「ただいま帰りましたー」
言いながら、がらり、と引き戸を開ける。
そこには床に膝をついた男の人の後ろ姿があって、カウンターの向こう側に立つ真帆さんを見上げながら小さな箱を掲げつつ、
「僕と結婚して下さい!」
と率直な言葉を告げた。
けれど真帆さんはにっこり微笑みながら、
「お断りします」
ときっぱり口にする。
はて、これで何度目だろうか、
下拂さんは全魔協の職員さんで、いつも協会からのお仕事を伝えに来る。
今の時代、メールとかで済ませれば良いものをわざわざ直接伝えに来るのは、真帆さんに会うためだ。
よほど真帆さんのことが好きなのだろう、時折真帆さんにプロポーズしては断られているが、めげずに何度もやってくるのは凄いの一言に尽きた。
そもそも真帆さんは普段から『男には興味がない』と公言しているのだ。きっとそのうち根負けして諦めるとは思うんだけれど……
「――そっか」
下拂さんは小さくため息を吐きながら立ち上がり、
「じゃあ、また来るよ、真帆」
と笑顔で真帆さんに手を振る。
真帆さんも同じく笑顔で手を振りながら、
「はい。次はもっと驚かせてくださいね」
そんな要望を述べたのだった。
下拂さんはこちらを向き、わたしの姿に気づくと気不味そうに笑いながら、
「またダメだったよ」
と軽く肩をすくめる。
それに対して私も、
「でしょうね」
と慣れたように返事した。
「まあ、次、頑張ってください」
「ああ、うん」
おつかれさま、と言い残して去っていく下拂さんを見送ってから、わたしはカウンター越しの真帆さんに歩み寄る。
「……下拂さんも、諦めが悪いですね」
真帆さんは軽く笑いながら、
「――まあ、シモフツくんは昔から私のことが大好きですからね、仕方ありません」
「真帆さんは?」
「私?」
と小首を傾げる真帆さん。
確か、真帆さんと下拂さんは――
「高校の頃からの付き合いなんでしょ? 付き合おうとは思わないわけ?」
すると真帆さんは口元に手をやりながら遠くを見つつ、
「……まあ、嫌いではないですね」
「そっか」
その言い方で、何となく真帆さんの気持ちを察する。
要は友達以上、恋人未満ってところだろうか。
下拂さんも好きになった相手が悪かったね。
相手がこの真帆さんじゃぁ、取り付く島もないことだろう。
「そんなことより」
と真帆さんは私の思考を遮るように口を開いた。
「狸さんの恋路、結局どうなりました?」
「ああ、はい」
と私はひとつ頷いてから、
「真帆さんに言われた通り、おばあちゃんの提案で狸さん――コタローくん、つかさちゃんのパートナーになることになりました」
「そうですか。それは良かったです」
嬉しそうに、にっこりと微笑む真帆さん。
けれど私は、小さくため息を漏らしつつ、
「――結局、人にはなれませんでしたけどね」
と口にする。
それに対して真帆さんは、「いいえ」と首を横に振り、
「人になる必要なんて、最初からなかったんです。幸せの形なんて、それぞれですから。コタローくんの願いは実際のところ、『結婚』というよりは、『大好きな人とずっと一緒に居られること』、だったんですから。結婚は幸せの一つの形にすぎません。結婚なんてしなくたって、一緒に居られれば、それだけで十分だとは思いませんか?」
「えぇ? そんなもん?」
首を傾げる私に、真帆さんは、
「はい、そんなもんです」
と、こくこくと頷いた。
そこへ、
「――」
がらりとガラス戸を開けて、無言で店の中に入ってきた翔くん。
私と真帆さんは思わず翔くんに振り向いて、
「あ、もうそんな時間か」
と思い出したように壁掛け時計に目をやった。
ちょっと前までは店の隅に時間を操る柱時計が置かれていたけれど、修理する部品も手に入らなくなってしまってからは、店の倉庫に収めてしまった。
今、壁に掛かっているのは下拂さんが買ってきてくれた、何の変哲もないただの時計だ。
白と黒を基調として、二羽の小鳥のシルエットが、ハートを形作るかのように小さく描かれている。
その下には、巣と二羽の雛らしき姿もあって。
「ねぇ、真帆さん」
と私は思わず声を掛ける。
「はい?」
と首を傾げる真帆さんに、私は、
「これ、下拂さん、どういう意図で買ってきたんですかね?」
訊ねると、真帆さんは「ん~」と口元に手をやって、
「――私と結婚して、子供が二人ほしいって意味じゃないですか?」
あまりにもダイレクトな返答に、わたしは眉間に皺を寄せてしまう。
「うっわぁ…… 真帆さんも、よくこんなもの受け取りましたね」
けれど真帆さんは、
「そうですか? 私は可愛いと思いますけど……」
それから翔くんに顔を向けて、
「ねぇ、翔くん、可愛いですよね? この時計」
「えっ? あぁ、うん」
と興味無さげに翔くんは返事して、
「そんなことより、お店閉めるんでしょ?」
「あぁ、はいはい」
と真帆さんは促されるように、カウンター上の雑巾がけを始める。
「…………」
わたしはそんな真帆さんの背中を、じっと見つめながら、何とも釈然としなかった。
男には興味がないと言いながら、下拂さんとは長年の付き合いみたいだし。
ただの友達、とはどうしても思えなかった。
真帆さんなら、あれだけ何度もプロポーズされたら面倒くさくなって、忘れ薬なり何なり使いそうなものだけど……
それに、さっきの私の質問への返答。
『……まあ、嫌いではないですね』
あれも今にして思えば、腑に落ちない。
何かを隠しているような、誤魔化しているような。
もしかして真帆さん、下拂さんのことを――?
……よくわからない。
結局ふたりはどういう関係なわけ?
もしかして、昔付き合っていたとか?
そう言えば、昼間の電話の時も「これからデートだから」とか何とか言ってたけど……
でも、だったらプロポーズを断り続けてる理由って、何?
少なくとも、あんな時計を受け取るくらいには下拂さんのことを悪く思ってはいないってことなわけで――
それとも、これが真帆さんのさっき言ってた、幸せの形のひとつってやつ?
う~ん、わからない!
「ほらほら! 何してるんですか、茜ちゃん。そうじ、そうじ!」
真帆さんに声を掛けられて、わたしはふと我に返ると、
「えっ! あ、はい!」
ほうきを取り出し、店内の掃除に取り掛かった。
…………よにんめ 了