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第3話

   3


 翌日。


 約束した時間通りに彼女は妻の入院する病院ロビーに現れた。


 魔女というくらいだから、てっきり箒か何かで空を飛んでくるのだと思っていたが、ロビーからガラス越しに外を眺めていると、彼女は普通に病院前のバス停でバスを降りてやってきた。


 まぁ、こんなところで箒なんぞに乗ると変に目立ってしまうからだろう。


 そこはやはり秘密というものなんだろうか?


「お待たせしました」


 彼女はすぐに私に気づくと、小走りにこちらに駆けてきた。


 那由多さんは白のニットにグレーのロングスカート、足元はかかとの高い黒のパンプスといった出で立ちで、肩からハンドバックを提げていた。


 店であった時よりも若干化粧が濃い印象だ。


「いや。ここまで来てくれてありがとう。それじゃぁ、案内するよ」


 私は那由多さんを伴い、エレベーターホールへ向かった。


 一昨年建て直されたばかりのこの病院は、白と茶色を基調とした壁にグレーのタイルカーペット、広々とした廊下や待合室は、まるでどこかのホテルのようだ。


 一階には総合受付や診察室と各検査室、二階には食堂や入院患者用の理髪店などが入り、三階が手術室や分娩室など、そして四階より上が各科ごとの病室となっていた。


 エレベーターで一番上の病室階へ向かい、ナースステーションの前を通って妻の待つ病室へ入る。


 今日も手前左右の入院患者はぼんやりとテレビを眺めており(カーテンの隙間から姿が見えた)、その間を通って我々は窓際右奥のベッドを覗き込んだ。


「――キミコ」


 寝ている妻に声を掛けると、妻はうっすらと瞼を開けながら、

「……あなた」

 それから私のすぐ後ろに立つ那由多さんに気が付くと、

「あなたが、那由多さんね? お話はこの人――誠二さんから聞いているわ」


「あ、はい」

 と那由多さんは返事して、かしこまったようにぺこりと頭を大きく下げた。

「今日は、真帆さんが来られなくてすみませんでした」


「ううん、いいのよ」

 とキミコは小さく首を横に振り、

「ありがとう、ここまで来てくれて」


「いえ、そんな」


「あなたも、魔女なのよね?」


「はい、そうです」


「よかった」

 とキミコは小さく微笑み、

「一度、魔女さんに会ってみたかったの」

 ゆっくりと身体を起こそうとするのを、私は手を伸ばして止めようとした。

 けれどキミコはその手を軽く払い除けながら、

「……大丈夫。今日は調子がいいから」


「あまり、無理はするなよ?」


「はい」

 小さく頷き、キミコはその眼を那由多さんに向ける。

「実は、魔女であるあなたに、お願いがあるの」


「はい」

 と答えて那由多さんは腰を屈め、キミコと目線を合わせながら、

「私がお力になれることでしたら、なんでも仰ってください」


 その言葉に満足したように、キミコは口を開いた。


「――もう一度だけ、私を家に帰してくれないかしら」


 その願いの意味を図りかねたのだろう、那由多さんは私に視線を向けてきた。


 私は小さくため息を吐くと、

「キミコはもう、先が長くないんだ。足腰も衰えて、無理をさせられない」

 短く、そう答えた。


 キミコはもう、家には帰れない。

 いつ容体が急変するか解らない。

 今はまだこうして起き上がって話をしているが、明日をも知れぬ身であることに変わりはなかった。


 しかし――そうか。

 やはりキミコは、家に帰りたかったのか。


 けれど、それは子供らも医者も許さないだろう。


 何より、キミコはもう身体を思うように動かせない。


 常に痛みを訴え、けれどもはやそれに抗おうともしていなかった。


 そんなキミコの――最後の望み。


「それは――」

 言いよどむ那由多さんに、キミコは小さく息を吐き、

「例えば、空を飛んで私を連れて帰ってくれたりはできないかしら」


「そ、それは」


「本当に、少しだけでいいの。ちょっとだけ、最後に家を見ておきたいの」


 キミコはもの悲しげな眼で那由多さんを見つめていた。


 私も、同じように那由多さんを見つめ続ける。


 彼女になら、それができるんじゃないか、そう思って。


 しかし。


「ごめんなさい。実は私、空を飛べないんです」


 その言葉に、私は目を丸くしながら、

「いや、しかし、昨日は確かに、私の身体を宙に浮かせたじゃないか」


「はい」

 答えて那由多さんは小さく首を横に振り、

「でも、あの程度なんです。風の精霊の力を借りて、人より高くジャンプする程度の力しか私にはありません。真帆さんなら、箒で空を飛ぶこともできたでしょけれど…… 私には、その魔法が使えないんです。魔女にもそれぞれ得手不得手があって、私は空を飛ぶことができない魔女なんです」


 本当にごめんなさい、と那由多さんは申し訳なさそうに、深々と頭を下げた。


 キミコは深い深いため息を一つ吐くと、

「――そう。ごめんなさい、無理を言って」

 肩を落とし、リノリウムの床に視線を落とした。


 けれど、那由多さんはそんなキミコの細い手に腕を伸ばし、そっとその手を包み込みながら、

「……でも、一日だけ時間をください。私が、何とかして見せますから」

 小さく微笑み、そう口にした。

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