目を覚ますと、隣には白銀の髪に頭から二本の角を生やした不思議な女性がいた。
妖艶な雰囲気に色香が漂い、年上お姉さん属性。だいたい20代後半ぐらいだろうか?
それに必死に手を動かしているのを見る限り、何か作っているのかもしれない。
結局、寝たからと言って喉が潤うわけでもなかった……だから俺は声を上げることにした。
もしかしたらあのお姉さんが飢えを癒やしてくれるんじゃないかと思ったからだ。
「うう、うぎゃああ!」
「あら赤ちゃん起きたのね。う〜ん……でも赤ちゃんっていうのも何だか味気ないし、せっかくだからここでお姉ちゃんが名前を付けちゃおう」
優しさ溢れる声で名前がどうとか言っている。
まるで声優さんが俺の耳元で囁いてるみたいでとても幸せな気分になる。
「僕ちゃんの名前は……そうだ! ネオ君ね。私ってやっぱりセンスあるよね、あると思わない?」
なんて俺に言われても困るんだが……。
それにネオ君だって! っていうか、何で勝手に名前を付けちゃってんの!?
まったく状況が読めないんだが。
「ネオっていうのは新しいって意味だよ。ネオ君には新しい人生を歩んで欲しい、そんな意味を込めて名前を付けたの。どう? 気に入らないかな?」
俺は少し腕を上げた。
するとお姉さんがそれに反応して、
「気に入ってくれたの嬉しい! お腹空いてるのかな?」
お姉さんは俺が今、一番何を求めているのか理解していた。
もしかして心が読めるとか?
このファンタジーな世界ではあり得なくもない話だ。
俺は必死にお腹に手を置いた。
この身体を自由に動かすのにはなかなか骨が折れる。身体が言うことを聞かないというより、筋肉量の問題なのか?
お腹に手を置く、この動作だけでも一苦労だ。
「お乳飲む?」
お姉さんの一言で俺は察した。
――エッチなお姉さんだということを。
例えその場にいるのが赤ん坊一人だとはいえ、野外で授乳しようとは……もしや痴女、このお姉さんは痴女なのか!?
だが今は喉の渇き具合が異常なのだ。
間違いなくこのままだと脱水症状に陥ってしまう。この身体だと長くは保たないだろう。
「よいしょっと……ネオ君エッチな目してる」
お姉さんは笑顔で俺に語りかけてくれる。
確かにエッチな目をしてるかって言われれば……俺も男だし見たいと聞かれれば見たいに決まってる。
「あれ? おかしいな? お乳が出ない?」
俺に背中を見せ胸を弄っているとも思える動作。
でも言葉が意味するにどうやら母乳が出ないらしい。
「この前、
もしかして、いやもしかしなくてもお姉さんは天然?
急に弄ったぐらいで母乳が出るわけないのに。まあ、特殊な体質なら可能性はあるが。
しかしということはだ。今思えば俺に『お乳飲む?』って聞いたのは?
むむむ、過度な期待させやがって。
「ごめんね、お姉ちゃんお乳出ないみたい」
俺は真顔でお姉さんを見つめ続けた。
こいつはポンコツなのか? と疑問を投げかける時の顔でだ。するとお姉さんは立ち上がり、背中に付いた黒翼を大きく広げた。
「待っててね。今すぐ採ってくるから」
そう言葉を残してお姉さんはどこかに飛び去ってしまった。
結局、また一人か。
このままでは本当に赤ん坊のまま餓死してしまう。
過労死の次は餓死ってか?
マジでふざけるなよ、と言いたくもなる。
でもそれが俺の運命なら受け入れるしか道はない。ほんとろくな死に方をしないな、俺は。
*
しばらくして、お姉さんが戻った。
「ネオ君これならどう?」
手の甲や顔には擦り傷があった。
ここから飛び去る時には、そんな傷一つもなかったのに。
それに瓶に入った白い液体を見る限り、母乳っぽい物を採ってきてくれたのは確かだ。
「飲めるかな?」
お姉さんは俺を抱きかかえるとどこぞの馬の骨かもわからない母乳らしき物を少しずつ飲ませてくれた。
味の感想としては、ものすっごく生臭いし、甘みもない。
「すっご~い。いっぱい飲めたね。これね、ギューッて搾るの苦労したの」
何かエッチだ。
ここはほんとに異世界か?
天国なのでは?
「おいちいね、お姉ちゃん苦労したかいがあったよ。もう大変だったんだから。メスドラゴンの尻尾を掴んで拘束するの」
今、サラッととんでもない言葉を……。
うん、聞かなかったことにしよう。
まあ何でもいいけど、喉も潤ったしお腹も満たされたから満足満足。
エッチなお姉さんも堪能できたし。
「あれ、お眠なのかな? 眠っていいよ」
とは言われたものの、全然眠たくないです。
それより眠れる状態じゃありませんよね、これ。
俺の顔の側に大きなお餅が二つ。
それにお姉さんが話すたびにプルンと揺れるのを見ると興奮はする、のだが……息子が起き上がることは決してない。
「眠れないの? ならお話してあげる。お姉ちゃんはわる~い悪魔なんだよ」
なんとなく正体はわかっていた。
人とは違う頭から生えた二本の歪な形をした角。背中の黒翼、人なら恥ずかしくて着たがらない布面積が少ない服。それらが組み合わさると俗に言うサキュバスと呼ばれる淫魔なのだろう、と。
でもお姉さん言った。
わる~い悪魔なのだと。
となれば、単なるわる~い悪魔なんだろう。
どれほどの悪なのかは想像つかないが。
「お姉ちゃんね、みんなから《|厄災《やくさい》》って呼ばれてるの。昔、忠告を聞かない雑種さんが襲ってきたから返り討ちにしちゃったんだよ。すごいでしょ!」
これはあくまで序章なのだろうか?
話の流れ的にろくな話じゃないということは理解できた。この先、聞くにしろ聞かないにしろ途中で耳を塞ぐことはできない。
だって今の俺、赤ん坊だから。
そんな器用なマネできるわけがない。
「それでね、返り討ちにしたら雑種さんが
身体は動かなくても心の中はすでにぶるぶると震えていた。
話を聞くのが怖すぎて……漏らしそう。
この辺で話を終わらせないと。
俺の精神がもたん。
「ば、ばぶぶ。うう……」
「あらこの話面白いの? もっと聞きたいの? 仕方ない子ね」
ダメだ! やっぱ通じない!
俺は頭の中を無にして聞き続けた。
まるで人々の叫び声が頭の中で響いているようだ。想像するだけで身体中に悪寒が走る。それだけ怯えているということだ。
だがしかし、話はこれで終わりではなかったようで、淡々とまた話し始めたのだ。
「それで最後のお話は……私が目指す世界について。う~ん何て言うのかな?
さらっとまたえげつない言葉が聞こえてきた。
この世界を壊したい――その言葉が意味するのは、そこまでこの世界を憎んでいるということなのかもしれない。
どれだけこの世界が醜いのだとしても、それは出会う相手がそう思わせる輩ばかりだったという可能性もあり得る。だってさっきの話もそうだ。
お姉さんが善人だという認識でいくと忠告したにも関わらず極大魔法と呼ばれる、おそらく名前の通りとんでもない魔法なのだろう。
そんな魔法をお姉さんに向かって放った。
だから仕返しをした、そういうことになる。
仮にこのお姉さんが嘘を言っていてほんとの悪だとしたら?
まあ、間違ってもそれはないだろう。
赤ん坊一人のために、ここまでしてくれる人なんてそうはいない。傷を負い、必死にお乳を採りに行って飲ませてくれる。どう考えてもそこらの人間より人らしいことをしているじゃないか。
「お姉ちゃんのお話はここまでね。もう眠りなさい。いっぱいに食べて寝て、お姉ちゃん好みの男の子に成長してね」
そこからの記憶は一切ない。
でもあの時、催眠術を掛けられたようにスーッと頭の中は真っ白になった。それで意識が遠のいたことだけは今でもはっきりと覚えている。