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第1話(沙也加)

   1(沙也加)


 私がその人と出会ったのは、お姉ちゃんに無理やり連れてこられた、合コンの場でのことでした。


 参加する予定だった友達に急用ができたとかで、ただの人数合わせとして、私を連れてきたのです。


 元々私は知らない人と話すのが苦手で、家でも学校でも本ばかり読んでいるような人間だというのに、お姉ちゃんは私が嫌がるのも聞かず、化粧をして、大人みたいな服を着させて、「上出来、上出来」と言いながら笑っていました。

「あんたはただ隅でご飯だけ食べてればいいから。もし誰かに話しかけられても適当にハイハイ返事してれば大丈夫よ。あっちだって、そんな変な人なんて連れてこないでしょ。たぶん」


 私はお姉ちゃんに言われた通り、自己紹介を済ませると隅の席で一人、出された料理をちまちまと抓んでいました。最初のうちこそ男の人たちに話を振られましたが、代わりにお姉ちゃんが答えるうちに誰も私に話しかけてこなくなり、それこそ路傍の石ころにでもなったような気分でした。


 次第にお酒が入り、お姉ちゃんたちは大笑いしながら楽し気におしゃべりを始めました。私は何もすることがなく、ただぼんやりとそんなお姉ちゃんを眺めていたのですが、その中に一人、私と同じようにただ黙々とお茶を飲み、ご飯を食べているだけのおじさんが居ました。


 他の男性方はお姉ちゃんと同い年くらいに見えるのに、その人だけ、明らかに年齢が上だったのです。たぶん、お母さんと同い年かちょっと下くらいだろうと私は思いながら、ちらちらとそのおじさんに視線を向けました。


 おじさんもそんな私に気が付いたのか、無表情で小さく頭を下げてきました。それから何が楽しいのかはしゃいでいるお姉ちゃんたちにちらりと視線をやり、仄かに笑みを浮かべながら、私の隣の席に移動してきたのです。


「……お互い、来る意味なんてなかったね」


 苦笑気味に言ったのは、柏木さんという、三十代後半の方でした。短い黒髪に細い黒ぶち眼鏡。あごには少し伸び気味のひげが生え、体格はひょろりと細身でした。ぱっと見はどこかの学校の先生といった感じで、別段かっこいいということもなかったのですが、逆にその見た目に私は親近感を覚えたのです。


「そうですね」

 私は小さく答えて、お水を口に含みました。


「高校二年生だっけ。大変だね、お姉ちゃんの頼みとはいえ、こんなところに連れてこられて」

「えぇ、はい……」

「俺も、嫁と子が居るってのに、どうしてもってアイツに頼まれてね。本当ならこういう集まりは苦手中の苦手なんだよ。もしかして、君もそう?」

「あ、はい」

 そう答えて、私はまたお水をちびりと飲みました。


 喉が渇いていたわけではないのですが、それ以外にどうしていいのか解らなかったのです。


 そんな私に、柏木さんは溜息交じりに、

「こんなことなら、家に帰って本でも読んでる方がマシだったな」

 と嘆くように呟きました。


 私も本を読むのが好きだったので、

「本、好きなんですか?」

 遠慮しながら、そう訊ねました。


「ん?」

 と柏木さんはこちらに顔を向け、

「好きだよ、昔からね。君は――えっと、沙也加ちゃん、だっけ」

「はい」

 小さく頷く私に、柏木さんも一つ頷くと、

「沙也加ちゃんも本が好きなの?」

「はい、家でも学校でも、本ばかり読んでます」


 すると柏木さんは「はははっ」と笑うと、

「あぁ、俺と一緒だな。何なら俺は、仕事中にでもこそこそ隠れて読んでたりするよ」

「良いんですか? 大人なのに、ちゃんと仕事しなくて」

 ちょっと笑いながら私が聞くと、柏木さんは口元にニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、

「俺はタバコを吸わないからね。アイツらがタバコ吸う代わりに、俺は本を読んでいる、ただそれだけのことさ。じゃないと、不公平だろ?」

「そうですね」

 と私も思わず笑みがこぼれた。


「好きなジャンルとか、あるの?」

「よく読むのはミステリーとか、ホラーとかです。でも、ファンタジーとかSFも読んだりしますよ」

「へぇ、結構なんでも読むタイプ?」

「たぶん?」

 と私は首を傾げて、ちびりと水を口に含み、

「柏木さんは?」

「俺も、結構それなりにいろいろ読んでるよ。沙也加ちゃんくらいの歳にはまったのは横溝正史の金田一耕助シリーズかな。あとは純文学で言えば芥川龍之介とかは大学の時に卒業論文でも取り上げたよ。あとは封神演義だとか、ヴィクトル・ユーゴのレ・ミゼラブルなんかも好きだね。あれはミュージカル映画にもなっていて好きな作品の一つだよ」

「あ、私もその映画、観ました!」と私は思わず声を大にして言いました。「お母さんが、ミュージカルが好きなんです。オペラ座の怪人とか、キャッツとか、マンマ・ミーア!とか、あとグレイテスト・ショーマンとかも! その影響で私も映画が大好きで!」

「グレイテスト・ショーマン! 確かにアレは面白かったね。キャッツはうちの嫁も劇団四季のミュージカルが好きで、いつぞやの映画版も観に行ったけど、映画の方は正直いまいちだったな。嫁はあんまり気にならなかったみたいだけど……」

「あ、私もです。やっぱり舞台のあのメイクがかっこいいなって!」


 テンションの高くなった私は席から僅かに腰を浮かせ、思わず両手をパチンと合わせたところで、はっと我に返りました。

 途端にそんな自分が恥ずかしくなって、慌てて席に座りなおすと目の前の料理に顔を戻しました。


「す、すみません。なんか、はしゃいじゃって……」

「あぁ、いいよ、気にしないで。せっかくだ。もう少し話をしようか。何もしない方がつまらないだろう?」

 柏木さんは、私たちを放って談笑を続けているお姉ちゃんたちを指差して、そう言いました。


 確かに、さっきまでの退屈な時間に比べて、好きなことを話している間は時が経つのを忘れてしまいます。合コンというこんな席でしたが、同じ趣味を共有できる話し相手が居ると、あまり苦ではないなと思いました。


 それから私と柏木さんは、好きな小説や映画の話で盛り上がりました。柏木さんはミステリーや純文学だけではなくて、最近流行りのライトノベルやライト文芸も読んでいるらしく、話の中には私の読んだことがある作品タイトルも多く出てだんだんまた私のテンションも上がっていきました。特に日常の謎を扱った、かつてアニメ化もされたミステリー小説の話で私たちは大盛り上がりしました。


 次から次へと本のタイトルが出てくるうちに、

「そういえばその作品、今度映画化するんだってね」

 と柏木さんが言いました。

「映画化すると、どうしても原作とは脚本が変わっちゃうけど、僅か二時間という尺にどうやってあの長い原作を押し込むのか、それが気になってついつい観に行っちゃうんだよね」

「私もです!」と私はやや興奮気味に口を開き、「それで改悪なんてされていたら、ムカついて、なんでそこをそうしたのよ! って帰りのバスの中でずっと悶々としちゃったりして」

「あぁ、あるある」

 柏木さんはうんうん頷き、

「変えるにしても、もっといいやり方があっただろう! って怒りを覚えちゃうんだよね。その所為で夜はなかなか眠れなくて、俺なんてもう一度原作を最初から読み始めて、何とか留飲を下げたりするよ」

「へぇ、私だったらそのまま寝て忘れちゃいます!」

 私は目を丸くして柏木さんを見つめながら、

「やっぱり原作は原作、映画は映画。原作は原作で尊いけど、映画には映画なりの良さがあるんだって自分に言い聞かせて。だけどそのまま二度と観ることはなかったり。逆に上手くまとめている映画とかは何度も何度も繰り返し観ちゃうんですけどね。例えば――」


 私は嬉々として、たくさんの作品名を上げていきました。

 その間、柏木さんは優しげな眼で、私の話に耳を傾けてくれていました。

 お姉ちゃんやお母さんが相手だったら、「あら、そう、良かったね」で済ませるような話でも、柏木さんは、真摯に聞いてくれたのです。


 すごく楽しい時間でした。久し振りに私の好きな話が好きなだけ出来て、私は満足でした。

 好きな話をしている間に、時間はあっという間に過ぎていき、気付くと合コンはお開きになっていました。

 もう二度と柏木さんと会うことはないだろうなと思いながら、その日はお姉ちゃんと一緒に、お家に帰りました。





「ふうん、なるほどなるほど」

 と茜さんはカウンターの上に頬杖をつき、何度何度も頷きました。

「良かったね、つまらない合コンで、思いがけず楽しい話ができて」


「はい」

 と私も頷き、

「趣味の話って、あんまりする機会がなかったので、凄く嬉しかったです。うちにはたくさんの本があるのに、お母さんもお姉ちゃんも本を全然読まないから、誰も私の話なんてまともに聞いてくれなかったので……」


「それで、それからどうしたの?」

 茜さんは微笑みながら言いました。


 私は小さくため息を吐き、

「それから数日後、私は、柏木さんと再会したんです」

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