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それから数日後。僕は心のわだかまりを、少なからず捨て去っていた。
今でも小さなミスは度々起こすが、以前ほど大きいものじゃない。
僕はあのあと帰宅してから、素直にこの悩みを彼女に打ち明けた。
彼女はすべてを聞き終えた後、僕の右手をそっと握り、
「大丈夫、大丈夫だよ」
と優しく微笑んでくれた。
情けないことに、その言葉に、気づくと僕は涙を浮かべていた。
そんな僕の頭を、彼女は「よしよし」と言って撫でてくれて、心が軽くなったような気がした。
仕事でもあまり力を入れすぎず、ただとにかく失敗は減らすように、手帳だけでなくパソコンなど、目に見える場所にメモを張るようにした。
楸さんも何かあればすぐにサポートしてくれるし、スランプを脱したと言ってもいいんじゃないだろうか。
「失敗はカバーしあえばいいんだ」
ある日僕にそう言ってくれたのは、平本部長だった。
「俺だって、いまだに失敗ばかりして、そのたびに楸に助けられてるんだ。逆に俺が楸を助けることも――まぁ、そんなにはないけど、そういうことだってある。俺は昔から要領が悪いからな。けど、それを助け合ってやっていくのが仕事仲間ってものなんだって、俺は思ってる」
どことなく恥ずかしそうに平本部長は口にして、僕の肩をポンポン叩くと、自分の席へと戻っていった。
同僚や後輩たちとの会話も以前までのように戻り、順風満帆の毎日。
唯一困ったのは、これまでお世話になっていた取引先の担当者さんたちとの関係だ。
不思議なことに、楸さんの言った通り、誰も僕のことを覚えていなかったのだ。
何となく意識の隅にはあるようなのだけれど、なんと言えばよいのだろう。
どこかで会ったような気はするけれど、誰だったかは覚えていない、という微妙な表情をされたうえ、改めて名刺交換をするところから再スタートすることになったのである。
おかげで連発したミスもうやむやになったようだけれど、ここからまた新たに関係を築いていかなければならないところには何となく辟易した。
まぁ、これもなるべく無理せず、肩ひじ張らずにいこうと思う。
そんなある日、僕は思い出したように、楸さんに声を掛けた。
「――そういえば、ある人から、こんな名刺をもらったんですけど」
楸さんは僕が取り出した名刺に目をやると、
「あら、それうちの実家じゃない」
「あぁ、やっぱり」
「もしかして、どこかで真帆に会ったの?」
「あぁ、いえ」
と僕は首を横に振り、
「会ったのは、バイトの子でした」
「あぁ、茜ちゃんね」
言って楸さんはふんふん頷く。
「いったい、どんなお店なんです? 魔法百貨堂って」
何となく怪しげな店名だけれども……
すると楸さんはわずかに首を傾けながら、
「ん? そのままよ」
それからニヤリと笑みを浮かべて、
「――魔法を売ってるお店なの、うちの実家」
僕は思わず目を見開き、「それなら」と口を開いた。
「もしかして、楸さんも? 楸さんも魔法が使えるんですか? 取引先の担当者さんの記憶がなくなっていたり、屋上で姿を消したりとかしたのも、もしかして魔法か何かで――」
「そうねぇ……」
と楸さんはくすりと笑むと、口元で人差し指を立てながら、ぱちりとウィンクを一つして。
「――それは、秘密っ」
***
あれから半年ほどの月日が流れた。
僕は今、例の名刺を片手に、古めかしい古本屋の前に立っている。
結局あのあとすぐ、僕は彼女にプロポーズして、数か月後には結婚式がある予定だ。
あの時のお礼と、結婚式で是非あの綺麗な歌声を披露してもらいたい、そう依頼するために、今日はこうして茜さんを訪ねてやってきたのだ。
不思議なことに、どんなに調べても、魔法百貨堂の場所は判らなかった。
昔の電話帳を引っ張り出しても、ネットを検索してみても、どこにも住所や電話番号一つ見つけられなかったのである。
仕方なく楸さんに訊ねると、
「名刺持ってるんでしょ? それ持って歩いてたら、そのうち着くわよ」
そして言われた通り、僕は休みの日に名刺片手に街の中をさ迷い歩いたわけで――
いったい、どこをどう歩いたのかは覚えていない。
気づくと古本屋の前にいて、『ここだ』という確信だけがそこにはあった。
これも多分、『魔法』の力か何かなのだろう。
考えても答えなんか出てきそうにないし、とりあえず僕はそういうことにしておいた。
「よしっ」
何となく気合いを入れてから古本屋に足を踏み入れると、高校生くらいの少年がカウンターの向こう側で一人読書に耽っていた。
「――いらっしゃいませ」
少年が僕に気づき、声を掛けてくる。
僕はカウンターに歩み寄ると、
「魔法百貨堂ってのは、ここでいいのかな?」
名刺を見せながら、少年に問うた。
少年は「あ」と口にしてから立ち上がると、
「どうぞ、こちらです」
店奥の扉をかちゃりと開けてくれる。
「ありがとう」
そう言って、僕はそのドアを潜り抜けて――