「郁弥!」
梅雨入り前に各所のパトロールに出ていた時、急に声を掛けられる。振り向くとそこには…女?その人は俺に駆け寄って来て抱き着く。え?誰?そう思っていると、その人が俺を見て言う。
「えー!忘れちゃったの?美香だよ、美香!」
名前を言われて思い出す。あー!美香か!
「え!美香?っていうか、何でお前、ここに居んの?」
美香は昔、俺と付き合っていた、いわゆる元カノだ。とは言え、付き合っていたのは俺が地元に居た高校生の時。大学は地元を出て、オレンジになりたくて、ひたすら頑張って、二年前に戻って来た俺とはもう十年近く会ってない。
「私もさ、都会に出たけど、戻って来ちゃったんだよね。」
美香が苦笑いする。
「ふーん。」
俺はパトロール作業に戻る。
「郁弥、オレンジになれたんだね。」
美香が言う。
「うん、まぁね。ずっと夢だったし。」
良し、ここも大丈夫そうだ。振り向くと美香が目の前に立っている。
「おぅ、何だよ。」
少し驚いて聞くと美香が俺にまた抱き着く。
「郁弥、めっちゃ格好良くなってるじゃん、体も鍛えてて、すごい。」
俺は美香を引き離す。
「お前、こういうの、止めろよ。」
美香が少し驚く。
「何で?」
何でって。
「いや、普通、こんな事しないだろ。」
美香が少し傷付いたような顔をする。
「別に良くない?」
言われて俺は思う。あー、そうか、美香は知らないんだっけ。
「良くない。俺、今、付き合ってる人居るから。」
美香が驚く。
「そうなの?誰?私の知ってる人?」
聞かれて俺は考える。
「いや、知らないんじゃね?」
質問攻めにされそうで、嫌だった俺は言う。
「っていうかさ、俺、今、仕事中なの。だからお前の相手してる暇ねぇんだけど。」
仕事が終わる。アパートに帰りたくなかった俺は冴子さんの工場に寄ろうと思い立つ。署を出ると署の前に美香が居た。
「郁弥!」
何で居んだよ、と思いながら、俺は歩く。
「待ってよ、ねぇ。」
美香が俺の腕を掴む。
「だから、何?何の用?」
聞くと美香が俺を見て言う。
「郁弥、変わったね。」
はぁ?何言ってんの、コイツ。
「意味分かんないけど。」
言うと美香は掴んだ俺の腕を伝い、手に触れる。
「叔母さんから聞いた、郁弥の彼女の事。」
あーまぁここら辺では知らない人は居ないもんなと思う。
「すごく年上なんだってね、四十超えてるんでしょ?」
その言葉のチョイスにイラッとする。俺は美香の手を振り払う。
「触んなよ。」
美香が少し驚く。
「あのさぁ、そもそもお前が何で俺にちょっかい掛けて来んのか分かんないけどさ、俺が惚れた女の事、そういうふうに言う奴、俺、嫌いだから。」
美香が言う。
「そんな年上と付き合うなんて、郁弥、勿体無いよ。」
そう言われてカッとなる。
「お前に何が分かんだよ!聞こえなかった?俺が惚れた女なの!惚れた女の事、貶して来るような奴と話す程、俺、暇じゃねぇんだわ。」
工場に着く。顔を出すと冴子さんが微笑む。
「郁弥くん、勤務終わったの?」
聞かれて俺は微笑む。
「うん。」
言うと冴子さんはカバンから鍵を出して俺に渡してくれる。
「冷蔵庫に食べられる物、作って入れてあるから。」
あぁ、俺の彼女は何て可愛いんだ。
「マロンのお水とか見てあげて。」
言われて頷く。
「うん。」
そしてどうしても我慢出来なかった俺は、事務所に誰も居ないのを良い事に、冴子さんを抱き寄せ抱き締める。
「どうしたの?」
冴子さんはそう聞きながら俺の頭を撫でる。
「うん…何となく。すげー好きだなぁって。」
冴子さんはクスクス笑う。
「私も郁弥くん、好きだよ。」
冴子さんに口付ける。
「ん…」
冴子さんの漏れる声はいつも可愛い。舌を絡め合って、唇を離す。
「なるべく早く帰って来て。」
俺が言うと冴子さんが頷く。
「分かった、なるべく早く帰るね。」
冴子さんの家に入り、お腹が空いた俺は冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中には色んな作り置きがしてある。
「お、ワンプレートじゃん。」
大き目のお皿を取り出す。今日の分か。俺は上機嫌でレンジにそれを入れて温める。にゃーんとマロンが鳴く。
「お、お前も来るか?」
レンチンした飯をテーブルに置くとマロンが俺の膝の上に乗ってくる。マロンを撫でながら飯を食う。
私は部屋の枕に八つ当たりする。せっかく帰って来て、郁弥の事を聞いて、嬉しくなって会いに行ったのに。聞けば相手は四十越えてて、しかもバツイチ。そんな女が何でよりによって郁弥と付き合ってるのよ!…郁弥、格好良かったな、昔より体も鍛えてて、一回り大きくなってた。高校生の頃はもっと線が細かったけど。あんなにハッキリ物を言う性格じゃ無かったのにな。私にはもっと優しかったのに。でも相手が四十越えてるオバサンなら、私の方が若いんだから、私の方が良いに決まってる。
定時で上がる。
「冴子ちゃん、お疲れ様。」
長島さんに言われて私も言う。
「お疲れ様です、また明日。」
雨が降り始めていた。傘をさして歩く。郁弥くん、何してるかな、疲れて寝てるかな。今日の夕飯は作り置きのハンバーグでも焼こうかな。そんな事を考えながら歩いていると、人影が見える。傘をさして立っている、女の子…?知らない人は居ないような町で、見た事の無い人だ。一応、会釈だけする。
「あの、」
声を掛けられて、その人を見る。その人はニッコリ微笑んで言う。
「成瀬冴子さん?」
聞かれて頷く。
「そうですけど、どちら様ですか?」
聞くとその人が言う。
「私、美香って言います、元村美香。」
スラッとした美人。でもどことなく棘を感じる。経験で分かる、こういう人は警戒しなくちゃいけない。美香さんは私に近付いて言う。
「私、郁弥と幼馴染みなんですよ、ついこの間まで町を出てて。町を出る前までは郁弥と付き合ってたんです。」
そう言われて思う。あぁ、そういう事ね。こうやって郁弥くんと付き合ってる私にわざわざ過去の事を言って来るのは、郁弥くんを返せ、と言いたいのだろうと察する。
「ビックリしちゃった、郁弥が年上の人と付き合ってるなんて聞いて。そんな人、居たかなー?って思ったら、あなた、地元じゃないんですってね。」
外の人間が町の人間に手を出すな、と言いたいのかな、と思う。
「しかも、年上でしょう?郁弥、まだ若いのに。あなたと付き合ってて郁弥に良い事、何も無くないですか?」
美香さんは私の目の前に立って言う。
「郁弥の事、考えるなら、郁弥と別れてください。この先、どうするつもりなんですか?郁弥と結婚でもするつもり?結婚したって、あなたの年なら子供も産めないでしょ?ま、どうせそのうち、郁弥だって気付くと思うんですよね、あなたと付き合っててもメリット無いって。この先、あなたと一緒に居ても、郁弥が介護するだけになるんだから。」
そんな事、言われなくても分かっている。
「お話はそれだけですか?」
目の前の女が言う。そう言われて驚く。目の前の女はニッコリ笑う。何なのよ、この女。この余裕の態度!腹立つ!
「話、聞いてた?郁弥と別れろって言ってんの!」
その女は微笑んだまま、言う。
「今日、帰ったら郁弥くんと話しますね。」
この人、何、余裕ぶってんのよ!
「別に郁弥と話さなくても、アンタが別れるって言えばそれで終わる話でしょ!」
思わず突き飛ばす。突き飛ばされたその人は雨の中、倒れ込む。は?何でこんなに簡単に倒れる訳?か弱いアピール?
「とにかく!郁弥とは別れてよね!」
そう言ってその場を走って帰る。