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その家は西洋的な、まるでお人形さんの家のような外観だった。
いつかどこかで見たことがあるような三角屋根に煙突が一本天に向かって飛び出しており、これで壁中にツタなんてつたっていようものなら、如何にも悪い魔女が住んでいそうな雰囲気だ。
「驚いた?」
と茜さんは口元に笑みを浮かべながら僕に訊ねる。
「……こんな家、初めて見ました」
「だよね。私も真帆さんに連れられて初めて遊びに来たときは、心底びっくりしちゃったもん。まるでドールハウスみたいだなって」
でもね、と茜さんはくすりと笑んで、
「アリスさんを見たら、もっとびっくりするんじゃないかな」
そう言ってから、インターホンに指を伸ばした。
チャイムが鳴らされ、ほどなくして、
「はぁい」
可愛らしい声が聞こえてきた。
かちゃりと玄関が開けられて顔を覗かせたのは、
「あら? 茜ちゃん?」
髪も顔も手も白い、小柄な女の人だった。
薄青の瞳にピンク色の唇。
見たこともない、ひらひらふりふりの水色の服を身にまとっていて。
「――と、あなたは?」
僕を見て、その女性……アリスさんは訊ねてきた。
「あ、僕は、コタローっていって……」
するとアリスさんは僕がすべてを言い終わらないうちから柔和な笑みを浮かべ、
「あぁ、あなた、狸さんね。一瞬、判らなかった。上手に変化ができるのね」
「いえ、そんな」
この人もお姉さんに負けず劣らず綺麗な人だと僕は思った。
どこまでも白くて、清らかで、まるで本当にお人形さんみたいな人だった。
そんなアリスさんに、茜さんは口を開く。
「こんにちは、アリスさん。今、ちょっといいですか?」
「うん、大丈夫よ。どうかしたの?」
「実は――」
と茜さんはここまで常葉さんや榎さんに話したのと同じ話を繰り返し、
「というわけで、この子を人間にする魔法か魔術を知っていそうな魔法使い、アリスさんになら心当たりがあるんじゃないかって思って……」
「人間にする魔法……か」
とアリスさんもやはり困ったように眉を寄せながら頬に人差し指を当て、
「――何人か心当たりはあるけど、たぶん、変化と変わらないんじゃないかしら…… とにかく、電話して訊ねてみるから、中で待っててくれる?」
そう言って、アリスさんは僕たちを家の中に案内してくれた。
家の中は家具一つとっても可愛らしいデザインで、まるでおとぎの世界に迷い込んでしまったようだった。
壁に掛かった時計を見上げれば、長針にウサギ、短針に亀があしらわれており、ウサギと亀の競争を模して造られているらしかった。
他にも小さな丸いテーブルに二脚の小さな腰掛け椅子、部屋の傍らにはふかふかのソファが置かれており、その向こうのカーテンには不思議の国のキャラクターたちが小さくちりばめられていた。
「どうぞ、お茶でも飲んで、待っててね」
言ってアリスさんは紅茶を淹れてくれると、僕らをその小さな丸テーブルに向かい合わせで座らせ、自分はひとり部屋から出ていった。
遠くからわずかにアリスさんの声が聞こえてくるのは、先ほど言っていたように知り合いの魔法使いに電話を掛けてくれている声だろう。
そのアリスさんの声に耳を傾けていると、
「人間になれる魔法が使える人、見つかるといいね」
にっこりと微笑みながら、茜さんが僕に声をかけてきた。
それから一口紅茶を口に含み、ことりとソーサーにカップを置く。
僕はその一連の動きを見届けてから、
「――はい」
と小さく頷いた。
しばらくふたりで紅茶を飲んでいると、やがてパタパタと足音が近づいてきて、
「お待たせ、ふたりとも」
とアリスさんが部屋に戻ってくる。
「どうでした?」
茜さんが訊ねると、アリスさんは申し訳なさそうな顔をして、
「ごめんなさい。やっぱりそんな魔法を使える魔法使い、見つからなかった」
「……やっぱり」
僕は小さく口にして、何度目かのため息を漏らした。
そんな気がしていたのだ。
今日ここまでの間に、みんながみんな同じような言葉を口にした。
そんな魔法、知らない。
知るわけがない。
だって、そんな夢のような魔法、ある訳がないのだから。
そんな魔法があったら、今頃は誰だって好きに姿を変えられていることだろう。
僕が使える変化だって、他の動物たちからすれば十分に特殊な魔法なのだ。
それなのにもかかわらず、人そのものになりたいだなんて、もともとが贅沢な願いだったのだ。
僕は、人になれない。
人になれなければ、お姉さんとは結婚できない。
結婚できないっていうことは、お姉さんとずっと一緒にいることができないということだ。
何だかもう泣くことすらできなくて、僕はうなだれる。
するとそんな僕のそばまでアリスさんがやってきて、
「……ねぇ、コタローくん」
「はい?」
振り向くと、アリスさんはすっと腰を屈め、僕の顔を覗き込みながら、
「好きな人と一緒にいるのに、姿なんて関係ないんだよ?」
「……えっ」
それは思いもよらない一言で、僕は一瞬、呆気にとられる。
「姿だけじゃない。性別だって関係ない。その人を好きだって気持ちがあれば、それだけで十分だと私は思うの」
「えっと、それは、いったい……?」
「例えば、私は加奈――真帆ちゃんのお姉さんが好き。だからこうして一緒に暮らしてる。結婚なんて今の法律上できないけれど、でも、そもそも結婚なんてする必要、あるのかな?」
「そ、それは――」
必要があるか、と問われると、いまいち答えが出てこない。
そもそも僕は人じゃないのだから、人の法律、決まり事すら関係ない。
関係ないものを気にしている自分は、それじゃぁ、いったい……?
答えに窮している僕に、アリスさんはさらに畳みかける。
「好きな人と一緒に居られるだけで、私は十分。コタローくんは? コタローくんの願いって、本当に結婚することなの? 大好きなお姉さんとずっと一緒に居られること、そうじゃないの? あなたはそのお姉さんと、どうしたいの?」
「……僕は」
わからなかった。
自分の気持ちが、望みが、いま一度訊ねられて考えてみると、よくわからなくなっていた。
僕はお姉さんの事が大好きだ。
優しくて、魅力的で、心惹かれて、ずっと一緒に居たいと思った。
その手段として、お姉さんと結婚することが僕の願いだったのだ。
けれど、アリスさんに改めて問われると、その願いが揺らいでどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
たぶん、父母の事が脳裏をよぎったのだと思う。
僕たち変化の狸一族にも結婚という概念は存在する。
けれどその結婚という概念も、もとを正せば結局は人間社会から取り入れた文化でしかない。
僕はそれに則って、盲目的に結婚することが目的だと思っていたのではないのか。
本当に好きだという気持ちがあれば、人になることも、結婚することも、必要ないんじゃないのか――?
……わからない、わからない、わからない!
僕は、どうしたらいい? どうしたいの? お姉さんとどうなりたいの?
考えれば考えるほど頭と気持ちがぐるぐると渦を巻いてよくわからなくなってきて。
「……あ、ごめんね、困らせるつもりはなかったの」
とアリスさんはぺこりと一つ頭を下げて、
「でも、わざわざ人になる必要、私はないと思う。大切なのは、好きっていう気持ちそのものだと思うから――」
僕はそんなアリスさんの言葉に、返事をすることができなかった。