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カウンターの目の前で微笑む奇麗な女性。
僕の大好きなお姉さんの方がこの人の数十倍は奇麗なのだけれど、思わず見惚れてしまうのはどうしてだろう。
いや、理由は解っている。
それはこの人が魔法使いで、僕と同じ魔力を宿しているからだ。
その奇麗な女性――恐らく真帆さんは小首を傾げながら、
「どうしたの、僕。何か困りごと?」
と僕の顔を覗き込んできた。
僕は一歩後ろに後退り、その奇麗な瞳をじっと見つめながら、
「――ここは、どんな望みでも叶えてくれる、魔法のお店なんだよね?」
と確かめる。
真帆さんはひとつ頷いてから、
「――まぁ、何でもってわけじゃないけど、できるだけのことはするつもりだよ」
と何だから微妙に頼りない言葉を返してきた。
おかしい。仲間から聞いた話だと真帆さんはどんな願いでも叶えてくれるって話だったと思うけど……
まぁ、そんなことはどうでもいい。
今はとにかく、話を聞いて貰わないと。
僕は軽く拳を握り締めて、その望みを口にした。
「僕を、僕を人間にしてほしいんだ」
お腹の底から――いや、心の叫びを耳にした真帆さんは目を大きく見開き、口をぽかんと開け放ち、しばらく僕の姿をまじまじ見つめていたのだけれど、
「……は? 何言ってるの? 君、人間だよね?」
と眉間に皺を寄せながら訝しむように言われて、僕は驚く。
「ち、違うよ! え、解らないの?」
だって、この人、魔女なんだよね?
魔女なら僕の魔力が視えてるはずなのに!
「わからないも何も、君、人間じゃない。なに? 変な漫画でも読んだ?」
「た、確かに今は人間の姿をしてるけど、僕は人間じゃなくて……」
「あぁ、わかった。ごっこ遊びか」
ひとりで勝手に納得する真帆さんに、僕は、
「ち、違うってば! よく見てて!」
よっ! と僕はその場で宙返り。
どろんっと白い魔力の霧の中で変化――というか元の姿に戻って見せる。
その姿を見て、真帆さんは口をパクパクさせながら、
「――え、嘘、なに? どゆこと?」
妙に慌てたように目を白黒させながら、
「あ、あなた、狸なのっ?」
と心底驚いたように、四つ足で立つ僕を見て小さく叫んだ。
おかしい、絶対におかしい。
この人が本物の真帆さんなら、僕らの存在を知っているはずなのに。
「……おねぇさん、いったい誰? 真帆さんじゃないの?」
訊ねると、目の前の女の人はしばらく物珍しそうに僕を見つめながら、
「――ご、ごめん。わたし、那由多茜。真帆さんの弟子で、このお店で住み込みのバイトをしているの」
「え、バイト……?」
その言葉に、僕は酷く落胆した。
真帆さんの弟子で、しかもバイト。
魔法使いのくせに僕らの存在も知らないし、こんな人、頼りにできない。
「真帆さんはどこ? 僕、真帆さんにお願いしにきたんだ」
「え、あぁ。ちょっと待ってて」
女の人――茜さんはちらちらと僕に目をやりながら、店の片隅ののれんのほうに顔を向けて、
「ま、真帆さ~ん! 真帆さ~ん!」
とその名を二度口にした。
すると店の奥の方から、
「は~い」
どこかのんびりとしたような声とともに現れたのは、長い黒髪の奇麗な女の人だった。
茜さんより数十倍、いや数百倍魅力的なその女性に、僕はどこかどぎまぎしながら、
「あ、あなたが真帆さんですか?」
解り切ったことを、いま一度確かめるように訊ねた。
真帆さんはにっこりと微笑むと、
「はい。私が真帆さんですよ? あなたは?」
「ぼ、僕、コタローっていいます。真帆さんにお願いがあって会いに来ました」
それから真帆さんはカウンターから出てくると、僕の頭を撫でながら、
「……あらあら、可愛い狸さんじゃないですか。食べちゃいたいくらい可愛いですね。今夜は狸鍋にしようかしら」
「えぇっ!」
僕は慌てて、真帆さんから飛ぶようにあと退った。
にんまり笑う真帆さんの、その恐ろしさ。
こ、怖い! 冗談だよね? 冗談なんだよね?
ぶるぶる身を震わせていると、
「真帆さん!」
ポンッと真帆さんの頭を軽くたたきながら、茜さんが大きくため息を吐いた。
「またそうやってすぐにフザける。ほら、怖がってるじゃないですか!」
真帆さんは叩かれた頭をさすりつつ、
「茜ちゃんヒドイ! 叩くことないじゃないですかぁ。私は師匠ですよ?」
「それはそれ、これはこれ!」
と茜さんは頬を膨らませながら僕の所まで歩み寄ると身をかがめて、
「ごめんね。この人、こういう人なんだ。悪気しかないの。許してあげて」
悪気しかないって! ダメじゃん!
僕はちらりと真帆さんに目を向けて。
「でも一度食べてみたいですよね、狸鍋」
――ひいっ!
「真帆さん!」
「はいはい、冗談ですよー」
と真帆さんはへらへらと笑いながら言って、それから小さく息を吐くと、その口元に微笑を浮かべる。
「それで、どのような魔法をお探しですか?」
僕はしばらくじっと真帆さんを見つめていたのだけれど、そこでもう一度宙返りして、どろんっと少年の姿に変化して(狸の姿のままだとまた食べたいなんて言われると思ったからだ)、
「僕を、人間にしてほしいんだ」
茜さんに言ったのと同じ言葉を口にした。
真帆さんは小首を傾げながら、
「……人間に」
「できるの? 真帆さん」
そう訊ねたのは、茜さんだった。
「わたし、そんな魔法知らないんだけど……」
真帆さんは「う~ん」と頬に右手を添えながらしばらく考え込んでいたが、
「――無理ですね」
はっきりと、そう口にした。
「そんな、断言しなくても」
と僕の代わりに茜さんが口にして、真帆さんは、
「だって、狸に生まれたものが突然人間になれるわけがないじゃないですか。人間だって同じです。人間は人間以外のものにはなれません。人間に生まれたからにはそれは人間だし、狸に生まれたのであれば、それはどこまでいっても狸なんです。手術なんかすれば多少は変えられるでしょうが、生まれそのものを変える魔法なんて、少なくとも私は知りません」
どこか突き放したようなその言葉に、僕は落胆して大きな溜息を吐いた。
「そんな…… 僕、真帆さんなら、どんな願いでも叶えてくれるって聞いたからここまで来たのに……」
「でも、あなたは変化できる狸さんじゃないですか。それじゃぁ、駄目なんですか?」
訊ねてくる真帆さんに、茜さんも「それは確かに」と口にしながら、
「どうして、変化じゃダメなの? それだけの力があるんなら、わざわざ人間になる必要なんてないんじゃないの?」
「そ、それは――」
と言いよどむ僕に、真帆さんは優し気な微笑みを浮かべながら、
「何か、理由があるんですね?」
僕は頷き、真帆さんの顔を見つめる。
「お聞かせいただけますか?」
それからゆっくりと、口を開いた。