その日、僕が紅見喫茶店に行くと――客が一人も誰もいなかった。
そもそも店の手動ドア自体が開かなかった。
(何で? もしかして)
ハッとした僕は手動ドアの周辺を探した。
(あれがあるはずだ! あのお知らせピラ紙が! 今日は定休日じゃない、だとしたら店長が疲れたな……と思ったらその日は休みになるという感じの時もあるっていうその日なのかー!)
あった。
臨時休業のお知らせと書いてある一枚の紙が手動ドアの近くの壁に貼ってある。
僕はがっくりきた。
「見つけにくいよ、店長」
それだけ呟いて家に帰ろうとした。
(なんか、中から声聞こえて……くる?)
僕は少しそれが気になってもう一度紅見喫茶店の中を手動ドアの所から覗き見ようとした。
すると、カチ、カラッランと鳴った。
(ん? カラッランって中――)
案の定、店の手動ドアにぶつかった。
「いて」
僕はおでこを普通にジーンと痛めた。
「お」
僕は僕に手動ドアの角をぶつけてきたその声の主を見上げた。
「って、才木さん?」
「悪い。やっぱり、ぶつかったか」
そんなことを言ってくれた才木さんの後ろでは聞き覚えのある声が二つほど聞こえてきた。
「千色さん、教えてください」
「だから、ほのかちゃん。私がぽろっと言っちゃったことなんて忘れてちょうだい」
「それはできません! 店長の秘密知ってるんでしょ。私だって別に店長の秘密なんてどうでもいいけど、話のタネくらいにはなるはずです!」
「秘密は知らないけど。店長がどうしてこの店に働くことになったかは知ってるっていうだけよ」
それまで黙って二人の会話を聞いていた才木さんは僕を無言で喫茶店の中へ入れ、手動ドアを閉めた。そして、千色さんに向かって言った。
「もう副店長の知ってる事全部話してあげたら? この二人に」
「え、二人? ほのかちゃんだけじゃなくて? あっ、ハッパくん」
千色さんとほのかさんはやっと僕の存在に気付いたようだ。
「こ、こんにちは」
僕は一応、挨拶してみた。
「こんにちは」
ほのかさんと千色さんも挨拶をしてくれた。
その様子を見ていた才木さんは僕がどうしてここにいるのか二人に簡潔に説明をしてくれた。
「彼は店の外でうろうろしていたから中に入れた。で、どうなんだ? 副店長。俺は、自分のやる事終わったから帰りたいんだけど」
「さ、才木くんもいて」
「え、何で? 今、俺帰るって言ったよね」
「そしたら、話す」
才木さんの話は完全無視での千色さんの意見だ。
それにしても、少し影がありそうな感じの千色さんは良い! と四十さんは言っていたけれどこういうことかもしれないと僕は密かに思っていた。
一方、千色さんの言葉に反応してほのかさんは目を輝かせ始めた。そして、その目で才木さんを見続けた。
お願い! 雰囲気がこちらにも伝わってくる。
「才木さん!」
ほのかさんのその願いが込められた声が届いたのか才木さんは僕の背中を押しながら千色さん達のいる方向に歩いて行く。
その表情、声はピリッとしていた。
「まあ、良いんですけどね。副店長、千色さんが話し下手なのは知ってるんで! ハッパ君も一緒に最後まで聞こうか」
「え、いや、僕ももう帰ろうかと思ってましてでして、才木さん離して下さい。肩に手を置かないで」
僕はほのかさんと才木さんの隣で千色さんの話す過去話を聞くことになってしまった。
まあ、それなりに興味のある話ではあったし、あの三角巾とエプロンのない普段着のほのかさんが見れたというのは良いことなのだろう。ちなみに、千色さんも才木さんも普段着だった。
ここに末広さんや四十さん達がいたらとても喜んでいたことだと思った。
その話の前に僕はこの中に入る前から思っていたことを目の前の三人に質問した。
「あの、ちなみにどうして今日はここにいるんですか? 今日って臨時休業なんじゃ」
その質問にほのかさんが答えてくれた。
「ああ、それは店長のせい。私と千色さんはその店長に言われて仕方なく季節外れの大掃除しに来たの。迫平さん今日来れないからその代わり。それで、才木さんは厨房の掃除ですよね?」
「ああ。店長には何も言われてないけどな」
それを聞いてほのかさんと千色さんは少しギクッとしたようだ。
僕の解決が済んだところでほのかさんは千色さんを見て、言った。
「というわけで千色さん、よろしくお願いします」
ほのかさんは少しわくわくしてるような感じだ。
「お、願いしますって言われたって」
困った様子の千色を見て才木は千色に助け船を出した。
「ここは『喫茶 せんしき』のことからでも話せば?」
「そうかな」
千色はやっぱり才木を帰さなくて良かったと思いながら何も知らないアルバイトと客に『喫茶 せんしき』から『紅見喫茶店』になるまでの話を始めたのであった――。
千色はまず才木に言われた通り、『喫茶 せんしき』の説明から始めた。
「うーんと『喫茶 せんしき』っていうのはね、今の紅見喫茶店の元祖ね。『せんしき』っていうのはひらがななんだけど。元々は漢字で」
そう言ってテーブルの上にあったティッシュとボールペンを使って千色さんは字を書いてくれた。
そこには『千色』と書かれていた。
「ちいろ……って千色さんの名前と同じじゃないですか?」
ほのかさんは少しびっくりしたようで千色さんに訊いた。
「そうよ、だって『せんしき』は千色家が一家で紅見駅近くの人通りの多い所で個人経営していた喫茶店だもの」
「確か『せんしき』ってなったのは千色のおじさんがそう言わせたかったからだっけ?」
「うん、『ちいろ』より『せんしき』の方がかっこいいだろとか言っちゃってね。よく覚えてたね、そんなこと。それに名字そのまま使うのもつまらないとも言ってたから」
ん? と僕は思った。そして、それがそのままほのかさんの口から出た。
「どうして才木さんが『千色のおじさん』なんて言うんですか?」
「そうそう、それに『千色さん』って下の名前じゃないんですか?」
僕もほのかさんと同じレベルの質問をしたつもりだが、
「え?」
僕のこの質問にはほのかさんも何言ってんの? 雰囲気になった。
千色さんも才木さんもほのかさんと同じ感じだった。
そして、千色さん直々に、
「あら、言ってなかったかな? 千色は名字なの。私、
「あ、そうだったんですか!」
僕は少し焦った。ちょっと恥ずかしい。
「それから、才木くんとは同級生で小学校四年生からの友達なのよね」
千色さんにそう言われた才木さんは無言で軽く頷いたようにも見えたが定かではない気が僕にはした。
ほのかさんはそれを聞いて何かを思ったらしく、思案顔になっていた。
それを感じ取ったのか千色さんは、
「別に隠してたわけじゃないのよ。他に何か訊きたいことあれば話すわよ。ある?」
と少しそわそわしていた。
何故、そんなこと言うんだという顔を才木さんはしていた。
「じゃあ。ホント、別にいいんですけど一応、訊いときます。才木さんの下の名前教えて下さい」
「え!」
「なんでそんなに驚くんですか? 千色さん。もしかして、知らないとか」
「そ、んなことないわよ。才木くんの下の名前は『としや』よ。字は忘れちゃったけど」
そう言って千色さんは少し顔を伏せた。
「けっこう失礼ですよね。それ」
「だって――」
「もう、良いから続き話せ」
「はい」
千色さんは素直に才木さんに従った。
その才木さんは不機嫌そうだった。
「それで、私が高三の時に私の父が急に体調を崩したの。それが原因で男手不足に陥って、急遽、お店の貼り紙で求人募集をしたの。そしたら、来たのよ、あの店長が」
「店長もうここで登場ですか!」
ほのかさんはもう少し後の登場を望んでいたらしい。
千色さんもそれに同感したらしい。自分の思い出なのに。
「そう、割と早いのよね。で、その時、店長が言った言葉が『前の仕事は辞めました。小さい時からずっと喫茶店で働くのが夢だったんです。
「それからどうなったんですか?」
ほのかさんは千色さんにぐっと近付いた。
「どうって、正式に『喫茶 せんしき』で働くことが決まって、それ以後もせんしきでよく働き続けてくれたの」
そこで才木さんがやっと口を開いた。
「ちなみに千色達家族は店長自身が言っていた『前の仕事』の事は一切何も知らないらしいから千色にその事を訊いても全く意味ないぞ」
才木さんの言葉に千色さんは頷いた。
「これも本当。私が知ってるのは店長の本名と夢だけね」
「それで、千色のお父さんがいよいよ千色にこの『喫茶 せんしき』を任せようと思ったのと同時期に新しく出来た紅見駅ビルで『喫茶 せんしき』をやらないか? という話が舞い込んできたんだろ?」
「うん。その話にうちのお父さんは『是非! やらせてください』って即答で喜んで引き受けちゃったからその紅見駅ビルでやっていくことになっちゃったのよね。それに私、元々、喫茶店の仕事はやりたいけど店長はやりたくないって思っていたの。だから、お父さんに了承を得た上で長く勤めていた元地さんに店長として働いてくれないか? って私、自ら頼み込んだの。最初は元地さんもそれを拒んだのだけどうちのお父さんにも頼まれたから店長、雇われ店長になることを決意してくれたの。元地さん、今の店長は紅見喫茶店の事、全てを任せられていたりするところもあるからけっこう自由にやっているところもあるのよね。例えば、店内ラジオとか。そして、店自体が移転するならばってことで『喫茶 せんしき』の名前を『紅見喫茶店』に変えたの。『喫茶 せんしき』の時のように貼り紙で求人募集をしていって今の状態に落ち着いたの」
「今までの千色の話は露木さんとハッパ君には本来言うべき話ではないがな。それでも、露木さんが知りたがったのはこういう裏の話だ。それから、千色のおじさんが言っていたが『だいたいの常連客が『紅見喫茶店』は店長の個人経営の喫茶店って思っているのは確実だよね』だと」
最後は才木さんが締めてくれた。
それを聞いた千色さんは驚いた顔で才木さんを見た。
「そんな話までお父さんとしてたの?」
「ああ、この前の町内清掃してる時に」
千色さんはどうしてだか次の言葉に困っていたようだったので僕は、
「あの、そろそろ帰っても良いですか?」
と訊いてみた。
「そうですね、ハッパさん」
とほのかさんは僕に賛同してくれた。
それを聞いて千色さんはまたそわそわし始めた。
「あ、帰っても良いけど」
「千色さん、分かってますよ。ね、ハッパさん。誰にも秘密! ですよね」
「ああ、はい!」
と、僕はほのかさんに誘導された。
「じゃ、気を付けて帰れよ」
才木さんにそう言われ、僕とほのかさんはいそいそと紅見喫茶店から一緒に出た。
*
あの千色さんの過去話ももう遠くに感じるほど今年の冬が近付いて来ていた頃だ。
その日も末広さんは唐突に話し出す。
「いやーさあ、なんか最近、ダーマさん見かけなくなったからさ。それでか知らないけど店長も最近、元気ないじゃん?」
「そう言えばそうですね。僕的には『店内ラジオ冬』をどうやって盛り上げるかに疲れ切ったからだと思ってたんですけど」
「ハッパ、それは違うな。店長のことだ、それくらいならパパッとあの迫平さんにおまかせするだろ?」
「そうですよね」
リスナー達の間でも迫平さんの雑用係位置は徐々に定着し始めていた。
店内ラジオの定番ネタになっているからかもしれないが。
定番ネタといえばコック長の才木さんのちんすこうが大好物というのもあるがそれについては女子の皆さんが喜ぶネタとして提供されている気がする。
どうしてそんなどうでも良いようなことで喜べるのか僕には理解し難いが――そんな事を思い出したがすぐに末広さんの話がやってきてその思考もそこで終わった。
「そうそう、俺が最近よく見る夢なんだけど何故かいつも店長とここの従業員さん達ばかりが出て来てありえそうでありえない展開が起こるんだよ。俺はいつもその様子を第三者の目で見てるんだ。あと、あれだな、あれも原因の一つだな」
「それって末広さんの妄想じゃ……」
僕は少し得意気に元の話を話す末広さんに呆れた。
「でだな!」
僕の言葉は末広さんには届いていないらしい。
「何故か、その夢、ダーマさんだけが出て来ないんだよな。何で、出て来てほしい人ほど出ないんだろうな?」
と言って末広さんはコーヒーを飲んだ。
そういえば、出て来てほしくない人ほど出て来る気がする。
嫌な記憶ほど脳内に残るからだろうか?
そんな事を僕がぼんやりと考えていると店長と末広さんが目で合図していた。
なんか女子みたいに。
「何してたんですか?」
「ん? いや、『暇になったら最近のダーマさん情報教えてください』――『うん、オッケー』って」
「マジ、女子ですカ!」
全力で言ってしまった――というか言ってやった。
それから、一時間くらい末広さんは熱心にお便りを書いていた。
僕はただ店内ラジオを聞いていた――。
「よし、じゃ。何だっけ? 末広くんと目が合った気がしたから来たんだけど?」
「はい! あの、店長。最近、姿を現さないダーマさんのことについて詳しく知りたいなと思いまして」
え! 目と目、合っても肝心な所、一つも通じてないじゃん!
そんな目で末広さんを見続ける勇気が僕にはなかったので店長の話す最近のダーマさんというか『冬のダーマさん』を末広さんの隣で黙って聞くことにした。
「最近のダーマさんねー。うーん、俺も知らないんだけど。何でもこの時期になるとモコモコ状態になるんだと。ほら、ダーマさんって言えば『甚兵衛』だろ? 冬でも甚兵衛っていう噂聞いたことない?」
「あ! あります、あります!」
末広さんのテンションが上がった。
「あれ、本当みたいでね。ダーマさん冬はなかなか外出しないらしい。いわゆる『冬ごもり』だな。ちゃんと活発期のダーマさんからの証言だから間違いはない。モコモコ状態になるのは特別な何かがあって外出する時、甚兵衛着てると厚着するしかないって言ってたな」
「へー」
僕も末広さんもそれ以上店長に何も訊く気になれなかった。
「まあ、そうは言ってもその期間の甚兵衛着る時間、一時間って決めてるみたいでね、その時間だけは家中をいろんな温かい物使って夏みたいにさせるらしいよ。それ以外の時は普通に暖かい服着て過ごしてるらしいけど外は寒いからって極力、外出しないらしい。どんだけ、甚兵衛好きなのかこれ聞くと分かるよね」
そう言って笑う店長が僕にも末広さんにも理解不能だった。
一応、苦笑いはしといたが。
そんな僕達を見て店長は一言、言った。
「ま、今までの話は冗談で本当は極度の寒がりだからダーマさん、かなりの防寒着着込まないと外出出来ないらしいけどそれが面倒らしくて外出しないそうだ。これからの時期からそれが当たり前になるみたいだよ」
「そ、そうなんですか」
末広さんはそれだけ言うのがやっとみたいだった。
店長の冗談には割とついていけない末広さんの妄想夢みたいに。
「まあ、その着込み度っていうのがモコモコ状態なんだよ、それくらいのひどさな!」
そう言って店長はまた仕事に戻って行った。
それを見て末広さんは言った。
「な! 通じてただろ」
「どこがですか!」
「甚兵衛辺りが、かな?」
そう言う末広さんもそうだと思うが今の店長との理解不能な冗談が今日の夢に出て来そうだった。
*
いつもは紅見喫茶店に行くのだがその日はその喫茶店自体が休みなので久しぶりに『僕』ではなく『俺』として生活できると思っていたのだが――。
何故、俺はこんな所にいるのだろうか?
何故、自分の姉と一緒に行動しなければならないのだろうか?
それも何故、今、目の前にあのほのかさんがいるのだろうか!
とあるデパートで『俺』、『僕』は悶々としていた――。
ここに来る一時間前のことだ。
その日は実家に置いてあるマンガを取りに戻っていた。
そして、その用事も済み、自分の住んでいる家へと帰ろうと思い、玄関に行った時だ。突如、現れた姉に、
「あんた、免許持ってんでしょ? 私をそこのデパートまで乗せて行って帰りもお願いね」
と言われて靴を履かれた。
「何で? 自分だって免許持ってんじゃ?」
「ああ、私? 落ちてんの」
「は?」
「だから、免許本免で落ちてそれっきりだから持ってないの」
「何それ、久しぶりに帰って来たと思ったらそんな用事言いに来たのかよ」
「そうよ。後はあんたがちゃんとまだ社会人してるかと思って」
「してるしね、心配されなくてもこの家から出て一人で生きてますから」
「ああ、そう。あんたも一人暮らし始めたんなら何か買うもんくらいできるでしょ?」
「だから、来いと?」
「そう、特に今日は雨だからね。車、必要」
「それ、俺関係ないし」
そんなことを玄関先で言っていると母が一枚の紙切れを俺に押し付けてきた。
「じゃ、これもお願い。お米とそこに書いてあるの買ってきて。母さん、これから病院だから」
と言いながら出掛けてしまった。
「お米か……お米は車ないとねー。そういう訳だから車よろしく! 冬悟、車で待ってるから」
と言って姉も勝手に俺の愛車の鍵をすでに持っていたらしくそれを俺に見せてから外に出て行った。
小さい頃から母と姉には勝てない気がする。
いつだって、自分勝手に行動し、それに従わないといけないようにしつけられてきた。
それにそれを実行しないと無免許の姉に自分の愛車を傷付けられるかもしれないと思い、ゾッとし、俺は姉の餌食となった。
姉があの場所から帰って来るまで俺はここで待たなければならない。
それなのに、あの場所から出て来たのはほのかさんでそれを偶然にも見つけたかった訳ではないが、末広さんと店長状態に今、なってしまった。
もう、冗談では済まされないくらいの気まずさだ。
何故、選りにも選ってあの姉はあと三十分くらいはそこにいろ! と一分前にメールしてきたのだろうか?
俺への嫌がらせだろうか?
絶対、どこかで見て楽しんでいるに違いない。
そんなことを思っていれば何とか時は過ぎるだろうと思っていたのだが目が合ったまま離す事ができないでいた。
(どうにかして、視線を外さないと俺あそこ行けなくなるじゃん!)
何とか視線を外そうと試みてみたがほのかさんもそうしているのかなかなか外せない。
(困ったな、こんな所あの姉が見たら何言うか――)
そんな僕を見るほのかさんの口が開いた。
「あの、ハッパさん? ですよね。いつもスーツの。どうして、女性下着の売り場なんかにいるんですか?」
その顔は軽蔑していた。
別に女性下着の売り場に僕はいなかった。
ただ、その近くの休憩所にいただけなのだが。
「いや、別にそうじゃなくてただ姉がね、そう、姉がそこにいて、ここから動くなと」
その証拠に僕はそのメールをほのかさんに見せる――という訳にもいかないのでただ、テンパっていた。
「ごめんねー、とうごー、私、服買いに行ってたー」
と笑いながら姉はのこのこやって来た。
そんな姉を見て僕はイラッとした。
「『服』って何?」
「だから、服よ、服。春ふくー」
ほら、見て! という風に姉は今、買ってきたばかりの服が入っているらしい茶色の少し大きめな紙袋を軽く持ち上げて俺に見せた。
俺はその姉の言葉にさらにイラッとしてほのかさんをほったらかして、
「ここで待つ意味ないよね?」
と姉に口論した。
だが、自分勝手な姉はそれよりも訊きたいことがあったらしかった。
「いや、こんな所で待つ男性としての気持ちを――ってかその子、誰?」
「え? あ、ほのかさん?」
「何で、疑問形なんですか!」
と怒ってほのかさんはどこかへ行ってしまった。
それを見た姉は完全にお決まり勘違いをしていた。
「あれ? は! もしかして、あんたの新しい彼女だったりした? 私のこと、勘違いしたかな」
「いや、絶対それはない」
「何だと!」
「だって、彼女は俺の本名知らないし」
「そんなことで――え! じゃ、彼女誰よ?」
「別に関係ないじゃん」
「分かった。あんた、追いかけて来なさい」
「は?」
姉の暴走が始まりそうだ。
「こういう時は追いかけるのよ! 彼女なんだから!」
「だから、違うって!」
それなのに、姉に押された。
「私、車で待ってるから」
そう言って姉は行きの駐車場で車から降りた直後に渡せ! と言ってきた俺の愛車の鍵を俺に見せつけてから自分と母の買い物を終わらせると言って行ってしまった。
「はー、俺別に関係ないじゃん」
そう言ってみたもののその場に留まる理由もなくなったのでぶらぶらすることにした。
ほのかはあれからジタバタしたかった。
何で、あんな所には! ハッパさん? という気持ちで今、買った物を手に持ったままだったのに気付き、顔を赤くしながら乱暴にそれをカバンの中に入れた。
少し、紙袋から透けてるのが嫌だった。
ここまで来れば落ち着くはずだ。
(ここ人気ない休憩所だもん)
そう思って自動販売機で何か買って喉を潤し、一服する事にした。
「はー」
今日は雨であんまり知ってる人いないと思ったのに――。
「なんで、俺が――」
また、会った。
その声を聞くだけで分かった。
「何でいるんですかー!」
「え!」
――ハッパは何か買おうとぶらぶらしていた。
ほのかさんは探さないでおこうと思った。
会った所で進展はないし、姉のネタにされて終わりだ。
だから、時間潰しに店内ラジオ冬用の質問でも考えようかと人気のないぼーっとできる所を探していた。
それがここだっただけだ。
何も考えず、人がいることも意識しないでただ、座ろうとした――だけだ。
だから、また目の前にジュースを飲むほのかがいることにただ驚いた。
「あ、別に後追い掛けて来た訳でもないし、あの大声女は自分の実の姉だから」
そんなことをペラペラと自動販売機に向かって喋った。
そして、僕は財布をポケットから出した。
「……」
「あ、れ?」
(あと、十円がない!)
「……」
「お!」
(こんな所に!)
――僕はお茶を買った。
ガチャン。
それでも、黙ったままのほのかさんに言う事は一つしかないはずだ。
「あのー、ホント何も見てません」
「本当? ……じゃないですよね?」
「いや、確かに出て来たのは見ましたが手にぎゅっと持ってた紙袋とか。薄いピンクとか全然、見てませんよ!」
と言ってペットボトルのふたを開けようとした。
手が滑って上手く開かない。
「――全部、見てます……ね」
「あれ?」
「ちぃーっと、それ、貸して下さい」
そう言ってほのかはハッパのペットボトルを奪い取ってそのふたを開けてあげた。
「私、ふた開けるの好きなんです!」
「へ」
「私、もう、ハッパさん大嫌いです!」
と言ってほのかさんはその顔を見せずに自分が飲んでいたりんごジュースの残りを一気に飲んでカン! とゴミ箱に投げ入れ、僕を見、
「絶対、言いふらしてやる!」
と捨て台詞的なことを言ってまたどこかへと行ってしまった。
「『言い触らす』と言ったって自分も恥ずかしいだろうに」
そう言ってほのかが開けてくれたお茶をゆっくりと飲むハッパだった――。
「うわーん! 私のバカ! それ、言い触らしたら自分の方がヤバいじゃん!」
とほのかがその事に気付いたのはそれから三時間後、自分の家に帰り、寝る直前の事だった。