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ゆかり写真
縁乃ゆえ
現実世界現代ドラマ
2024年10月25日
公開日
60,215文字
完結
『ゆかり写真』と呼ばれる物がものすごく珍しくなくなった今日、『ゆかり写真』はたくさんの人に向けて『この地を訪れてほしい』という気持ちが第一に込められ、作られています。
そんな『ゆかり写真』を一生懸命作っている人達のお話です。

な止め組の人達

 その日はたまたま帰りが遅くなった。

 少し近道をしようと角の道を曲がってみればすぐ近くで何の告知もなしにパーン! パーン! という大きな打ち上げ花火の音が数回鳴った。

 黒い夜空を見上げれば数個の赤い光がきらきらと鮮やかに輝いている。

 これは見に行かなければ! 何かおもしろい事でもやっているのだろう。

 そう思い、私は高校の制服姿のまま駆けた。

 その場に着くと案の定、たくさんの人がそこに集まっていた。

 少し異様。

 なのはここが『ゆかり写真』のお祭り広場だからだろう。

(そうか……今日がお祭りの日か……)

 この広場のあらゆる所にいろんな種類のポスターが貼ってある。

 どれもこれもテーマはこのお祭りの事についてなのだがいろんな趣向で作られていておもしろい。

 そして、どれを見ても同じポスターは一枚もなく、目を惹く。そこら辺にある屋台よりもだ。

 毎年、九月に行われるこのお祭りは数年前からこの場所で行われるようになり、『ゆかり写真』を大々的に広めるものだ。

 だから、この花火も演出の一つに違いない。

 始まった当初はどうしてここなのか? と思い、一人いろいろ図書館等で調べた時期があった。

 そして、分かったのはこの『ゆかり写真』というのを初めて使った地が『ここ』だった。ということだ。

(花火やるとは思わなかったけど……すぐ近くに川あって良かったね……。っていう話になるよね。こうなると……)

 と明日の話題対策をしていると「おおー!」と言うたくさんの人の驚きの声が聞こえて来た。

 え、何々? と興味本位にその声の方向に行くと大きな人の輪が出来ていた。

 あまり人がいないのはそんなにまだ盛り上がる時間でもないからだろう。

 だが、所々でしかその輪の中心のものを見る事は叶わない。

 ちらちらと人の間から見えるその女性はとても美しく赤く染まっていた。

 それはその女性の近くに赤く激しく燃える炎の松明が何十個とあったせいだろう。

 そのせいで熱い。やっと暑い夏が終わったのに……というやつだ。

 そして、あの赤い花火が上空にまた上がったせいでまた一段と赤く染まる。

 あの花火が今回のこの祭りのテーマでもある『鳳凰とある女のサイエン』の『鳳凰』を表しているのだろう。

 そして、この輪の中心にいるこちらの女性こそがここの『ある女』なのだろう。この輪の外の周りにも多数の『ある女』がいたがこの女性が一番だった。

 決して踊っているわけではないのに踊っているように見えるのはどうしてだろう?

 他の『ある女』も動いてはいるがその動きは普通だ。

「今、撮影してるんだよね? これ」

「じゃなきゃ、こんなことしないだろ」

 そう言う若いカップルさんのお隣でようやく私はその中心人物をじっくりと見る事が出来た。

 まだ少し前に人はいたが気にならない程度だった。

 その光景はとても異様。

 でも、それが特徴。

 この石畳の地でその女性はとても幻想的で妖艶な表情をして人の心を捉えていた。捉え続けていた。

 心が躍った。何かの劇を見ているような……そんな感覚だ。

 これが出来上がればずっと見ていたいと思うような『ゆかり写真』になるのだろう。

 ここに集まる人達皆で作り上げている空間だ。

 そうさせない訳はない。

 そして、その中に入るのはとても容易たやすいのだ――。


   ****


 あの祭りの日から数年、今日もいつもと変わらない同じ帰り道を帰っていた。

 少し違ったのは顔も知らない今にも泣きそうな女性とすれ違ったことだろうか。

 その女性は私の行く方向とは反対の方に走って行く。

 その女性を追うようにしてやって来た一人の男性は突然私の横で立ち止まり、その女性に向けて大声で叫んだ。

「待て!」

 たぶん、あれだけ大きな声で言ったのだからその声は彼女に届いているとは思うがその女性はその声を完全に無視して走り去ってしまった。

 後に残されたこの男性はただ立ち尽くしていた。

 いや、何かを考えているような気もしたがそれは気のせいだろう。

(もしかしてこれは破局現場?)

 少しどきどきしながらそんなことを思っていたら急にその男性と目が合ってしまった。

 やばい! 別に大して変な人でもないけど何となく危険信号が自分の中で鳴った。

 が、間に合わなかった。

「君……、今、全てを見ていたよね?」

 そう言われればこくん……と無言でも頷いてしまう。

 そんな男性だった。

 その人は――。

「どんな顔してた?」

「え?」

 唐突に次の質問がこの男性から来た。そして、その質問に補足をしてくれた。

「走って行っちゃった彼女」

「あ、今にも泣きそうな感じでした」

「そう……」

 それだけしかこの人は訊かなかった。

 そして、この場から一歩も動かなかった。

 数秒が経ち、私はまた歩き出して良いものかどうか数秒悩み、歩き出す決意をした。

 その時だ。

 この男性が走って来た方向から一人の男と一人の女が一生懸命走って来るのが見えた。

 今日は走る人が多いなぁ……。と思っていたらその男女、あろうことか私とすれ違うことなく、この男性の目の前で足を止めたのである。

「ヤナさん、どう?」

「ダメだった」

 後からやって来たこの男性に『ヤナさん』と呼ばれたこの男性は淡々と答えた。

「やっぱ、足が早いからって一番になるもんじゃないな……」

「それ、『ゆかり写真』の時には言わないでよ」

 少し軽めの非難だった。

「あー、分かってる。真志田ましだ

「で、こちらの中性的な彼女はどちら様?」

『真志田』と呼ばれたその男性はストレートに私のことを訊ねた。

(何て答えれば良いんだろう……うーん……。ってか、そもそも私はこの人達にこんなこと言われる筋合いあるのだろうか……うーん……)

 そう思って悩んでいると『ヤナさん』がこう答えてくれた。

「ちょっと勘違いしちゃってる子だ。だから、今からその勘違いをなくそうと思う」

「どうして?」

 素直に『真志田さん』が訊いた。

「考えてもみろ、いないだろ。大事な所ないまま帰れるか? 今から詳しく話してこの『なめ組』にこちらの彼女を引き入れる。それしか今年の『サイエン』には間に合わない。それによく見ろ、瑠菜るなちゃんの相手にちょうど良い感じだろ? さっきの彼女よりも背が十センチくらいは高いし、中性的。女も男もイケる顔、そうそういないぞ?」

 それを聞いてか……ずっと沈黙だった彼女が突然ここで口を開いた。

「ひっどーい! ヤナさん。自分と真志田さん、私やそこの彼女より背が高いからってそんな判断しちゃって! だから、逃げちゃったんじゃないの? さっきの彼女さん」

「そう言うなよ、ホリィ。見た目で分かるだろ、そんなこと。って、真志田もそんな目で俺を見るな。無理だったんだよ。彼女には荷が重過ぎたんだ」

「それでもさ……、頑張ってたのに」

 真志田さんは本当にあの走って逃げてしまった彼女を思って言っていた。

 それなのに、この人は……。

「何だよ、皆して! っていうかオレにああいう役押し付けたって無理って最初から分かってただろ!」

「あーあ、開き直り。こういう時に瑠菜ちゃんがいればな……。こちらの彼女さんをこうしてここに長時間お引き止めする事にもならなかっただろうに……すみませんね、なんかこんなことに巻き込んじゃって……」

 と言ってくれたのは真志田さんだった。

「い、いえ……。全然大丈夫です。あとはただ家に帰るだけだったので」

 何となく手に持っていた買い物袋をぎゅっと握ってしまった。

 何を言ってしまってるのだろうか? と自分で言ってて思った。

 だが、言ってしまった。

 さて、どうするか。

 考えはあちら任せになりそうだ。この流れだと……。

 数分もするとあれが『破局現場』でないことが明らかになった。それはこちらの女性、『ホリィさん』のとっても簡潔的なお話のおかげだろう。

 要はその『瑠菜ちゃん』とか言う女の子の相手役を少しの間だったがあの走って逃げてしまった彼女さんがやっていてそのうち無理難題が出て来てそこから飛び出したらしい。

『もう、こんなのいやー!』とかって言って。

 だから、その場にいた元気な若い足に自信がある三人がすぐにその後に続いた。

 辞めてもらっては困るからだ。

 そして、あの現場になるのである――。

 ホリィさんの話が終わるとヤナさんはまた唐突に訊いた。

「そういえばまだ君の名前聞いてなかった。名前は?」

「わたな……」

 そこで誰かの着信音が鳴った。

「あ、ごめんね」

 そう言ったのはホリィさんだった。でも、何もしない。手に持った携帯も二、三回鳴ると切れてしまった。

 その態度でヤナさんは分かったらしく、

「出来たのか? 倉敷の瑠菜ちゃんのゆかり写真!」

 と今までにないテンションの高さで訊いた。

「はい、そうみたいですね。ヤナさん」

 ホリィさんは落ち着いてそう言った。

「じゃ、見に行くか。君も来い、わたなちゃん」

「どうして! それに、ちっがいますぅー!」

 私はヤナさんに勢いよく叫んだ。微妙に名前が違う! 私のナベは『口』の方のナベだ。

 なのに、ヤナさんは、「まあ、良いじゃん!」ってな感じにしてしまった。

 私の名前が……ガックリだ……。

 そんな私に真志田さんは言ってくれた。

「まあ、好きにしなよ。そんなに無理強いもしたくないしね」

「はあ……、ありがとうございます」

「まあ、考えてみて」

 そう軽く言うと真志田さんは歩き出した。その後をヤナさんも続く。二人は来た道をゆっくり歩いて帰って行く。

 もう、走りたくなかったのだろう。

 そんな二人が行ってしまったのにまだここに残っていたホリィさんは何やらごそごそと後ろを向いてやっていた。

 そして、くるっと私の方を向くと礼儀正しく、

「詳しくはこちらを」

 と言って一枚の名刺をくれた。

「あ、どうもありがとうございます」

 そう言ってその名刺を見た。

(は! これは! とってもかわいいぞ!)

 その名刺は私の心をすぐに掴んだ。わし掴みだ。きっとこの名刺の中のこのかわいい女の子がそうさせたに違いない。

 ホリィさんはたった一言、

「それ、うちのイチオシです」

 と言った。

(イチオシ!)

 確かにイチオシなだけはある。

 この笑顔がそうさせているに違いない。

(この名刺の女の子の笑顔……)

 私には出来ない。

 こんなかわいいとびっきりの素の笑顔なんて……。

 そう思ってじっとその名刺を見ているとあのヤナさんの大きな声がした。

 顔を上げるとホリィさんが来ちゃった……というような顔をして、こちらに戻って来る二人の男性を見ていた。

「お、おっ前、瑠菜ちゃんの力で!」

「と、言いますがヤナさん。これが瑠菜ちゃんの力です」

 とくとご覧あれ。と言うように言い尽くしたようなその言葉ですらすらホリィさんは私に向かって言った。

「このお方と生でお会いしたいと思いませんか?」

「え、は……お、思います!」

「では、一緒に行きましょう」

「はいっ!」

「とっても良いお返事」

 ふ……とホリィさんは笑った。

 まるで『ホリィの営業名刺作戦』成功! と言ってるような感じがした。

 その笑いを運良く見してまった二人の男性は、「何だ、あれは?」とひそひそと話していた。

 それを発見したホリィさんは私の背中をドンと押しながら、

「はい、そこのお二人さん! このわたなちゃんも連れてってあげてくださぁい!」

 と言った。

 え! ちょっと! ……と思いながらも私はやっぱりその名前に抵抗を覚え、

「ち、がいますぅー!」

 と叫んだ。



 数十分もしないうちにそこに着いた。

 街の中にあるフォトスタジオだ。

「あの、ここって……」

 少し戸惑っている私に真志田さんが説明してくれた。

「ああ、ここは借りてるんだ。知り合いから、休みの日だけ」

「真志田の知り合いではないけどな、ご厚意で」

 そう言ってヤナさんとホリィさんはずんずんその中に入って行く。

 真志田さんはそんなヤナさん達に続いて入ろうとした私に言った。

「中はちょっと君が思っているのと違うかもね。ここ、随分休んでるから。それとここではあんまり本名言わない方が良いかも」

「どうしてですか?」

「だって、ここは『ゆかり写真』作る所で、その人達だからね」

 ちょっと、ん? だ。

「ま、入れば分かるよ」

 そう言われて私はそのフォトスタジオに入った。

 やっぱり、フォトスタジオとあって自動ドアだ。

 ガーっと開いた。

 そして目の前にあるのは……! 

 あるのは! 六人が座れる会議用のテーブル一つと数脚のパイプ椅子、そしてその奥にはホワイトボードがぽつんと一つ置かれており、そこには『これ、読んでね! 初心者のための講習? レクチャー? そんなのだって!』と黒で小さく端の方に書かれていた。女の子の字だ。そして、何かちゃっかりキツネさんも描かれている。その字の下には一枚の紙があり、赤い磁石で一箇所しっかりと一番上の真ん中辺りに貼られていた。察するにその講習とやらの詳細だろう。

 そして、あの名刺の女の子が私の目の前に突然飛び込んで来たのだ――。

「ねえねえ、『わたなちゃん』って言うの? これからよろしくね! 私、瑠菜! で、左から友利ともりさん、柳瀬やなせさん……あ、皆は『ヤナさん』って言ってるっけ。あと、真志田さんにホリィさん!」

 勝手に自己紹介が始まってしまった。それになんか……私、ずっとここにいる感じ?

「あ、ちょっと良い? 瑠菜ちゃんまだそのちょっと……確認事項が済んでないんだよね。そこの彼女」

「え? 何? 柳瀬さん」

 瑠菜ちゃんの顔を見ないようにしてヤナさんは私に言った。

「やるか、やらないか……決まったか?」

 皆黙ってしまった。

 そりゃそうだろう。

 瑠菜ちゃんの話では私はもう『やる』になっていたからだ。

 あの短時間で一体何が起こったのか分からないが、みるみる瑠菜ちゃんの顔が悲しくなっていく。

 ああ、この子にこんな顔させちゃダメだ……。

 私は言った、はっきりと。

「私、やります! 瑠菜ちゃんの相手役! 本当は夢だったんです! 小さい頃からの!」

 それを聞いたヤナさんはほっとしたように言った。

「よかったな、瑠菜ちゃん」

「うん、良かったぁ……。私のせいでまたやっちゃったのかと思ったもん」

 ちょっと瑠菜ちゃんは素直過ぎた。

「それは違うよ、瑠菜ちゃん。やっちゃったのは柳瀬君だから」

「そう言われればそうかも……ですが友利さん」

 少しヤナさんは言い難そうにその『友利さん』と言う三十代くらいの男性に訊いた。

「あの、ところで出来ました? 倉敷の……」

「ん? ああ、できた、できた。これ……やっぱり、瑠菜ちゃんは和服、着物が似合うね」

「そうだよね、友利さん! この今着てる服ちょっとねぇ……って感じでしょ?」

 と瑠菜ちゃんは友利さんに訊く。確かにその服はここにいる中で唯一、浮いていた。それで本気で外、歩くの? という感じだ。今まで注目しないようにしてきたが、もう限界だ。本人がそう言ってしまっては仕方がない。しっかり見よう。この目で!

 瑠菜ちゃんの今の格好は……黒のラメでキラキラの織姫風だった。もちろん、髪も織姫風だ。誰がこれを着せたのか知りたいところだった。ちなみに『織姫風』なのはもううすぐ七夕だからだろう。

「分かってないわね。瑠菜ちゃん」

 と言って瑠菜ちゃんの隣に来たのはホリィさんだった。瑠菜ちゃんはどういうこと? と問うようにホリィさんを見る。――ということはあの服はホリィさんが?

「良い? やっと二十歳になった瑠菜ちゃんはちょっとずつでも大人に見られるようにしていかなきゃいけないの」

「私、今、二十一だもん……」

 と瑠菜ちゃんはむー……とした不満顔のままでこのフォトスタジオの奥へと一人消えて行ってしまった。

(ああ、瑠菜ちゃん! でも、待てよ……)

 ということは瑠菜ちゃんは私よりも一つ下なだけか?

 え、本当? と私は小さな驚きを心の中で叫んだ。

 あんなに小さいのにもう二十一? 大人の女……すごい!

 そして、ここの人達は一体何歳なんだろ? という疑問が増えた。

 それにしてもここの人達はあまり人のことを気にかけないんだな……なんて思っていたら、

「これ、見る?」

 と、さりげなく真志田さんが一枚の写真を私によこした。

 それはさっきヤナさんが言っていたあの『倉敷のゆかり写真』だった。

 被写体はもちろん、瑠菜ちゃんだ。白を基調とした青い着物が似合っている。それを見ながら私は言う。

「何か風情が出てますねぇ。倉敷って……岡山県ですよね?」

「そうだね。この前行って来たんだよ。皆で」

「あの彼女さんも一緒に……。練習がてらで……」

 とホリィさんが言った。その口振りからすると少し苦い思い出があるようだ。

 それでも私は言う。

 かなりのお決まり文句だが良いだろう。

「良いなあ……。行きたかったなぁ……私も」

 と何の気なしに言ったらヤナさんがさらっとこう言った。

「そうか、じゃあ君も倉敷に一緒に行った感を出すためにこれから『倉敷わたな』と名乗らないか?」

「どうしてそうなるんですか!」

 強く素早く私はヤナさんに突っ込んだ。

「ほら、だってね……。思い出しちゃうから……あの彼女のこと……。ホリィさんから電話もらって知ったけどやっぱりダメだったんだよね? 彼女」

「はい、ダメでした。友利さん、すみません。俺が至らなくて……」

「そうか、ダメだったか……」

 そこで二人は事実を確認し合って沈んだ。

「はいはい、そんな暗い雰囲気にならないで! 見てよ! この瑠菜ちゃんの倉敷のゆかり写真! 結構、良いよ」

 ホリィさんは努めて明るくそうしているようだった。私が見終わったその写真を片手に持って皆に見せびらかす。

 でも、その効力は薄い。

 だって、もう皆見てしまった後だから……。

 何があったのだろう? この人達に……。

 あの走って行ってしまった彼女さんに……、疑問は尽きない。

 こういう時、誰に訊けば良いのやら――。

 そう思っているとあの黒ラメ織姫風の服から普通の私服へと着替えた瑠菜ちゃんがまだむーっとしながらもこちらに歩いて来るのが見えた。

 そして、皆とは離れた所にあるパイプ椅子にちょこんと座った。

 これは好都合! 仲良しになるチャンス? と思って私は恐る恐る瑠菜ちゃんに話し掛けた。

「瑠菜ちゃん、ちょっと良い?」

「うん、何? わたなちゃん」

 瑠菜ちゃんは元気に答えてくれた。そして、その名はもう浸透していた。

 はあ……。でも、よかったぁ……。私に対しては不機嫌になっていないようだ。

 これで安心して訊ける。

「あの、ちょっと訊きたいんだけど……、あの走って逃げちゃった女の人って、瑠菜ちゃんの相手だった人なんだよね?」

「うん、そうだよ。たったの……二週間くらい?」

(そうかぁ……、二週間も頑張っちゃったんだ……。あの人……)

 とホリィさんの話と総合して思ったのはさておき、私は核心を訊くことにした。

「あの女の人追い掛けなくて本当に良かったのかな?」

「うーん……、私は追い掛けたかったんだけど……足が遅すぎるからダメだって皆に言われて……」

「ちなみにそのタイムは?」

「え……百メートル、十二……いや、十一? あれ? 五十メートルだったかな? うーん……、かなり前だからなぁ……走ったの……。でも、普通に考えれば五十メートルの方だよね……」

 うーん……とまだ瑠菜ちゃんは思い出してくれていた。

「それはいつ?」

 私の『恐る恐る』はとても恐る恐るになった。

「学生の時!」

 元気過ぎた。

「学生って……」

「今、二十一だから……」

「あ、ありがとう! 自分で計算する!」

「え、うん。そのくらい」

「そうか……。それじゃあ、何かあった時大変だね……」

「うん。だからいつも柳瀬さんには迷惑掛けちゃって……。『ごめんなさい』って思ってるの」

 そう言うと私服だった瑠菜ちゃんがあの『黒ラメ織姫風』を着ているように見えた。そして、瑠菜ちゃんはふわりとその場に立った。

「あの彼女さんもね、ああいう服に憧れてたんだって。子供の時から。それが夢だったんだって、子供の頃の夢。でも、それが叶わなくなって……。だから、私が悪いのかな……って思って……」

 そこまで言って……というか言わせてしまった所でヤナさんが瑠菜ちゃんの頭を唐突にぽすっと痛くないように軽く置いて言った。

「気にすんな。瑠菜ちゃん、悪いのは……」

「全部、この柳瀬君だから」

「ちょっと! 友利さん! さっきまで一緒に沈んでたじゃないですか! さっき言ったのは最終的な話で!」

「最終的? 最初から過程から最後まで柳瀬君の仕業でしょ?」

「そんな言い方しないでくださいよ。倉敷ではそんなことなかったでしょ?」

 そんな大の男のいざこざよりも私は私で、瑠菜ちゃんの頭がー! と叫びたかった。

 だって、瑠菜ちゃんがう、う? っとしていたんだもの……。

(かわいそう、今、かわいそうな顔してる! 自由奪われてかわいそうだよ! 瑠菜ちゃん! だからせめてその手をどかしてやって下さい! ヤナさん!)

 そんな悲痛が通じたのか真志田さんがとても冷静に隠されていた小さな事実を一つ、投げ掛けてくれた。

「やっぱり、あれじゃない。あの『友利さん方式』とかヤナさんのもっと、もっと! がいけなかったんじゃない?」

「じゃあ、真志田さんの言う通りだとすると……悪いのは柳瀬さんと友利さんだね!」

 そう明るく瑠菜ちゃんに言われてしまったこの二人はとてもばつが悪そうな顔をした。

 これもいわゆるこの瑠菜ちゃんの力、なのだろう。

 ものすごい力だ。

 それで瑠菜ちゃんの自由も確保出来た。

 良かった、良かった。

「じゃ、じゃあ……こちらの新しく入ってくれた彼女……」

 そこでホリィさんは言い淀んだ。

 きっと『倉敷』を付けるか付けないかで悩んでいるのだろう。

(はあ……。皆の倉敷の思い出がどんどん悲惨なものになってる気がする。ここは何も知らない私が『倉敷』を名乗ってどんどん楽しい『倉敷』にするしかないのか? うーん……)

 と悩んでいても仕方がない。『倉敷』は全然悪くない。そうだ! それを証明するためにも私は言った。というか、言ってしまった。

「倉敷……わたな、です」

 と。

 結局は私が折れたのだ。

 皆の思い出をこれから良くするために! いや、しなくても良いのだけど私は全然関係のない人間だったのだから……。それでもそう名乗ったのはやっぱり、『楽しい』を増やしたいからだ。この『ゆかり写真』のように……。

「はい! ということで『倉敷わたなちゃん』です! これからよろしく! 『な止め組』にようこそ!」

 ホリィさんがそう言うとその場の皆がパチパチと拍手してくれた。瑠菜ちゃんなんかとても一生懸命過ぎてそのうち手、痛めちゃうよ? くらいだった。

「あの、一つ訊いても良いですか?」

「何?」

 真志田さんが私の質問に聞く態勢になってくれた。ヤナさんと友利さんはまだ元気がない。

「さっきからずっと思ってたんですけど……。その『な止め組』って何ですか?」

「ああ……それはね、俺達の通称」

「は? と言いますと?」

「『だから、そういう感じみたいな……』で終わっちゃってるから、うちは『な止め組』って呼ばれてるんだよ」

 とそれまで元気のなかったヤナさんが教えてくれた。ちょっと不機嫌気味らしい。

「あとはそうだな、ブラインドは下ろして帰ること。かな……。君に覚えておいてほしいのは」

「どうしてですか?」

「瑠菜ちゃん対策だ」

 ヤナさんにきっぱりとそう言われた。もうあの不機嫌もなくなったようだ。

「中、あんまり見られるの困るからね……」

 真志田さんがそう言うとヤナさんはシャシャシャッとブラインドをスルスル下ろして行く。

 ちょっと大変そうだ。

 サー……じゃないだけに。

 そんな様子を見ながら真志田さんが、

「これからいろいろ大変だろうけど、逃げ出さないように、ね。何か困った事があれば力になるし……頑張りが大切だから。この世界」

 と私をわざわざ励ましてくれた。

 それには、「はい……」と答えるしかなかった。あれを見てしまった以上は……だったが。

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