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第2話

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 翌日。僕は自分の鞄の中、内側の見えないところに例のキーホルダーをつけて登校した。

 あんなデザインのキーホルダーを僕が付けている、そんな姿を想像するだけで恥ずかしくて仕方がなかったからだ。


 アカネさんの言うことが本当なら、あとはもう片方のキーホルダーを沙綾に渡さないといけないらしい。


 でも、どうやって?

 なんて理由で渡せばいい?


 僕は登校中、ただそのことばかりを考えていた。

 けれど何にも思い浮かばないまま学校に着いて、教室に入って、やがて朝練を終えた沙綾が教室に入ってきて、

「おはよう!」

 そう言って僕に手を振ってから自分の席に向かっていくのをただ「あ、おはよう……」と言って見送ることしかできなかった。


 程なくホームルームが終わり、一時限目の授業が始まるまでの間、僕は沙綾の後ろから隣の子と談笑するその姿を眺めながら、何とも言えない焦燥に駆られる。


 一刻も早くあのキーホルダーを渡したい。

 そうすれば、きっとこんな気持ちからも解放されるのに違いない、そう思いながら。


 やがて二時限目が終わり、三時限目が終わり、四時限目が終わってようやく訪れた昼休憩。


 この時間を利用して何とかキーホルダーを渡そうと、僕は席を立つと沙綾に声を掛けた。


「あ、あのさ、沙綾――」

「あ、ごめんねトモ。今から京子たちと職員室に行かなきゃならないの! またあとでいい?」

 急いだ様子でそう言われてしまっては、僕も何も言えなかった。

「え、あ、うん…… わかった」

「ほんとゴメンね!」

 沙綾は僕に両手を合わせながらそう言うと、教室の外に迎えに来ていた隣のクラスの宴町さんたちと共に、足早に去っていくのだった。


 そんな感じで無駄に時間は過ぎていき、あっという間に放課後がやってきた。


 沙綾は荷物を手早くまとめると、「じゃあ、また明日ね!」と僕の肩をぽんぽん叩き、あっという間に教室から飛び出していく。


 僕はしばらくの間教室に残って帰ろうか帰るまいか散々悩み、やがて意を決して教室をあとにした。






 グラウンドの片隅では陸上部の面々が男子と女子に分かれてそれぞれ練習に励んでいた。


 そんな中を、制服姿で一人とぼとぼ彼らに近づく僕の姿は如何にも場違いなように思えて、他の部員たちと一緒に何やら真剣な面持ちで先生の話を聞いている沙綾に近づくことなど、僕には到底できそうになかった。


 何人かの女子は僕の存在に気づき不審そうな目でこちらを見ているし、すぐそばで短距離走?のレーンを順々に走っている男子たちからは「変な奴が来たぞ」というような視線で睨まれ何とも肌が痛い。


 彼らが大会に向けてどんな練習をしているのか、僕にはさっぱり解らなかった。


 けれど、そんな彼らの姿を見ていると、やっぱり住んでいる世界の違いを見せつけられているような気がして何とも居たたまれない。


 邪魔しちゃ悪いし、やっぱり帰ろうかなぁ……

 でも、どこかで話しかけられるチャンスがあるかも知れないし……


 そう思いながら行ったり来たりを繰り返していると、

「――あれ? トモじゃん! どうしたの?」

 沙綾が僕に気づいて声を掛け、こちらに小走りでやってきた。


 僕はドキリとして、

「あ、いや、その、えっと」

 なんて答えればいいのかわからず、しどろもどろになる。


「もしかして、見学? トモも陸上に興味沸いた?」

「あ、うん。いや、そうじゃなくて、その……」

「それとも、私の応援に来てくれたとか?」

 言って微笑む沙綾の可愛らしさに、僕は思わず見とれながら、

「……うん」

 小さく、そう答えていた。


 沙綾は「えへへ」と笑うと、僕をトラックの片隅に案内してくれる。


 それから沙綾は、全く話したことのない部員の人たちに囲まれて身を縮こまらせている僕を置いて、数名の部員と一緒に百メートルの直線トラックへ歩いていく。


 トラックには十台のハードルが置かれていて、たぶんあれを飛び越えながらゴールを目指し、そのタイムを競うのだろう。


 パンっという乾いた音とともに、先頭を走りだす沙綾。


 そのわずか数十センチ後ろに、他の部員たちが食い下がって走る。


 次々にテンポよくハードルを越えていく沙綾達。

 何人かはハードルを倒し、それでも必死にゴール目指して駆けていく。


 僕はそんな彼女たちを、ただ茫然と見ていることしかできなかった。


 沙綾の足は、凄く速かった。

まるで、草原を駆けるチーターのように。

 そして、結局誰にも追い抜かれることなく、彼女はゴールを駆け抜けた。


 それから後続の部員とハイタッチを交わし、ぴょんぴょん跳ねるように僕の方へ戻ってくる。


「どう? 速かったでしょ」

「う、うん。すごい速かった」


 正直、沙綾がこんなに速かっただなんて知らなかった。


 沙綾はにかっと笑うと、僕にもハイタッチを求めてくる。

 僕はそれに答えて、ぱちんっと互いの手の平を打ち鳴らした。


「でも珍しいね。いつも先に帰っちゃうのに」

 その言葉に、僕は思わずどきりとしながら、

「だ、だってほら。た、大会が近いっていうから、その、たまには応援とか――」


「そっか。ありがとね、トモ」

 それから沙綾はふと思い出したように「あ」と口にして、

「そういえば、お昼に何か私に言おうとしてたよね?」


「あ、う、うん、えっと……」

 僕はポケットのキーホルダーに手を伸ばし、

「その、なんていうか――」


 その時だった。

 突然周囲から、わあっという歓声が上がったのだ。


「え、なになに!」

 二人して顔を向けると、男子たちの方で人だかりができている。


「中島くんが記録更新だって!」

 隣の女子に言われて、

「え、マジ? すごいすごい!」

 沙綾が両手を合わせながら飛び跳ねるように興奮し、だっと中島くんの方へ駆けて行った。


 男子女子問わずハイタッチを交わしていく中島くん。

 沙綾も嬉しそうに、輝くような笑顔で中島くんとタッチを交わす。


 そんな二人の姿を目にしていると、急にずきりと胸に痛みが走った。


 僕は思わず胸を押さえ、荒くなった息を整える。


 何だろう、この痛みは。どうして、急に……?


 しばらくそうしているうちに、やがて胸の痛みは治まっていった。


 僕は「ふう」と小さくため息を一つ吐く。


 と、そこへ沙綾が戻ってきた。


「ごめんごめん、それで、なんだっけ?」


 目をぱちぱちさせながら僕の顔を覗き込んでくる沙綾に、けれど僕は、

「えっと……ごめん、何だったか忘れちゃったよ」


「え~? なにそれ!」

 沙綾はけらけら笑いながら、僕の肩をポンポン叩いた。



 ――結局その日、僕はキーホルダーを沙綾に渡すことはできなかった。

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