8
「はぁ――」
僕は大きな大きな溜息を、これ見よがしに吐き出した。
茜さんに促されるようにしてアリスさんの家をあとにして訪れた、小さな公園。
その片隅で、もう人の姿をたもっておくほどの気力も魔力も失ってしまった僕は、どろんっと狸の姿に戻って、小さく蹲っていた。
アリスさんの言葉が頭の中をぐるぐると廻って、もう、何が何だかワケが解らなかった。
結婚しなくても好きでいればそれでいいって?
気持ちの方が大事だって?
僕にとってはどちらも大切な事柄なんだ。
そんなこと言われたって、納得いくはずがないじゃないか!
僕はもう一度深い深いため息を吐き、茜さんはそんな僕を見下ろしながら、
「ごめんね」
とただ短く言って腰を屈め、優しく頭を撫でてくれた。
僕はそれに対して小さく身を振るい、僅かに顔をもたげながら、
「――好きって、なんですか」
「えっ……?」
「好きだから一緒に居たいと思って、結婚する。そうじゃないんですか?」
「それは、そうなんだけど……」
「好きっていう気持ちそのものが大切なんて言われたって、どうしたらいいのか、僕にはわからないよ――!」
その言葉と一緒に、どっと涙があふれてきた。
抑えても抑えても、この感情は抑えられなくて。
ただただ涙がこぼれて、悲しくて仕方がなかった。
「……うん、そうだね」
茜さんはそう口にすると、そっと僕の身体を持ち上げて、優しく胸に抱きながら、何処の言葉かわからない歌を歌い始めた。
それはとても柔らかくて、温かい歌声だった。
耳に心地よいその歌声と、茜さんの胸の鼓動が相まって、なんだかとても眠たくなった。
……何だろう。
何なんだろう、この不思議な歌は。
なんだかすごく優しくて、愛しくて。
たぶん、魔法の歌か何かなのだろう。
その歌は僕の心を、ふんわりとした雲のように包み込んで。
そしていつしか、僕は深い眠りに落ちていった――
いったい、どれくらいの間そうしていたのだろうか。
「んんっ?」
ふと目を開くと、辺りは夕焼けに包まれていて、僕は茜さんの胸に顔を埋めていた。
そっと顔を上げると、そこには優し気な微笑みがあって。
「――目、覚めた? 気分はどう?」
「……ちょっと楽になりました」
「そう、良かった。ごめんね、これくらいしかしてあげられなくて」
「いいえ。茜さんの歌、とても綺麗で優しかったです」
「ありがとう、こんな私でも、少しでも君の気持ちが晴れたのなら」
「……はい。ありがとうございました」
とぺこりと頭を下げた、その時だった。
茜さんのズボンのポケットからけたたましい音楽が鳴り響いて、
「ギャッ!」
僕は思わず跳びあがりそうなほど驚いた。
茜さんは「あ、ごめんごめん」と口にしながら、ポケットをまさぐりスマホを取り出す。
「あ、真帆さんからだ」
それから僕を抱っこしたままスマホを指で操作して、
「あ、真帆さん? うん、うん。ううん、こっちはダメだった。やっぱり、そんな魔法なんて誰も知らないって……えっ? なにっ? それ、どういうこと?」
突然顔を曇らせながら、茜さんは声のトーンを下がらせつつ、
「……そうなの? でも、私は――真帆さんが代わりに行ってくれませんか? え? デート? なんですかそれ、どういうこと? あ、ちょっと、真帆さんっ? 真帆さんっ?」
最後、茜さんは眉間に皺を寄せながら頬を膨らませて、
「もう! 何なのよ!」
と憤った。
僕はそんな茜さんに、
「……どうかしたの?」
すると茜さんは、ハッと我に返ったように僕に視線を戻した。
「あ、ごめん、こっちの話。なんだけど……」
「だけど?」
首を傾げながら訊ねると、茜さんは、
「――あのね、コタローくん」
「はい」
「もし人間になれなくても、お姉さんと一緒に居られるとしたら、どうする?」
僕は一瞬その言葉の意味を理解しかねて、
「えっ? どういう意味?」
と再度訊ねた。
それに対して、茜さんは大きくため息を吐きながら、
「今から、そのお姉さんに会いに行こうと思うの」
「ええっ!」
僕は心底驚いて、目を丸くしたのだった。