風呂から出て、部屋に戻る。髪を解いてタオルで拭いている冴子さんに抱き着く。
「ん?」
聞かれて俺は言う。
「飯、一緒に食おう?」
冴子さんは俺の頭を撫でて言う。
「良いよ。」
「んじゃ一旦帰って、着替えとか持って来る。」
冴子さんはデートの時とは違うワンピースを着ている。今、着てるのはゆったりとした薄緑色のリネンワンピースだ。
「夜ご飯、何か作っておくね。」
冴子さんに言われて俺は浮かれる。
「やった。」
玄関まで行き、振り返って冴子さんを抱き締める。
「ん?」
聞かれて俺は冴子さんの頭を撫でて言う。
「離れたくない…」
冴子さんが笑う。
「ほら、行って。それですぐに帰って来て。ご飯作って待ってるから。」
キッチンに立って食事を作る。炊事なんてまともにするの、どれぐらいぶりだろう。自分一人だと適当に作って終わりにしてしまう。郁弥くんは何が好きなのかな、明日から買い物するのに、郁弥くんの分も考えて買い物しないとな。不意に不安になる。本当にそれで良いの…?
アパートに駆け込んで、ドタバタと支度する。明日の着替えと制服、あと…スウェット!それから、髭剃りと整髪料!他は…まぁ冴子さん家にある物で何とかなるか。不意に目に入る、細長い水色の箱。これ、渡そうかな。似合うと思って買ってから、渡せてないもんな。その箱を持ってアパートを出る。
玄関の引き戸を叩く。トコトコと歩いて来る音がして鍵が開く。引き戸を引くと冴子さんが微笑んでいる。
「おかえり。」
言われて何か無性に嬉しくなる。
「ただいま。」
居間に入ると食事が並んでいた。
「おー!すげー!」
冴子さんは困ったように微笑んで言う。
「何か好きか分かんなくて、ある物で適当に作ったんだけど。」
俺は座って胡座をかく。
「何でも食うよ、冴子が作ってくれたもんなら。」
言うと冴子さんがクスクス笑う。
「んーじゃあ好きな色!」
食事をしながらおしゃべりする。お互いに質問し合う事にした。聞くと冴子さんが少し考えて言う。
「うーん、好きなのは青とか緑とかかなぁ、自分で着る服もそういう色が多い気がするし。郁弥くんは?」
聞かれて考える。
「うーん、やっぱり赤とかオレンジかな。自分で着るなら紺とか黒が多いけど。」
冴子さんが微笑む。
「オレンジ着てる郁弥くん、格好良いもんね。」
急に褒められてたじろぐ。
「え、そう?」
冴子さんは恥ずかしそうに俯いて言う。
「いつも格好良いなって思ってた…」
あー!もう!可愛い!そう思ったんだけど。
不意に冴子さんが寂しそうな顔をする。え?何で?何でそんな顔すんの?冴子さんに手を伸ばして頬に触れて聞く。
「どうしたの?」
冴子さんは少しだけ微笑んで首を振る。
「ううん、何でもない。」
いやいや、いやいや。何でも無い訳無い。俺は箸を置いて聞く。
「何?どうしたの?」
冴子さんが箸を置く。その瞳にはもう涙が溜まっている。いやいや、何で泣く?!俺は冴子さんを抱き寄せる。
「何、どうしたの?何で泣いてんの。」
俺はこんなに幸せなのに。冴子さんは俺に抱き着いて聞く。
「郁弥くんは良いの?」
は?何が?何の事を聞かれているのか分からない。
「何が?」
冴子さんの背中を撫でて聞く。
「私、もう四十過ぎだし、バツイチだし…背中に傷もあるし…」
何だ、そんな事か。そう思って言う。
「それ、俺が冴子の事、諦める理由になる?私で良いのかって聞きながら泣いて、俺に抱き着いてる、俺に惚れてる女を手放す理由になる?」
俺は冴子さん抱き締める。
「俺はもう愛してんの、冴子の事。絶対手離さない。」
冴子さんは泣きながら言う。
「でも、皆、きっと噂するよ?」
俺は笑う。あぁ、そういう事か。やっと分かった。
「冴子、顔見せて。」
言うと冴子さんが俺に顔を見せてくれる。
「皆、噂するって?何を?俺と冴子がくっついた事?消防団の団長に早くくっつけって言われてるのに?」
言うと冴子さんが驚いた顔をする。
「先輩にも早くデートに誘えって言われて、工場のオバチャンにも男らしくちゃんとリードしろって言われてるのに?」
冴子さんの瞳からポロポロ涙が零れる。冴子さんの頭を撫でる。
「大丈夫だよ、皆、ちゃんと知ってるよ。冴子の過去も傷も。俺、覚悟あんだろうな?って団長に絞られたもん。生半可な気持ちで好きになる相手じゃないって。皆、心配してるよ?冴子の事。成瀬のおじさんが良く話してたって。」
俺は笑う。
「まぁ周りにすぐバレるぐらい、俺、冴子の事ばっか聞いてたしね。一年もグズグズしてて、意気地無しだってずっと言われてたし。」
冴子さんを抱き締める。
「だから大丈夫。何も気にしなくて良いよ。誰も悪く言ったりしないし、誰にも悪くなんて言わせない。」
飯を再開して、完食する。
「あー美味かった。ご馳走様でした。」
お皿を片付けている冴子さんを手伝う。
「良いよ、私、やるから。」
俺は笑う。
「二人でやった方が早いじゃん。」
部屋で寝転がる。
「郁弥くん、お願いがあるんだけど。」
言われて俺は起き上がる。
「ん?何?」
聞くと冴子さんは何かを取り出して俺に渡す。渡されたのは医者から処方されている類のボトル。
「ん?何これ。」
聞くと冴子さんが言う。
「それ、乳液なの。背中の傷痕、引き攣るから保湿しないといけないんだけど…今まで誰にも頼めなかったから…」
塗れなかったんだ…。俺は微笑んで言う。
「良いよ。塗ってあげる。」
ボトルの蓋を取る。ポンプ式になっている。ポンプを押すと泡が出て来る。冴子さんがワンピースを脱ぎ、キャミソールを脱ぐ。背中がカサついていた。皮膚が引っ張られるって言ってたのは、こういう事か。手に泡を伸ばして冴子さんの背中に塗る。きっとずっと一人でこんな傷を抱えて、誰にも頼れず、いつ今日みたいに現れて脅されるか不安で。なのに俺はグズグズ一年も想いを伝えないでいた。もっと早くに行動してれば。後悔しかない。
「ん、ありがとう。」
冴子さんはキャミソールを着る。そういえば冴子さんはブラ付けてないな、やっぱり背中の傷のせいかな。
「手、洗って。」
言われて俺は微笑む。
手を洗って戻って来る。良し、渡すぞ。俺はリュックの中から水色の箱を取り出して冴子さんに渡す。
「ん?」
聞かれて俺は冴子さんに言う。
「プレゼント、ずっと前に買って来てて、渡せて無かったやつ。」
冴子さんが聞く。
「何…で?」
俺は笑う。
「理由要る?うーんと、それ見て似合うだろうなって思って。それじゃダメ?」
冴子さんがまた涙ぐむ。あーもう!いちいち可愛い。冴子さんを後ろから抱き締めて言う。
「開けて?」
冴子さんが箱を開ける。
「どう?」
冴子さんの顔を見る。瞳いっぱいに涙を溜めて微笑む。
「キレイ。」
冴子さんは箱の中のネックレスを取り出して俺に言う。
「付けて。」
言われて俺はネックレスを受け取って、冴子さんに付ける。黄緑の石が冴子さんの胸元に落ちる。
「似合う?」
聞かれて頷く。
「似合う。」
冴子さんを抱き締める。
「ペリドットの石言葉、知ってる?」
聞かれて俺は言う。
「えー分かんない。」
冴子さんはクスクス笑って言う。
「ペリドットの石言葉は“夫婦愛”とか“運命の絆”。」
運命の絆か。めちゃくちゃ良いチョイスしてんじゃん、俺。
「俺、ナイスじゃない?」
言うとまた冴子さんがクスクス笑う。