目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
特典

 店内ラジオ冬も終わり、この紅見喫茶店も落ち着いてきた頃、店長は久しぶりに思い出したことがあった。

「ねえ、ふくちゃん」

「はい?」

 店長にそう言われるのは久しぶりだと千色は思った。それ以前に店長と二人っきりの方が久しぶりな感じだ。

「四十さんってあのひょっこりやって来る笠谷さんだよね?」

「そうですけど……」

 何を今更……という感じだったが一応、千色は適当に店長に訊いてみた。

「四十さん何かしたんですか?」

「え? 何で?」

「だって、店長、本名知ってる人にだって最近じゃ普通に会員ネームで呼んでるじゃないですか。川田さんだってダーマさんですよ。それなのに四十さんだけ本名訊いてくるっておかしいじゃないですか。どう考えても」

「そう、かっな? ただ、確認しときたかっただけなんだけど。最近よく来てるから違う人かとも思う時があったからさ」

 出た! 店長の確認。クリスマスとかお正月とかバレンタインとかそういうイベント事が近付いて来るといつも何かしら確認したがる癖だ。と店長自身がよく千色の高校生時代に言っていたあれ、ついにやって来たか。

 これを聞くともう今年のあれなんだな……なんて思うものに今はなっている。

 店長ってやっぱり……それ以上は大人として言っちゃだめよね……と千色は思考を遮断した。よくやることだから苦ではない。

「あー、もう、お正月……お正月、かるたで和尚勝つ……なんつって!」

 てへ。……なんて付けませんように。

 千色はお正月前にそんなお願いをまだ出ていたクリスマスツリーの天辺の銀色お星様にお願いした。

「よーうし! 年明けたらあれ作ろう!」

「あれ?」

 千色が銀色お星様にお願いしている間に店長は何かを決めたようだった。

「来年の目標は店内ラジオ冬で出てきたことを一つでも実現できれば良いなー……なんだけどふくちゃん、どう思う?」

「良いと思いますよ」

 千色は普通に返した。

「じゃ、第一弾はダーマさんが教えてくれたあの短いやつ……」

「『ジングル』のことですか?」

「そう、それ、作ろう!」

「作ろうって……どうやって」

「この前、ダーマさんと店内ラジオ冬終わってから話したんだけど生放送中にダーマさんが言ってくれた『店内ラジオ、紅見喫茶店』ってやつ使用許可もう得てるからそれ使ってやりたいなって思ってて。やっぱりさ、いつも女の子の声ばっかじゃない、この店内ラジオってさ」

「それはそうですよ。だって、メイン二人もきのみちゃんも女の子ですもん」

 千色は当たり前のことを店長に言った。

「だからね、くじ引きやろうと思って」

「え?」

「ここで働いてる彼等を集めてくじ引き、年明けにやるから三人の内一人が当たるようなくじの準備よろしく、ふくちゃん! そして、お疲れ! 良い年を!」

 と言い切って店長はてくてく紅見喫茶店を出て行った。

 それを見送った千色はくじの心配をした。

「ティッシュで良いのかな?」

 問題はその彼等を使って何をするかだと思うが。



 年が明け、紅見喫茶店も通常営業となって落ち着いた頃、才木、吉玉、迫平は明日の定休日に紅見喫茶店に集合! と店長にその翌日、紅見喫茶店に呼び出されていた。

 そこには副店長である千色もいた。

「何ですか? 年明け早々の休日に」

 才木は何のためにここに集められたのか店長に訊いた。

「じゃ、集まってもらって早速だけどこのふくちゃん特製ティッシュくじ! 三人分引いて」

「……」

 店長と千色以外は言葉にならないくらいの驚きだった。

 答えになってないじゃん! それに何言ってんの! この人の右手に握られてる三本のティッシュのめっちゃ細いの何なの?

「ほら、一人一本!」

 店長が引け引けー! と言うので彼等三人は仕方なくそれぞれ一本自分の思うものを選んで引いた。

「はい、今引いたので当たりはどれ!」

 彼等三人は自分が引いたくじを見た。

 才木のだけ赤の色が付いていた。

「はい! 才木君、おめでとう。でかしたよ! 才木君」

「何がですか?」

 何か嫌な予感がする……と店長以外の者は思った。

 これってもしかしていつものお決まりコース?

 それぞれがそう思った時、店長はフフン! と言った。

「才木君の声でジングル作ります! よっ! ラブ声!」

「……」

「あ! 間違えた、モテ声」

 店長以外何も言えなかった。

「あの、『ラブ声』とか『モテ声』って何ですか?」

 千色は副店長という立場だけで店長に訊いた。ちょっとそこは別に訊かなくても良いんじゃないかと才木は思った。もっと違う点を訊くべきだろう。

「え? 皆に愛されてる声だから」

「は?」

 才木は店長が何を言っているのか本当に分からなくなっていた。

「ほら、才木君はさ外見も声もそれに料理の腕まで持ってるじゃない。そんな人他にいないよ。その歳でもうおばさま方のファンが付いてる素人日本人なんて」

「あの、ちょっと待って下さい」

 才木は何かを言おうとしたが最後の『い』だけが自分の思ったよりもほんの少しだけ上がってしまった。

「なんで? ほら、一言……『店内ラジオ、紅見喫茶店』って言えば良いんだよ、才木君」

「ぷ」

 千色は店長の才木の声真似に笑ってしまった。

 案外、似ている……ちょっと老けてるけど。

「それだけで良いんですか?」

「そう」

 そう言われた才木は千色の『ぷ』に感化されてか店長の言葉そのままに『店内ラジオ、紅見喫茶店』とその日その場で皆の前で録音した。いろいろ気持ちを変えた声でという店長の注文付きにも上手く対応出来たと思う。

「はい、ありがとう、皆」

 と言って店長は才木の声が入ったそれを迫平に渡した。

「これ、吉玉と迫平、その他諸々ちゃんとよろしく」

「え? またですか!」

「そうだよ、これこそが君の仕事でしょ」

「……」

「さあ、頑張ろう! 皆」

 店長はいいなー……と思う迫平だった。

「じゃ、俺もう帰って良いですよね?」

「あ、うん、才木君……」

「何ですか?」

「良い素材をありがとうね」

「いや……」

 才木はまた店長に何か言おうとしたが店長の言葉でそれを遮られた。

「それと今度その声で何か歌ってよ」

「え?」

 予想外の話だった。

「いや、まだ先だから。考えといて」

「それって俺が歌うってことですか?」

「なんなら、ふくちゃんも一緒に」

「どっして!」

 千色はいきなりのことで言葉が少し変になった。

「だって、メイン達歌わないって言ってるし、だれか女子が歌わなきゃダメでしょ!」

「パートのおばさん達がいるじゃないですか!」

「あー……だめだな。もう声に若さがないから」

「そんな理由かわいそうですよ」

「じゃ、歌ってくれるの?」

「だから、どうしてそうなるんですか」

「いいじゃんよー、憧れの王子様みたいな若みたいな才木君と一緒に歌えるんだよ、何だって出来るんだよー」

「嫌です」

「俺は良いですよ。歌っても」

「え!」

 店長と才木以外が驚いた。

 あの才木が歌っても良いなんて言うなんて信じられない! 千色はすぐに才木に訊いた。

「正気?」

「ああ、歌にも自信がある」

 才木は何を考えているのだろうか? 千色には何も分からなかった。確かに中学の時の音楽の歌のテストも余裕でモテモテそうな声で激うまに歌っていたがそれが店内ラジオに合うかどうか……でも、今さっきの演技力を見ると店内ラジオの歌も何でもござれで声を変えることが出来そうだ。などと千色が考えているうちに店長は言った。

「じゃ、この話も進めるね」

「え、ちょっと……」

「ちーちゃん」

 もう、何も店長に言うな。ってこと? 無理でしょう!

 千色は才木を睨まずにはいられなかった。

「すげー……」

 吉玉は呆けた顔でそれだけ言った。


 *


 お正月が過ぎた。僕の店内ラジオ生活はどのくらい経っただろうか。

 この喫茶店に来れたのはあのブログがあったからだと今も思っている――。

「ハッパぁ、にくさんに感謝しないとな」

 末広さんは今日もお便りを書いていた。なのに、僕に話してきた。

「あ、はい。肉さんのブログ読んでなかったらここの存在も知らないままでしたよ」

「だよなー。今じゃ肉さんの奥さんのミオナさんまで会員だもんな……」

「でも、ミオナさんって本名じゃなくて会員ネームですよね?」

「当たり前だろ。でも、あの夫婦ここで出会ったんじゃなくて会員になる前から夫婦だったんだと。知ってたか?」

「はい、よく奥さんネタで出てましたから。でも、当時は奥さんここの喫茶店変わってるって言ってたらしいですけどどういう風の吹き回しかいつの間にか奥さんも会員になっててびっくりした思い出がありますよ」

「そうかぁ。あそこの夫婦も子供まだなんだよな」

「え! 『も』ってまさか、末広さん……」

「そんなわけないだろ。俺だって君と同じ独り身。きのみちゃんラブ! だ」

「それはそれでいけないと思うんですけどっていうか僕はほのかさんなんですけど……」

「いいんだよ、『きのみちゃん』はここだけのものだからな。『おれのもの』って言わないだけマシだろ?」

「そう……ですね」

 なんかギリギリな……感じもするがそれは考えないようにしよう。やっぱり、僕の話は聞いてないと思った。

 僕は会員番号二十九の肉さんの『こんな日々』というブログの中にあった『ローテーション喫茶』というタイトルの記事を読み、ここに来ることにした。なんか楽しそうだったからだ。

 その頃の僕にはそれがとても重要だった。それは今でも同じだが。

 そんな肉さんに実際会ったのもこの喫茶店に来て末広さんが紹介してくれたおかげだ。

 何気に末広さんは交流が広いな……と思ったのを思い出す。

「あ、そうだ。肉さん、今日来るんだろ?」

「ああ、はい。何でも暇が出来たとかって」

「そうか、ミオナさん一緒に連れて来てくれるかな?」

「知りませんよ、そんなこと」

 そう言って僕は冷めたコーヒーを一口飲んだ。



 末広さんの言う通りそれから十五分して肉さんが紅見喫茶店にやって来た。

 仕事行ってます風な格好だった。

 そして、肉さんは僕達を見つけると何気に紅見喫茶店に来る女子の中で密かに流行っていると言う才木さんの隠し撮り写真集が危ない! と言ってきた。

「いいか、あれは男が見るもんじゃない。あれは……才木さんファン達の夢が詰まってる危険なものなんだよ! 誰があんなの作ったんだか」

 と肉さんは震えながら訴えた。

 そんなに言うそれを見てみたいと一瞬、思ったが目の前の肉さんを見ると見ない方が良いのかも……と思う。

 僕にはそこまでになる冒険心はない。末広さんはどうだか知らないが。

「あれは才木さんに断っているのかも怪しいやつなんだよ! 絶対、強烈な人が撮ってんだよ」

 肉さんはガチガチし出した。最初に会った肉さんはどこに行ってしまったんだろうかと思った。

「それが原因で今日は早退したんだ、仕事。だから、妻には内緒な。今日、ここに来てること」

「それで『暇になった』ですか?」

「そう」

 肉さんはケーキを食べ始めた。

「どんなのか持って来てくださいよ、それ」

「ダメダメ! あれ、持ち出し厳禁、男子禁制なんだから。末広君、勇気あるね」

「なのに、『見た』と?」

「遠目でね、昨日。見たくて見たんでなくて見えたの。妻の趣味が分からないよ」

 そうだろうな……と肉さんを見て僕は思った。失礼かもしれないが。

「もうね、才木さんがかわいそうになっちゃってね」

 今度は泣きそうな顔になった。よく疲れないものだ。

 そんな肉さんの話は十分くらいで終わった。



 数日後、今度は肉さんの奥さん、ミオナさんがランチをしに紅見喫茶店に来ていた。

「ねえ、すずなちゃん才木君ってちんすこうの他に好きな物ないの?」

「え?」

 ミオナさんに食後のコーヒーを運んできた千色は突然のミオナさんの問いに訊き返した。

「私ね、こう見えて才木くんのファンなのよ」

「え……ダンナさんいるのにですか?」

「そう」

 あっさりとミオナさんはそのことを認めた。そして、千色にどうなの? という顔をしてきた。

「ざ、残念ですけど私もそれしか知りません」

「そう」

 今度の『そう』には少しがっかり感があった。

 いくらミオナに何を言われても千色も才木のちんすこう好きしか知らない。

「今日ね、これから……」

「これから何ですか?」

 ミオナさんは何かを言い掛けて止めた。

 それが千色にはとても気になった。

「何かあるんですか」

 もう仕事なんてあまりしなくても大丈夫な時間だった。

「あのね……」

 ミオナさんはとても小さくだが、はっきりと言った。

「これから、密かに才木君のファンの集いがあるのよぉ」

「な! 何ですか、それ」

「ここだけの話。才木君のファンは今までここのパートのおばさん方くらいしかいなかったらしいんだけど最近じゃ、この紅見駅ビルに来る女性客達が主らしいのよ」

「へぇ、そうですか。それで何でミオナさんが才木さんの好物を私に訊くんですか?」

 正直、千色にはどうでも良い話に聞こえる。何度聞いても絶対そう思うはずだ。

 あまりミオナさんとは合いそうもないと思う千色だったが、少しは気になった。

「今日はその集いで発表会があるのよ。『才木君の何か新しい発見があったか』っていうね」

「へー……」

「あら、もう時間になっちゃうから行くわね」

「あ、お会計ですね」

「そうだ! すずなちゃんも今度その集い来ない? 来たらこれ、もらえるんだけど」

 そう言ってミオナさんはバッグの中から一冊の手帳サイズの真っ白い本を出した。

「それは?」

「これは……ファンになったら見せてあげるっ!」

 何となく千色はそれに危機感を覚えた。

「私、まだ仕事があるし、同じ職場で働いてる人のファンになんかなれないですよー」

 笑いながらミオナさんにそう言うしか千色にはできなかった。

「そう……そうよねー。すずなちゃん、会計お願い」

「はい」

 ミオナさんが会計を済ませて帰った後、あの本の中身が気になった。もしかしたら、本当にヤバイモノだったかもしれない。ミオナさんは『ファンになったら……』と言っていた。たぶん、才木くん関係のモノだと思う。

 千色は視線の先にいる才木を何となく見た。

「はー、この男のどこが良いんだか……」

「何?」

 千色のその声が才木に聞こえたのか才木は千色に声を掛けた。

「別にぃ……何でもない」

 千色はそれだけ才木に言って今までミオナさんが座っていた所の食器を片付けに戻った。

「何だ? あいつ」

 才木は吉玉が失敗した料理を片付けながら千色に向かって言った。

 その横で吉玉は才木に謝っていた。

「ほんと、すみません! 才木さん!」

「まあ、いいけどね、ランチもう終わったし」

 そう言って才木は無心でその失敗料理を生ゴミの中にザッと入れた。

(やっぱ、怖えーよ、才木さん)

 それを見ていた吉玉はいつも思っていることをやっぱり、思ったのだった。

(誰か、才木さんに声かけてー!)

 それに気付いたのか店長が運良く才木に声を掛けて来た。

「あー、才木くん、頼むね」

「はい」

(たったのそれだけー!)

 吉玉は心の底からそう思った。

 千色は店長も何やってんだか……と思ってその様子を少しぼんやりとしながら見ていたのだった。


 *


 もう夜も遅いのに店長は一つの仕事を熱心に紅見喫茶店でしていた。

「これはやる……これはやらないっていうか無理……」

 店長はあれこれ言いながら大量の紙を一人で仕分けしていた。

 たまたま店の後片付けのせいで帰りが遅くなった千色と才木は少しそれが気になった。

「って、店長、何やってるんですか?」

「何って……ふくちゃん、見ての通りどれが一番実現できるかやってんの!」

 そう言って店長はまた一枚紙を取った。

「そう簡単に出来てたまるか! って感じも持っといてもらわないとさ、いざ! って時に気持ちが盛り上がらないでしょ?」

 いや、別に誰もが店長のような考えではないだろと才木は思った。

「やっぱりさー、特に『ハチ仲間』とかっていう団体さんにはこれ必要でしょ!」

「どうですかねぇ」

 千色はそう言って店長の意見を否定はしなかった。

 やっぱり、店長は面倒だ……が一番にあったからだと思われる。

「店長、こっちの量の多い左の山が『やらない』方ですか?」

 才木は店長が左右に分けた山を見て言った。

「そ。店内ラジオ冬が終わってからも続々とね……。全く、迫平君の『店内ラジオか紅見喫茶店、店長にお願い』のせいだよ」

「でも、あれって確か、その日限定だったような……」

「そうなんだよ! ふくちゃん! それなのにこうやって、メインと一緒に写真撮りたいだの、メインのサインが欲しいだのさ……おらにコーヒー淹れて欲しい! が一つもないってどういうことなの!」

(え! そこ!)

 二人は同じタイミングでそう思った。

「だからね、こうやって、メイン二人の機嫌が悪くなって店内ラジオをやってもらえなくなるとかそういう不安要素が大きいものほど『やらない』にするわけよ。そうしないと今、困ることになるだろ?」

「まあ、確かにそうですけど……」

 千色は何となく店長の言う事が分かるような気がしたのでそう言った。

「だから、こうやって『やらない』を増やしてるわけだよ。本当はおらだってメインにこれはやってほしい! っていうのがちらほらとあるんだよ。でもさ、彼女達のことだからさそんなこと言ったらここ辞める! とか言われるとさまた、最初からになるから嫌じゃない?」

 何か店長側に自分達も含まれていることに才木は気付いた。

「新しいバイトの子達もさ、まだまだ接客慣れてないしさ、もう、ほんとつっまんない!」

 ぶー……とされても……。

 二人はまたも同じタイミングでそう思った。

「ということでこのポスターを貼ろうと思ってマスッ!」

 店長は二人の前に一枚のポスターをピラっと出した。

「これは?」

「よく訊いてくれました! 才木君、これはね。あの『ハチ仲間』さん達が言っていた『特典』デス!」

「え! 『特典』って何するか何も聞いてませんけど?」

「だから、今、ここで言うんじゃない! ふくちゃん。見て、聞いて驚けよ!」

(いや、今も十分驚いてますよ……)

 と才木は思ったが店長がよこっらせと脚立に乗りながらそのポスターを他のポスターと一緒に貼っているのを黙って見ていた。

 そこで落ちられても困るからだが。

 店長は案の定、脚立に乗ったままそのポスターに書いてあることをそのまま読んだ。

「じゃじゃん! 悩みに悩みましたがこうする事に千色さんと決めました! 『会員制を始めて一年、何か特典を! というリスナー達の声に店長が今、立ち上がる! 生放送に五十回お便りを送れば『店内ラジオ特製・紙製コースター五つセット』がそして、百回送ると『店内ラジオ特製・うちわ一つ』がさらに生放送で百回お便りが読まれると『店内ラジオ特製・マグカップ一つ』がさらに千回読まれると『店長自ら淹れるコーヒー一杯(プラスあと一杯だけおかわりあり)』が付いてくることになった! すごいだろ?」

「えってえ! 『千色さん』ってうちの父も決めたんですか!」

「そうだよ、一緒に決めちゃった!」

 キャッ……って幻聴が千色には聞こえた気がした。

「決定……なんですよね。それ」

 千色はその日の疲れとは違う疲れを感じながら店長が脚立からゆっくりよいしょ……と降りるのを見て言った。

「そう、貼ったもん勝ち?」

 何故、訊いてくるんだこの人は……と才木はそれを黙って心の中で呟いた。

 今、何か言ったら何をさせられるか分かったものじゃないのは確かだった。

「よおし、またこれからいっそがしくなるねー」

 そうしているのは店長じゃん! と二人の従業員は思うのだった。


 *


 店長が貼ったとされるそのポスターが貼られてから数週間が経った。

 それを見た会員達は特典をやってくれるならもっと別の物が良かったと言い合っていた。

 最初の頃はそのポスターがいつものポスターコーナーに別のポスターと一緒に混ざって貼られていただけだったので少人数の人しかその『特典』には気付いていなかった。

 現に僕もそのポスターの存在を知ったのは一週間後の事だった。いつもの僕に比べれば割と早い方だった。末広さんはもちろん、その気付いた少人数の中に入っていた。

 ある日、僕は末広さんがその『特典』に対してどのくらい熱心になっているのかが知りたくて話をふってみた。

「あれ? 知ってるに決まってんじゃん! 俺もう、何回送ったかな? でも、今ってメイン二人の生放送もそれぞれ週に一回ずつで減ったからな。ま、メインが一人減ったんだからしょうがないけど……その代わりに二人のメインのどちらかと『メイン候補者』と呼ばれる新たなバイトさん達が十五分の生放送を行うやつがあるだろ。あれ、いらないよな? だったら、きのみちゃんのを増やしてほしいよ。俺としては」

 どこまで末広さんはきのみちゃんを……と思ってしまったが、末広さんの話はまだ終わらなかった。

「週計算して二回、それがだいたい三週分だから……九にしかならないんだよな、ひと月」

「それ、本当ですか?」

 僕も数えてみようかと思った。

「え、まあ、細かいのは気にせずにさ、特典やろうぜ!」

「何でそんなにそれで明るくなれるんですか?」

 末広さんはあまり気にしてない風に言った。

「だってさ、もし、その店長案の特典が全部終わったら違う特典出て来るかもじゃん」

「だから、それを期待して送り続けると……あ、でも、何通でも送れるんじゃなかったですか?」

「ちっちっち、そのポスター貼られた日から生放送のは一人一回、手書きも携帯もパソコンも一人一回としかカウントされない。何故なら、何枚も送って来る奴がいるからだ! それを阻止するためだけにこれが採用された……と四十に教えてもらった」

「そうですか」

 僕は最近、その話をはっさんから聞いたばかりだったのを思い出し、末広さんの話にあまり衝撃を得られなかった。



 そんな会員達もいる中、店内ラジオにその不満をお便りで伝え出すというのが最近増えてきているらしかった。

 でも、紅見喫茶店内で流されている店内ラジオの内容は一切、その『特典』に触れるお便りは読まれていなかった。もちろん、生放送でもそれは同じだった。

 それに気付かない方が変という感じでそれに対する抗議のお便りがどさどさきていたらしい。

 もうこれ以上、そのお便り達を無視出来ないと判断した店側はそのお便りの為の生放送を企てた。

 言葉はお便りでという店長の考えによって『店内ラジオ春』と題した生放送緊急店内ラジオ会議が開かれる事になった。

 折しも学生達の春休みであった為か『店内ラジオ春』となったようだった。

 店内ラジオ春が始まる数日前に突然末広さんがハチ仲間を集めて言ったことがあった。

「中立もしくは賛成でお願いします。出来ればお便りは送らないでほしい。ってか、見るなら黙って見守ること!」

 と。

 こんなに大事になってしまった今、僕達が意見として何かしらのお便りを出すのは危険と考えたようだ。

 確かに、言い出しっぺが強い力を発揮することはあまりないかもしれないがその考えに何かしらが付いて回りそうだった。

「ああ、だから、あの時『永久不謹慎番号』をもっときつくしとくべきだったんだよ! 大体、こういうのはそいつらと元田井さんリスナーが仕掛けてるんだろってのははっきりとちゃんと分かってんだよ! ちなみにこの中で『元田井さんリスナー』とか『永久不謹慎番号』なんて奴はいないよなぁ?」

 僕達、三人は全力で頭を左右にぶんぶんと横に振った。

 じゃなきゃ、今の末広さんは納得しない。気がする。

「田井さんが辞めなきゃ、『元』なんて言われることがなかったのにな。田井さんリスナー達」

 という訳で僕達、ハチ仲間はその『店内ラジオ春』にお便りを一通も出さなかった――。

「では、始めたいと思います」

 というメイン、ほのかさんの緊張した声でその『店内ラジオ春』が始まったのであった。

 お便りは店側に賛成のリスナーと反対のリスナーに当然分かれた。

 賛成側の言い分は末広さんの考えにだいたい同じで店長もしっかりとそれについては今後考えるという前向きな考えを示してくれた。

 反対側の言い分は『うちわってどういうことですか』とか『店長の淹れるコーヒーなんて誰得』とか『コースターよりタオルだと良かった』とか『こんな店もう来る価値なし』とかそういういちゃもんだらけだった。

 中にはこの『特典』こそ、店内ラジオできっちり決めるべきだったという意見もあった。

 今までこういった抗議の声を伏せてきたのをここで一気に出してきたという印象を僕は受けた。

 もう、ここでゼロにする! という店側の考えが見える形だった。

 これが今後良い方向に向くかさらに悪化するかは僕には分からない。

 この騒動の発端となった『特典』が僕達、ハチ仲間からの提案だったとしてもそこまで店長達が考えに考えた物をバッサリと切り捨てることもできない。

 いろいろ悩んでくれたというだけで僕は良いと思う。それが本当に実現するなんて深く考えてもいなかった。そこまで熱くなれなかったからかもしれないが。

 この状況の中で一番の被害者はメインのほのかさんであることは明白だった。

 ただ、店長に言われてまたしても『店内ラジオ春』のメインになってしまったほのかさんは店長と客達の間に入らされ、店側の人間という立場で相当嫌な思いをしたに違いない。

 この特典騒動は後に全てと言って良いくらいの元田井さんリスナーをこの紅見喫茶店から撤退させるくらいの打撃を作ったがそれ以外は大した事もなく、『店内ラジオ会員特典第一弾』として店長達の考えた特典はそれなりに会員達に愛され続けることになった。

 けれど、『店長の淹れるコーヒー』だけは誰一人としてそこまで辿り着くことなくその特典第一弾が終わってしまったため、店長の機嫌はますますよろしくなかったと聞いた。

「もう、せっかく用意したのに!」

 と言ってダーマさんにその用意した『おら特製コーヒー』をたくさん飲んでもらったそうだ。

 もちろん、タダで。

 絶対、ダーマさんじゃなかったらタダな訳がないと末広さんが熱く力説していた。

 そんな風になれる末広さんもまた、すごいな……と僕はいつもの如く、心の中で感心した。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?