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「どこへ行くの?」
茜さんとふたり、魔法堂をあとにしてから数十分。
僕たちは国道沿いの道をひたすらに歩き続けていた。
いったいどこへ向かっているのか判らなくて訊ねると、茜さんは、
「この先に、虹取りを引退した常葉っておじいさんが住んでいるの」
「……虹取り?」
首を傾げる僕に、
「そう、虹。雨が降った時とか、滝とかにかかってる、あの虹」
茜さんの答えに、そう言えば父やおじさんがごくたまに、虹を酒代わりに呑んでいるのを見かけたことがあるのを思い出した。
幼い時に一口貰ったことがあったけれど、何とも言えない色々な味がして、その美味さが全然わからなかった記憶がある。
「あの虹を取るお仕事?」
「そうそう」
と茜さんは頷き、
「まぁ、でも数年前に足を怪我しちゃって、そのまま引退しちゃったんだけどね。今は息子さん家族と一緒に暮らしているの」
「そのお爺さんなら、人になれる魔法を知ってるかな?」
「それはないかなぁ。常葉さんはあくまで代々虹取りを生業としていた一族の方なんだけど、特別魔法が使えたりするわけじゃないらしいよ。多少は使えるみたいだけど」
「……そうなんだ」
だけど、と茜さんは微笑みながら、
「虹を取る為に日本中のあちこちを旅していたらしいから、もしかしたら人になれる魔法が使えそうな魔法使いのこと、知っているかもしれないでしょ?」
それからまたしばらく歩いた先、横道にそれること数分。
辿り着いたのは、一軒の真新しい家だった。
所々に手すりやらスロープがあって、確かに足を怪我した人でも楽に暮らせそうなつくりをしている。
茜さんがインターホンを押すと、
「はぁい」
スピーカーから若い女の人の声がした。
「すみません、魔法百貨堂の茜です」
「あら、茜ちゃん? お久しぶりね。もしかして、お爺ちゃんに用事?」
「はい。ちょっとお尋ねしたいことがあって」
「ちょっと待っててね」
そこでぷつりと音が切れて、やがてガチャリと開けられた玄関扉から姿を現したのは、
「――よう」
真っ白な髪が特徴的な、小柄なお爺さんだった。
顔中皺だらけで、どこか怖い顔をしている。
茜さんの言った通り足が不自由らしく、左足を引きずるようにしてこちらまで歩いてくると、
「……ん?」
と僕のことをギロリと睨んだ。
「あ、あの、僕――」
と声を出そうとしたところで、お爺さん……常葉さんはわずかに目を見張り、
「なんだ。お前、狸か」
少年の姿に化けている僕を、一目で狸と見破った。
そんな常葉さんに、隣に立つ茜さんも目を真ん丸くしながら、
「すごい! どうして判ったんです?」
「どうしてもなにも、見ればすぐに判るじゃないか。身にまとっている魔力が違う」
「えぇっ?」
と茜さんは今一度まじまじと僕の姿を頭のてっぺんから足の先まで見やって、
「全然、解んないんだけど……」
と困ったように眉を寄せた。
すると常葉さんはそんな茜さんに「ふん」と鼻を鳴らすように笑いつつ、
「まだまだ修行が足らんな。化生の者はまとっている魔力の種類が違う。人間には人間、化生には化生の色ってのがあるんだ。虹と一緒だ。天然物の虹と、人工の虹は違うだろ?」
常葉さんの説明に、さらに首をひねる茜さん。
「……精進します」
「だな。まぁ、茜ちゃんの師匠は真帆ちゃんだろ? あんまり当てにならなけりゃ、またミキちゃんの所に戻りな。あっちの方がよっぽどまともだろ」
「いやぁ、でもなぁ――」
と身体を縮こまらせる茜さん。
それを見て、常盤さんは「ガハハハッ」とおかしそうに笑うのだった。
「……ミキちゃんって?」
僕が訊ねると、常葉さんは、
「こいつの元の師匠さ。以前、ちょっと色々あってな」
「ふぅん……?」
何となく答えをはぐらかされたような気がするけれど、
「そんなことより、俺に用事ってのはなんだ? そのちっこい狸と関係があるのか?」
「あ、はい。それなんですけど――」
と茜さんはこれまでのいきさつを手短に説明してくれて、そして最後に、
「――というわけで、人になる魔法が使える魔法使いを探しているんです」
誰か心当たりはありませんか、と訊ねた。
常葉さんもそれを聞いて、真帆さんと同じように困ったような表情で腕を組んでいたが、
「う~ん。そう言われてもなぁ。俺も人間になりたい狸になんて、初めて会ったぞ。狸が人になる魔法? そもそもお前さん、化生の者だろう? 今だって十分に人に化けられているじゃないか。それだけじゃダメなのか?」
僕はそれに対してかぶりを振って、
「……狸じゃダメなんです。僕は人であるお姉さんを好きになって、結婚したいって思ったんです。狸が人と結婚なんてできないでしょ?」
「いや、まぁ、それはそうかも知れないが……」
心底困ったようなその表情に、茜さんも、
「やっぱり、心当たりはありませんか」
「そうだなぁ。そんな大それた魔法なんて使える魔法使いがこの世にいるのか? それこそ、かの有名な榎先生ならいざ知らず……」
「榎先生?」
首を傾げる茜さん。
かの有名な、らしいけれど、茜さんは知らないようだ。
「お前、榎先生を知らないのか? いや、まぁ、そうだな。知らなくて当然か。あの人が亡くなって数十年経つからな」
「その榎先生なら、知っていたかもしれないってことです?」
「そうだなぁ」
と常葉さんは首を傾げながら、
「数々の奇抜な魔術を編み出したことで有名だな。ほれ、お前さんも所属している全国魔法遣協会があるだろう? あの発起人の一人がその榎先生さ」
「――へぇ、知りませんでした」
「ちょっとくらい勉強しとけ」
「……面目ないです」
えへへ、と笑う茜さんに、常葉さんは一つ頷き、
「その榎先生の曾孫さんなら、何か知ってるかもな」
「曾孫さん?」
「あぁ、そうだ。あれだけの魔術を編み出した先生の曾孫さんなら、先生の残した魔術の中から、なにかそれっぽいものを知っているかもしれないな」
「そ、その人は、今どこに居るんです?」
身を乗り出すように訊ねる茜さん。
常葉さんはスマホを取り出すとささっと画面をタップして耳に当てる。
「――おう、なっちゃん」
なっちゃん? それが榎先生とやらの曾孫さんの名前だろうか?
「あぁ、あの時は世話になったな。うん、だいぶ良くなったよ。ありがとな、お前さんが駆けつけてくれなかったら、今頃俺は死んでたよ。あっははは、いやいや、冗談抜きでな。んで、まぁ、ちょっとお前さんに会いたいって奴がいてな。ちょっと時間を取れるか? うん、うん。そうか、そりゃ丁度良かった。うん、うん……あぁ、あそこだな。わかった、伝えておく。すまんな、ありがとう。はい、はい――」
それからスマホを耳から放し、
「今ちょうどこっちに戻ってきてる途中だそうだ。あと三十分もあれば駅に着くから、そこで待ち合わせしようって」
「あ、ありがとうございます!」
「なぁに、これくらいしかできんけどな」
にかっと笑った常葉さんの顔は、どこかとても優しかった。