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第2話







 来た時とは違い、ゆっくり歩きながら、三人で人事部の執務室を目指す。

 その道中で、横山くんが東雲部長の隣に並びながら明るく声をかけた。

「来週の視察、どこなんですか?」

 気さくな横山くんの姿に感心しながら私は二人の後ろをてくてく歩く。

 すごいなあ、横山くんは。

 あんなに風に話しかけるなんて、私には天地がひっくり返っても無理だ。

「大宮だな」

「じゃ、日帰りですね。よかった、泊りがけなら意地でも着いていかなきゃって思ってたんで」

「いや何でだよ」

 はー、と大袈裟に胸を撫でおろした横山くんに、東雲部長が怪訝な顔で突っ込む。そんな部長に、何故か横山くんはにやりと意地悪く口の端を吊り上げた。

 次いで、愉しげな視線がちらりと私を向いたような気がして、首を傾げる。その視線は、すぐに部長に戻っていたけれど。

「そりゃあもう、部長が変な気を起こさないように?」

「……上司に向ける言葉ではないな。そんなに仕置きをご所望か?」

 一瞬固まった部長が、次の瞬間にはにっこりとたいそう綺麗な作り笑顔を浮かべ、まるで友達の肩を組むように横山くんへ腕を回――したかと思うと、そのまま横山くんの首を締めあげた。

「いだだだだ! ギブ! ギブ! パワハラ!」

 ぎりぎりぎり、とあまり人体からしてはいけないような音が横山くんから鳴っている。

 まさか本気で締め落とすつもりでは無いだろうけど、思わずあわあわと狼狽えてしまうと、真っ赤な顔で騒ぐ横山くんを暫く眺めてから、部長はあっさり手を離した。

「げほっ、ごほっ、ほんとひでー……」

 唇を尖らせる横山くんの顔は酸欠でまだ赤い。

「お前が悪い」

 そう言って、楽しそうに笑う部長。拗ねた顔の横山くん。二人をぽかんと眺める私。

 漂い始めた穏やかな空気を切り裂いたのは、ねっとりと纏わりつくような猫撫で声だった。

「「東雲部長!」」

 まるで部長の雰囲気が和らぐのを見計らったように、どこからともなく女の子二人組が飛び出してくる。勿論、先ほど会議室前ですれ違った子達とは別だ。

 くるんと上向く睫毛に、ぷるりと濃い目のリップ。細い指先を飾るネイル。ふんわり巻かれた長い髪。スタイルの良さが際立つ、ちょっとだけ露出のある服。

 女子力が数値化されているとしたら、きっと私の数十倍はあるだろう。そんな可愛い二人が、大きな瞳をきゅるりと潤ませながら東雲部長を見上げた。

「こんなところでお会いするなんて偶然ですね!」

「エレベーター、私たちもご一緒させてくださーい」

 きゃっきゃっと高く甘い声は可愛らしいといえば可愛らしい。

 しかし、高揚で頬を上気させる彼女たちとは反対に、東雲部長の表情からはすっと温度が消えてしまった。まだ辛うじて笑みは浮かべているものの、その眼差しはかなり冷ややかだ。私と横山くんはすっかり蚊帳の外で、黙るしかない。

 一瞬の沈黙が流れたその時――ポーン、と間抜けな音を連れて、私たちを乗せる箱が到着した。丁度、エレベーター前に辿り着いたところだった私は、呼び出しボタンを押してしまっていたのだ。

(ど、どうするんだろう)

 乗り込んでもいいのかな。恐る恐る様子を窺うと、しなやかな手のひらが視界を横切る。

 冷えた瞳のまま、東雲部長は薄く笑ってエレベーターを指し示した。

「俺たちは階段から戻るから、これは君たちで使いなさい」

 そう言って部長は、返事を待たずに階段側へと歩き出してしまう。

「それなら私たちも!」

 しかし彼女たちは強かった。素っ気ない部長の態度くらいではめげず、私を押し退ける勢いで割り込んでくる。

「わ……!」

 ぶつかる―――! 

 そう、無理に方向転換を試みたのが良くなかった。

 ぐにゃり。足首が縒れて、視界があっという間に傾いていく。

(倒れる……!)

 咄嗟に目を瞑ったけれど、しかし、予想していたような衝撃はやってこなくて。

 まるでマットレスに飛び込んだ時のような柔さと弾力に、薄く目を開けると、視界を埋め尽くしたのはグレーの生地にストライプ柄のネクタイだった。

「なあ」

 あれ、これって。そう思うと同時、その場の全てを凍り付かせるような声が降り注ぎ、思考が固まる。

「君たちが今、この場で、俺に伝えなければ会社の経営が傾くような、重大任務を仰せつかっているというのなら、話を聞こう」

 息をするのも躊躇われるほど、鋭く無慈悲な言葉。

 さすがの彼女たちも次第に顔を蒼くさせ、その場で硬直していた。

 かくいう私も、転びかけた私を抱き止めるようにして助けてくれたのが東雲部長だということが分かり、別の意味で硬直している。

 絶対に顔を上げられないし、なんならこのまま気を失ってしまいたかった。あのご尊顔が顔を上げたらすぐそこにあるのかと思うと、体中から変な汗が噴き出しそうだ。

 彼女たちが閉口していると、部長は私をゆっくりと抱え起こし、その場に立たせてくれた。

「怪我は無いか?」

 かけられた言葉にやっぱり顔を上げることはできなくて、ひとまず首が千切れんばかりに頷いておく。

 心配そうに眉を下げた部長は「やっぱりエレベーター使うか」と言うと、未だ固まったままの彼女たちを置いて、私の腕を優しく引きながらエレベーターに乗り込んでしまった。

 戸惑いながら、最後に乗り込んできた横山くんを見上げる。

 横山くんは苦笑を浮かべながら、肩を竦めたのだった。

 ……私たちは知らない。

 東雲部長の姿が見えなくなった後「……怒ってる顔も超かっこいい!」と彼女たちが騒いでいたことなど。




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