狭間を抜けると、とある部屋の前に立っていた。
「遠慮はいらん入りたまえ」
扉の先から聞こえる年老いた男の声。
ここが姉ちゃんの言ってた学園長の部屋だろうか?
「いいネオ君。見惚れちゃダメよ絶対」
「誰がおじさんに見惚れるんだよ」
部屋入ると姉ちゃんの言葉が意味が理解できた。
立派な机にイス、そこに腰掛けているのは、ぐうの音が出ないほどの美人さんだった。
姉ちゃんと同じ白銀の髪、出るとこは出てスタイルのいい身体、鋭い目つきに長いまつ毛、クールな女性って感じだ。
姉ちゃんとはまた違う色気があって油断したら理性を抑えられなくなりそうだ。
だったらさっきの年老いた男の声は何だったのか?
「ええと……初めまして。ネオと言います。この学園で学びたいことがあって――」
「わたくしの名はセリーヌ。この学園の学長並びに魔国の王の代理をしているわ。ネオって言ったわね。器自体はまだ未完成のようだけど……」
「器って? 意味が理解できないのですが」
「あなたがこの世界の知識を学びたい、と言っているとリリスから聞いているわ。だけど……リリスまだこの子に話していなかったの?」
「ごめんなさい、言える勇気がなくて……。知ってしまったら嫌われるんじゃないかって」
まったく話が読めない。
器が未完成? この二人は何を言っている?
でもここは口出しせず静かに聞いているのが懸命かもしれない。焦って姉ちゃんに迷惑をかけることだけは避けたいからな。
「リリスはわたくしの孫、それも一国の姫。しかし、いつしか責務を投げ出し、ほっつき歩いてたこの子が突然わたくしの元に来たかと思えば、この有り様よ」
その姉ちゃんの話と俺の話が何の因果関係があるんだ?
口元に手を運び考えていると、姉ちゃんは少し暗い顔をして話し始めた。
「ごめんねネオ君。お姉ちゃん、ここから遥か北にある魔国の第一王女なんだ。そのプレッシャーって言うのかな? 逃げ出したくなってあの大樹の側で住んでたんだけど、近くで魔王様の気配がしたの。お姉ちゃんたち魔族が仕えるべき王のね」
「もしかしてその気配が俺?」
突拍子もない話だ。
もうめちゃくちゃ過ぎてどういう反応をしたらいいのかさえわからない。
「うん、だからあの日、屋敷にいたネオ君のお父さんを操って捨てるよう誘導したの。本当はみんなあなたのこと愛していた。無能だろうと家族だからって」
「そ、そんな……全部姉ちゃんが仕組んだ、のか?」
「ごめんね、辛い思いさせて。でも守りたかった。このままじゃネオ君は……」
俺本人には言い難い内容なのだろう。
途中で口ごもるってことは大抵がそういう内容だ。
でも俺が魔王だと……それも魔王の器だったということか。けどその肝心の器ってどういうことだ。
だとしたら、姉ちゃんはあの時捨てられた、いや違うな。姉ちゃんの策略によって捨てられた、が正しいか。で、実はを助けたんじゃなくて器を守りたかっただっけ。ただそれだけだったんだ。
俺という人格ある存在は二の次。
この身体――器さえあったら俺は用なしだった、というわけだ。
「はははっ、笑える話だな。あの時、俺を助けたんじゃなくて全部計画の内だったってことか。それに野盗から庇ってくれたのも器を傷つけないため、そうなんだろ!?」
「ネオ君、違うの聞いて――」
「いい加減にしなさい!!」
そう言って俺の頬を強くぶったのは学園長だった。叩かれてようやく我に返った。
冷静じゃなかった。俺の悪い癖がまた出てしまった。パニックになったり、イラッとするとつい冷静ではいられなくなってしまう。
今まで本当の家族みたいに育ててくれたのに俺はなんて仕打ちをしてしまったんだ。
冷静じゃなかったとはいえ、ここまで言うつもりはなかったのに……。感情のコントロールもできないなんて、俺はほんとガキのまんまだ。
「少しは冷静になったかしら?」
「はい……俺が悪かったです。ちゃんと話も聞かず先走って」
「ううん、ネオ君は悪くないよ。全部お姉ちゃんが悪かったの。もうネオ君には近づかない。だから許して」
「そうじゃないんだ! 姉ちゃんと過ごした時間が楽しかった。だから俺は全部を否定されたような気がして」
「確かにお姉ちゃんはね、器を守ろうとしただけだったの。でもね、ネオ君に名前を付けて一緒に暮らすうちに心の中で何かが変わったの……今まで実感したことのない感情が芽生えた感じがして」
どうやら姉ちゃんは俺と暮らしたことで変化が起きていたらしい。
事実として俺もそうだ。
姉ちゃんと過ごした日々があるからこそ、独りきりの悲しさも知ることができた。姉ちゃんだからずっと側にいて欲しい、そう思えたんだ。
「それでね、器としか見てなかったネオ君のことを愛してしまった。最初は嘘だと思った。悪魔なのにって。でもネオ君が野盗に襲われた時、お姉ちゃんいても立ってもいられなかった」
「俺も同じ気持ちだった。だからあの時、姉ちゃんを守らないとって思ったんだ」
「いつも『姉ちゃん』って言って頼ってくれて本当の家族みたいに接してくれた。そんなネオ君が大好きになった! 赤ちゃんの時、小さな手でお姉ちゃんの指握ってくれたの覚えてる?」
「ごめん、そこまでは覚えてない」
「あの時、可愛いって思ったのはもちろんだったけど、すごく温もりを感じたの」
姉ちゃんがそこまで思ってくれていたとは……正直、驚きを隠せなかった。
確かに俺たち二人の中にどんなものよりも強い絆が芽生えていたと感じていた。
でも俺だけが感じている、そう思っていた。だけどその絆は確かにあったんだ。
よかった、本当によかった。
「多分その時、姉ちゃんの指を握ったのは、安心していたからだと思う。喋れない俺にずっと付き添ってくれて、話しかけてくれて大事に育ててくれたから」
「うん、ありがとうネオ君」
「はぁ、ようやく終わったようね。そのイチャラブっぶりは胸焼けがするわ」
気づけば学園長は席に着いていた。
それも呆れた表情を浮かべて。
「学園長、すみません」
「はぁ……まあ、いいわ。これからもリリスのことをよろしくお願いするわネオ。それに魔国の――いいえ、その話はまたの機会にするとしましょう」
ひとまず話は終わった。
最後学園長が何を言いかけたのだろう?
でも、またの機会ってことはたいして重大な話ではないのだろう。多分、そうだ。
途中で口を噤んだってことは、そういうことだ。
そういうことにして置こう。
それに姉ちゃんがどんな思いなのかも知れた。
まだ仮説の段階ではあるけど、野盗に斬られたはずの傷が翌朝になって治っていたあの現象も魔王の器だったからという理由で、さっきの話から何となくだが理解できる。
だが魔王の器ってだけでこの治癒力……ある意味最強なんじゃね。ほら不老不死みたいな?
まあ、簡単に言えば俺は特種な体質だったって話だ。