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動く心

 ガタンゴトンと揺られながら私達は電車で目的地へと向かっていた。

 ゆかり写真の決まり事の一つとして『公共の乗り物をなるべく利用すること』というのがある。

 これはまあ、いろいろと混乱を生じさせない為だろう。

 まだ目的地には着かないようだ。

 とある駅に電車は止まった。

 向かいの窓から山が見える。電車は少し止まっただけでまた動き出した。

 風景は海から山へと変わったようだ。青々としているのは変わらない。

 そして、私は急にあの時の事を話したくなった。

「あれって瑠奈ちゃんのお姉ちゃんだったんだ……」

 そう言ってみたものの、眠そうな瑠菜ちゃんからの反応はほとんどなく代わりにヤナさんが、

「知らなかったのか? お前」

 と訊いて来た。

 そんな風に言わなくても良いのに……と思ったがまたあの『紙ポカ』をされたら困るので、

「はい。じゃなくて知ってはいましたが瑠菜ちゃんの実の姉だったってことは全く知らなかったっていう話です」

 と訳を話した。

 そしたら、真志田さんが笑いながら、

「はは、知ってたら逆に怖いよね。それこそわたなちゃん、紅華のあれになっちゃうよ」

 とちょっと冗談っぽく言った。それにヤナさんも加わって来て、

「ストーカー? それともそんな感じの熱心なファン?」

 と言った。それにはさすがに我慢ならず、

「もう! ヤナさん! 私そこまで熱心に調べたりしませんから!」

 と反論してしまった。

 そしたら、

「大声出すなよ。恥ずかしい奴だな」

 と、ちらっと横目でヤナさんに見られた。

 ちょっと、うっ……だ。

 その口振りはとても子供に対するものだった。

 けどそれは仕方ない。

 だって、とても感情的だったから。

 瑠菜ちゃんはそんな中でもその状態を維持し続けていた。

 どんなに凄い子なんだ、この子は……と思ってしまうくらいに眠かったのだろう。

 段々とこっくり、こっくりしていき、そのうち、隣の人のどっちかの肩をこのままでは借りそうな勢いまでになった。

 これは着くまで起きそうにない。

 ちなみに私達は今、横一列に座っている。

 右から私、瑠菜ちゃん、ヤナさん、真志田さんの順だ。

 ホリィさんは数日前から現地入りし、友利さんは後から来るようになっている。

 何でもホリィさんはその現地の様子をいち早く察知し、それを上手く活かせる物を用意するのが役割だそうで友利さんはぶっちゃけ、いつもお留守番で後からじっくりやるのが常だそうだ。

 でも、今回は『日帰り』だそうで友利さんも現地入りしなくてはならないらしいが、良いのが撮れない限りやることがないのでその分遅れて来る……というわけだ。

 つまりは私と瑠菜ちゃんの頑張りによるのだ。友利さんの活躍を見るためには。

 それはとてもプレッシャーを感じるものでもある。

 そんな私を置いて真志田さんがヤナさんに話していた。

「あれはよかったよねぇ。あの演出、粋だった……」

「やっぱり、赤だからな。紅華にぴったりのカラーだったし」

 ヤナさんはそう言いながら窓の外を見た。

 よく晴れている、快晴だ。八月の空はとても気持ち良さそうなのにこの中の外はとても暑いに違いない。

 だから、二人の体調も考えてやらないといけないな……なんて思ってほしいこの頃だったりする。

 そして、私はまた疑問を投げ掛けた。

「そういえば……あの講習の時にヴァンさんが言ってた『行動』って何ですか?」

「お前、その名を出すな。こんな時に」

 ヤナさんはそう言って苦い顔をした。

「だってぇ、知りたかったんです……」

 と言うと真志田さんが、

「行動?」

 とその言葉に疑問を感じたようだった。

 それに答えるためにヤナさんは言った。

「ああ、あれだ。あの瑠菜ちゃんが『いひゃー』って言って、俺が瑠菜ちゃんをおんぶして逃げる……っていうあれ」

「ああ、あれね。今日も使うんでしょ?」

「当たり前だろ。あんな危ない所すぐに逃げないと危険だ」

 どんな危ない所なんだろう? 二人が話している今から向かう場所は……。

 そんな不安を抱えながら私達はようやく目的地に着いた。

 そこは小さい土地なのにうじゃうじゃ人が行き通う温泉地だった。



 すでにこの温泉地の許可所には何枚かのゆかり写真がここに持って来られた順で縦に五枚、左から右へ横にずらーっと貼れるように貼られていた。

 これらは全て初心者のための例ではない。本気で作られた物だ。たぶん。

 ならばどうしてこんなに早く出来るのか……という理由だがそれは見れば分かるというものだ。

 この場にいるのは警備の人を除けば柳瀬と真志田の二人だけだった。

 それは『な止め組』の顔と言うべきわたなと瑠菜がホリィの下でイメージする『それ』に今、なっているからだ。

 柳瀬は一枚のゆかり写真の前で立ち止まった。

「何?」

 真志田もそれに興味を示す。

 二人はそれを真正面から見た。

「混浴かぁ……。まあ、ここの名物だからな……」

「でも、こんなに堂々と混浴やられたらイタイよねぇ」

 二人は微妙な感じになった。

 二人が見ているこのゆかり写真以外の何枚かも混浴をメインにしていた。

 こういう物ほど後に貼って欲しい物だが撮影には事前が必要な物だろう。

 子供が見たら……と言われたらそれでおしまいだ。

 子供も参加するこのゆかり写真では即座に向いていない……に入れられてしまう。

 いくらこれはちゃんとこの温泉地を知った上でのゆかり写真で――と主張したところで批判されるのが目に見えている。

 それは仕方ないことだがそれでもやるのはその人達の勝手であり、その心をにやつかせたり、苦くさせるのも事実だ。

 その中で一番健全だったのは『郷土のお味』というこの温泉地名物の焼き菓子を食べているヴァンさんチームのいずほを撮ったゆかり写真だった。とても艶かしい食べ方をしていたがこれがいずほの特色であり、『あのヴァンさんチーム』と言わしめている一人でもあった。これくらいなら大丈夫だろう。

 その点、『な止め組』はどうだろう。

 この温泉地名物『七光り小石』を持って笑っている二人を撮ろう! というのだ。最も健全だろう。

 混浴のような誘いはないがそれが何なのか? というような興味を惹くことには成功するだろう。

 そういう所から攻めるしかない。今のところはそれ以上が出来ない。いずほのような魅力がわたなにはまだ全然備わっていないのだから。

 そう思って柳瀬と真志田は無言のまま集合場所へと急いだのだった。



 ホリィの準備室とかいうちょっと怪しい名前の付いたその部屋に着くと「まだ準備が出来てないの、ちょっと待ってて」とホリィさんに言われた私は一人、この辺を私服のままで散策してみることにした。一人なのは一緒に来た瑠菜ちゃんがまだ寝むそうで「ここでちょっと寝てる。昨日バイトで遅かったの」と言うと本当に寝るためだけにパイプ椅子三つをどこかから持って来てそれを使った簡易ベッド的な物をさっさと作るとその上に横になり、すぐにぐっすりと寝てしまったからだ。よく見ればきちんとそのパイプ椅子三つ分に瑠菜ちゃんは収まっていた。私はそれにあと一つパイプ椅子が必要だと思ってしまったが。

「よくそこで寝れるわね……」

 と言うホリィさんの呆れ気味感想には私も笑ってしまった。そのくらいかわいい寝方だったからだ。

 そして、私はそのホリィさんの準備室という所から抜け出してこの店に辿り着き、店先にあったそれを発見したのだ。

(これが『七光り小石』かぁ……)

 そう思って私はそれを手に持って見た。

でも、それはただの白い小石だった。

「あの……これ、全然光ってませんよね?」

 そうお店の人に言ったら、

「そう思われるでしょう? でもね、これあることしたら光るんですよ」

 それっきりそのお店の人は何も言わなかった。

 少しは自分で考えろ……ということか。

「分かりました? 磨くんですよ」

 私の答えは待っていなかったらしい。

 それにいつも私のような客にそう言うのだろう。当たり前のようなベテラン口調だった。

「磨く?」

「はい、ご自分の心を磨くように磨けば磨いただけ、七光りは強くなります。どういうこと? と気になったらぜひ、そちらの石で試してみてください。とてもおもしろいんですよ。それ」

 そう言うので試してみた。

 これはとても試し石のようでそれは見事に光っていた。

 なるほど。これは磨けば磨いただけ光る。それは石の表面が滑々になり、光の方も若干強くなるからであろうか。

「おもしろいでしょう? この七光り小石は一つ持っているだけで幸せが広がる、広がって行く。といわれている七色に光る不思議な白い小石なんですよー。ちなみにこれ、ここの温泉地の名物なんですよ」

 なんて、その女性店員の営業スマイルにやられる私ではない。いくらここの名物と言われようともだ。

 あの瑠菜ちゃんの笑顔には誰も敵わない。

だから、私はその小石を買わずに済んだのだ。



 柳瀬と真志田が向かった集合場所はな止め組の撮影場所となる所の近くにある神社だった。

 そこにしたのは別に有名な神社だからではない。この温泉地に昔からある神社で無料で七光り小石を貸してくれるからだ。

 まあ、貸してくれるのはその神社近くにあるお店なのだが。

 無事に借りれたその大きくも小さくもない七光り小石二つを手に持った真志田は柳瀬に気軽に話し掛けた。

「これってさ、小石……恋し、かかってるのかな?」

「それより、真志田。今日も頼むな」

「それって『キツネ撮り』のこと?」

「そうだ」

 柳瀬は真面目にそう言った。真志田の問いになどさらさら答える気がないらしい。

 それは別に良い。だが、問題は……。

 真志田ははあ……と思いながらもそんな柳瀬に言った。

「やりますよ、ヤナさんにそう言われたんじゃ」

「良い後輩を持ったな。俺は」

 そう言って笑った柳瀬はまた真面目になった。

「今日は日帰りだ、忙しいぞ」

「合点、承知の助」

「それ、古」

 柳瀬はそう言って『な止め組』の二人が来るであろう方向を見た。

 準備がまだ出来ていないのか二人の姿はまだない。柳瀬は思案顔になった。

「どこから撮るか……が、考えものだな」

「じゃ、やらなきゃ良いんじゃない? キツネ撮りなんかさ、普通に撮れば一番楽」

「だとは俺も思う。だがな、緊張して良いのが撮れなかったらその時の責任は誰がとるんだよ」

「脅迫めいてるその言葉ー」

「うるさい。さっさと行け」

「人をそういう風に扱っちゃいけないなぁ」

「つべこべ言わず行け。さっさと帰るんだから」

「はいはい」

 こんなやり取りが柳瀬と真志田の間であったなんて知らない女性三人はあと残すところ瑠菜の髪だけになっていた。

 ホリィが用意したこの浴衣の方はもう完璧この温泉地に馴染んでいる。

 わたなはそんなに時間をかけずに出来上がった。

 今、パイプ椅子にちょこんと座っている瑠菜の髪はとても長かった。背中までついている。ショートのわたなから見ればそれは憧れだ。

 瑠菜ちゃんのように長く髪を伸ばしたのはたぶん幼稚園以来なんじゃないかと思い出すくらいだ。

 それくらいこの髪を伸ばしていない。

 伸ばすとしたらそれは結婚式をする時なんじゃない? なんて言われる始末だ。

 はあ……と思う。

 私もこんなに髪を伸ばしたら中性的だとか言われなくなるのだろうか……と。

「うん、出来た!」

 ホリィのその声に心配して様子を見に来ていた柳瀬はこの部屋の外で反応した。

「よし、撮るぞ」

 気合いの入ったその声でやっとな止め組の撮影が始まったのだった。



 撮影場所は足湯という案も当初はあったのだが他のお客さんの迷惑になると判断し、この温泉地の古い町並みを最大限活かした感じにするということでまとまり、歩行者天国と化したこの道の隅に七光り小石を持って私は瑠菜ちゃんと一緒に笑顔で立っているのだが撮られている感じが全くしないのは何故だろう。

 それは私達の前にカメラの人がいないからだ。

 少し不安になる。こうしてずっといると。

 そんな私に気付いたのかヤナさんは見透かしたように言って来た。

「わたな! どうした! カメラが気になるのか? 良いか、絶対カメラは気にするな! 心配しなくてもどっかからちゃんとあいつがキツネ撮りしてるから」

「そうそう、これがな止め組の恒例よ」

 と、自分の担当が終わったホリィさんにしっかりそう言われてもだ。

 違うんです! これではあのヤナさんを苛む人がいないではないか! と、私は一人焦ることになった。

 それはヤナさんの手にあれがあったからだ。

「紙ポカはやめてください! 紙ポカは!」

 私が連呼する『紙ポカ』はヤナさんの得意技だった。ちなみにその『紙ポカ』とは、その辺にある適当な紙の束をさっさと丸めて私の頭をポカっと一回、良い音を出させようとする、だ。

 力加減はその時のヤナさんの気持ちの状態による。それには少し抗議をしたことがあってそれは重々承知だと言われてしまったこともある。くらいに私は『紙ポカ』をやられるのだ。

 そんな時はついてない、だ。

 それでもそれを阻止するには必死に懇願するのみで。

 だからなのか分からないがいつもこの『紙ポカ』には必要最低限の優しさがあるような気がする。

 だから、必死に懇願していても心のどこかではもっと……を望んでいるのかもしれない。

 でも、嫌だと言うのには世間的なものがあるのかもしれない。

 そんな考えをしていたらヤナさんにまた言われてしまった。

「何でお前、そんな笑いするの? にへー……とした顔、誰が楽しくて見る!」

「だってぇ、ずっと笑ってるから……」

「だからってそんな笑い、誰も求めてネー!」

 そんな風にぶった切らなくても良いのに……と、ちょっと泣きたくなった。

 紙ポカよりもこっちの方が断然痛い。

 そんな時だ。

「柳瀬さん! わたなちゃんのこの笑いは必要だよ!」

 と、反論してくれた! 瑠菜ちゃんが、あの瑠菜ちゃんが!

 温泉に行ったらやっぱ、これでしょ? というような服装でそう言ってくれた。

 ちなみに私もそんな瑠菜ちゃんと同じ格好だけど……、気にしてられない。

 それだけでもう良いよ……。と思ったがまだ続いた。

「この『にへー』だって慣れてくれば最高の癒しになるよ!」

「それにこれ、にへー……じゃなくて『にー』だし」

 おい、ちょっと? 瑠菜ちゃん、ホリィさんまでそんなこと言うんですか?

「それはそうかもしれないが……」

 おいおい、何、この人達それで納得しちゃおう……ってちょっと、待ったぁ!

「私、ちゃんと笑います!」

 早急に許しを請う気持ちでそう言った。

 そしたらヤナさんに、

「じゃあ、最初からそう笑え」

と怒られた。

 だってぇ……だ。

 こんな暑い中、ずっと笑っていたら疲れて来るし、ゆかり写真を撮られる側になってまだ数週間だ。

 初心者向きのポーズ、ピースもまだ全然決まらない。

 どうすれば決まるのだろうか? と悩む日々だ。

 何かアドバイスを……と求めてみても皆それぞれすでに己で会得した方法しか教えてくれない。

 もう、誰でも良いから自分だけじゃなくて皆、共通して出来ることを教えてくれ!

という気持ちでいろいろと試行錯誤の末、結果は散々……で終わってしまっている。

 これじゃあ、ヤナさんに怒られもするよな……と自分でも納得の出来だ。

 本当にどうすれば良いのだろうか……と落ち込むが、今はそれをやっている時間もなく、私はただ、ヤナさんに言われるがままに動き続けた。

 そして、いつになったらこれは終わるのだろうか……と思った頃、

「あー、頑張ってるみたいだね。そんな中でこんなの撮れたんだけど、どうかな?」

 と言ってひょっこり真志田さんが現れたのだ。

 これは! だ。

 真志田さんがそれをヤナさんに見せている。

 ここからだとそれが全く見えないから何とも言えないがヤナさんの「これがギリギリだな……」なんて言う声はしっかり聞こえて来た。

 ということは! 

 待ちに待ったあれか?

「友利さん着いたって?」

 そんなヤナさんの一言で私の今日の役目は終わったのだと悟った。



 友利は一人、皆とは遅れてここにやって来た。

 もう、午後だ。それでも熱い。

 受付で少しうろうろしていると一人の若い青年を見つけた。

 向こうも気付いたようでこちらに話し掛けて来た。

「あ、友利さん。こんにちは。今日はどうしてまた?」

「ああ、ナイトゥ君か。大きくなったね。今日は日帰りだからね」

「ああ、それで……」

 それだけで会話終了。

 でも、それだけで通じ合える。

『日帰り』とはそんなものだった。



 後から合流した友利さんの活躍でそれはとても素晴しい物へと生まれ変わった。

 それを見た顔も最初と違うくらいヤナさんは納得した。

 そして出来立てほやほやのそれを私服に着替えた私の前に出して、

「ほれ、これを許可所に貼って来い」

 と、言った。

「きょかしょ……ってこれをですか?」

「当たり前だろ。そのための『許可所』だろ」

「まあね。以前はサイト利用者多かったけど今ではほら、ひどい扱いがあったりしたじゃない。だから、生で見てもらって現地のみで機能することを許可した公式所みたいな、そんな感じになったんだよね。やたらとその辺に貼られるのも困るっていう理由で。それが元来の由縁だし。あの場所なら警備付きだから安心だしね」

「参加した以上は出さないとな。どんなに出来が悪くとも」

 そんなヤナさんのいじわるを聞き流し、私はもっとも肝心な事を訊くことにした。

「あの、でも……ここの許可所ってどこですか?」

「はあ……。それは受付嬢のまあやに訊け。そっくりそのままそれを受付嬢に言えば案内してくれるだろ」

「そうですけど! ……その受付、案内場所が分からないんですよ。言っておきますけど私ここ、今日が初めてなんですよ! 右も左も分からないんですよ! あの時、ホリィさんにただ付いて行っただけで道なんか全く覚えてないし」

「たく……、大袈裟な奴だな……。分かったよ、教えてやる。一度で覚えろ」

「じゃ、良いです。一人で誰かに聞きまくって行きますから」

 潔い方向転換に真志田さんは笑った。

「はは。それじゃますます『な止め組』ダメだね」

「笑い事じゃない! ほら、行くぞ。大袈裟」

「ちょ、ちょっとぉ?」

 手を引かれた。

 強引にしつこい奴を静かにさせるためではあったけれど。

 ヤナさんは私を誘導する。その手の状態のままで――。



 なかなかのハプニング……。

 真志田は面白そうに前を行く二人の後ろ姿を見送った。

「さてと、片付けるか。今日も日帰り組だし」

 一、二人いなくなるとやる事が増えるから嫌だけど、楽しい事には変えられない。

 さて、あの二人はどうなるか……。今後が楽しみだ。と真志田は一人、掃除場所に向かった。



 やっと許可所に着いた。それと同時にその手は離された。もっと早い段階で離されても良かったのだけれどそのままにしておいた。駄々をこねてはいけないと思ったからだ。

 見れば、短いが確かな列がそこには出来ていたので私とヤナさんはその列に並ぶ事にした。

 並んでいる最中私は自分の顔を見るのが嫌で持っているゆかり写真を裏にした。

 それが目に入ったのだろう、ヤナさんは即座にこう言って来た。

「どうして裏にして出す?」

「だって、恥ずかしいじゃないですか……」

 ヤナさんの質問に答えるのも恥ずかしいくらいで思わず赤面してしまう。

「そんなこと言うな。お前の『にー笑い』を皆に見てもらえ、良い出来なんだから」

 でも、だってぇ……だ。そんなことを言われても困る。それに今更感がいっぱいな賛辞だ。出来ればもう少し、早い段階でそう言ってくれたら少しは自信が付いたのに……という思いの中、私はかわいい感じの男の子を見つけた。二十歳前くらいだろうか。背は私より少し大きいがヤナさんよりは低い。私はその子を話題に出してみることにした。他に何も話すことがなかったからだ。

「ヤナさん、あの子かわいいですね」

「ああ? ああ、あれはナイトゥ君だ。確かお前より数個年下で……かわいいが彼は俺達みたいなのに所属してない。どこでも自由に行ってあの表情を振りまくんだ。ああいうのも人気になっていくんだよな……」

 とヤナさんは言った。

 それ以上は何も話さなかった。

 また、沈黙だ。

 どうしよう……。この雰囲気が嫌だ。

 他に何か話すことはないか? と考えてみたが、ヤナさんだって私より数個年上なだけじゃないか! ということくらいしか思いつかなかった。

 ここで何かないかと期待していると短い列がちょっとだけ前に動いた。

 これは好都合だ。

 私とヤナさんも少しだけ前に歩いた。でも、黙ったままだ。

 これじゃ場が持たない。

 そんな時だ、ヤナさんがやっと見つけたという感じで私に声を掛けた。

「ほら、あれ。あの足湯のゆかり写真。あれがナイトゥ君のだ」

 そう言われて貼り終わったゆかり写真の中から私もそれを見つけた。

 そのゆかり写真は真ん中にあのナイトゥ君、その両脇に二、三人のおばあちゃん達が仲良く足湯をして写っていたものだった。かなりのほのぼの雰囲気だ。たぶんこれはこのナイトゥ君の優しい笑顔がそうさせているのだろう。

 こっちまでそういう雰囲気を味わいたくてこの足湯に行きたくなる。

 日頃の疲れを癒してくれそうだ。

「おばあちゃん達と仲良いんですね」

 そう言ったらヤナさんはそれにケチを付け始めた。

「あれは観光客だろ。『ちょっと、良いですか?』とかって声掛けて、『あら、ゆかり写真?』といった具合に割り込んで撮ったんだろ?」

「そんなひどい撮り方したんですか?」

「それか逆に割り込まれたか……」

「そんな考察するためにあれ発見したんですか?」

「そうじゃない。少しはお前の為だと思ってな。他の人のを見るのも勉強だ」

 そう言われてこの話も終わってしまった。

 他に何かないか……と私は考えた。

 は! そういえばまだ何も触れていない事があった!

 私はそれを積極的に訊いた。だが、それを知られないように自然とを装った。

 そこまで気安い関係ではまだなかったからだ。

「ヤナさんはどうしてゆかり写真始めたんですか?」

「あ? ……それは紅華だ。紅華が俺を誘ったんだ」

 何かその言い方がとても気になったがそれ以上はまた何も言わなかったから私は黙った。

 訊いてはいけなかったことだったろうか?

 そんな私にヤナさんはぼそっと話し出した。

 少しその話から逃げるためだったに違いない。

「お前、どうしてここにこうやって警備の人が付いているか知ってるか?」

「知りませんよ、そんなこと」

 そう答えるしかなかった。それ以外私は知らない。それにちょっと不機嫌にもなるだろう。こんな感じじゃ。

 なのに、それに構わずヤナさんは続ける。その目の先にはやはり許可所があった。

「前にびーってやられたんだ。結構長く、横にな。ほら、見ろ。縦五、横にずらー……だろ。やりたくなっちゃう気持ちも分かるがやられた方はそれだけ、いや、その何倍も何十倍も真逆の気持ちだ。堪ったもんじゃない。ただなんとなくそこにいるっていう裏には結構いつもこういう重大な事が隠されているんだよな」

 そう言ってヤナさんはまた黙ってしまった。

 私も無言だ。

 こんな空気にしといて何だが、それがこの許可所に関する事で知らないといけない過去だった。ということは無知な私でも分かったことだった。

 きっとこの人はこういうことを含めてここにいるのだと思うことにした。

 そうでなければこの状況に耐えられなかったからだ。

 その後、無言のまま無事に係の人に初めてちゃんとしたゆかり写真を手渡すと少しほっとしたような何とも言えない微妙な感じになった。

 私のゆかり写真が貼られる。いや、瑠菜ちゃんと一緒に撮ったものだから私一人のものではないけれどそう言っても良いかな……なんて思ってしまう。

「ヤナさん」

「何だ」

 私は私が写ったゆかり写真を見ながら訊ねた。

「これ、いつまで貼られるんでしょうか?」

「さあな。たぶん、短くて一週間、長くて一か月、一年じゃないか? まあ、一年ってのはそうそうないけどな。余程、ここの土地に気に入られなきゃそんなことは起こらない。それくらいまだ根付いてないのかもな。このゆかり写真も。ある人のなりきり写真から始まって呼び込み写真って言われ始めて体裁を整える為にゆかり写真とかどうすっか? なんて言い出した人がいてそれ、良いじゃん! ってなっていろいろ討論があって世間体に勝ったゆかり写真は今では誰もが気楽に出来るゆかり写真になった。それを今、自身で体感してるんだ。恥だとか言われたらそれでおしまいだけどな」

 そんな長々としたゆかり写真の歴史話なんて正直、どうでも良いと思った。

 今、私が欲しい言葉は……紙ポカ覚悟の言葉だったかもしれない。

 でも、それは心に秘めておこう。まだ、言えない。まだ、そこまで私は達していないのだから。



 その帰りのことだ、聞き覚えのある声がこの温泉地全体に響いた。

『皆さんにぜひ、来ていただきたいのです! この会場に!』

(ん? この放送の声は……)

 すぐにヤナさんもその声に気付いたようで、

「この声はヴァンさんか? ……いずほさんのあったもんな……。そりゃ、いるよな……」

 と、何だか急に元気がなくなってしまった。

 これにはちょっと困った。

 行きの電車の中で言っていたあの『いひゃー』もまだ残っているようだし、来たなら掃除を! もこの後に残っている。このままのヤナさんなんて絶対に嫌だ。

 そう思って私はヤナさんを少しだけ元気にすることにした。確かヤナさんと一緒にあの許可所に行く前に瑠菜ちゃんとホリィさんが話していた。

「あ、そういえばその方向に瑠菜ちゃん、行くって言ってました、よ?」

 なんてのんきにその方向を指差しながら言ったら今度は血相を変えた顔になってしまった。

「なにぃ! 信じて良いのか、それは!」

 こくん。としか頷けない。その声が少し怖い。でも、耳で聞くヤナさんの声は普通だ。普通に驚いている声だ。なのに、怖い。

「マジか? 一人でか? それはとっても危険だ! 素早く瑠菜ちゃんを回収して来ないと!」

 どうなるのだろうか? 一瞬にして私の恐怖感は関心に変わった。

「撮り終わった直後よりも貼り出した後の方が危ないんだ」

 そう言うとヤナさんはその声が集めるその方向に全速に近い速さで走って行ってしまった。

 私は一人、呆然となってその場に取り残された。

 いや、少しは周りに通行人の人がいたからこの惨めな思いも半減したが。

 あんなに慌てるような事なのだろうか? と私は一人、冷静に考えた。

 もう、帰ろうかな……なんて思っていたらバックで一生懸命戻って来た人がいた。

ヤナさんだ。

「お、前……何やってんだ。行くぞ」

 そう言われてちょっとしたその隙にまた強引に手を引かれそうになった。

 でも、今度はそれを制止した。いつもやられる私ではない。

「ちょっと待ってください! 落ち着いて、携帯を駆使したらどうですか?」

「あ、携帯な……。携帯……」

 まったく、この人は……。瑠菜ちゃんのことになると少し人格が変わるようだ。



 そこは許可所からかなり離れていた。が、時間にして七、八分くらいだ。走ればの話だが。

 そして、そこからは道、一本向こうに受付が見えた。結構最寄り駅からは近い場所でやっているんだな……と思っているとその会場の後ろら辺に見知っている人を発見した。

 でも、その人は私達が今一番見つけたい人ではなかった。

 けれど、見つけてしまっては声を掛けないのも悪いと私達はその人へと近付いた。もちろん、もう走る必要もなかったから歩いてだ。

 見つけたい人はもうこの会場にいることは確定済みだ。そんなに慌てることも……ないのだが……ヤナさんは一刻も早く見つけたい感じだった。

 その人は私達が近付くとすぐに気付いた。

 でも、何を持っているわけでもなく、ただそこにいるという感じだった。

 皆座っているのに何故この人だけは座らないで立っているのだろう? まだ席も十分とは言えないがぼちぼちは空いているのに……。

 そんな少し不思議なことを考えさせるその人はもちろん私達の探している瑠菜ちゃんではなく、何故かここにいる真志田さんだったのだ。

「どうして真志田がここにいる?」

 そんなヤナさんの素朴な疑問に真志田さんは軽々笑いながら答えた。

「いやぁね、掃除しなきゃと思ってさっさと来たのは良いんだけどさ……。その場所がこうして使われてたってわけ」

「お前早すぎなんだよ」

「それでヤナさん達は……、ああ」

 説明よりも先に真志田さんは事情が分かったらしく、

「あの手を振ってるのって瑠菜ちゃんだよね? 迎えに来たの?」

 と言ってその方を見た。

 私達も釣られてその方を見れば確かに椅子に座ったままの瑠菜ちゃんが一人、こちらに向かって、私はここよ! と猛アピールしていた。

 ちなみに、瑠菜ちゃんがちょこんと座っている席は後ろの真ん中辺りの左端で、あと三列ほどで最後列となっていた。

 他の人達は当たり前だがちゃんと前を向いて座り、その前でやっている事を熱心に見たり、聞いたりしていた。

 ちらっと見るだけでもおもしろそうな話が耳に届く。

「本当ですか~」

 だが、ヤナさんはそれよりも瑠菜ちゃんの方が気になるようで、

「何、あんなに手振っちゃってんの? 瑠菜ちゃん。あんなに振っちゃってたらすぐに見つかっちゃうだろ!」

「そのために振ってるんじゃ」

 と言う私の言葉をここに残してヤナさんは足早に瑠菜ちゃんの隣に向かい、運良く空いていたその隣の席にどしん! という音が聞こえそうな感じで陣取った。

 まるでイス取りゲーム。

 そこまでして座りたかったのか? という感じだ。傍から見れば。

「あれ、隣に席空いてなかったらかなりの割り込みになってたね」

 なんて笑いながらヤナさんのその行動を真志田さんは苛みつつ、「俺達も座ろう」とヤナさん達の一つ後ろの列のヤナさんから数個離れた左斜め端の席がちょうど二人分空いていたのでそこに私と真志田さんは座ることにした。

 やっと落ち着いた感じだ。そして、ここからでもよく前の方が見える。のは、まだこれが始まって間もないからのようだった。

 入れ替え時だったのだろう。

 さっきのおもしろそうな話をしていたあの女の人達は今やっている話の前だったらしくもう終わっていた。

 そして、そのまま注目してその会場を見ているとあの結構大袈裟な話の長い人がステージの端にスタンバっているのが目に入った。隣の男性は誰だろう? ヴァンさんよりも年下だのようだが……。

 そう、そのくらい気になる忘れたくても忘れることなど決して出来そうにもないあの講師、ヴァンさんがそこにはいたのだ。

 まあ、あの時の放送である程度の予想は付いていたが本物を見るともうちょとだけ興奮してくるのは何故だろう。

 何かまたやってくれるんじゃないか……と思えて来る。

 そう思っているうちにまた入れ替えが起こった。

 やっと、ヴァンさんの出番になったらしい。

 ヴァンサンは手にマイクを持っていた。  もちろん、ヴァンさんの後から出て来たその男性も手にマイクを持っている。二人はステージの中央まで進み出た。

 それと同時にお客さんの数も微妙に増えた気がする。

 ぼちぼち空いていた席が段々と埋まって来ている。少し見えにくくなるかと思われたがそこまで見えにくくならずに私はほっとした。

 瑠菜ちゃんの身長だとどうなるかは分からないが。

 そんなことを考えていると今度ははっきりとした声がステージの中央から聞こえてきた。

 あの放送の声よりも鮮明にマイクに響き、私の耳にもそれが届いた。

「お待たせしましたぁー、皆さん! 今から始まるのは『昨年のありがとう、気になる今年は?』です! これは昨年と今年のゆかり写真を比較するというもので――」

「あのぉ、それ僕の仕事なんですけど……」

 と横から遠慮がちに入ったその声は今、さっき気になった男性のものだった。

 つまり、この男性こそがこの『昨年のありがとう、気になる今年は?』の司会者だということだ。ここはもっと怒っても良いのではないかと思ったがその司会者の人はヴァンさんのことを少し理解しているらしく、その態度でヴァンさんも別に気を害することなく、「ああ、そうだったね」とすぐにその話をその司会者の人に渡してしまった。

「ということで、今日お越しいただいた方はなんとあの『ヴァンさんチーム』代表者でもある『ヴァン・カブラギさん』です」

「どうも! ヴァン・カブラギです! 皆さん、放送聞いていただきありがとうございました! あの放送よりも元気にやって行きたいと思いますのでよろしくお願いします! ちなみにこの『カブラギ』はうちの嫁さんの旧姓です!」

 うわぁ、また奥さん話……とは司会の人はならなかった。

「そのくらいの愛を持ってこの『ゆかり写真』をやっているということですね」

「そういうことです! というかあなた、前に私があなたと一緒にやった時にそう説明したのをちゃんと覚えてくれていたんですね! どうもありがとう!」

 とヴァンさんはその司会者の手を勝手に激しく握ろうとした。でも、司会者の人はとっさにそのことを察知したのかするりとそれをかわしたのだ。

「い、いいえ。とっても気になっていたことの一つだったのであの時すっきり解決出来て印象に残ってただけなんですよ」

 微妙に『だけ』の所が聞き取りにくかった。たぶん、それが彼の心の表れなのだろう。

「メインの『ゆかり写真』よりも、ですか?」

 ずいっと訊くヴァンさんに司会者の人は少し慌て戸惑いながらも、

「え……そんなことは! はい、じゃ時間なので行きます! 今回のゆかりある地は前年度もたくさんのゆかり写真で彩られたこの温泉地! 果たしてどんな『ゆかり写真』が今年は出来たのでしょうか? 長い期間の物からたったの一日即席の物までずらりとあるようですが……。ヴァンさんはどれが気になりましたか?」

 と自分の仕事をスタートさせたのだった。

 ちょっと、この司会者の発言にはひやっとさせられた。

 何気ない発言ながら、期間のことを言われたら私達、『な止め組』は一日即席の中に入る。長い期間の人達に比べたら……雲泥の差になるはずだった。

 でも、そうなっていないのはやはり、瑠菜ちゃんの笑顔や友利さんの腕などがあるからだ。

 それくらいの穴埋めが必要なのだ、今の私の力では。

 そう自覚していると話はいつの間にかこの温泉地は小さい地ながらもこの『ゆかり写真』に対しては相当な力を入れているらしい――というのに変わっていた。

 かなりのスピードで話が進んでいる。これはうかうかと考えている時間はなさそうだと思いながらもそうでもしないと人が来ないのだろうか? とうっかり考えてしまったりした。

(あの紙には確か……山奥って書いてあったけど、ここはそこまで山奥って感じでもないし、すぐ近くには海もあるし、結構良い所だと思うんだけどな……)

 なんて、思っているとヴァンさんが言ってくれた。

「そう! だから、毎年開催されるんですよ! この温泉地では! だって、ここの偉い方達は皆、『ゆかり写真』愛好家ですからね! はっはは!」

 大胆な笑いだ。そして、途中から意識をこちらに戻したせいで、私は肝心の所が全くではないにしろ、ぼんやりとしか分からなくなった。

 それでも話は進んで行く。別に私の理解なんて誰も求めていないのだから当然だが。

「昨年からこちらの温泉地名物を大々的に盛り込むという意図に切り替わったことで混浴が今年は出て来てしまいましたね。昨年は最初の年ということもあり、出せなかったのでしょうが……。では、続いて昨年の引き取り手なしの保管場所にまだあるこれらについて、ですね」

 ころころ変わるヴァンさんの話に付いていけない顔をしていると真志田さんがそっと私のためだけに補足をしてくれた。でもその声は耳元近くで小声だった。人が密集して来たからだろう。

「あれ、今年引き取り手がなかったら最終的には廃棄処分になって灰になるんだ」

「灰! ですか……」

 私は出来るだけ声をひそめた。

「そう、せっかく作ったのにね。もったいない」

 真志田さんはとても他人事だった。

 確かに他人事だけど……、もうちょっと何かあっても良いような……。

 二人の話はまだ続くようで一生懸命聞こうと耳を傾けた時、ふと少し右斜め前に座っていたヤナさんが目に入った。

 ヤナさんは隣にちょこんと座っている瑠菜ちゃんの耳元で何かをそっと言っていた。

 たぶん逃げる準備の打ち合わせだろう。と真志田さんが教えてくれた。

 あの電車で言っていた『いひゃー』が完全にこの目で見れるらしい。

 これが終わったらすぐにだそうだ。

 そう言われて私はあの時の講習終わりを思い出した。

(確かにあれになっちゃうと、これだけの人となればあの時よりも大変になるのは確実か……)

 と、妙な納得をして私はヴァンさんの話に今度こそ耳を傾けることにしたのだった。



 やっと人の垣根を掻き分け、逃げ続けたあの『いひゃー』も終わり、真志田が掃除すると言っていたこの場所に戻って来た柳瀬は真志田が誰かと話しているのを見つけた。

 さっきまで会場として使われていたこの場所にはもう掃除をする人しか残っていない。

 こうして掃除をするのはゆかり写真で人を集めるからだ。

 やはり、来てもらうならばきれいにしないと! という考えが根底にある。

 時刻は夕方。早く帰ると言っていた割にはかなり長くここにいる気がする。

 危ない瑠菜はわたなに預け、友利とホリィはどこかで何かをしているだろう。

(たぶん友利さんはご家族へのお土産探しでホリィは……食べ歩きか?)

 そんなことを考えながら掃除をしようとした。だけど構わず柳瀬はそこへ行った。

「あれぇ、帰ったんじゃなかったんですかぁ?」

 真志田と一緒に話していたのはどんな所でも出現するゆかり写真の受付嬢、まあやだった。はにかんだ顔が可愛いと評判の彼女は二十歳そこそこで割と良い性格をしていたから柳瀬も話しやすかった。

「いや、掃除はちゃんとしないとね」

 そう言うとやっぱり何も持っていない真志田がさらっとこんなことを言って来た。

「で、ヤナさんはわたなちゃんと瑠菜ちゃん帰しちゃったの?」

「いや、違う所でやってもらってる。ここじゃ、結構目立つだろう?」

 真志田にそう言いながら柳瀬は辺りをざっと見回した。ぽつぽつといる人がここはかなり多い。あれほどの騒ぎを起こした所だ。瑠菜がいなければここも静かだ。

 だから、あの二人はもっと目立たない所に置いて来た。

「なるほど……、まあやちゃんもいるし?」

「まあ、そんなところだな」

 と、柳瀬は適当に答えた。

 その答えに真志田は少しつまらなさそうな顔をした。

「ところでヤナさんは……」

 まあやがそう言い掛けたところにお手伝いのおばさんの声が掛かった。

「あ、何か困ってるみたいなので行って来ますね」

 そう言うとおばさんの所に小走りでまあやは行ってしまった。

 それを見ながら柳瀬は言った。

「大変だな。キツネ変人の相手におばさんの相手か……」

「ヤナさん、そのキツネ変人にさせたのは最初の頃の瑠菜ちゃんの為でしょ? いつまで俺はそのキツネ変人でいれば良いんだか……」

 そんな哀れ気味の真志田に柳瀬は真面目に答えた。

「今度はわたなの為だ」

「お」

 思わず真志田は声が出てしまった。

「何だよ?『お』って」

「いやいや、何でも」

「まったく……」

 不審がる柳瀬には悪いが真志田は思った。

(瑠菜ちゃんばかりってこともないんだな……、ヤナさん。と、なれば……。育て上げる気かな? ヤナさん。でも、そうすると……結局は瑠菜ちゃんの為か……)

 つらいね……なんて一人思ったりもした。

 これに気付いているのは今のところ自分だけらしいから……。

(逐一の動向確認が必要、かな……)

 と真志田はそっと思った。大切にしないとね、その気持ちは。

 どうやらいつの間にか『僕モード』になっていたらしい。

 危ない、危ない……と真志田は元の真志田に戻った。

 柳瀬には知られてはいけない楽しみがまた一つ増えたと確信し、真志田は心の中でほくそ笑むことにした。



 帰る人は次々に電車から降りて行く。

 真志田さんが初めに降りて次に友利さん、ホリィさん……。

 なのに、何でこの人は降りないんだぁ! そんな気持ちになってしまった。

 私はやっと乗った帰りの電車の中で一刻も早く降りてほしい人を横目で見た。

 その人は私の右隣に座る瑠菜ちゃんの隣に座って黙々と瑠菜ちゃんの話し相手をしている。

 それを聞いていたらその人が降りる場所が分かってしまった。

(フォトスタジオって……私の帰りと同じじゃん。それに瑠菜ちゃんは……)

 その前で降りるらしい。

(ってか、もう次の駅じゃん!)

 と、こんな風に騒ぐのには訳があった。



 あの後、本当にヴァンさんのが終わるとすぐに『いひゃー』が起こった。

 許可所に貼り出されたな止め組のゆかり写真を見たであろう人達が一斉に瑠菜ちゃんの方に群がって来たのだ。男女問わず。

 こんなにも早くと思っていると何故か隣にいたはずの真志田さんは姿を消していたし、瑠菜ちゃんをひょいとおぶっている真志田さんとは目が合ってしまうし、そのせいで私は二度目の手を引かれ、一緒に逃げることになってしまったし……。

 一体いつまでどこまで全力で走るんだ? と思った時、ぱっとまた手を離され、お互い荒い息をしながらヤナさんに、

「お前、ここで………この辺で掃除、しろ……」

「はい?」

「瑠菜ちゃんを託す」

 と言われた。

 腑に落ちない。

 きっぱり言われてもだ。

 走り疲れた目でヤナさんに背負われたままの瑠菜ちゃんを見れば後ろをものすごく気にしていた。走っていない分疲れていないようで、

「もう追って来ないみたい。下ろして」

と普通にヤナさんに頼むとヤナさんはそれを素直に守り、瑠菜ちゃんを自分の背中からよいしょと下ろした。

 そして、想像以上の事が起こり、のみ込めない私に瑠菜ちゃんは言った。

「ごめんね、いつもこうなの。お姉ちゃんがいなくなった途端にだよ? これだから柳瀬さんいないとヤバいんだ。これ知ってる人、皆巻き込まれたくなくて逃げちゃうし……。でも、ここなら大丈夫だと思う。わたなちゃんいるから、平気」

 と最後の方はヤナさんに向けてのものだった。

 そんな瑠菜ちゃんの落ち着いた様子にヤナさんは安心したのか、

「そうか、じゃ俺は戻るな」

 と言い残して一人先に行ってしまった。

 ちょっとぉー、ここ掃除用具見当たりませんけどー! なんて叫ぶ気も起こらなかったので……それを元気に見送る瑠菜ちゃんを私は見ていた。

(元気だなぁ……。とても一つ違いには見えないくらいに)

 そんな微笑ましい感じでいたのに唐突に瑠菜ちゃんはこの私に言ったのだ。

「やっぱり、わたなちゃんのこと心配だったんだね。柳瀬さん」

「え……」

 私は素直に言葉に詰まった。

「だって、そうじゃなかったらこんな所まで一緒に連れて来ないもん。ここまで連れて来たのわたなちゃんが初めてなんだよ。ホリィさんも同じ女性だけどこんなこと一度もなかったし……まあ、それはその場にいたことが一度もなかったからだけど。それに、私とだって手をぎゅっと握ってなんか走らないよ?」

 それは瑠菜ちゃんの足が遅いからじゃ……とも言えなかった。これはたぶん本人に訊けば軽く上位に入る悩みだろう。だから、私は一生懸命そのことの説明をすることにした。

「え、でも……。ほら、私のは『手』って言っても手首の方だし……」

「それでもぎゅっとはしないよ。あんなに一生懸命ずっと握ってるのも珍しいよ」

 それは……。

 またしても声が出なかった。思案顔になる瑠菜ちゃんをただ見るしかなくなった。

 そのせいで何故か急にそわそわとし始めてしまった……これはあれだろうか? あの時にちゃんとこうなるって説明してなかったのをあの目が合った瞬間に思い出して、とか?

 これに巻き込まれないようにする手立てはいくらかあった気がする。真志田さんに頼むとか、行きの電車や許可所でもっと詳しく話す、とか。そのくらいの時間は考えただけでもたくさんあった気がする。出来ればこっちの話をしてほしかった。でも、あの時のヤナさんではそこまでの思考が回らなかっただろうな……と思ってしまう。それくらいの有り様だった。だから、言い損ねたお詫びにここまで連れて来られたのかもしれない。きっと初心者以外には分かる話だったから。



 と思っても良いのだろうか?

 そんな悩みがずっと頭にあったせいで私はちょっとおかしくなってしまったんだと思う。

 でなければこんなことにならなかったはずだ。

(瑠菜ちゃんがここで降りちゃったらまたここで……ここでまた二人きり……)

 そんなのは嫌だ!

 だから、

「こ、ここ、ここで降りマぁーす!」

 と精一杯叫んだのに、

「無理」

 とヤナさんにきっぱりと断言されてそれは終わった。

 がーん……だ。それしかない。

 が、冷静になって考えてみれば今のその叫びは全くもって意味のない電車内の騒音でしかなかった。

 うわー、やっちゃった……ただのヤバイ奴だ……。と思っても意味がない。

 唯一の救いはこの車両に乗っている人が数人しかいなかったことだけだ。

 不審者? 何か患っている人か?

 ……そんな疑問が顕著に顔の方に表れていた。そして、車両を変えようとしている人までいた。

 これはマズイ! 私はすぐにそう思って、

「すみません!」

 と本当に申し訳なさそうに蚊の泣くような声しか出なくなって皆さんにお詫びをした。

 とっても逃げ出したい気分だった。

 出来れば反対のボリュームが良かった。

 でも、それは無理だ。

 電車は急には止まれない。

 そんな赤面萎れの私にヤナさんは小さくはっきり周りにも聞こえるように、

「ばぁーか」

 と言ってくれた。

 はい、ばかです。と素直に言えた。

 この時ばかりは、その気持ちに感謝だ。



 瑠菜ちゃんが降りる時に「わたなちゃん、疲れは残しちゃだめだよ!」と言ってくれた。

 ああ、瑠菜ちゃんにまで気を遣わせしまった……と思うと情けなくなって来た。

 そして、とうとうまた、二人っきりになってしまった。

 何も話すことがない。どうしてフォトスタジオに行くんですか? なんて訊ける訳がない。

 そんなことしたら私が黙って二人の会話を聞いていたことがもろバレだ。

 困った私は違うことを訊いてみることにした。

「ヤナさん、私まだまだですよね?」

「そうだな。まだまだ、だ。瑠菜ちゃんの魅力潰さずに良いの作れるようにしろ」

 それは何とも痛い確かな評価だった。

 そして、ヤナさんはこの通り、褒めたり、けなしたりが頻繁だ。

 だけど、負けてはいられない。

 今日のはとても甘い納得だった。

 これからはもっと厳しくなる。

 だから、それに立ち向かえるようにならなくてはならない。

(よし。帰ったら早速、『にー笑い』の向上目指して頑張るぞ!)

 自宅の鏡の前でにーっと歯を出すくらいに口角を上げた自分の姿を想像した。何だか意欲満々になってきた。そのまま行けばきっと追い付く。そんな私の顔をヤナさんは見たのだろうか? ヤナさんははっきりとこう言った。

「そういう顔、出来るのにな」

「え?」

 そう言われてその顔をじっくり見れば、どうしてあの時、その顔をしなかった? という思いが溢れ出ていた。

 だから私は白状するようにまごまご言ったのだ。

「初めてだったから、ああいうの」

 そんな私にヤナさんは軽く言った。

「ほんと、困るよな。場慣れしてないと」

 その意味は後から考えればとても深刻そうな内容でそれでも重くならないように極めて軽く言ってくれたのにはやはり意味がある訳で。

 だから、私もそれにちゃんと反応してしまった。

「でも、頑張ります! ちゃんと期待に応えてみせますよ! ……そのうち」

「そのうちか……」

 それじゃ、困る。と言う声が小さく隣から聞こえた。

 それだけで無言になってしまった。

 まだ電車は次の駅に着きそうにない。

 ああ、早くこの人の思いに応えられる人になりたいと思うしかなかった。

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