座った彼女を毛布でくるんで、頭をポンポンと撫でて彼女に耳打ちする。
「子猫ちゃん、ちゃんと保護してるから。避難所出たら渡すね。」
そう言って立ち上がる。
台風一過、翌日は晴天だった。被害はそれほどでもなく、片付けるのは家周りや道路に散らばった木の葉や枝、どこからか飛ばされて来たであろう、ゴミ。続々と避難所を出て来る人たちの中に彼女を見つける。ダブダブの俺のツナギを着た、可愛い人。ミャアミャアと子猫が鳴く。
「大丈夫だぞー?ご主人様に会えるからな。」
不意に彼女が俺に気付く。俺の元へ小走りでやって来る。
「おはよう。」
声を掛けると彼女が微笑む。
「おはようございます。」
彼女は礼儀正しくそう言う。子猫がミャアミャアとまた鳴く。俺は彼女に子猫を渡す。
「ほい、どうぞ。」
彼女は大事そうに子猫を抱える。
「ありがとう。」
子猫を愛でて撫でている彼女に俺は射抜かれる。あー、ヤバい。めっちゃ可愛い、この人。
それから俺は密かに彼女の事を聞いて回った。
「あー冴子ちゃんなら、ここに来て十年くらいになるかなぁ。ここに来た頃はね、都会で結婚したけど上手くいかなくて離婚したとかで、落ち込んでてねぇ。三年くらいは、なんて言うの、引きこもり?みたいな生活してたんだよ。そこから立ち直って工場で事務やるようになってね、二年くらいしたら冴子ちゃんの叔父さんが亡くなっちゃってな、ほら、あそこの成瀬の家のおじさんな。」
成瀬と聞いて場所が分かる。
「あぁ、成瀬さん。」
そういえば彼女を保護したのもその辺りだったなと思う。
「お前はここに戻って来てまだ二年だからな。知らなくても仕方ないけどな。」
教えてくれたのは消防団の団長だ。
「何だ、お前。冴子ちゃん気になるのか。」
言われて俺は慌てる。
「いや、気になるっていうか、ほら、前に保護した子猫!あの子猫、冴子さんとこの子だったから。」
団長が笑う。
「あーあの子猫、冴子ちゃんとこのか。」
そこから一年近く、俺はずっと彼女を遠くから見ていた。彼女はとにかく目立たないように、ひっそりと暮らしていた。何故、彼女はこんなにひっそり暮らしているんだろう?
やっと彼女の連絡先を聞き出した。聞き出すのに一年もかかってしまった。…というよりかは俺がヘタレなだけだった。このままヘタレている訳にはいかない。頑張れ!俺!彼女にメッセージを送る。
『お疲れ様です
仕事終わりました
冴子さん、次の仕事のお休みいつですか?
良かったら出掛けませんか?』
こんな田舎町では夜になると何もする事が無い。テレビを観る習慣は無いし、虫の声を聞きながら読書するくらいだ。不意にミャーと猫が鳴き、私の傍に来て寝転がる。猫を撫でながら思い出す。この子の鳴き声がして、気になって避難が遅れてしまったあの台風の日。縁の下でこの子を見つけて、抱き上げて避難しようと思ったけれど、避難所はペット禁止だった事を思い出して、途方に暮れたんだっけ。そんな時に塚越くんが現れて、猫を保護してくれた。優しい人。彼は今三十代になるかならないかの若者だ。私とは違う。逃げて来た私とは違う。
メッセージが入る。読書を中断してスマホを見る。メッセージを送って来るのは一人しか居ない。
『お疲れ様です
仕事終わりました
冴子さん、次の仕事のお休みいつですか?
良かったら出掛けませんか?』
読んで微笑む。何故、私なんかに構うのだろう。この町には塚越くんと同年代の人は居なかったっけ?過疎化が進んでいる町だ、それも仕方ないかもしれない。
『お疲れ様
次の休みは土日です。
基本的には土日休みだけど
時折、平日にお休み貰って
平日にしか出来ない用事片付けたりしてます。』
お出かけの誘いの返事は入れなかった。どうしてそうしたのか、自分でも分からない…いや、違う。受けてしまって良いのか迷った。良くも悪くも噂が回るのは早い。私のような四十路のバツイチが塚越くんのような若い男と連れ立って歩いたりしたら、それこそ噂の的になる。
返事を読んで溜息をつく。お出かけの誘いの返事が無い。これは遠回しに断られている?次の俺の休みは土曜日だ。頑張れ!俺!
『俺も次の土曜日休みなんです!
ドライブとかどうですか?』
また来るメッセージ。きっとこうして誘うのも勇気がいる事だと、私は経験で知っている。ドライブ、か。ドライブなら目に付かないかな…。
『ドライブ了解です。
楽しみにしてます。』
良し!デートの誘い、受けてくれた!何着て行こうか、どこへ行こうか。胸が弾む。
あれから何度かやり取りをして、塚越くんが迎えに来てくれる事になった。タンスの奥にしまってあった服を取り出す。年甲斐も無くこんな服を着たら笑われるだろうか。夏になるホンの少し前…薄青色のワンピース。お気に入りのワンピース。
土曜日の朝、俺は色々と準備して車を出す。冴子さんの家まで行き、玄関を叩く。トコトコと足音がして玄関の引き戸が開く。
「おはよう。」
そう挨拶してくれた冴子さんを見て、一瞬、時が止まる。淡い水色のワンピース、いつも丸めてお団子にしている髪型が今日は低い位置でポニーテールになっている。しかも毛先はカールがかかっていて、何て言うか、もう、めちゃくちゃ可愛い。不意にミャーと猫の鳴き声で我に返る。
「マロン、お留守番よろしくね。」
茶トラの猫を撫でて、彼女は白いスニーカーを履く。
助手席に乗り、車が走り出す。塚越くんは前を向いて運転していて、こっちを見ないようにしている感じがした。やっぱり似合わなかったかな…。年甲斐も無くこんな格好をして、浮かれていると思われたかな…止めれば良かった…そう思った時。
「…今日の冴子さん、めっちゃ可愛い。」
私は驚いて塚越くんを見る。塚越くんは左手で私の視界を遮る。
「あんま、見ないで。俺、今、すげー真っ赤だから。」
視界の隅にホンの少し映る塚越くんの顔は真っ赤だった。私はクスクス笑う。
「いや、笑わないでよ、恥ずい。」
私は火照る顔を冷ましたくて窓を開ける。
「…塚越くんも今日は普段と違って格好良いよ。」
塚越くんも今日は紺のパンツに白のTシャツ、紺ジャケを着ていて、いつもより大人っぽい。
「どっか行きたいとことか、ある?」
聞かれて私は苦笑いする。
「特に無い、かな。」
言うと塚越くんが私の頭にポンと触れて言う。
「んじゃ、ちょっと高いとこまで行こうか。」
高いとこ、というのはここから少し離れた所にある、山上の事だろう。窓から入る風が吹き抜ける。
あーどうしよう、会話、会話…。
「冴子さんとこの茶トラ猫、マロンっていうんだね。」
言うと冴子さんが微笑む。
「うん。」
えーと、会話、会話…。不意に冴子さんが笑う。
「ん?」
聞くと冴子さんが言う。
「いや、あの子、野良猫だったのね。別に家で飼ってるって訳じゃ無かったんだけど、あの後から家に居着いちゃって。」
笑うと可愛いな。もっと色んな冴子さん、見たいな。