3(沙也加)
それから私たちは、度々一緒に映画を観に行くようになりました。予告編を観ていると、どれもこれも面白そうで、だけど全部観ることはできません。
私と柏木さんは次にどれを観たいか、どれが面白そうかと話をしているうちに、じゃぁまた再来週あたり、これを観に来よう。そう言って互いに日時を合わせて、約束するようになっていったんです。
もちろん、その次からは私も身だしなみに気を遣うようになりました。最初は私一人で映画を観る予定だったからこそラフな服装だっただけで、やはり大人の人と約束して出掛ける以上、最低限のおしゃれはするべきだと思ったんです。
けれど、二週間に一度くらいのペースで映画を観に行く私を見たお姉ちゃんが何を勘違いしたのか、
「沙也加、デートに行くんなら、ちゃんと化粧くらいしなさいよ」
と言ってきたのです。
私は「デートじゃないよ」と答えたかったのですが、けれどそれだと「じゃぁ、なんでそんなに服に気を使ってるの?」なんて問い詰められるのが嫌でした。だからと言って、まさか正直に「柏木さんと毎回映画を観に行く約束をしているの」とも言えません。
柏木さんもあの日、「こんなおじさんなんかと一緒に居て、変に怪しまれたりしないかな」と心配していましたから、なるべく私と柏木さんが会っていることは伏せた方が良いだろうと思ったのです。
それに、歳の離れた男性と定期的に会っているという事実に、少なからず後ろめたさを私は感じていたのです。
私はデートに関しては否定も肯定もしないまま、お姉ちゃんに化粧をしてもらい、映画を観に行くようになりました。
たぶん、お姉ちゃんだけじゃなくて、お母さんも今頃は私が誰か男の子と付き合っていると思い込んでいるんじゃないかと思います。
「たまにはその子、家に呼んであげたら?」
なんてお母さんにも言われましたが、当然そんなことできるはずもありません。
私はそれに対しても「まぁ、そのうち」と曖昧に答えて、ずっと誤魔化し続けたのです。
そして夏が過ぎて、秋が来て、やがて冬に差し掛かって。
少し肌寒さを感じるようになった、ある日の事でした。
映画を観終わった後で、柏木さんが言いました。
「ちょっと本屋に寄ってもいいかな?」
柏木さんはその日に観た映画が面白かったらしく、けれど「まだ原作を読んでいなかったので、是非買って帰りたいのだ」と私に言いました。
「いいですよ」
と私は頷き、
「ちょうど私も、新刊を見たかったんです」
そう答えました。
私たちはショッピングモールの端に位置する、大きな本屋に並んで向かいました。たまに来るこの本屋さんにはいろいろな文具や雑貨、その他CDやゲームなども取り扱っていて、いつ来ても多くのお客さんで賑わっていました。
柏木さんはスタスタと私の前を歩くと、平積みされた件の映画原作のところまで足早に向かい、その一冊を手に取って、
「じゃぁ、ちょっと買ってくるよ」
そう言い残して、私を新刊コーナーに残したまま、レジの方へ歩いて行ってしまいました。
私はその間、新刊本をぱらぱらと眺めていたのですが、やはり本屋というものは不思議な魔力を秘めた秘境そのもの。私はその魅力に憑りつかれたかのように、次第にお店の奥へ奥へと足を踏み入れていったのです。
そう言えばまだ買っていない『あやかしシリーズ』があったような気がする。
私は何も考えることなく、その出版社の文庫が並ぶ陳列棚に足を向けました。
作者の名前を頼りに指を差しながら探していると、不意に有名作家さんの名前が目に止まりました。
そう言えば、この『館シリーズ』もまだ全巻制覇していなかったな、お父さんの本棚には途中までしか並んでいないし、せっかくだし買って帰ろうかなぁ。
そんなことを考えながら、ふと視線を横に流せば、今度は別の作者さんの人気シリーズの新刊が眼に入りました。
いつの間に新刊出てたんだろう。まだ、読んでない……? ううん、これは先月に買って読んだような……どうだったっけ。買ったかどうか思い出せないし、思い切って買って帰ろうかな。ダブったら古本屋にでも売りに行けばいいし……
あ、この作者さんも新しい小説が出てる。今回はホラーなんだ。いつも恋愛ものばかり書いているから珍しいな。読んでみようかな。
と、そこでふと我に返り、
「あぁ、ダメダメ!」
私は独り言を口にして頭を横に振りました。
「今月のお小遣い、もうそんなに残ってないでしょ! 節約しなきゃ!」
私は本の誘惑から逃れるように、今度は参考書のコーナーに向かいました。
参考書の背表紙を見て現実に戻り、少し頭を冷やそうと思ったのです。
けれど、その道中、
「――わぁ、奇麗!」
写真集コーナーに置かれた空や海の写真集に目が入り、私は思わずそちらの方へ足を向けていたのです。
見本としてフィルムの外された一冊を手に取り、私はページをめくりました。
透き通るような青い空に、白い入道雲。数羽の赤い鳥がそんな空を舞っている。
そこには私の見たことがない世界が広がっていたのです。
場所は名前も知らない南の島。
次のページをめくってみれば、今度はどこまでも白い砂浜に青い青い海が私を待ち受けていました。
一度でいいから、こんなところに私も行ってみたいなぁ……
そう思いながら写真集に見入っていると、ふと隣に誰かが立っていることに私は気付きました。
見ていたページに指を挟んでそちらに顔を向けてみれば、そこには胸を押えて眼を閉じる、柏木さんの姿があったのです。
私はその姿に、思わず目を見張りました。
居ても立っても居られず、
「――柏木さん、どうしたんですか? 胸でも苦しいんですか?」
柏木さんの顔を覗き込みながら、そう訊ねました。
「本当に心配しました」
私は胸に手を当てながら、床に視線を落とし、
「その姿が、幼い頃に見たお父さんの姿と重なったんです。どうしよう、どうしようと不安で仕方がありませんでした。もしこのまま体調を崩したらどうしよう、もしかして、柏木さんもお父さんみたいに、って――」
茜さんは眉をひそめながら、
「お父さん、何かあったんですか?」
私は首を横に振り、答えました。
「私も、詳しいことは聞いていません。父が何の病気だったのか、どうして死んでしまったのか。お母さんもお姉ちゃんも、当時幼かった私にはまだ解らないだろうと言って、教えてくれなかったんです。そして今も何となく聞くのが気が引けて、私は何も知りません。ただ、私のお父さんも亡くなる前、しきりに胸を押えていたことを不意に思い出したんです」
「あぁ、なるほど、それで」
茜さんは納得したように頷くと、
「それで、結局柏木さんは大丈夫だったんですか?」
「それは、私にも解りません」
私は答えて小さくため息を漏らし、
「柏木さん本人も、何でもない、大丈夫だと仰っていましたし、苦しそうな表情はすぐに普段の顔色に戻ったので。けれど、その表情は何かを隠しているような、そんな気が私にはしたんです」