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第三十五話 俺と真姫と未来と

 俺達は月明かりの中黙々と岬町を目指す。過去、俺達が暮らしていた岬町の周辺は、自然に囲まれていた。栄えているのは岬町の中心部くらいで、少し外れれば、意外にのんびりとした田園が広がっていた。


 そして今俺達が歩いている未来の岬町周辺は、当時よりも自然の割合が増しているように思えた。


 道はアスファルトで舗装されてはいるが、道の白線は薄れてほとんど見えず、所々隆起していて、全くもって平らじゃない。


「やっぱり未来なんだな」


「改まってどうしたの?」


「なんとなくさ、あちこちにガタが来てる道や建造物を見ると、余計にそう思うんだ」


 俺はそれを最後に口を結ぶ。


 岬町に着くまで俺も真姫も喋らない。道中誰ともすれ違わなかった。もう暗いとは言え、寝静まるような時間じゃない。それでも人影は皆無だった。


「これがあのビルか……」


 俺達は記憶を頼りに、この崩壊した岬町の中をさ迷っていた。当然人など存在せず、明かりも無ければ音もしない。アスファルトやビルのコンクリートの隙間から新芽が顔をだし、新たな命の始まりを告げている。まるでお前たち人間の時代は終わったのだと言いたげだ。


 そうして俺達は今、制星教会のビルの前に立っていた。別にこの場所を目指していたわけじゃない。ただ、この町でもっとも足繁く通っていたこの場所に自然と引っ張られていたような気がする。


 懐かしさと虚しさと一抹の寂しさと。制星教会の前に立った俺の心の中に、様々な感情が去来する。中で濁って、やがて溶けていく。


 それは隣にいる真姫も同じのようで、制星教会のビルを見上げながらその瞳を潤ませていた。


「もうこの街には誰もいないのかな?」


 真姫はそう言って俺を見る。潤んだ瞳を俺に向ける。


「そんなこと……」


 分かっているだろう? 最後の一言は口にするのを止めた。そんなこと、真姫だって分かっている。この制星教会に来るまでのあいだ、散々岬町を見て回ったのだから……ここに人はいない。誰もいないからこそ、空に塵はなく、月明かりが俺達を照らしているんだ。


 人がいないから争いが起きない。争いが起きないから塵がない。塵が無いから空が見える。単純な話だ。だけど単純すぎて人は忘れるのだ。


「真姫、行きたい場所があるんだ」


 俺が真姫の問いかけに答える代わりに、行き先を示唆する。


「良いよ。私はずっと暮人について行くから」


 俺は真姫の言葉に甘え、彼女の手を取って歩き出した。


 静寂に包まれた岬町は初めてだった。どこまで行っても無人な岬町。唯一救いだったのが、ここで死んだ人間はいないということだった。人はいないが、その代わり人がここで殺されたりした形跡もない。


 おそらくシェルターかどこかに避難しているか、崩壊病で消えてしまったか……いずれにせよ戦争のダメージはこの街には無い。岬町の建物が崩れているのは、それだけの年月によってだ。


「ここって……」


「ああ。俺の家だ。だけど行きたい場所はここじゃないよ。勿論見てみたかったのはあるけど」


 俺達は目標地点に向かう道すがら、俺とおばあちゃんが住んでいた家の前を通りがかる。流石に建物は崩壊していたが、当時の名残は存在していた。


 俺は家に向けて合掌する。どちらかと言えば家ではなく、わけも分からないまま一人にしてしまった祖母に対してだ。


「行こう。この先だ」


 俺はさらに真姫の手を引っ張ってひたすらに突き進む。


 まだ残っていたあの公園を横目に、古びた郵便ポストを曲がって、俺達は目的地に向かう。この道順で真姫も行き先が分かったのか、何も喋らなくなった。


 時間も過ぎて夜が明ける。鋭角な日差しが疲れ切った俺達の顔を煌々と照らし始める。朝日の到来に街が目覚める。人々の代わりに、生えている草花は太陽に向かって首を向ける。


「やっぱりここね」


「俺達といえばここかなって」


 天気は晴れ。絶好の登校日和。俺達はあの日の小学校の校門の前に立っていた。小学校の校庭には錆びついた登り棒が立ち並び、石灰で描かれた円はほとんど消えかけている。


「行こうか」


「ええ」


 俺達はそんな校庭には目もくれず、そそくさと校舎に入っていく。目指すは南校舎の三階。このまま階段を登って行けば到着だ。あの頃から時間が停止したかのように、校舎の中は代わり映えがしなかった。


 階段を登り切り、廊下の突き当りまで歩を進めると、目の前にはあの時の教室。


「開けるよ」


 俺はそう言って教室のドアを開けた。


 流石に記憶の通り全く一緒ではないけれど、それでも面影がある。今まで、記憶の中のこの教室は夕暮れの教室。だけど今は朝日が差し込む教室だ。単に時間が違うだけと言われればそれまでだが、どこか一つの呪縛から解き放たれたような、そんな解放感が全身を包み込んだ。


「なんだか変な気持ち」


「え?」


「だって私達の始まりはいつだってこの教室で、それでいて最後にまたここに来ることになるなんて」


 真姫と俺は当時のそれぞれの席に座って話す。小学生の時の思い出から、今に至るまで、ありとあらゆる話をし尽くした。


「真姫、ここで一緒に暮らさないか? 学校の校舎だったら易々と崩れたりはしないだろ?」


「言われなくたって、最初からそのつもりだよ」


 真姫と俺は立ち上がり、教室のど真ん中で見つめあう。


「崩れゆくこの世界で共に生きよう」


 俺達は抱き合って目を瞑り、お互いの唇の感触を確かめた……。









 あれから俺達はこの学校を拠点にして、この崩壊した世界を生きている。


 他の変異種や人類がどうなったかなんてどうでもいい。俺達は自分達さえ良ければそれで良いのだ。勿論助けを求める人がいれば助けるが、それは自己が保全されている場合の話。生き物は皆そのはずだ。


 俺達は善人でもヒーローでもない。自己犠牲の精神なんてものは持ち合わせていない。仮に俺達が自己犠牲をするとなれば、それはお互いの為だけだろう。


 この未来の崩れゆく世界で、俺達は悠久の時を生きる。


 これは自分たちと世界を天秤にかけさせられた者達のお話。そして選んだ道で罪を背負い、やがて投げ捨てた俺達の物語だ。





 「崩れゆく世界に天秤を」    FIN

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