冴子さん、遅いな。雨降ってるし、暗いから迎えに行こうかな。玄関を出ようと引き戸を開ける。目の前に冴子さんが居た。ずぶ濡れで。え?何で?
「冴子!どうしたの?」
俺は冴子さんの腕を引っ張って家の中に入れる。ずぶ濡れの冴子さんは俺を見上げると言う。
「郁弥くん…別れよっか。」
は?何言ってんの?意味分かんねぇし。朝会った時はあんなに…そこまで考えてハッとする。
「…美香だろ。」
冴子さんが俯く。やっぱりだ。俺は冴子さんを抱き締める。
「何、言われた?別れろって?」
冴子さんが泣き始めるのを感じる。
「俺、別れないよ、絶対嫌だ。誰に何を言われたって俺が冴子の事、好きで、愛してて、付き合ってるんだから、絶対別れない。」
可哀想に、傷付いて、泣いてる。
「温かくしないと。風呂、湧いてるよ。一緒に入ろ。」
湯船に浸かり、冴子さんを抱き寄せる。冴子さんはずっとポロポロと涙を零していて、何も言わない。俺の女、傷付けやがって。絶対許さねぇ。
「愛してるよ、冴子の事は誰にも渡さないし、俺はずっと冴子の傍に居るから。」
冴子さんの顔を上げさせる。
「いっぱい泣きな、そんで俺にいっぱい甘えな。」
冴子さんが俺に抱き着く。
「大丈夫、俺が守るから。ごめんな、嫌な思いさせて。」
抱き着いた冴子さんの体は震えている。こんな思いさせやがって。絶対許さねぇ。
風呂から上がって、保湿して。冴子さんに飯を食わせる。
「今日ね、ハンバーグ、焼こうと思ってたの…」
ポツリ、ポツリ話す冴子さんはご飯もあまり食べてくれない。
「年上と付き合っててもメリット無いでしょって…」
そこで冴子さんが顔を上げる。
「分かってるの、そんな事。」
そう言った冴子さんは無理して笑う。胸が痛い。俺は食事を止めて、冴子さんの腕を掴む。
「来て。」
寝室に入る。口付けて冴子さんを押し倒す。
抱きながら俺はずっと冴子さんに囁き続けた。
冴子、愛してる
ずっと傍に居るよ
絶対別れない
俺が守るよ
冴子は誰にも渡さないよ
冴子は俺のものだ
冴子さんは俺にしがみついて、泣き声を殺す。
大丈夫だよ
泣いていいよ
俺が受け止めるから
冴子の全部、俺が受け止めるから
「冴子は俺の事、好き?」
聞くと冴子さんが頷く。
「…好き、郁弥が好き…」
俺は冴子さんを抱き締める。
「愛してる…」
翌朝、勤務の俺は冴子さんよりも早く家を出る。署の前まで行くと美香が居た。美香は俺を見ると嬉しそうに近付いて来る。
「郁弥!」
冴子さん泣かした張本人が何で楽しそうにしてんだよ!イラついて俺は美香を無視して署に入る。そして団長の所に直で行き、言う。
「すみません、団長、お話があります。」
事情を話すと団長が頷く。
「分かった。」
団長を真っ直ぐ見て言う。
「話、付けてきます。」
団長は厳しい顔付きで頷く。
「木っ端微塵にして来い。完膚なきまでに論破して、片付けて来い。」
署を出る。まだ美香がそこに居た。俺を見つけると駆け寄って来る。
「郁弥!」
俺は美香の前に仁王立ちになり、言う。
「昨日、冴子がずぶ濡れになって帰って来た。」
美香の動きが止まる。
「別れようって言われた。」
美香は一瞬嬉しそうな顔になる。腹が立つ。
「だから別れないって言った。」
美香の顔から表情が消える。
「何で!」
聞かれて俺は言う。
「俺、昨日言ったよな?俺が惚れてんの!俺が好きで好きで堪んなくて、冴子に付き合って貰ってんの!」
美香が俯く。
「お前、冴子に年の事、持ち出して、色々言ったんだろ。」
美香が顔を上げて言う。
「だって本当の事じゃない!このまま郁弥とあの人が付き合ってたって、郁弥に何もメリット無くない?一回り上なんでしょ?結婚したって子供だって産めないし、あの人の方が先に年取って、おばあちゃんになっちゃうんだよ?郁弥が介護するんだよ?そんなオバサンと付き合ってたって未来なんか無いじゃん。」
俺は腕を組んで美香を見下ろす。
「で?冴子と別れてお前と付き合えって?」
美香が微笑む。
「そうだよ!私と付き合った方が郁弥の為じゃん。郁弥とは幼馴染みだし、」
そこまで言われて俺は笑う。
「お前、俺と別れる時、何て言ったか忘れたの?」
言うと美香がまた俯く。
「お前、俺と別れる時、俺に言ったよな?俺みたいなつまんない男と付き合ってても先は見えてる、自分はもっと良い男捕まえる、こんな片田舎で終わる自分じゃないって。」
溜息をつく。
「お前、都会で何があったか知らないけどさ、上手く行かなかったんだろ。それで帰って来て、俺の事聞いて舞い上がった?また付き合えるって?お前の方がよっぽど打算的だろ。」
美香が俺を見上げる。
「そうだよ!上手く行かなかったの!傷付いて帰って来てるの!前みたいに甘えさせてくれると思ってた…なのに付き合ってる人が居るとか言われて、ムカついたの!一回りも上のオバサンなんかと付き合ってるのは、郁弥の相手になる女が周りに居なかったからでしょ!私が帰って来てるんだから、私が郁弥と付き合えば丸く収まるじゃん。」
俺は眉間に皺を寄せて言う。
「俺の気持ちは無視かよ。」
言うと美香が俯く。
「お前、昔からそうだよな。いつも自分の気持ち優先でさ、全然俺の気持ちとか考えてくれなかった。だから俺はお前の気持ち、考えるの止めにする。俺は冴子が好きだし愛してる。冴子も俺の事、同じように思ってくれてる。俺は冴子以外の女なんかどうでもいい。だからお前の事もどうでもいい。でもな。」
美香を睨む。
「冴子傷付けるのだけは許せない。お前はもう昨日の時点で冴子を傷付けてる。だから俺はお前を許さない。お前がどう謝っても、冴子が許すって言っても、俺はお前を許さない。顔も見たくない、殴られないだけマシだと思ってくれ。そんで消えてくれ。」
そして付け足す。
「冴子と関わるな。冴子に手出したら、そん時は俺、容赦しないからな。相手が男だろうと女だろうと関係ない。俺は俺の大事なものを守る。それだけだ。」
美香が俺を見上げる。
「何で!何で私じゃないの…何で私じゃダメなの…」
美香が泣きながら言う。
「お前、それ本気で言ってんの?お前が好きなのは俺じゃなくて“オレンジの俺”だろ?お前にとって何よりも大事なのは俺自身じゃなくて、俺のステータスだろ?今だって手に入らないから欲しがってるだけだ。」
美香の涙を見ても何とも思わない。冴子さんが泣くと胸が締め付けられて苦しくなるのに。
「あの人は違うって言うの!」
美香に言われて俺は笑う。
「冴子は違うよ、冴子は昨日、俺に何も言わずにただ別れようって言ったんだ。お前の事、何も言わなかった…」
ずぶ濡れで俺を見上げて別れよっかと言った冴子さんの顔…泣きそうなのに必死で微笑んで…胸が痛い。
「冴子は俺の事すげー愛してくれてる。いつも俺優先で自分の事なんて後回し、何よりも俺の事、大事にしてくれてる。お前、想像出来る?俺が女に甘えてるとこ。」
美香が俺を見上げて、驚いている。
「俺ね、今までずっと男は女を守るもんだって思って生きて来た。今もそう思ってるよ。でもさ、気付くと俺は冴子に守られてる。心の一番深いとこで、俺の事、支えてくれてる。俺にとって冴子はもう生きて行くのに不可欠なんだ。冴子の居ない生活なんてもう考えられない。」
俺は美香を見下ろして言う。
「もう俺たちに構うな。放っておいてくれよ。冴子はただでさえ傷付きやすいんだ。一人じゃ抱えきれない痛みを背負ってた。俺は冴子に笑ってて欲しいんだ。俺の隣でずっと笑ってて欲しいんだよ。」