『僕』になるだけなんだけどね。あとはそうだな……、ホリィの『灰色猫』とかがあると完璧かな」

 笑顔でそう言う真志田さんにヤナさんは付け足した。

「あと性格もちょっとおかしくなるだろ」

「いや、ヤナさんよりかは良いと思うけど?」

「ほらな、見たか? こういう嫌な奴になるんだよ。『僕』になると真志田は」

「ヤナさんの方がそれ妥当だと思うけど。どうしてこういう感じになっちゃったんだろうね。高校の頃はそうでもなかったのに。純粋だったよね、今より。いや、今の方がより純粋か……」

 その言葉でヤナさんはまた黙り、この話は終わってしまった。

 というのも実際にその『友利さん方式』をな止め組全員でやることになったからだ。

 そうなったのも真志田さんが言っていた『灰色猫』が突如現れたからだ。

「そんなことないでごじゃりますよ」

 そう言いながら普通の格好で普通に奥から出て来たホリィさんは真志田さんをじっくり見た。

 何か二人は分かり合っているようだ。この『友利さん方式』について。

 そして、そのホリィさんの後から瑠菜ちゃんと友利さんも出て来たところで私はホリィさんに詳しく訊ねてみることにした。

「ホリィさんは何を?」

 最後まで話を聞かずにホリィさんは話し出した。

「あたし、今、黒でも白でもない『灰色猫』なの。この『僕』の喋る猫なの」

 だから、気にしないで。っていう話でもない。

「何で人間じゃないんですか?」

「そんなに強く言わないで……。柳瀬君なんか『メロン』とかね……」

「めろん?」

 友利さんの発言に私は目をしかめた。

「そう、食べる『メロン』!」

 友利さんははっきりとそう言った。

「メロン、どうやってやるんですか?」

 あんまり見たくもなかったが一応そう言ってみたのだが……。

「では、どうぞ!」

 と瑠菜ちゃんが楽しそうにヤナさんに言ってしまった!

 その結果、ヤナさんはやってくれたのである。

「はい、わたしがその『メロン』でごじゃいますよぉ……」

 と。

(な! ……)

とっても甘いメロンではなかった。何か不味そうなメロンだ……。

「あれ? 何も言わないよ。わたなちゃん」

「やっぱり、威力大なんじゃないの? その熟れ頃過ぎ過ぎたメロンって」

「そうか? こんなのまだまだだろ? 『ナス』とかさ、あるだろ」

「なす?」

 私は反射的にそう訊き返してしまった。

「あ、反応したよ! 柳瀬さん! わたなちゃん、生きてたよ!」

「いや、固まってただけだからね……」

 と、とても喜んでそう言ってくれた瑠菜ちゃんには悪いが私はテンション低めでそう答えた。こんなのだったとは! という感じだ。

「じゃ、『ナス』やってみようか。茄子」

 そんな状態の私を知らないヤナさんは私にムチャ振りを要求してきた。

「え、なす……ナスっすか!」

「うん、ナンセンスだけど上出来」

 いや、真志田さんにそんな風に褒められても困るだけだ。ノリでやってしまっただけに……気が重い。

 それにその『ナス』を出したヤナさんはもう『かさこじぞう』をやっていた。

「かさこじぞぉー、雪女はどこかいなー」

「きゃー、かさこじぞー。そんなかさこじぞーが大好きよー」

「やめてください、友利さん。気がそがれる」

「ひどい! かさこじぞー。私だって、わたしだって! 何かしたいのにー!」

 その雄叫びはもう友利さんのものではなかった。

 ちなみに友利さんはこの時『ろろさん』という人になるそうだ。

 その性別は不明、だそうだ。



 それが終わった数日後、私は改めてヤナさんに訊いた。

「やってもよく分からなかったので、『友利さん方式』が何のためにあるのか、今一度はっきり教えてください」

「それはな、ゆかり写真の表現力をもっと引き出すためだ。ゆかり写真は動かないからな、止まってる顔が一番じゃないと困るんだ。分かるだろ? 言ってる意味」

 こくん、と私は頷いておいた。それを見てヤナさんは言った。

「あの彼女はこれが耐え切れなかった、というわけだ」

 ……そんな彼女いた? と一瞬思ったが、いた。

 あの今にも泣きそうな彼女だ。

 彼女が今も頑張っていたら私はここにいなかった。

 そう思うと彼女は今、どうしているだろうか? などと考えられなかった。

 嫌な奴でも良い。そうでなければ私はここにはいられない。

 何回もやっていくうちにそういう気持ちも麻痺してしまうような代物が『友利さん方式』だった。だから、あまり使うのはよくないらしい。


   ****


 今、私はフォトスタジオの奥にどっしりと構えるホリィさんの空間にやって来ていた。この場所はあの温泉地にあったホリィさんの準備室と同じものだ。

 呼び名が違うのはホリィさんの気分らしい。

 そして、私がここにいる理由は……ヴァンさんチームのお誘いメールが数日前にあったからだ。

『ゆかり写真の向上のために今度の冬にでもどうですか? 秋はあのゆかり写真のお祭りがあってお互い大変でしょうから。テーマはどの季節の物でも良い事にして、『花柄ワンピース』なんてどうでしょう? うちのいずほが着たいそうです』

 それに強く魅せられたのは言うまでもなく、ヤナさんだった。

 最初は反対していたのに……どういう風の吹き回しかそういうことになってしまった。

 ……というわけで、私は今年の冬、瑠菜ちゃんとヴァンさんチームの星! と言われているいずほさんと一緒にワンピースのゆかり写真を撮ることになってしまったのだった。

 マジですかー! だ、心の中は。

 今はまだ夏で準備する時間もまだたくさんあるのにホリィさんはもう考えていた。

どういう服で行くのか? を。

 気が早いんじゃ……と言ったらホリィさんに逆に言われた。

「そんなことないわよ。どの季節のワンピースでも良いみたいだから迷っちゃうじゃない。さあ、わたなちゃんはどの季節のワンピースが似会うかしらね?」

 そう言って選び始めてしまった。これはいけないと私は言った。

「あの、でも冬ですよ? 冬にやるんだから冬用にしないと寒いじゃないですか」

「のうのうと考えてんじゃないわよ! 良い? 自分に合った季節のワンピース着なきゃあんたは笑顔の瑠菜ちゃんと内なる艶めかしさに負けるのよ! それにヤナさんだってここで一気にわたなを一皮向けさせようとしてんのよ、頑張んなきゃでしょ?」

 きびきびとしたその言葉に少し心の方がズキッとした。ホリィさんの怖さもあったがそれ以上にこれが今の私の評価だと思うと悲しくなった。ちょっとは進歩したと思っていたのに……。でも、よく考えてみると表情については何一つ言われていないからまだマシかもしれない。ヤナさんだったらそれも含めての厳しい言葉となっていただろう。

 そう思って私は衣装選びに集中するとこにした。

 と言ってもホリィさんほどの熱心さは私にはなかった。

 瑠菜ちゃんはぱっぱと前からホリィさんが着せたかったと思っていた秋らしい長袖の花柄チェックのワンピースに決まったが私はなかなか決まらなかった。

 しばらくスカートとは無縁だった私はスカートに嫌われてしまったかもしれない。

 そう落ち込んだ時にホリィさんが一枚の長い白い布を手に持ち、私に言った。

「じゃ、さらしやって……」

「さらし! ですか?」

 そんな素っ頓狂な声を出した私にホリィさんは言った。

「さらしが嫌なら……」

「いえ! さらしで行きます!」

 変な物が来る前に真っ当な物を! と瞬時に思ったので、初さらしをする事となった。だが、一人では出来ない。それに何のためにさらしをやるのかも分からない。

 ので、やってもらいながら訊いてみることにした。

「何でさらしやるんですか?」

「え? 機会がなかったから。さらしなんてわたなちゃんが男装する時にしか使わないでしょ? まだ男装一度もしてないけど。だから、試しにと思って。まだ使わないと思うんだけどいざって時にね、困らない為に練習よ。衣装選びはそういうのも含んでるんだから。どこか悪い所はないかっていうのもちゃんと見ないとね、本番に使えなかったら意味ないでしょ。衣装なんだから。あ、『アート』か……」

「でも、あの温泉地の時、こんなのしなかったですよね?」

「ああ、あれはね。別にしなくても大丈夫と思って。ほら、出来た」

 そう言ってホリィさんは私のさらし姿を姿見で見せてくれた。

 別に見たところで裸とかではなかったからどうってことないのだが、何か恥ずかしかった。

「よし、さらし終わり」

 ホリィさんのその一言でだいぶ腑抜けした。あっという間のさらしが終わるとホリィさんは本題のワンピース選びに戻った。

 少しの気分転換だったかもしれない。

 そう思っているとホリィさんが言った。

「ゆかり写真にはね、劇団に入ったは良いけど……っていう人が多いのよね」

「へー」

「これは誰も知らない事実、ね」

 そう言ってホリィさんは笑った。私にバッチリ似会うワンピースを見つけたからだ。



「うん、良し!」

 それに着替えるとホリィさんに背中を押されてその格好のまま、皆の前に出ることになった。

 ホリィさんが最終的に決めたのは今の時期の女の子らしいかわいいピンクのナチュラルワンピースだった。でも、下はやっぱりズボンだった。

 これはかなり恥ずかしい。あのさらし姿よりも。見慣れない感じだ。自分から見ても。

 それはこの服の色が、感じがそうさせているのだろう。派手なピンクではなかったのだがあまりこういったピンクを近頃は着ていなかった。それはゆかり写真のせいだろう。瑠菜ちゃんの相手役となってから極力避けてきた色でもあった。

 相手役として考えた時に瑠菜ちゃんの魅力を惹き出すには女の子らしい色よりも皆が言う『中性的』な色を選んで着た方が喜ばれたからだ。

 自分からピンクを選ぶ時もあまり目立たない白に近いピンクを選んで着ていた。

 そんな私を見たヤナさんは一言、ぼそっと感想を述べた。

「まるで女性だな」

「あの、元々、女性なんですけど、ね……」

 はは、困った。ここにずっと立っていてもどう接して良いか分からなくなる。

 自分の立場をもっと分かった上で接しないとダメだ。このままじゃ、私……どんどんつらくなる。――そう思った私は後日、真志田さんに相談した。

 ヤナさんと一番付き合いが長い真志田さんなら自分でも気付いていない何かを教えてくれるかもしれない。あるいは他のことも教えてくれるかもしれない……という希望からだ。他力本願でもしないとやってられない状況だったし。

 それでもこれだけは言っておきたい。

 普段の私ならきっとこのゆかり写真関係者にそんなバカな相談はしない。

 だけどそうしたのはこの時の自分のメンタル面が異常に衰え始めていたせいだ。

 それを分かった上でか、真志田さんは答えをくれた。私が期待していたのとはかなり違ったけれど……。こればかりは仕方ない、真志田さんの考えだ。

「わたなちゃんには素で接してるよ。そういう意味では勝ってるんじゃない? ヤナさん、瑠菜ちゃんには出来ないからそういうの」

 真志田さんはそう言って私の顔を見た。 その言葉はとても意味深だった。

(だけど、瑠菜ちゃんには瑠菜ちゃんへ対しての素があると思うんだよな……ヤナさん)

 そんな私の考えなど分からない真志田さんは話を続ける。

「素で接せられるんだよね、わたなちゃんは。皆そうだと思うよ。それ、俺も当てはまるし。そういう所がわたなちゃんの長所じゃないかな」

「私の長所ですか……。つけこみやすいってことですか?」

「悪く言うとね。知ってる? ヤナさんと紅華の関係」

「そんなの知る訳ないですよ、この私が」

「そうだよね。知ってるのは僕と瑠菜ちゃんとヤナさんと紅華くらいだもんね……」

 いきなりの話に私はびっくりした。でも……、

「聞きたい? 本当の青春の先の大人の青春話」

 とてもそれにかれた。だから、私はその言葉を素直に受け止めて頷いた。


   ****


 ――高校の図書室で突然それは言われた。

「ヤナ先輩! お願いします!」

「だから、その呼び名やめろって。なんか俺が嫌な人みたいだろ?」

「実際、今そうじゃないですか!」

「あのなぁ……」

 柳瀬は困った。高校の部活の読書部の後輩にそんな頼みをされても困る。

 写真部だったのは中学生の頃の話だ。

「撮ってくれるだけで良いんです! 一枚! たったの一枚ですよ! ヤナ先輩」

「だから言ってるだろ。他の奴に頼め、立花たちばな。友達とかいるだろ、普通」

「女友達、いません」

 素っ気なく即答したその彼女に柳瀬は言った。

「嘘をつくな。嘘を! 今、この図書室入る直前までその女友達と普通にキャッキャ! と話していただろうが!」

「それ、もしかしたら表面的かもしれないじゃないですか……。それに図書室でそんなに怒鳴るのよくないと思います」

 暗さがバックにあった。

(何だ? この子は……。とってもそういうのナイーブなのか? ちょっと面倒だ。……あれに任せるか……、あの『キツネ撮り』に)

 そう思っていると立花は静かに言った。

「皆、付き合ってくれないんです。ゆかり写真」

 だから、友達じゃない。と言いたいのかこの子は……。

「妹はとっても熱心に手伝ってくれるんですよ! ゆかり写真」

 そう言う眼はとても輝いた。

 だが、一瞬だ。

 それを思い出した時のみ。

「まあな……。その『ゆかり写真』ってのもまだ始まって間もないからな……。俺だって名前くらいしか知らないし、得体が知れない」

「でも! その『ゆかり写真』って呼ばれる前からこの方法はあったんですよ!」

 こんなに熱く言って来るなんて……、驚きだ。

 だから、――その熱意に負けたのだ。自分は……。

「じゃ、撮るぞ」

 そう言うと立花は言った。

「あ、待って下さい。今の格好じゃダメなんで明後日にしましょう。明後日なら学校休みだし、時間も今よりもっとあるし……。ね、良いでしょう?」

 そう言われてもだが……、その笑顔に負けた。

(はあ。本当、この笑顔がなければな……)

 この後輩もちょっとは楽が出来そうなのに。と柳瀬は思った。



「じゃ、今度は本当に撮るぞ?」

「はい! ばっちし撮って下さいね!」

 そう言って立花は笑った。

 それにしてもだ。この前にいるこの子は誰だろう?

(まだ高一のくせにこんな……)

 悩ませる格好を……。そう思って柳瀬は訊いた。

「それはどういう意味で着てるんだ?」

「練習です。今度ある『ゆかり写真』の」

「そうか……」

「誰かに撮ってもらうんです。……それであの、ヤナ先輩。お願いがあるんですけど……」

「俺に撮れ、って言いたいのか? 立花は」

「はい」

「はあ、まあ……女友達いない奴は苦労するな」

「はい!」

 元気にそう言う後輩、立花に柳瀬は心の中で毒付いた。

(よく言う。本当はそんな思い一度もしたことないくせに)

 そんな思いで撮ったその写真はまあまあの出来となった。


   ****


「それでどこに真志田さんが登場するんですか?」

「まあ、静かに落ち着いて。これからだから」

「瑠菜ちゃんも?」

「そうだよ。本当、好きだね。わたなちゃんは瑠菜ちゃんのこと」

「はい! ヤナさんより! が心情ですから!」

 そんな熱い私とは違い、真志田さんは冷静に話を続けた。

「そう。でね、呼ばれたんだ。他校の僕が」

「他校の僕、ですか……」

 話はさらに深まるらしい――。


   ****


 その日、公園に呼び出された真志田はベンチに座っていた柳瀬に言った。

「何? 用事って」

「真志田、近所に住んでるよしみで言う。一緒に来てくれないか?」

「どこに?」

「ここに」

 そう言って柳瀬から渡された紙を見た。そこには『ゆかり写真をもっと楽しんじゃおう!』という文字が刷られていた。

「これって……。あのゆかり写真? 最近、流行り出した」

「そう。部活の後輩に頼まれてな。その子をこの俺が撮ることになった」

「だからって何で俺? ヤナさんよりも一つ下の俺に何が出来るの?」

「その子はな、そんなお前よりもさらに一つ下だ」

「だから?」

「扱うの上手いかなって。『キツネ撮り』のお前ならもっと俺より良いの撮れるかなって思ってな」

「……どんな子なの、その子」

「ん? ああ、……笑顔が良い子だ。妹もその素質がある。この前の時もその姉妹を撮った。だが、俺より適性持ってる奴探して来るって言ったから……な、頼む!」

 もっと心のこもった頼み方をされる前に真志田は言った。

「ヤナさんって本当、困るよね」

「だな」

 で終わらせる話でもないけれどここで一応終わらせた。それはこれ以上を望まれないようにするためだ。


   ****


 ――と、ここまでの真志田さんの話を私の頭の中で簡潔に敬称略でまとめてみたらこうなった。そうしたのも「後で言われたことなんだけどね」とか「その時そう思ったらしくて……」とかが多く、過去は過去でもどの時の過去なのかが一目瞭然ではなかったからだ。これなら多少一目瞭然だろう。

「だからね、ヤナさんは撮れるんだよ。自分で」

 尚も真志田さんの話は続いている。

「ヤナさんだって最初は紅華を撮ってたしね。撮れると思うよ、誰でもね」

 そう言うのはあの『キツネ撮り』のせいだろうか。確かにヤナさんは撮っていた。 あの講習で瑠菜ちゃんを、私を撮っていた。あの時思ったことは今の過去話で絶対に言えないものとなった。言ったらヤナさんに失礼だ。そういえばあの講習が終わってこのフォトスタジオに戻った時、瑠菜ちゃんは真志田さんにこう言っていた、『久しぶりに柳瀬さんが撮ってくれたんだよ! 真志田さんっ』……それは今、思えばそういう過去があったからだ。そんなことさえ普通に聞き流していた。だから、私は今知ろう。ヤナさんから聞くのはちょっと勇気の要ることだから……、

「どうして真志田さんが『キツネ撮り』って言われてな止め組の専属みたいになったんですか?」

 私は直球で訊ねた。すると真志田さんは少し嫌そうに……でも、ちゃんと思い出しながらあの友利さん方式の『僕』を使って答えてくれた。

「なんか僕、その頃から『キツネ』って言われてね。ヤナさんに何度も言ってるんだけど、一回だけだよ。キツネ、一日中追い掛け回して撮ったの。それも小学生の夏休み、動物園で。それなのにさ、人間撮るより難しい動物撮るの上手いからっていう訳も分からない理由で知らないうちにどんどん紅華ちゃんばっかり撮ってたな……。それでいつの間にか、今度は瑠菜ちゃんを撮るようになってた。瑠菜ちゃんは最初の頃良いの撮るのに苦労したんだ。今ではそんなこと全くないけど昔はカメラ意識しちゃうと魅力的な笑顔が台無しになってね……。それで試しに行ったのが今の撮り方。それでずっと定着しちゃったんだ。まあ、二人を撮るのは今もそうだけど嫌じゃないから良いんだけど。不思議だよねぇ……。ヤナさんが年上彼女、里江子さんと付き合ってたのも不思議だよね……」

 そう言ったところで真志田さんはハッとした。ぽろっと言ってしまったらしい。

「年上彼女?」

「いや、そんな人もいたなって思い出しただけで別にもうその人は過去の人だからね、紅華ちゃんみたいに」

 気にしないで、と真志田さんは言い繕った。それでも私は気になった。どんなに些細なことでも今の私にはそれが一番些細なことではない。しかし、私が最初からその過去話を含めて訊いていたら話してくれただろうがこれは真志田さんから始めた話だ。それを聞いている以上、気になっても教えてくれるはずがない。真志田さんはもうその話を『気にしないで』で終わらせている。だから私は教えてくれそうな話を訊いてみることにした。

「そうすると、その立花さんが今の紅華さんでその妹が瑠菜ちゃん……ですか」

「そうだね」

 再度の確認に真志田さんは素直にそれを認めたがそれ以上は何も言わなかった。

 何でだろう? と思っていると私の後ろから瑠菜ちゃんがとことことやって来て、

「何々、何の話?」

 と訊いた。

「本当の青春話だよ」

 真志田さんは隠さずそう言った。

 でもその意味を瑠菜ちゃんは理解出来なかった。

 ヤナさんだったら分かっただろうけど。



 瑠菜ちゃんがまたホリィさんに呼ばれ、この場にいなくなると真志田さんは言った。

「それでね、紅華がこのゆかり写真から離れる時にまた彼女は頼んだんだよ。ヤナさんに」

「何をですか?」

 少しは察しが付く。だが、ここで曖昧にされるのも嫌でちゃんと訊いた。

「彼女はね、『妹のことをよろしくお願いします』って軽いように見える重みで頼んだんだ。ほら、ヤナさんって律儀でしょ。他の人に頼むよりも安心ってね。今のヤナさんにはそれがかなりの重責となってる」

「貧乏くじですね。ヤナさん」

 勝手にそんな言葉が出て来た。

「まあね。でも、俺はさらにその上を行く貧乏くじ」

 真志田さんはそう言って苦笑した。

「まあ、そうですね。ヤナさんの良き理解者ですから真志田さんは」

 そう言ったら真志田さんはまた少しだけ笑った。

 今度は実に複雑そうに。


   ****


 わたなが帰ると柳瀬がのこのこと奥からやって来た。

 そして、真志田は言われた。

「瑠菜ちゃんから聞いた。何、話したんだ? 真志田」

「ん? いや、本当に『本当の青春話』しかしてないよ」

「そうか……」

 そう言うと柳瀬は黙ってしまった。

「あれ、『ばぁーか』って言わないんだ。言いたいだろうと思ったけど」

「まあ、俺も大人になったことだし。そんなこと本人に直接言うさ」

「いや、大人になったらあえて言わない方を選ぼうよ。ヤナさん」

「だって、言ってやりたくなるじゃん。わたなってそういう奴だろ?」

 うん、この人は分かっててやってる。

 その確証が取れただけでも良いかと思うことにした。

 別に自分のことではないし。

 真志田はそういう男だった。

 我、気付いても関せず……になりかけたい境遇だ。

 でもそれを許されないのはこれが自分の役目だからだろう。

 少しだけ触って即、離れる。それしか『我、気付いても関せず』にはなれないのだから。


   ****


 あれから数日が経った。

 が、何も解決されていなかった。

 それでも私は今、ヤナさんの特訓を瑠菜ちゃんと一緒に受けている――。

「そして、それを溜め込む!」

「ん!」

 瑠菜ちゃんはその指示に忠実だった。

「そうするとどうなるんですか?」

 私の冷静な質問にヤナさんは勢いで答えた。

「元気が出て来る!」

「いや、絶対苦しそうだから止めてあげてください! その指示!」

 私がそう言うのも心底、誰か、ヤナさんを止めてくれ! と思ったからだ。

 それにすぐに応えてしまう瑠菜ちゃんも瑠菜ちゃん、だが……。

 私は瑠菜ちゃんにそんなことさせられない! と、強い意志を持って、

「へるぷみー!」

 と叫んだ。そしたら、ヤナさんが、

「よぉし、次行ってみよう!」

 と軽く言った。だから私は、

「いやじゃー」

 と激しく反対! してみたのだが、

「それじゃあ!」

 と何故か強く大きな声で返された。

「な、んですか?  その、『それじゃあ!』って」

「だからそういう叫び? それが必要なんだよ。内側からの」

 ヤナさんの考えが分からない。それは瑠菜ちゃんも同じだったらしく困惑していた。少しだけ。



 それが終わると休憩となった。

 そして、またあの状況に陥ってしまった。

 この場にヤナさんと私の二人きり空間……。

(早く戻って来て、瑠菜ちゃん! そして、ホリィさんのいじわる!)

 そう思って黙っていると少しぼーっとしていたヤナさんがふいに、

「お前のことを好きになれたらどんなに楽だったろうな」

 と言った。

 は? だ、心の中は。

 はーあ……。なんて溜め息吐かれても困る。

 ヤナさんの真意など分からない。いや、知りたくもない。

 誰に向けても分からないままが良い、こんな思いなら。

 まだ、このままが良いのだから……。

 そう思っているとヤナさんは続きを話した。

「お前が今読んでる本の後半ぐらいに確か出て来る言葉」

 そう言われて目が点、泳いだ。

(何、この人……。私が呼んでる本……そりゃあ、分かるか……ブックカバー付けてないものね、私)

 そう納得すると少しだけ素直にその話を聞ける状態になった。

「女性向けの本だよな、確か……。よく読まされたよ俺も」

「里江子さんに?」

 私はその名を自然と言っていた。頭で考えるより先に口が勝手に動いていてヤナさんにはっきりと訊いていた。まるでこの前の真志田さんみたいだ。

 でも、私は真志田さんのような対応は出来ない。だって、そんな仲じゃないものヤナさんとは。

「里江子? ……ああ、あの人はもう結婚して人妻だよ。その人じゃなくて紅華な」

 そう言うヤナさんはとても淡々としていた。

「で、すよねー。私、誰かと間違っちゃったみたいで……あはは、すみません」

 私は地雷を踏み終わり、苦笑し、そう言って黙るしかなかった。

 人はどうしてこう上手く繋がらないんだろう。

 もっとこの人が知りたい! と思っても知れないでいる。もっと私が子供だったらズカズカ入っていけるのに。それももうダメだと分かってしまう歳になると今のように心が止まる。

 開ければ良いのになかなか上手く開けられない。不器用だ。最悪。もうこれ以上を期待しても……良いのかな……なんて考えが甘い。

 何となく分かる。ばかじゃないもの、私だって。

『お前のことを好きになれたらどんなに楽だったろうな』

 それはつまり……こういうことだ。

 ヤナさんは瑠菜ちゃんを選ぶ。私だって瑠菜ちゃんを最終的には選ぶ。

 だから、これ以上を望めない。もし、望めてもそれ以上を望んだらこの居心地良い関係は真っ先に崩れ落ちる。

 よく落ちる状況以上の最悪さで、あっという間だ。

 人の関係なんてすぐに崩れ落ちて……それが怖くて何もしないのも変な話だけどそうするしかなくて……だから、ヤナさんはこうして言うのかな?

 主語を付けないでその真意を悟れ、と。

 無理な話ではないから出来てしまうからヤナさんは何となく前もってやってくれてるのかもしれない。

 私はそれに便乗する。

 だって、その方が一線は崩れないままだから。

 それに人生、このゆかり写真の人達だけじゃない。

 今の気持ちを考えればそうも言ってられないけれど。

 私はヤナさんの顔を見て言った。

「私、頑張ります! 瑠菜ちゃんの相手役」

「おう、頑張れ」

 明らかに少しぎこちない応援だった。

が、これがそう、これが今一番のヤナさんに対する好意だ。アピール大成功にしてやる。絶対に。

 だから、そうやって私を見ないようにしないで……。

 少しくらいこっちを見てほしい。瑠菜ちゃんに対してやるような気持ちはいらないから、少しくらいこっちを見てほしい。何やってるんだ……って呆れても良いから。

 少しだけ、ほんの少しだけ……こっちを見てほしい。

「何だ? わたな、じろじろ通り越したその目は。さては俺のことが好きだからか?」

「う、な! 何、言ってんですか! 違いますよ。いや……」

 そうです。って言えたらどんなに楽だろう。

 そんな所では私もヤナさんと同じ思いだ。

 だが、これはもう冗談ではきつい話だった。


   ****


 ――だから、その日はいつもより勇気を振り絞った。

「き、きき、きききき、聞きたいことがあります!」

「何だ?」

「えっとあの……」

 私がもじもじしていたら、

「公園行くか?」

 とヤナさんが急に言ってきた。もちろん、私は、「え?」だ。

「外、行こうってことだよ、皆いるから」

 真志田さんのその言葉で聞き耳立ててる人達が目に入った。

(っもう、ホリィさんも友利さんも……って、え! 瑠菜ちゃんまで?)

 だから、私はヤナさんの後に続いて近所の公園まで黙々とやって来た。そして、その公園のベンチの一つに座った。

 誰も付いて来ている気配はない。

「で、何だ? 聞きたいことって」

 ヤナさんの唐突な……ある程度予想出来ていた質問に私は少しまごつきながらも言った。

「本当にあのフォトスタジオってどうやって手に入れたんですか?」

 こういう質問をしたかったわけではないだろう! それに……また同じ質問になってしまった。

……なんで私はここで言えない。そう強く反省していたところでヤナさんは答えてくれた。

「成り行き任せだな……お前みたいに。紅華の成り行きだけどな」

 そう言ってヤナさんは私を見た。

 それはお前、もう知ってる事だろう……とはヤナさんはならなかった。それはそうだろう。これは私と真志田さんしか知るはずがない事実だ。だから、私は言った。

「あ、私はちゃんと言ったじゃないですか……『小さい頃からの夢』だって。私、あの場所に初めて行ったの本当にこのくらい……小さい時で」

 そう言って私は自分の手で『このくらい』を表現した。確か幼稚園くらいだったからこのくらいか?

「で、その時言った通り、いつか私もあんな風に……とはいかないまでも出来たらな……って思って」

「その場所って毎年ゆかり写真の祭りする所か?」

「はい、とってもご近所なんで」

 そう言うと私はヤナさんの反応を待った。その反応はすぐに返って来た。

「それにしてもお前、小さい頃だと計算が合わないよな?」

「え……」

「今までの話、全部嘘だろ?」

「う……、すみません! 勢いでそう言ってしまいましたっ! 本当は知ってたんです。……かなり長くなるんですけど良いですか?」

 そう訊いてもヤナさんは何も言わなかった。だから、私は良いように解釈して正直に話し出した。

「本当は……、高校二年生だった私はその人の家の前でじーっと眺めてたんです。たぶんそれが『なりきり写真』ってやつでした。初めて見たんです。普通、家の外に飾らないじゃないですか。……それで気付いたらそこの家の人が隣に立っていて、怒るわけでもなく、『気になるならやってみたら?』なんて言われたんです。でも、私は完全に慌てて完全に拒否りました。だって、なんか怖いじゃないですか。え、私もこんな感じになっちゃうの? これってあれでしょう……舞台のポスター真似してる感じ……でしょう。そう考えたら普通断っちゃいますよ。無意識でも……、それで『良いですって言われちゃったな……』っていう声もあの顔も残して私は走り去りました。後になってその人がこのゆかり写真の生みの親、ゆかりさんだと知って……驚きました。とっても。それでその話は終わってしまうんですが、もう少し話すと……後にまた出会うことになるんです。その時はちゃんとゆかりさんとお話をしました。そしたら、ゆかりさんは、『でも、それは諸説あるからどれが本当なのか私にも分からないの』と言ったので私は素直にそれを信じました。そして、『ゆかり写真祭りっていうのがあるのよ。知らなかった? だったら行ってみたら? 気になる人いるかもしれないし、出店もあるしね』と言うゆかりさんの勧めでそれまで通り過ぎていたゆかり写真祭りに行き、様々なゆかり写真を見ました。どれもゆかりさんの物とは違っていて、……それがゆかり写真の特徴だとゆかりさんは言っていました。そしてその次の年のゆかり写真祭りの時に紅華さんに出会い、心が躍ったんです。あれは忘れることのできない感動です。それでますます熱中度が増えていったんです。それからはより熱心にゆかり写真に思いを馳せることになりました。だけど、自分ではゆかり写真を撮りませんでした。いくらゆかりさんに言われてもです。何だかまだ自分がやって良いようには思えなかったからです。だから、まだまだ私には手の届かないことだと勝手に思い込んでいました。だから、あの時のあれがなかったら今の私はここにはいられませんでした。きっと――っていうお話です」

 白状したら溜め息を吐かれるかと思った。嫌な溜め息を。だけどヤナさんはたぶん心の中でそれをやってから言ったんだと思う。

「今後はそういうのなしな。あともう敬語じゃなくても良いぞ? 疲れるだろ?」

「別に疲れません! でも……そう言うなら敬語は極力避けていきたいと思います、が」

 私はそう言ってヤナさんの顔色を窺った。そしたらヤナさんは、

「うん、それで良いんじゃないか。俺もその方が気が楽だし」

 と言って伸びをした。私はヤナさんを見ながら、

「もっと気が楽になっちゃいますか?」

 と訊いた。そしたらヤナさんは、

「ん、そうだな」

 と言って立った。

 私の嘘話の真実をヤナさんはそれ以上、訊いては来なかった。……というか嘘ではないのだけれど。そういうことにしておこう。私の気持ちは……まだ言えない。

 ヤナさんは立ったまま私を見ていた。たぶん、もう帰るぞ……ってことだろう。

 だから、私も立ち上がった。皆の所に帰るために――。

 その帰り道、ずっと聞きそびれていたことをヤナさんに訊いてみた。何かについて話していたかったからだ。ちなみに行きと違って今の私はヤナさんの右隣にいる。少し晴々しいようなどきどき感がずっと止まらなかった。

「あの、もうひとつ良いですか?」

「何だ?」

 ヤナさんの聞く態勢に私は意を決した。

「あの、瑠菜ちゃんの『いひゃー』って何ですか? 毎回、『いひゃー』って言って逃げるじゃないですか……。あれってどうして」

「それは『いやー』って言われるより良いだろ? そういう理由だ」

 ヤナさんだからこそのとっても強引な返答だった。

「つまりそれって……」

「俺の指示だ」

「な!」

 言葉を失う……そんな感じになってしまった。

 あまりにもヤナさんが堂々としていたからだ。

「まあ、本当は『嫌ー!』って言って自力で逃げるのが得策なんだけどな。でも、そんなことしたら絶対瑠菜ちゃん捕まっちゃって危ないだろ? だから、あれが今一番のベストなんだ。呼び込み写真とゆかり写真、どっちで行くか……時代からだしな。今さら他の言葉には変えられないしな……」

 そんなヤナさんの説明を上の空で聞きながら私はあらゆることを考えてみた。

 それは瑠菜ちゃんの可愛さや足の遅さ等を考慮した結果なのだろう。

 そして、それがヤナさんの中での一番の問題なのだろう。

 その時私はどうしても瑠菜ちゃんには勝なわないなぁ……と思ってしまっていた。

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