「暮人。なんで泣いてるの? それにさっきここで銃声が……」
真姫は泣きながら突っ立っている俺の手を握り、俺の背後を目にして言葉を失う。
彼女からすれば当然だ。ニュースなどで崩壊病について聞くことはあっても、実際に目にすることはない。今真姫の視線の先には、崩れゆく息子を抱きかかえながら泣き叫ぶ母親がいる。
「暮……人? なんなの、これ? どういうこと?」
混乱した真姫は、俺の手を握ったまま震える。
俺はそんな真姫を軽く抱きしめた。
「今度必ず説明するから、今は……」
そう耳元で囁き、俺は正人と彼の母親のもとへ。
泣き続ける母親に近づけば近づくほど、なんて声をかけて良いか分からない。どんな言葉も、壮絶な場面では陳腐に聞こえてしまう。子を失った親にかける言葉など存在しない。あっても、俺にはそれを口にする権利がない。
「その……」
「なんで?」
「え?」
「なんで息子が死ななくちゃならないの?」
正人の母親は、残り少なくなった正人の体を愛おしそうに撫でながら、そう口にする。言いながらも、視線は崩れゆく我が子に注がれている。
「なんでこの子が死んで、君は生きているの? どうして私が生きているの!?」
その声は徐々に大きくなり、悲痛な叫びとなってこの団地全体に木霊する。
「謝ってもどうしようもないことですが、ごめんなさい。俺の力不足でごめんなさい。助けられなくてごめんなさい。過去に……」
過去に間違った選択をしてごめんなさい。
彼女は決して俺を責めているわけではないのだろうけれど、それでも俺に出来ることは謝ることだけ。だからひたすらに謝る。しかしそれでも、過去の選択自体を謝ることだけは出来なかった。
十年前のあの選択で、俺は世界と真姫を天秤にかけられ、真姫を選択した。
当時の俺はまだ小学生。
当時の俺にとって真姫は、同じクラスのちょっと気になる女の子。
子供には、世界の事なんて知ったこっちゃない。自分の周囲が世界の全てで、それ以外のことなど考えられない。そんな状況での二択だ。そして俺は、他人に言わせれば選択を間違えたのだ。
俺があの時真姫を犠牲にし、世界を選択していれば、崩壊病などという悪魔の病は発生しなかった。
崩壊病の被害者を見るたびに、あの時真姫を犠牲にしていればという思いが頭をよぎる。よぎってしまう自分がいる。
「暮人! 大丈夫か?」
聞き慣れた声が背後から聞こえる。
気がつけばこの団地の横の道に、大型の車が数台。
中から十数人の大人たちがこの団地に入り込み、住民への説明や野次馬の対処、警察への対応などを行っていた。
彼らの服には、六芒星の中央に十字のマーク。制星教会の連中だ。
さきほど俺に声をかけたのは、制星教会における俺と正人の直の上司、桐ヶ谷さんだ。
桐ヶ谷は俺の正面に回り込み、肩を掴んで激しく揺さぶる。
「しっかりしろ! ショックなのは分かるが、今は撤退だ! 一応一般人には知られてはならないことになっているんだぞ!」
そうして桐ヶ谷は俺をつれて車に向かう。
途中、立ち尽くす真姫と目が合う。
彼女が何か言いたそうに口を開きかけた時、制星教会の連中に押し出される。
「暮人!」
そう叫ぶ彼女に俺は声をかけることも出来ず、ただただ力なく車に押し込まれる。
「知り合いか?」
運転席に乗り込んだ桐ヶ谷は、アクセルを吹かせて一気に団地から離脱する。
「ええ。幼馴染です」
「名前と年齢は?」
「小西真姫。俺と同じ十八歳」
俺はほとんど何も考えられず、素直に答える。それを聞いた桐ヶ谷は何も言わず、黙々と車を走らせた。
向かう先はいつもの場所だ。
この街、岬町の歓楽街をさらに進んだ先にある立派なビル。俺が所属している制星教会の本部だ。任務が失敗であれ成功であれ、絶対に真っすぐに戻ってくる規則になっている。
制星教会は、国が管理している機密性の高い組織だ。表向きは製薬会社で通っているが、実際は十年前から発生した悪魔の病、崩壊病についての研究機関として活動している。
一般の人は崩壊病の事を、危険な病。罹ったら助からない病。それでも十年間で僅か千人しか死んでいない奇病。そう信じているし、ニュースや新聞でもそのように報じられている。しかしそれは間違いだ。本当のところ、崩壊病は病気ではない。
崩壊病を引き起こすのは青白い人型の化け物、星の使徒だということは分かっている。最初に崩壊病になった人物が、死に際に青白い人型の化け物が見えたと証言したのが始まりだった。
当然最初は誰も相手にしなかったが、他の崩壊病患者からも同じ証言が続いたため、国もいよいよおかしいと気づき始めた。そうして出来上がったのが、今俺たちが向っている組織、制星教会だ。
「着いたぞ」
「はい」
俺は桐ヶ谷に連れられて、無気力なまま制星教会本部に入っていく。
豪華なエントランスを抜けると、ビルの案内図がエレベーターの横の壁に貼られている。いかにも製薬会社然とした案内がされているが、すべてフェイクだ。
俺たちはエレベーターで四階にあがり、指紋認証をクリアしてセキュリティーを突破すると、中には学校の教室程の大きさの崩星対策室があり、そこからそれぞれの待機室に繋がっている。
「それじゃあ今日は報告書をあげて、弾丸を補充したら帰ります」
そう言ってドアを開けようとした俺の肩を、桐ヶ谷が掴む。
「なんです?」
「さっき現場にいたあの子はどうする?」
桐ヶ谷は厳しい目つきで俺に問いかける。
まあそうだろうな。一般人には機密扱いになっているんだから、俺がペラペラ喋らないか心配というわけか。
「別に……何も喋りませんよ。そんなに特別な間柄でもないですし、ニュースに合わせます」
どうせニュースでは、表向きのなんてことのない情報が流されるのだから、それに合わせればボロも出ない。
「そうか……なら良いんだが、もしも彼女に話したくなったら一回ここに連れてこい」
「どういう意味です?」
俺は不審に思った。
一般人には機密だという先刻の言葉と整合性が取れていない。どういうつもりだ?
「ここに来る途中データベースを探ったが、あの少女は適性アリだ。お前のパートナーにしても良いかと思ってな」
なるほどそういう事か。正人が死んだから、次の俺の相方にちょうどいいというわけだ。
冗談じゃない! 少しは死んだ部下の事を想う気持ちは無いのか!
「遠慮させてもらう。俺のパートナーは正人だ。当分他の奴と組み気なんてない」
「現実を受け入れろ! 正人は先ほど死んだ。崩壊した! お前も見ていただろ!」
「うるせえ!」
「うっ……」
気づけば、俺は桐ヶ谷の胸倉を掴み壁に叩きつけていた。
俺は荒くなった息を整えながらも、その力を緩めなかった。頭の中に感情が溢れてぐるぐるしている。何も整理がつかない。頭の整理も心の整理も、何もかもが不完全だ。
「お前は本当に人間か?」
俺は桐ヶ谷に問いかける。
「さっき死んだんだぞ? ついさっき! ほんの数時間前だ! なんでそんなにサバサバしていられる? 俺の相棒だぞ? 俺の理解……」
そこで言葉が詰まった。
これ以上はダメだ。
正人以外に十年前の事を話してはいない。最初に正人に話した時、制星教会の連中には話さないほうが良いと言われた。理由を聞いたが、いずれ分かるとだけ言って教えてくれなかった。
「離せ」
「はい」
桐ヶ谷の冷たい指示が耳に届き、俺は素直に手を離す。
俺がそのまま黙って固まっていると、桐ヶ谷は俺の手を振りほどき、崩れた身なりを整えて俺を真っすぐ見据える。
「俺だって何も思わないわけじゃない。泣きたい気持ちもある。だが奴らは待ってはくれない。それは事実だ。お前が混乱しているのも分かるし、気持ちの整理だってそう簡単に出来るとは思っていない。だが、もう一度言うぞ? 奴らは待ってはくれない」
そう言い残し、桐ヶ谷は奥の部屋に去っていった。