今までいろんな事があったがもうこの店内ラジオも始まって二年半になるらしい。ということは僕も社会人になってそのくらい経つということだ。後輩も入って来た。
そんな話を末広さんとしていたらふと思い出したように末広さんは言った。
「オレ、脚本書いたんだ」
「え! 末広さんが脚本?」
その時の僕にはこの話が信じられなかった――。
僕はすぐにこの情報の真偽を確かめる為に末広さんと話をした。
「本当ですか? 末広さん!」
「本当だよ。この前あっただろ、『店内ラジオで何か新しく始めたい』っていうやつ」
「ああ、ありましたねぇ……そんなこと」
僕は思い出しながら言った。
「それでオレが送った案が見事採用されてオレ脚本のお話がこの店内ラジオで聞ける事になったんだよ! で、もちろん、その配役はオレと店長で勝手に決めてさ……と言いたいところだがそれだと不満言われるって店長あれからこういうの敏感になってて結局、あみだになったんだよ。お前もやったろ? あみだくじ」
「え? あのあみだって新コーナー決めるのじゃなかったんですか?」
「これ、新コーナーだから。間違ってないじゃん」
そう言って末広さんはオレが考えた脚本というのを僕の前にドン! と出してきた。
「なんかこうなるようにあのあみだなってたっていうかオレの希望そのものって感じで良い話が出来たよ。ちなみにこれ配役表ね」
末広さんは脚本の二ページ目を僕に見せながら言った。そこには『何かの童話パロの話』という題名の下に主な配役として王子・才木さん、姫(憂鬱な)・千色さん、店長よくしゃべる脇役、その弟分的な迫平さん、いつも失敗ばかりしている王子様の家来・吉玉さん、ぷーちくぱーちくしゃべる者達・メインのお二人(ぷーちく・ほのかさん、ぱーちく・ユズノさん)、王・ダーマさん、悪役なワルウ者(悪役な悪う者)・四十、きのみちゃんは語り手、脚本・オレ! (末広)、客・オレ以外のハチ仲間等と書いてあった。
「あのー」
「何だよ?」
「この『客』って何ですか?」
「あ? この役はな、『わー』とか『何だってー』とか『きゃー』とかっていうよくいる町の人だよ」
「じゃ、町人って書いて下さいよ! それに何で語り手のきのみちゃんとか脚本の末広さんより下に書いてあるんですか? これ、順番間違ってますよ!」
と僕は思いっきり末広さんに突っ込んでしまった。
「だってさ、そんなに重要じゃないもん」
「な!」
僕は言葉に詰まった。
そして、この店内ラジオオリジナル童話はその期間だけの紅見喫茶店に来ればいつも聞ける店内放送という形で聞けるようになった――。
『ああ、なんと美しい姫! はどこかにいないものか?』
『王子様、そんなにきょろきょろしていても姫の一人も見つかりませんよ』
『お前に訊いてはいない』
『王子様は王様に言われた期限までにお姫様を見つけなければなりませんでした。そうしなければ自分が好きでもないお姫様と結婚、させられるからです』
『なんか今、『結婚』だけ強調されていたね、ぷーちく』
『うん、そうだね。ぱーちく、それよりあれをご覧よ。今日も憂鬱なお姫様がよくしゃべる店長にいろいろ言われているよ』
『その後ろからは弟分的なやつが歩いているよ』
『だから、言ったではありませんか。お姫様。一人で歩けばあのワルウ者が『姫を奪っておいらのモノにするー!』と叫ぶと』
『はー……』
『ぷ、ぷーちく聞いたかい? ちょっとおかしいね。あの脇役』
『そうだね。ぱーちく』
『ち、今までの出番、全てこのワルウ者の為だったと言うのか!』
『何をおしゃっているのです? 王子様』
『よし、決めた! あの姫を私の妃にする為、あの『ワルウ者』とかいう奴を懲らしめてやる! お前、ワルウ者を見つけて来い』
『な、なな何をお笑い草でもお召し上がりになりましたか? 王子様!』
『お前、すぐに行けよ』
『王子様の性格が変わらないうちにいつも失敗ばかりしている家来はそのワルウ者を見つける為にいろいろ探し回りました』
『うわー』
『出たぞー! ワルウ者だー』
『きゃー、何だってー』
『ちょうどワルウ者だ! と叫んでいる者達の声を聞きつけることに家来は成功しました』
『よし! でかしたぞ』
『そして、王子様はそのワルウ者をやっつけようとしたのです』
『お待ちください、王子様。この者はただそう言って皆を困らせるだけが生き甲斐なのです。だから、それ以上の問題は起こしません。ですから、この者をどうかお許しください』
『では、私と結婚をしてください』
『え! それってここに書いてあるの?』
『姫、どうかなさいましたか?』
『えっ……いえ、いえいえ? なんでもござらんよ! じゃなくて? え、これですか? ぷーちく貸して!』
『あ、これカットしとかなきゃ』
『そうだね、弟分的な迫平さん』
『それ、お気に入りだね』
『そうなんですよぉ』
『ゴホン!』
『あ、王様!』
『王様もずいぶんとお待ち?』
『そうじゃなくて、緊張でね』
『あー、分かるそれー。ちゃんと声出るか心配になるんだよねー』
『そうそう』
『よっしゃ! 行くぜ! じゃない? ああ、『はい』ね』
『だとしたら、めでたし、めでたい。今日はこれでおっしまい! ……あ、また、噛んじゃいました』
『もー』
最後は皆の『もー』で終わっていた。
「って、これ、全然だめですよね! 意味が分かんないですよ」
「良いじゃん。それにこれは迫平さんの落ち度だろ? オレのせいじゃないよ」
このカット話はその日の内にすぐにちゃんとした物と交換された――。
先日の新コーナーが本物になった。あの末広さんの話を聞いたリスナー達が次から次へと『僕も末広さんのように読んでほしい話ができました』というお便りを送って来るらしく、それに少々困った店側が提案したのがこの『あなたの考える配役表』というものだった。これは会員、店員関係なく有名な童話とかの登場人物に勝手にその人がこれはこの人だろう! と思った人を配役してみるというものだった。その配役が他のリスナー達の判断ですごい良さそうとなれば晴れて末広さんのようにその配役された人がその話を読んでみるというものになった。若干、最初の頃とは違いますねと末広さんに言ったところ、これでも、おもしろいよと言ってモモ太郎の配役表を作っていた。僕が盗み見たところ、モモ太郎が今はメインでも何でもない田井さんでサルが店長で鳥がきのみちゃんで犬がダーマさんで鬼親分が四十さんでその子分が何故かほのかさんと吉玉さんだった。そして、おじいさんは才木さんでおばあさんは千色さんだった。これ良くね? と言って見せて来たりもしたが選ばれはしなかったのでまた、一からだー! と言って何かないかな……と言って童話を探していた。
四十さんはその新コーナーに送る皆から有難く思われていた。
何故かと言えば四十さんが悪役の方が好きだと言ったからだ。何でもヒーローと悪役がいれば俺は迷いなく悪役と仲良くなりたいというくらい悪役が好きらしい。だから、皆この役は……と思った役でも気兼ねなく配役出来るので嬉しいと喜んでいた。
そして、今日の生放送でもその新コーナーがやって来た。
「はい、次は『あなたの考える配役表』です。あの有名な童話の登場人物さん達を勝手に配役してしまうっていうコーナーです。昨日は一通しか紹介できませんでしたが今日はななよんさんから『不思議な国の……』で頂きました。えーと、『白うさぎ、店長。ぴょんぴょんしてるから。アリス、千色さん。あわあわっぷりが聞きたいから。チャシャ? チェシャネコ? ダーマさん。雰囲気がそれっぽいから。帽子屋? 末広さん。変だから。ハートの女王、ほのかさん。えばってるところが聞きたいから。トランプの兵の二番、ユズノさん。五番、きのみちゃん。ハハー! が似合いそう的な感じだから』だそうです」
ほのかさんは自分がその役かよ! という感じで読み続けた。
「『あと他にもいた気がしますが今日はこの辺にしときます』ということです」
と次のお便りに移った。
「次ははっさんからです。『私は『アリとキリギリス』でやってみました。アリが店長でキリギリスがダーマさんです。なんか、店長の方が働いてる気がしますがでも、キリギリスっぽさは店長にあるので悩みましたがこうなりました』ほー。私は絶対反対だと思いますけどねー」
ほのかさんは何か同じ女性として納得いかないようだった。
「次のは小石さんから。『オオカミ、四十さん。赤ずきん、きのみちゃん。おばあさん、ダーマさん。犬、店長! この『赤ずきん』、良い配役だと思いませんか?』うーん、どうでしょうねー」
小石君が読まれるなんて思いもしなかった。
「続いて、よよさんから。『私はあの『ヘンゼグレーテル』で挑戦です! 兄はハッパさん。妹がほのかさん。お母さんが末広さん。お父さんがダーマさん。魔女が四十さん。許して下さい!』とのことです。よよさんも少女時代にこれ読んだんですかね。皆さん、ダーマさん、四十さん、店長がおいしい役なんですね。人気なんですねー。ちなみに私が店長ならどうします? と訊いたところ、店長は『おら、ならー……『源氏物語』で桐壺帝がダーマさんで光源氏が才木君で紫の上、藤壺、桐壺の更衣がふくちゃんで葵の上がユズノさんで花散里がメインだった田井さんで明石の姫君がきのみちゃんで雲居の雁がほのかさんで夕霧がハッパ君で末摘花が末広くんで六条御息所が四十君かなぁ……あとは……たくさんいるから適当にで』ということでした。とっても童話じゃない答えが返ってきた時は正直、焦りましたぁ」
というか、僕、なんでそういう役ばかりなのー! と思ってしまった。何気に末広さんも四十さんのような扱いだと思う。本当においしいのはダーマさんなんじゃないかとも思った。
*
しとしと雨が降る日が続いている。もう、梅雨だ。
そんな中を半透明なビニール傘を差して少しどたどた走る女子がいた。
彼女は車の教習所で知り合った女性から何故か二冊あるからともらってしまった一冊の白い手帳サイズの本を自分のバッグの中に入れて紅見喫茶店を目指して走っていた――。
カラッランと店の手動ドアが開くと鳴るようになっている音が鳴った。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた声でそう言ったのは副店長の千色だった。
「あれ! しのぶちゃん?」
雨の中を突然、やって来た彼女を見て千色は驚いたように言った。
「あのっ! 今日って、店長とか才木! さんとかいますかっ! いないですよね? この時間だから」
「え? まあ、そうね……二人とも休憩中でどこかに行っちゃったしね」
その声を聞き付けたほのかが奥からやって来た。
「おお! 田井ちゃんじゃん! どうしたの? 今日、来るなんて一言も言ってないよね?」
「そうなんですけど……これ、見てもらいたくて……お二人に!」
そう言って田井はあのミオナさんも持っていた例の白い手帳サイズの本を二人に差し出した。
「これは?」
それをサッと見た千色はあの時、ミオナさんが言っていたことを思い出しポカンとしているほのかと少し緊張気味の田井にビシッと言った。
「奥へ行きましょう。この時間なら他のバイトの子達でなんとかなるから」
「どう、ですか?」
「これは……すごいわ……」
「ほんとですね、この何ですか? 『シャトー切り』って書いてある所の才木さん、とっても楽しそうですね」
その本には才木がいろんな場所でいろんな野菜をいろんな切り方で切っているところの隠し撮りと思われる物がその切り方の説明文と共に多数載っていた。そして、その本のタイトルは『サイキさんステキ』だった。
「あ、これなんかすごいですよ! 『回し切り』ですって」
「『乱切り』ね。形は違っても大きさをそろえる切り方よ」
「千色さんって料理するんですか?」
「まあ、時々ね」
「これもすごいですよね。はくはつねぎ? って呼ぶんですかね」
「これはしらがねぎよ。ほのかちゃん。へー、こんなのもやってるんだー」
千色はその他のページも全部見た。そして、才木の写真を見ながら少し感心した。
(料理教室まで通っていたとは知らなかったわ。こんなに才木くんって料理してる時、生き生きしてるんだ……それにしても……)
千色のその様子をじっと見ていた田井はゴクッと言いたいことを二人に言った。
「あの! どちらでも良いのでこの本持って帰っていただけませんか?」
それを聞いた千色はパン! とその本をすぐに閉じ、返事をした。
「無理な頼みだけど仕方ないわね。これ、才木くん見たら怒りそうだしね。でも、今、最も安全な持ち主はやっぱり、しのぶちゃんだと私は思うけどな」
「どうしてですか?」
「だって、しのぶちゃんはもうここで働いてないから。才木くんとはそんなに会わないでしょ?」
「でも、私、才木さんのファンでもないし、第一、そんなの要りません」
「私もです!」
千色に向かってほのかもすぐさま片手を高く上げて真剣に意思表示した。
「それは私も同じなんだけど」
千色は二人に押し付けられまいと少し困りつつも頑張った。
そこにギイっという音が聞こえた。
「ふーって、うお! 三人で休憩室いて何やってるんだ?」
「さ! さささ、さいきくん!」
「どうかしたか?」
千色の異常なガタガタっぷりに才木は何かを感付いた。
「その白いの何だ? 千色」
才木は千色の手にある白い手帳サイズの本をちょろっと見て訊いた。
「こ、これ? これはしのぶちゃんが私にくれた秘密の本よ」
「ふーん、そうか……今日は生放送しないのか? だったら、何でお客さん達いっぱいいるんだ?」
「あ! 今日は柚野の日なんですよ。才木さん」
と言ってほのかは機転を利かして休憩室から才木と一緒に出て行った。
「はー、よかった」
「私がやっぱり、これ持って帰った方が良いですかね?」
「うーん……いいわよ。私が持って帰るから」
「本当ですか!」
田井は嬉しそうに言った。
「私もこれ持ってても意味ないと思うけどしのぶちゃんが持ってても困るだけでしょ? 困る物、元ここのバイトだったしかも元メインのしのぶちゃんに押し付けるわけにはいかないわ。なんとなくだけど他の誰かさんが高く買ってくれそうな気もするし」
「その考えはいけないと思いますけど……本当にありがとうございます! 千色さん! 助かりました」
そう言って田井はすっかり気分良くなって帰って行った。
「はあーあ……」
千色は一人、休憩室で思っていた。
(やっぱり、主婦が作ったのだからね、才木くんの包丁テクニック半端ないわ……)
と。
その日の閉店後何故か休憩室に残っていたいつものコック姿ではない久しぶりに見る私服姿で座っている才木と千色は出会ってしまった。
「才木くん! まだ、帰ってなかったの?」
「ああ、千色が持ってた白いの気になってちょっとここで待ってた」
「え、私を?」
「そう」
才木は千色を見て頷いた。
(何でよ! 今日は才木くん早番でしょ! さっさと帰んなよ!)
と千色は心の中で思っていた。
「で、結局あの白い本は何なんだ?」
「だから、しのぶちゃんとの秘密の本なの!」
千色のその頑として譲らない気持ちに才木はどうしたものかと考え、ほのかと今日話した内容をちらっと言ってみることにした。物は試しだ。
「そういえば、今日、露木さんに『シャトー切りってあの料理に付いてるやつですか?』って言われたんだけど」
「それは……」
千色はそれ以上言うと才木に何となくバレてしまいそうで黙った。
それを見逃さなかった才木は突然何も言わずに千色の前に立ち、千色のほっぺをぎゅむーと指先でつねった。
「いひゃいお、しゃいきくん?」
「それだけ言えるなら心配ないな。その白い本の追及をやめるのとこの状態やめるのも合わせてで良いのなら千色、お前も歌、歌え」
それを聞いた千色はその二つの条件をすぐに呑むことにした。そうしなければずっとイタかったからだ。
うん、うんと頷く千色を確認した才木は千色のほっぺをつねったまま急に大きな声を出して言った。
「店長、千色のオーケー出ましたよ!」
「へ? えええっー!」
その言葉を聞いて今までのやり取りをこっそり隠れて見ていたらしい店長がのこのこ出て来て才木にこう言った。
「才木君、かっこいいー! ワンダフル!」
全然、ワンダフルじゃないしぃー! と千色は思い叫んだ。
「ということで、歌の方よろしくね! じゃ! おつかれー」
と言って店長はふっふん! とルンルン気分で歩いて店を出て行ってしまった。
それを見送った千色は感情豊かにビシッと才木に言い放った。
「才木くーん!」
「なに?」
「ほっぺの手を放して今すぐ飲みに行くわよ!」
えー……と才木は思ったが自分が今、した事を思えば断ることも出来なかった。
(ちょっと、やり過ぎたかな……ま、それで歌ってくれるなら良いか)
「はいはい、行きますよ」
「うむ、よろしいぞよ! ってか、着替えて来るから待っててよ!」
「はいはい、行ってらー」
才木のその何とも言えないやる気のない返事を聞いた千色は何故か休憩室からそんなに離れてはいないが少し離れた感があるあの水色防止カーテンのある女子更衣室をダッシュで目指した。ちなみに男子更衣室はその隣にある。
(見てなさいよ! 才木くん。才木くんの弱みは知ってるんだから!)
その部屋から私服で出て来た千色はドーン! という感じで才木の前に現れ、前から行きたかったお店に行く事にした。
そして、案の定、酔った。
「お酒なんてね、へっチャラおー」
「おい、酔っぱらい。それ、やめろ」
「なにさー、自分は酒に強いからってね命令口調になって……私はね、だから、喫茶店の子なの。お酒出せないのはこれが原因よ!」
そうじゃないだろ……と才木は思ったが言わないでおいた。
(このままだとまだ、飲むな……)
才木は少し不安になった。
「お酒なんてね、ぐびっと飲んでやるんだからね」
とその通りに千色はお酒を飲み干した。
「へっチャラーおー。チャラ男ー!」
「だから、それ、やめろ……やめなさい」
「なんれよー」
「ほら、ろれつが回ってないだろ」
「もー、へっチャラおーって言ってんでそ」
まだ、ぐびぐび飲み続けている。
「ペース早過ぎなんだよ、まったく……」
はー……と才木は溜め息をついた。
隣の席の女性客と目が合った。
何か哀れそうな目で見られていた。
「いいか! イケメン! 溜め息似合ってんぞ!」
「千色! もう、止めろって、頼むから」
「だーかーらー! へっチャラおーって言ってんでそー!」
そして、また豪快に飲もうとしたが前にぶっ倒れた。酒は一滴もこぼれなかった。
「あーあ。だから、止めろって言ってんのに……もう、帰るぞ」
「まだまだよ! 才木くんが私にした事はこれくらいじゃ許せん! のよ! こんの、いじわるおとこー!」
「分かったから。よーく、分かったから。明日、仕事あるだろ? そんな酔っぱらいのままで仕事行くのか?」
「むー! 自分だってお酒飲んれんのにー。ひっどい! チーんって鼻かみたい」
「ほら、ここにあるだろ」
本当に困った。これだから千色と一緒に行きたくなかったのだと思っているとまた酔うと言ってしまうことを千色は言った。
「どんどん持って来てー、へっちゃらおー! だから」
「いや、持って来ないでください!」
才木の願いの方が聞き届けられた。
「へっチャラおーって言ってんれそー!」
千色は自分がその店を出た事もタクシー乗ったらその勢いで絶対吐く! と騒いだ事も今、才木の背中に背負われているのも全然気付いていなかった。
(雨、降ってなくて良かったけど……これだけは千色に言わないとな)
そう思って才木は言っても意味がないと知りながら千色に吐き捨てるように言った。
「まったく、二十六にもなって自分の弱さも分からないのかよ」
「うっさいなー、私だってもうすぐ才木くんと同じ二十七! 大人よ! 女よ! だから、へっちゃらおー!」
「だから、それやめろ! あのチャラ男思い出す。吉玉似だった」
「へ? よちたまくんなんかに全然似てないお」
「もう、いいよ」
はぁー……と才木はさっきよりも大きい溜め息をつきながらよっこらせと背負って千色を家まで送り届けた。
翌日、千色は吐かないで帰れた事が奇跡だと思った。
それにしても、今日は頭が痛い。
「うーん……」
その表情を見た才木は思った。
(まあ、あれだけ飲んだバカだ。翌日の今日はこうなるだろうな)
「ふくちゃん、仕事出来そう?」
「薬飲みますか?」
「ありがとう、ほのかちゃんに店長」
そうして、千色のこれが初めてではない二日酔いとの戦いが始まったのであった。そして、その日の休憩に才木と一緒になった千色はもじもじと才木に言った。
「才木くん、あの、その、昨日は何かいろいろありがとう」
「いいえ、歌ってもらえるならどんな事でもするさ。俺だけ歌うなんて絶対嫌だったしね。それに久しぶりに見れたし」
「何が?」
「千色が羽目外すところ」
そう言って才木は意地悪く笑った。
「また、そうやって人の弱い所を!」
「しょうがないだろ? だったら、あんなに酒飲むな。分かった?」
コクリと千色は静かに重く頷いた。
「よしよし」
それを見た才木は千色の頭をぽんぽんと軽く頭に響かないように注意して叩いた。
それ以上の事は絶対しない。それが二人のルールだった。
*
あの白い本を千色に任せたは良いがその後どうなったのか知りたくて田井はここ何日か千色に電話をしようかしまいか悩んでいた。
「やっぱり、メールじゃ嫌だしなぁ……千色さん、もしも本当に誰かに売ってたらどうしよう……」
悩みに悩んで二日目。田井は自分の携帯電話でもう夜も遅いのに千色の携帯電話に電話を掛けた。
(あ、繋がった……)
そんなことを思っていると千色の声がした。
『はい、もしもし? しのぶちゃん?』
「はい、そうです。夜も遅いのに電話しちゃってすみません!」
田井は千色に意を決して訊いた。
『あの、千色さん。あの白い本って今、千色さんの家にあるんですか?』
「え、どうして? やっぱり、しのぶちゃんが持ってたい?」
千色は突然の事に訊き返した。
『そうじゃなくて! えっと……だって、千色さん誰かに高く……とかって言ってたから心配で……』
「あはは! あんなの冗談に決まってるじゃない。大丈夫、あの本は今、私のロッカーの一番奥に隠してあるから。それも女子更衣室のね! 絶対、才木君には見つからない安全な場所よ! それに店長にもね! もしも、バレたらそれは忍び込んだってことだから後でとっちめられるし。第一、私がそんなことをしたって言われたら副店長としての信用なくなっちゃうじゃない?」
『そうですよね、やっぱり。ちょっとは安心しました』
「ちょっとね……まあ、そうよ。あんなの家にあったって困るだけよ!」
千色は電話をしながら自分の両親を思い出した。
当時、小学校四年生だったあの日に才木に助けてもらってから才木とは仲良くなったがそれ以前に千色の両親と才木の父は仲が良かった。千色の両親が喫茶店を才木の父が飲食店で働いていた関係だと思われるが。そういう訳で才木に助けてもらったと知った両親の顔ときたら……めちゃくちゃ喜んでいた。
これで我が家もあんたーい! と言っていたのをすぐに千色は記憶の奥へと引っ込めるために頭を強く左右にぶんぶんと振った。
「そ、それで、もう大丈夫?」
『あ、はい……あ! あと、もうひとつだけ訊いても良いですか?』
「何?」
千色は田井の訊きたいことを聞いた。
『そういえば、きのみちゃんって今年、大学受験生ですよね? バイトの方まだやってるんですか?』
「あー、それね。今年の二月くらいかな? それくらいからきのみちゃんバイトの長期休暇店長からもらってるの。まあ、時々、暇な時とか生放送しに来たりはしてくれているんだけどね。普通はそういうことあると辞めるって言うものだと思うんだけどね。何でか、復帰も受かったらっていうのがついてて……ちょっとおかしいことになってるのよね。まあ、きのみちゃんいないと寂しいっていう人しかいないから良いのかな……とも思う時があるんだけど」
『そうなんですか……大変なんですね』
「そうなのよー、あと、聞いてよ! ほのかちゃんは最近、店内ラジオの『癒し』じゃなくてリスナーさん達に意見を求められてもやんわりと無視したり、莉奈ちゃんはいつも通り漢字読めなくて先に進めなくて困ってたり、迫平君と吉玉君はいつもと一緒で店長によく使われてたり、才木くんに失敗を怒られてたりして変わらないけど才木くんは何だかだんだん店内ラジオに協力的になってきて! そのせいで私は歌わなきゃだし! 『あなたの配役表』っていうコーナーじゃ私、絶対、普通か可哀想的なイメージに定着してるし、店長なんて最近、その歌の歌詞をどうするか会員じゃない常連客さんと仕事ほどほどで話してたりするのよ! 救いといったら新人のバイトの子達の働きっぷりが良いってことくらいかしら……あとね、こないだの事なんだけど、あのお客さんが来てね……」
という千色との電話はその後、一時間も続いた。
千色との電話をし終わると田井は一言、言った。
「やっぱり、千色さん、あの中で一番ストレス溜まってんだろうな……」
田井はもう戻れないと思った。
*
七月、店内ラジオ夏ツーがあった。
メインはほのかさんと柚野さん。そして、店長がきのみちゃんの代わりにアシスタントとして出ていた。
今回の目玉は何と言ってもあのジングルだった。
店長の話によれば何でも正月辺りから作っていたらしい。
後で分かったことだがこの声は才木さんのものらしい。
よく加工されている。
そして、次に店長からの『たぶん今年中には、店内ラジオに歌のコーナーが出来る予定です! いろんな人に歌ってもらいマス!』というお知らせがあったりした。
一番リスナーと言うべき会員達が盛り上がったのは『あなたの考える配役表スペシャル』だと思った。
リスナーはにぃーさんの『野ばら姫』、くっぱーさんの『シンデレラ』、よよさんの『白鳥の湖』、僕の『かちかち山』、末広さんの『三匹のこぶた』、ミオナさんの『白雪姫』、はっさんの『おやゆび姫』、センヤさんの『マッチ売りの少女』、何か送ってよと店長にしつこく言われたらしいダーマさんの『ハムレット』、じゅーむさんの『赤毛のアン』など。たくさんの人が読まれた。その大量のお便り時間でメイン達のフリートークは消されたがそれなりには楽しめるものだったので今回も良かったと思った。
末広さんはきのみちゃんがいない……としゅんとしていたが僕と同じように久しぶりに自分のお便りが読まれて嬉しそうだった。