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第6話

   5


 放課後。僕はまた一人、教室に残っていた。


 窓の外に目を向ければ、沙綾たち陸上部の面々が先日と同じように、グラウンドの片隅で練習に励んでいた。


 僕はその様子を眺めながら、鞄からヨツバチョウのキーホルダーを取り出す。


 窓から差し込む陽の光を反射して、キラキラと虹色に輝く奇麗な翅。

 何だか今にも飛んで行ってしまいそうな錯覚が起こり、僕は思わずそれを握り締めた。


 早くこのキーホルダーを渡さないと、沙綾もまたどこかへ飛んで行ってしまうんじゃないか。


 そんな焦燥感に駆られて、僕はたまらず鞄をひっつかみ、教室を飛び出す。

 小走りにグラウンドを駆け抜け、隅の陸上部たちの方へ向かった。


『また来たよ、アイツ』


 そんな眼で見られながら、僕は辺りを見回して、沙綾の姿を探した。


 どこだろう、どこに居るんだろう。

 焦れば焦るほど、人がただのマッチ棒か何かに見えて、焦点が定まらない。


 やがてクラブ棟の片隅、手洗い場に沙綾の後ろ姿を見つけて、僕はほっと胸を撫でおろした。


「……いた」

 小さく、声が漏れる。


 だけど。


 その隣。


 沙綾と並んで。


 中島くんの。


 後ろ姿が。


 そこにはあって。


 その途端、グサリとあの突き刺すような痛みが再び胸を襲った。


 僕は胸を強く押さえ、立ち尽くす。

 次第に荒くなっていく呼吸。

 背中ににじむ汗。

 手足が震え、二人の背中を凝視する。


 二人は楽しそうに何か会話を交わして――まるでじゃれあうように――笑いあって――


 そうして僕が動けないでいるうちに、中島くんの方が先にこちらに戻ってきた。


 僕の脇を通り抜けて、男子たちの方へ合流する。


 目は合わなかった。

 声もかけられなかった。

 まるで僕のことなど、はなから眼中にないように。


 やがて沙綾も遅れてこちらに体を向け、「あっ」と口にして、僕の方へ駆けてくる。


「今日も来てくれたんだ?」


「あ、あぁ――」

 声が、まともに出てこない。


「どうしたの? 大丈夫? もしかして、またおなか痛くなった?」


 心配そうに訊ねてくる沙綾に、僕は首を横に振りながら、

「う、ううん。だ、だいじょう、ぶ」

 何とか声を絞り出す。


「あんまり無理しちゃだめだよ? 体調悪いなら、早く帰って休まなきゃ」

「ほ、ほんとに、だい、じょうぶ、だから……」


 そう? と首を傾げる沙綾。


 それから昨日と同じように、僕は邪魔にならない隅の方で、沙綾たちの練習を眺めていた。


 沙綾はその練習中も、事あるごとに、中島くんの方に顔を向けていた。


 その度に、僕の胸は激しく痛んだ。


『もしかして』と思っていたことが、『きっとそうだ』とだんだん確証になっていく。


 心臓がどくどくと激しく音を立て、手足がかくかくと小刻みに震えた。


 僕は何とか平常心を取り戻そうと、深く深く呼吸をして、何とかそれらを押さえ込む。


 しばらくして、沙綾はタオルで汗を拭きながら、僕の立つ隣に、すっと腰掛けた。


「ちょっと休憩」

 そう、言いながら。


 けれどその視線の先にはやっぱり中島くんの姿があって、僕は居ても立っても居られなかった。


 深呼吸を一つしてから、意を決して、

「さ、沙綾、もしかして中島くんのこと――」

 だけど、それ以上言葉は出てこなかった。


 金魚のように口をパクパクさせる僕を、驚いたような表情で沙綾は見ながら、だけどその先に言おうとしていることを理解したのだろう、


「――うん。好き」


 はっきりと、そう口にした。


 ――あぁ、やっぱり。


 全身の血の気が引いていき、僕もすとんと腰を落とす。


 そんな僕に、沙綾は続けた。


「でも、まだ告白はしてない。もうすぐ大会だから、何か影響があったら嫌だし。でも、この大会でいい結果が出たら、告白してみようかなって思ってるんだ」

 それからくすりと笑い、

「実はさ、自由参加の朝練に参加してるのも、中島くんに会うためだったんだ。今日はたまたま中島くんに用事があるのを知っていたから、朝練に出なかっただけ」


「そ、そうなんだ……」

 僕は力なく口にする。


 沙綾は小さく息を吐き、

「中島くんのことを思うと、私、胸が苦しくなるんだ。夜になると、会いたくて会いたくて仕方なくなる。その気持ち、トモにも解るかな?」


 僕は全身が熱くなって、けれど中島くんを愛おしそうに見つめる沙綾の顔を見ていると、居ても立っても居られなかった。


 僕が見たいのは、沙綾のそんな寂しそうな顔じゃない。

 いつもの、あの笑顔が見ていたいのだ。


 僕は自分の鞄からキーホルダーを取り外し、そしてポケットに収めていたもう一つのキーホルダーと合わせて沙綾に見せる。


「こ、これ、その……」


 ん? と首を傾げる沙綾。


 僕はそれを傾いた陽の光にかざしながら、

「ひ、必勝祈願の、キーホルダー。ふ、二つあるから、一つは中島くんに渡しなよ。これ、二つ重ねると、クローバーになるんだ。お揃いみたいで、良いでしょ?」


「え、でも、良いの?」

 驚いたように、沙綾は言う。


「うん。だって、その為に持ってきたんだから、受け取ってよ」


 沙綾はすっとキーホルダーに手を伸ばし、僕がそうしたように、陽の光にゆらゆら揺らす。


 虹色に輝く翅の影が、沙綾の可愛い顔に落ちて。


「きれい――」

 感嘆の息を漏らし、

「ありがとう、トモ!」


 僕の大好きな、輝くような笑顔で、そう言った。

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